昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

愛も終わり、その先を啜る。


 春の色あせた汗の香りと、ロマンにしずみ、止まらぬ恋の行方は、軽薄な理論を身体にぬりたくり、生命を聡明なものに変えるのだよ、と語る宮沢賢治の修羅を歩き、幸福論などひきさいて、木霊する真理などは今に浪費されるだけだし、誰かの因子が書き換えてきたものなどが歴史を語るから、偽善的な者が増えるだけなのに、そこで確かなものと乱立するものでランチタイムを汚すような輩が謳う排除から、緩慢な作用を施すアイロニカルな商法が衝動性をかきみだし、売り買いを加速させては、整然とした感情が共鳴を続けるべき時代なのに機械的な傲慢さが、今を強姦し続けるような愛憎劇から、未完成なままに大人になった今でも這いずる記憶から、刻刻と迫る死の恐怖から、不当な者が察知する動機などが自然性を謳い、横溢するオプティミズムを模倣し続ける思春期の軽々しさが副作用を与え、遠因に果てる動機が課せる憂鬱などが収斂していく瞬間に膨張する刹那が宇宙規模にまで膨張し、森羅万象を圧縮するまでにふりつもる先々が未来を圧壊させ、緩慢な痛みをほどこす間にいびつな成長を遂げるだけの一過性の真偽が用いる迎合から、加算されるだけの憎しみが、ここで忍従を謳い、認可するものなどが隠逸し続けることばも崩れ去り、悠然たる様子で今を傍観する君はわずらわしい春のぬくもりすらも憎み、何かにたきつけられるように切りつけるような凶行から、胸裏にひずむ理想などは、理性を押しつぶすだけであるし、何かを恐れるほどに愚かになるのではなく、愚かな者とは、はじめから愚かであり、恥じらいすらも知らずに、ただみたものをみたままに語る間に認識されるものを真実のように受け取ることで、自らを飢えを埋めるために強制的に認識するものが世界を形成しているかのように受け取るようなものなどは、本質を捉えられずに、何かに囚われ、途端に思うものに押しつけられるものにより、ここ命は何かと同化することでしか、自らの正しさも語られずに懈怠していくのであり、荷担するほどにたんたんと過ぎ去る思いは、過去に収容され、そこで捕囚として強制労働に従事し、独裁者たる自我が自己を支配し、芝居を続ける間に増え続ける苦しみだけを敷衍させ、普遍的なものの天敵を作り上げ、偽装された真実を崇めるほどに、あつかましく従えるものが、今を複製し続け、神体を作り上げ、偽装された神を崇めるほどにゆがめられた真実がかみ合わずに、ずれを生み出し、奪い合うだけの世界は、世界としての機能を終え、世界であることの愚かしさを謳うことも辞め、あらゆる正義を複製し、独善的に復調する悪が愛をも破壊し、派生する愛とは複製品に過ぎず、何かのまねをして、確かなようなものに仕立て上げられたような愛が婚姻へとひた走り、実直なほどに後から苦しむような方法論を生み出し、組み込まれた意味の中で屈折し、めり込んでいくいっさいに負担は現れ、憤懣を加速させ、瀰漫する苦しみに記号化する日々を往復するニヒリズムが離散を続け、攪拌される先々で精白さを失い、汚れるほどに命とは確かなものに変化するのだ、と騙るような普遍性に生活的なものを複製され、そこで征服されるだけの命は、規約の中でしか確かなものを生成できずに生じるものの正しさは愚かしいものにしいたげられ、支配されるほどに増してく快楽の中で擬態する虫たちや、ハレーションの最中で同化する意思的なまやかしや、横暴な心象に果てる自我の終わりを傍観する墓標や、聡明な時折にひずむ論理が生み出すブラックホールを傍観するものがそこで膠着し続ける存在を冷やかしながら、貧寒な論理に名称を与えるほどに、そこでの形は補正されるために或いは、補完されるための完遂をめざし、自らを迷わせるだけに至らせ、そこでの正解などは徒に逍遥を続け、途端に貪婪なものに変化し、遠のく意識は、儀式的な汚穢を溜め込み、互いを咎めるために多雨で汚れた空を傍観し、膨張する怒りだけが世界を複製し、制される間に明晰な主観で崇める先々で解消されない位置をたずさえ、往往と過ぎ去るだけのここから延々と永遠的に引き伸ばされるカルマや、簡易な浪費を続けるだけの多党制の罪が形成した国家の中で機関的な馴れ合いから、内面性を幾何学に変え、機械的な怪我がふえたね、と語る二人のやさしい瞬間を縁取った愛だけが普遍性を語るのか、とそこで普遍的なものを語った途端に瞬間とは老いぼれ、そこで終末をむかえることの祝福をうながすような私欲が生まれ、互いに軋轢が生じ、愛とは終わるためのもののように扱われる。