昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

まじわる鳴き声


 噛みしめた思いも無神経に疎外され、やがてうやむやになった午前に昇華していく段落から生じる由縁に損なわれるための価値を磔にし、憎むことでしか、行いとは正されないものか、と管轄を生み出し、空疎な自分を卑下するための悲観的な勝利から、掌握されるほどに封緘される感情と同化するためのためらいを絶えず生み出し、互い違いになる思いが動機を捨て、生じる言葉の重圧に耐えかねずに圧壊していく。案じる由縁に消費されるための愛が連動し、同化していく意識は、形式的なものに裁かれるために改正され、何かに転嫁していく思いが、観点を損ない、生じることすべてを恨みだすだけに至るような倒錯から、そこかしこに等差を生み、何かを踏み躙るために生み出されるためらいから、貧寒な歴史に潜む空疎な自己を組み立てるための離愁から、修繕されるために与えられる回路や、そこで悔恨を与えられるほどに、ほどこされる苦しみの利便性を謳うだけの情報的なとがめから、途端に排斥されるだけの言葉に攻め入られ、正義が与える制限や、牽制し続ける厭世観がまどろむ日常の気配や、軽薄な支配を許す限りに遊蕩し続ける精神は、迎合されるものだけを崇め、そこで確かなものだ、とうながすような誘導から、幽遠に潜む空疎な自分との対立や、退廃的な対等さを謳うだけの道理の道化として、安閑に強請られる精神は、緩和できずに、貸与し続けるものを崇め、聡明さを謳いながら、右往左往する精神はどっちつかずで居て、何かの奴隷として意思を捨て去ることだけが、自らを強調するものだ、と惰性に謳うために培われた精神は、何かから避難できずに疲憊し、配される間に背反できずに、捉えるべき自分との距離に与えられる虚偽的なものから葬られるだけに至るようなうとましい自分との虚栄に絶えかねずに、自らを憎み、破壊することだけが、ここでの定理を打ち砕き、培われたものが生み出すものなどは、ただ終わりへとつながれるための時間的な鎖で縛るだけに至らせるような時間を用いることでしか、自らを認識できないような者どもが用いる理屈に生じる消費的な苦しみに捕獲されるためにむしばまれる精神は、何かを拒むことで、後悔や焦心で熱暴走していく精神がコアまで破壊され、末端に潜む複製されるだけの悪意を連動させ、何かと同化することで本質的な空疎さを稼働させ、悔恨を溜め込むための空疎な身体や、何かに借りたものに存在を当てはめるための空しい実体を枷に変えるために、何かに依存し、自らの存在を確かなもののように変えた途端に物質と化し、価値を与えられ、そこでの存在などは、売買されるだけに至るような消費的な苦痛を加速させ、悔悟を謳い、生じる由縁に透過できずに、倒錯していく精神は、何かから背反できずに、蔓延る悪意を充填させ、憤懣を枷に変え、自らを怒りの子として、虚空に与えられたジレンマが退行していくだけに至らせるような精神を倒錯させるための原理的な正否を打ち出すために保たれる均衡で、恒久的な孤独を味わうようなトランス状態から、対比されるための身体を保つことだけが、ここでの価値として崇められているだけに満たないものを愛している、という空しさに対峙できずに、ただ召喚されるものとの緩衝をめざし、ただ生きながらえるほどに生きてることとはあいまいなものに変わり、関わるほどに、その曖昧模糊さに絶えかねずに意識を体系化し、体制に引きずられていくだけの卑近な例が演じるものや案じるものが暗示することに引き込まれ、自らを見失うことが、自らを得る、ということなのだ、と惰性にみちびかれる者が打ち出す神から、懐疑的な日常から乖離し、理解を得るために等差を生み、交錯していく精神は、恒常的な苦しみを連呼し、連動する意識が動じるほどに、その苦しみに巻き込まれていくだけに至るような敬神が牽引するものに依存的に発信されるものへと厭うだけの退廃的な身体を巻き戻すための過去を提示する。過去が打ち出すためらいに引き込まれていく軽薄な精神をよじ登り、揺動されるだけの身体を放棄し、いっさいの過程をむしばむだけの過去を捨て去り、裁かれるだけの惰性な存在が制圧される前に、固執するだけに至るような現在に是認するものなどは、ほとんど無価値なものを価値あるもののように崇めるための理想で理性をうながすような過程から退き、自らが正しくあるために何かを破壊するような定義がおざなりに生み出すものだけが、確かなもののように謳われるようなものから離れ、自らの正しさすら謳わぬようになった間にこそ、正しくあるというような姑息な考えに収束せずに、自らを正すものなどは、自らをゆがませるだけに至るのだ、ということを知る。