昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

羽化


 課せられた罪でできた衣服を着込んで、束縛される身体や、安心を謳うだけの惰性な偽装をほどこす意味的な根幹を破壊するほどのよろこびでふるえ、憤懣をうながすだけの奴隷化した主体性に与えるエナジーや、演繹し続ける先々で最たる意味の密度や、見つかるためにためらう観点から、リビドーが加速し、意味を枷に課せ、世界性を狭めていく。思いとは劣化していくものだ、と否定的な彼らが見つめる先などは、すたれるだけであるし、あらゆる根源とは、論理をもたらす以前の記憶に憶測を生み出し、アクセスする者の自由を奪うための権利を謳いながら、権力に荷担していくほどに、自らのダンスの仕方を忘れ、自ら踊ることを辞め、ためらうだけの精神などが焦げ付き、懐古にひずむ理由のリズミカルさに解析されるだけの文明的な苦しみの利己的な狂気を背負いながら、分散される苦しみのページを次々に重ねるだけの動機と同化し、同じような苦しみとリンクするほどに、朽ち果てるだけの理想などは、理性をそこない、ただバンダリズムにおちいり、パンタレイをも否定し、万感にひそむ補足されるだけの憂鬱を武器に変え、研鑽されるための理由に摩耗していく精神が卑劣なものをかかえては、関係性に生み出される制度が還元するものだけが、ここでの正しさを生み出すのだ、という幻想から抜け出せずに、惰性にみちびかれる彼や彼女らの崇拝する神は数字であるし、自然から乖離し、理解を捨てただけの欲望機械として、起算されるだけの暗号として、合成されるための空疎な身体に補完されるバラバラな栄養により、バランスをそこない、蓄積されていく不安がリフレインし、次々に複製される不安におおわれ、肥大化していく苦しみにより悲観していくだけの自己から現れる戒律や、律する先々で対立を生み出し、奪われるための犠牲から、リアリズムを補完するためのアンバランスな身体にあいまいに突き刺さる感情論的なパスワードや、抜糸された後の傷を傍観する彼女の悲痛な苦しみに補正されていく屈辱の遙か先で、生み出される惰性な制度から飛躍する私たちと同化するための憧憬すらも破棄しては、何事にもつかまれないように、伝わらぬように晦渋に改造されたことばを殺めるべく、ベクトルは、そこなわれるだけの価値の家畜として、創造的な物騒さに病んでいったあらゆる抵抗性の果てに現れる煉獄に同化していく位置的な苦しみを破棄し、ただ感じることをも超越し、感覚すらも捨て去り違う次元へと旅立つためのゲートをくぐり、区切りや、屈折していくほどに現れるだけの壁や角などは、表されるために現れた形であるし、あらゆる意味を殺めた途端に現れるものなどは、形という概念を破棄し、そこで慨然として泣きわめく孤独な子供たちの輪唱が続く先々で反響することもなく突きぬけていく先では、悲しみすらもなくなるのであり、そこで野ざらしにされた思いは、ささやかな悲しみを補完するための空疎な身体を破棄し、破壊的な彼らが用いる毒により昇華した私は、改善されないための闇に埋め込まれた疑問を抜き取るために、泰然として現れるものを受け取るための空虚さをこしらえ、孤独にさえぎられるよりも、孤高を謳い、勝ち誇るよりも、そこで価値的な魔法にとろけるだけの犠牲者として、延々と朽ち果てるまで虐げられるよりも、何かを従え、価値ある者のように演じることだけが、満足を生み出すという哀れさから離れ、かじかむ思いが苦しみを自覚する以前に、そこで大破していく精神が変わることすら求めぬ先に現れる原生の自己を愛した途端に用いられた世界は弾け、すべては色あせ、結局、世界などは、与えられたものに過ぎず、そこで与えられたものなどは、空しい自慰に過ぎない、とうながすようなニヒリズムを超えた途端、自由は、自由であることを辞め、そこでためらうために生まれる空間に埋め込むためのしあわせこそ、求めるほどに苦痛を与えることを知る。ことごとくは単に燃え尽きる。誰もが同じラストへと走り去る間に築いたものなどは、空しい消耗品に過ぎない、とペシミストが騙る間に偽装された真理などは、誰かを犠牲にするためにすりかえられた真理に過ぎないし、そこで偶然に寄り添う彼女や、彼らが犠牲にするその他大勢の時間を奪うための時間から、感覚を損なうために生み出される悪から、あいまいに転換されるだけの思想の巣に帰るだけのあいまいな愛などにうずくまる孤独な日々にこそ、荒れ狂う獰猛さが必要であり、そこで猛々しく叫び続ける。