昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

過去の肌

たちまちは、あちこちでぶつかり、際限なく敷衍しては、隈なく浸透し、度重なる意味を通過しては、加算される意味を超越する。生きることによって、完結するもんもあれへんし、偏執しては、なにかを締め上げて、良い気になりよるし、やかましいてかなわんし、わずらわしいもんばっかが、攻め合いながら、大したこともないようなもんを、崇めるような形式が、労わることもおぼえんから、勝手気儘であることを知らんと、答え合わせやなんやて、つきまとうだけの価値を厭いながら、長らくは、退屈を消費されるために維持し、いびつな精神論なんかが、支払う義務などを謳うから、そんなんクソ喰らえやと、短絡的な動機を超えて、なにかを終えるために案ずるもんなんかが、加算させるもんなんか、関与するもんが、なにかを埋めるべきやって、追求するもんに、正解も不正解もありよらへんし、よりかかるものが持ち寄る苦痛を分かち合うべきやなんやて、印象操作やなんやを続ける先で称えられるもんなんて、なんの価値もありよらへんし、あいまいに普及される罪を積み重ねて、安易に措置されるものが苦痛をうながし、同じ罪を同期させ、同じ罪を、同じように味わうべきだと、訴求する間にも、似たような罪は、どんどんと生まれ、奪い合うための罪は再利用され、価値自体の奴隷になる。憎しみを這いずりながら、正しさを啜り、未熟に打ち出されたもんなんて、なんの足しにもならへんし、与えられた苦痛を処理するために、次なる苦痛を買い取るべきやと迫る価値は、自らの罪に気づかずに、与えられた罪を次から次へと食し、過食嘔吐を続けるような容易な未熟さが加担するものを、崇め続ける。