昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

記憶


 多党制の夜に濾過され、多動的な私は、硬質な所以をこしらえ、ラストシーンを短冊切りし、散漫な終わりをまとめ上げる。抵抗する先で面影すらもふやけて、短絡的な同期を終え、結末にうなだれ、嗚咽する彼女たちの銀河を超えて、へだてるおのおのが惰性にみちびく退嬰的で獰猛な統合から、途端に正常性すらも消え去り、ぬくもりすらも憎しみに変わり、偏執していく意識がかかえた善悪や、躍動する真理にデリカシーもなく、過信ばかりがせまり、デカダンスをかかえ、倦怠感を演繹していくだけの主観や、主体性が性悪説を生み出し、なじるための瞬間を絶えず同じように循環させ、憎むことにより、あらわれるものとのへだたりすらもなくなり、へばりつく衝動と同化するだけの正常性が正当性を謳うころには、混同する意識との終わりに磔にされるいびつな神から、平衡性をそこない、途端に頓挫する意識は、仕向けられるものにより増幅する思いを過信しながら、しなびた動機を加速させ、倦怠感に摩耗される精神は、陰鬱な衝動で照合されるための暗鬱な思念を加工しながら、島流しにされる感情とは孤独との島との関係性にあらわれる差異から、対立を続けるための道理から、血の色ににじむ空が事務的に引き裂くための観念を受理するほどに齟齬をきたし、あいまいな軋轢から、あてがわれるものだけが、ここでの正しさをもちい、占有されるための意識を儀式的に消費するほどに魯鈍な者に改造され、不純さを謳い、順繰りまさぐる間にロジカルな狂気をかかえ、慢性的な痛みの犯意へと解析されるための精神の軽薄さに耐えきれずに、亡霊としてさまよいながら、揺動される精神は、安易に世界を愛し、あらわるままのものと、ままならぬ衝動との衝突により、よろける精神は、背徳をうながし、敵愾心を燃やす。空疎な自分に祝福をあたえ、退廃的な結末を縁取りながら、不満をうながし、不完全であることをでむかえることもできずに、差別的に調理されるために生まれた家畜として、指定された餌を同じ分だけ、分裂的に食し、敵意をむきだしに、繁栄していくものから逸脱し、同時的にむすばれるだけの愛が保つべき世界などは、対価を求めるための多面性をなぶる戦争を生み出し、あらがうほどに屠殺される番を待ち続けるきみが緻密に縫い付ける世界とは、性質などもそこない、ただ同じような人々の墓地の彼方でアンチテーゼをうながすような死神との対話や、体現されるものなどのほとんどは、幼気でもなければ、純粋でもないからこそ受難を受け入れるべきだ、とビジネスライクな対話から、ほどけぬ思いは、ほどこされる疑念に支えられ、些細な痛みを再確認するための儀式的な過ちへと磔にされるための犠牲を問わずに、対立を続ける自己との調和をめざさずに、酩酊し続ける深夜にねじ曲がる先々が、あらゆる行動をとどめるだけにいたるようなドメスティックな一貫性が与える位置関係や、地殻変動を続け、汚穢を清めるためにあつらえられたこの身体をこなごなにしても尚、ないがしろにされる精神は敬神へと浸り、悲観する暇もなく、ただ拝むほどに自分とは清められるものである、と巡礼を続けるほどに、白痴へと変わるのであるのに、あらゆる方向から押し寄せる咆哮は、方法論を謳い続け、あらがうほどに同じような罪の中で裁かれるために侮蔑を続け、分別にいたらずに、憮然と立ち尽くすきみの記憶の奥底で姑息に這いつくばる以前から離れるだけの衝動を運ぶ同化を終えた人類的な麻酔から、課せられた罪の中で従順であれ、とうながすような祈祷を嗚咽に変えるだけの奴隷化するために崇める神などは、神である以前に醜い人間であり、与えられる苦しみとの同調を求め、そこで同情へといたり、自らを綺麗なものにあつらえるためにあたえられる罪に追従し、徒にむかえる価値の中で寂れた記憶を加速させ、出来合のものを崇めるほどに真実とはあいまいな作用を生み出すだけであるし、あたえられた罪の中で歯がゆさをかかえても、あたえられた領域の中でしか働きも加えられぬような幼稚な策略を終え、定立をうながすほどに、ここで保持されるものなどはどれも退屈なものに変わり、変化しない善悪は、善と悪の対立の中で対比され、そこでの価値を決め込み、軌道修正せずに、ただ与えられたものに反することすら許さぬ、と抑圧されるだけのあいまいな過ちの中での働きを続けるための奴隷を増やし続ける。ぐらつく観念が腐乱しながらも、しなびた身体を浪費し、やがて漏洩するだけの主体を破棄し、完全性を謳うだけの意味などはどれも空疎な面影を背負い込んだギミックを消費するだけの退屈な疑念と偽善に攻め入られ、身動きもとられずに、途端に苦しむことだけを横柄に続けている。