昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

抑圧された最後


 君と走った街や思い出も、重荷に変わり、交わされた言葉は、今を引きずるだけで、卑近な例に変わり、現代を謳いながら、さげすむ記憶とは、気後れを生み、短絡的な思いが規制され、征服された後に制限を生む。ことばが人を救わなくなって、数世紀が過ぎ、錯乱する風景にふりそそぐ粒子が貪婪なものや、鈍感なままに引き裂かれる身体を論理の外に出して、短絡的な動機を超える。すべてに終わりがあるように、と語る神を尻目に、鈍磨な感情がしのばせる永遠性などが打ち出す制度に反し、滑落する意識は、死をも凌駕し、生成されるいっさいから逸脱し、ちいさな穴から宇宙が誕生した前夜にとびたち、はなたれた一瞬とは、過去を恫喝しながら、意識のドアを開け、倦怠感などを吐き出しながら、破壊的に、または機械的に受理する殺風景なものが地殻変動を起こし、やがては新たな土地を生み出し、それを奪い合うための残虐性が芽生え、本能により売り買いされる意味が街を形成し、計画的な伴侶から、軽率なクーデターから軽薄な論理をたずさえ、正解を求めるだけの貪婪な犬どもが徘徊する現在に比率を生み出すだけのダウナーな過去から、狡猾な者ほど、残酷な死を迎える的な童話により語られる正しさこそ、何かを悪に変換し、犠牲を生み出すことで、自らの正しさから飛躍することもできずに、同じ答えが裁く原理の中で偏執することすらもゆるされずに、誘導されるための正しさが兵器利用され、兵器量により、あらゆる権力の形も変わり、ちぐはぐになる意識に交わされる契や、理性すらもなく、さまよう量子や観念が経路を失い、喪失感に悶え、一致しない何かを追い求めることにより沈むロマンスから、悠揚な史実にからまり、産みたくないものを産むことにより、しあわせを得るような感覚により麻痺していく一生とは、証言を生み出せずに、感動を押し売りしながら、今に制限を生み、精白なものを表すための方程式から、抱擁される今にまじわる愛の波形や、経過していくほどに愛とはすたれるのではなく、ただ疲れるだけだし、あらゆる原理が謳う理性などは、何かに同調するための正しさの中でしか機能しない意味を追い求めることにより、正しさとは強度を増し、正しさを足枷に変え、不当なものを生み出し、不正を糺すようで、ほんとうは、自らが仕組んだ不正を糺すように仕組むような罠から、ないがしろにされた思いが主体性すらも制され、残された後になびく思いは、裏切られ、鈍痛に耐えることだけが、ここでの正義のように語られることで、自らを生贄にし、犠牲にしながら、偽善的で独善的な独裁者に変化し、小さな世界の中でアカデミズムを売買するような論理を叩きながら、体制にこびうり、打ち出される虚空にひっそりと濡れる孤独から抜け出せずに、惰性に制された最後に関わるだけの堕落した一貫性から、いっさいは、配備された後に打ち出されたバビロンでの売人として、あらゆる快楽を洗うようで、あらゆる快楽の虜にするために媒介する間にひそむ絶対的な悪として備わるようなものをカタルシスに至らせるために堅持する正しさが誇示する理由などが肥大化し、あらゆる独善的な手法がルサンチマンを生み出し、汲み取る意味をただ打ち倒すために逸脱することに長けるよりも、そこに現れた物自体に反し、現れるものとは、本当にそこにそなわるものであり、そなわるべきものなのか?と疑問に思わずに独善的にみちびかれる者が打ち出す答えなどは、一律なものを生み出し、生み出されたものこそ絶対である、という帝国主義的な発想を生み出し、駆逐するための犠牲を絶えず生み出しても尚、足りない、と叫ぶような欲望の傀儡として、改善されるべき理由の亡者として、渇するほどに求める速度はあがり、加速する精神は、正否を求め、凶行に及ぶまでに達する疎外感の外観に描かれた落書きがフラクタルになり、まじわ先で絶対的な憎悪を生み出し、すべてに敵対的であり、怠惰な浪費を続け、ドラスティックに逍遥し続ける先々で短絡的な破壊を続け、慟哭する世界の狂気を備えた身体から、吐き出される業火や、児戯を続け、適宜なものを謳うほどにずれていく姦悪や、麻痺していくほどに現れる苦痛により加速する衝動性や、正道を歩くほどに曲がりたい、と思える者の足取りの軽さや、自由になるために思想を用いるほどに不自由になるのが精神であるし、そこで打ち出す正しさなどは、所詮は何かをたたきつけ、二度と立てないように攻撃し尽くされ、蓄積する苦悩が生み出す憎悪を増幅させるだけである。