昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

尊い犠牲などいらない


 誰も何も見なくなった後に敷衍していく形式的な美学や、創造的な日々を出入りする狭いだけの意思に通じていく宇宙的な驕傲や、精白な路地にたたずむ意味を貫通し、ぬいつけていく現在に与えられる宛然と長けるだけの位置的な迷いから、緩衝することもできずに、自らを大破させていくことで増していく快楽がとぐろを巻き、延々と自らの首を絞め、自らに生み出される区域が与えるノイズや、ノスタルジーにひろがる雲がふちどる間でフォーマットされる記憶が生み出す仮数がよどませる現在に滞留していくずれが生じるほどに、所持する思い出が邪魔になり、担う意味などは、思い返すことしかできずに、意味を鬱積させ、位置的な苦しみを屠りながら、訪問するものを邪推し、今をまがいものに変えるために帰結していくものが、どんどんと昇華させていくものが敷衍し続ける限りに永続される命とは、空しさをおぼえずに、ただ与えられる他者からの悲しみを通過し、感傷的なモニュメントにひざまずき、艶麗に長ける瞬間こそ、永遠にひずむだけの時間を制限することで、制度を与え、宇宙的な規律が変拍子なれば、すべては尊くいりまじり、そこで同等であることをうそぶかずに、そこで平等では無く、反発し合うからこそひろがったのであるし、やがて清廉としていくために存在から離れ、憚るだけの意味を継承するよりも、ここですべてを独善的に捨て去るべきだ、と仏教的な断捨離をリズミカルに謳うよりも、警鐘をうながすほどに不安とは増していくだけであるし、そこで邁進していく不安などを敷衍させるための常数などが呪詛を続け、星的な位置が貫通しては、寄生するだけの真実が空白を埋め、そこかしこに空爆を続け、負担する意味から、意思的な汚穢を処理するための暦とは汚濁に過ぎず、ただ与えられた歴史などは、今にイデオロギーを継続させ、何かとの魯鈍な闘争を続けるべきだ、と革命的な一途さは、位置的なまやかしをささやいては、君をそそのかすだろうし、君はそそっかしいから、虐げられるよりも、従えたいのだ、と言い、ぞんざいなやり方で、自らすらぞんざいに扱うだろうし、堕落するためだけに産まれるためらいである、と宣言されるたびに受け取る餞別が叙情的に分針をおりまげ、おどろおどろしくうながされる空疎な事実にロジックは破綻し、詩的な端子を接続され、自己の天使をだましてまでも、何かを蹴落とすことでよろこびに至るべきだ、と植え付けるような壊疽するための教育やらが驕傲なものを嚮導しては、ふんぞり返っているような学歴主義的な理想などは、理性などを保つべきだ、とうながすだけで、何も保てずに、自らを破綻させるだけだし、脱線していく意思は、どこにも帰り着けないから、と悲しむフリをして、誰かをだまし、惰性に生み出されたラブソングなどに囲われ、加工されるためのギミックを弔いながら、ためらいを生み出すための統制を謳い、何かに従うことだけが、快楽を増していく要素であり、何かと同調し、誰かを同情することで、この悲しみも聡明なものに変わるだろう的な発想がうながすような生産的な聖戦を謳うようなプロパガンダががんじがらめになりながら、ひがむだけの精神がゆがみ、有する価値がカタトニーを生み出し、統制されるほどに、統合性はそこなわれ、喪失感にただれていく意思は、誰かと同化することでしか、存在を認識できずに、同等であってほしい、と願うほどに、誰かとの懸隔が生まれ、軋轢が生じ、生じる由縁に憎悪が生まれ、みんなハッピーで、と強請るほどに、誰かは不幸せになるような仕組みにずれていくのであるし、あらゆる裁きで朽ち果てるだけの誰かの虚実が真実であるかのようにひとりあるきするような勝手気ままな旅路に退廃的な理想を強制していくだけの施設で得るものなどは、死よりも苦しい生である、とうながすような生を生きるべきだ、とのさばるような理由などが正当性をむすび、あたかも正しい生き方とは、苦しみをえらぶべきである、とうながすような性悪説がアクセスをうながすような機械的な政治性や、正義などが補完するものが貧寒な理想を謳いながら、独善的な手法で、独裁者を討ち取り、次なる独裁者を生み出し、誰かに償いを求め、応じるだけの金銭から、機械的な精神は、生産的な事情を用い、自傷的に至る精神は、自らを未熟な者として捉え、何かの代償のために生贄になることで、自らの存在を確かなものに変えようとするような正しさなどは、正しくもなければ、独裁的な支配の餌になるだけであり、そこでの感覚などはもっともなニヒリズムに混濁したルサンチマンの子供として、孤独に押しつぶされた亡者としての生き方を提示するような正しさが、正義として語り継がれてきたことを正しいことのように持ち上げ、崇めるようなものこそ打ち倒す。