昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

優劣がほどこす闇


 歴史が感受したもののいっさいは、信用するに値せず、自らに相対し、反するほどにめり込む伝統が、今を苦しめるための意味を無差別に吐き出し、破壊的に枯れた自己をうるおわすような独善的なことばが、今を支配し、散漫な意識をたどる儀式と訣別し、端的に生まれた誠実さなどは、完璧さを謳うだけで、絶対性を用いずに、ただ誘導されるがままに緩慢に支配されるための演技を続け、つたない普遍性が語る正義などは、傲慢なものであり、そこでもたらされた意味と、そこでたたずむ自分に与えるための立場などは、存在自体を破壊するためのものであり、そこで価値を与えられたら最後、貪られ、何も無くなるまで吸い尽くされ、そこで尽くされるものなどは、培うための栄養ではなく、得ようとするための貪欲さが作用し、貪婪なままに感性すらも捨て去り、放棄された者どもの自堕落な自己とフラクタルであるための規律が今を支配する。ためらう意識は、儀式にいざなわれ、感覚をそこないながら、怯える自己は、死へと追いやられ、いっさいは迫害されるがままの孤独をそのままに浴びて、あいまいに作動するものが、今を苦しめる限りに繰り返される自己と存在との乖離を感じ、精神とは、こころで反響するものではなくて、ただ脳内で受信したものが、今を快楽的に忍ばせるかだけで緩和しながら、窮境に染みいる端的な煉獄や、毒々しく促進される借り物のことばが、借り物の身体を傷つけるような間柄に補完される全的ものなどが示す善悪などは、今の価値を吸い尽くすために生まれた価値を確かなものに変え、今に足枷に変えるために機能する価値的なまやかしから、あいまいに指導されるがままに縫い付けられた意味を引きはがせずに、卑近なままに作用するものを崇めることだけに専念した結果、神という概念が生まれ、今を執拗に責め立てるような悪を正義のために捏造し、この世界を司るのは、善悪ではなく、そこで植え付けられたものが与えた価値や欲望から閉め出された恐怖が生み出した強迫観念により操作されるだけの意味や価値や法などが今を支配し続ける。軽薄な日常を愛するべきだ、とうながすような愛などは、独善的であり、そこで保たれる愛などは、独占欲のために働きを与え、そこで労働し続けるほどに死をシェアし、死を補足しながら、性的に補完されるものだけが、確かな価値なのだ、とうながすような使命感などは、与えられた義務に連関するための連帯感などをうそぶきながら、怯える精神は、敬神に至るか、価値を破壊するための暴力性を制度に変化させ、今をむしばみ、正義を謳いながら、阻み続ける意志は、形式的な権力に牽引され、陰湿な精神が引き取る価値から、緩慢な作用を生み出す死を求めるだけの対価から、退廃的なものの樹立をかかげる国家的なずさんさにしいたげられ、進化に値しないから、と廃棄処分にされるだけのさだめから、堕落した観念が操作するレイシズムから、観点をそこない、暴力的に浮き沈みする思いに浸透するニヒリズムに打ち勝てずに、家庭環境や、世界観や世間を憎悪しながら、騒音をまき散らすような思想的な混濁から、解放を祈るほどに、祷とはほど遠い問いへと至り、祈るとは、派生するものをすなどり、独善的に消費するための物質的なものとして捕獲され、捕囚として行き違う闇を徘徊するためのたむろから、怠慢な意思は、契約から逃れられずに、ただ果たすための義務を孕むための意味を答えとして羽化させる間に飛び交うことばなどは、今を騙すための物であり、とめどなくあふれる欲望の濁流で解放を謳うような動機などは、自由を求めるほどに、自らの需要と供給のための獲物として、或いは儀式的な生贄として、リンクする苦悩をちんけに消費するためのネットワークの汚物をまき散らすための憤怒から、乖離していくだけの意思の虚空をさまようだけのペシミストとして、キーボードをたたき続ける悪霊として、改ざんされるほどにほどけていく深慮を徘徊し、破壊される闇との訣別を求めるための闘争だけが、倒錯しても尚、純然とした自己に行き着き、そこで乖離しても尚、同一化や統一化などをめざさずに、分離しても尚、自己で有り続けることすらも放棄し、そこで介在することすらもあいまいであるならば、バラバラになっても、担う意味すら無くなっても尚、自らとの闘争を続け、統合される、という幻想から放たれ、原子にまで帰り、戒律すらも持たずに宇宙をも超克する果てで優雅に遊ぶ。