昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

不吉で不潔な精神


 神は誰でもなく、どこにでも居るのだ、と語るアニミズムから放たれ、時間を捨てた旅路にでかけ、気だるい山脈を越え、塩嶺な鴇色にひずむ景色も、油然と離れ合う思いのかすむ余韻から、インタラクティブに高次にいたり、いぶかるだけの悟りが裂けて、前衛的な投棄から、簡単に処理される無知な機動性に半開きになった習うだけの精神などは、なにかを模倣することだけが、ここでかけがえのないもののようにとどめるから、僕は帰巣するだけの部屋などは、小さくまとまっていて、なにかを記念日などと定めずに自分勝手にののしって、心理的な雲を動機につなげる間に屈折していく思いは補正されずにティーンエイジャーのままで、自堕落ででたらめな破壊者として、淵源に潜む流動性を破壊すべく、スペクトラムにからまるから勝手気ままに進むことだけが、誘致されずにいたるのであり、理屈を屠るための時代性のジレンマにからまるトラウマなどがドナーを探し、散漫な儀式でゲシュタルト崩壊して、簡素な自由とは検疫にかけられ、監査されるだけに至るための自由を自由と呼ぶような連中が示唆するものに左右されるから、思想的な自由を手に入れられずに、何かに偏り、勝ち誇るためだけに用いるものなどは、自由でも何でも無く、ただ働かされ、働きのままに荒んでいく幼稚さに気付かずに、理智を捨て、鬼畜として生きることだけが、気概の乏しいままにままならぬままに真似事ばかりを続けるような集団心理を動かすための主導権を握るような権力と同化していくだけの不法者として、不在なままに存在とは、この景色から離れ、蔓延る悪意を充填するために、この空疎な身体に存在という枷を嵌め込むのです、と倒錯していく意識は、乖離するままに理解を得られずに、屠られるままに奉納されるだけの便利な身体として神を下ろすための憑依体質として、憑依対象として存在することだけが、存在たる由縁など、と騙るような似非宗教を飛び越えるべく、規範の者として、存在の確かさを神と同一化するほどに、神とは離れるものであるし、神を用いるような馬鹿どもの理屈などは、卑屈なままであるし、ままならぬままに動かされるだけの意味の中で娶るような者と永遠性を蓄えても、どちらかの裏切りが体系化し、新たな体制を生み、離れ離れになるような契約から、独占されるだけの毒性で制度を付着させ、なにかを扶養するために潜めた毒で君をいちころにしよう、とたくらむ間に背反しながら、指導者たるものが始動させるものなどは、ずっと退屈なままに体系化し、経過するほどに、そのあくどい思いがしつこくまとわりつき、漆黒の闇をもっとも黒く染める間にけしかけられる形式などは、どれも補完されるための意味たるが由縁に忌み嫌われる。不朽不滅な思いが延々と継続され、藝術的な昇華から、悄然と引き返す後ろ姿に引きずる影の薄さに気付き、既読されるだけの日々などは、憂いでもなんでもなく、ここで継続されるものなどは所詮は、契約的なものであるし、緩和せずに、ただ激しく傷つけ合いながら、へし折られた翼でもって不細工に飛ぶ姿も美麗であるな、と納得する合間に緩慢に始動していく思いは、陸地を捨て、遙か無知な理想を恒久的にサイクルさせるだけの鈍磨な感情を放棄し、果てないから、身近なものだな、と未熟だからこそ、高らかに笑い、価値を用いる以前に、価値であることを捨てることよりも、価値として認識するが由縁に世界を狭め、世界を用いるからこそ、世界とは今を苦しめるための囲いに変わり、過去を用いるが故に今を苦しめるのか、と加算されるだけの今などは、瞬時に過ぎる後に影響を及ぼさずに、影響とは、先へと敷衍し、そこで反響するものに影響し合うからこそ、今とは恒久的に続く限りを演じるのであるし、あらがうほどにあてもなくさまよう限りに陰る本質は、歓喜に至り、何かに浸るよりも、ここで悲観するよりも、理性的に至るよりも、利子に追われるほどに生きてることから遠ざかり、統制されるだけに至る精神は、形式的なものにとどまり、自らを苦しめるための自らを次々に生み出し、自らを踏み台にしながら、しなびた思いが連動していく現在にとどまるだけの自己はデカダンに至り、何かに浸るほどに悲観し続ける先にいぶかることもなく、続く限りを演じている。原形もとどめずに終わり続けるからこそはじまるのだ、ということに納得ができないから、ここまで考えることを考え、考えるだけで出来合のものに片付けられるための答えに還元されるための答えを乗り越え、あるいは答えを抹殺し、さびれた思いに利己的なコイルをつなぎ、電気を送り続ける間に帰巣すべき場所すら放棄し、存在とは、世界に影響も及ばさずに、自分が存在する限りに自らに影響するだけのものが、ここで延々と続くかのように示すことを認識する限りに存在とは、不確かでありながらも、ここで続く限り美しいものである。