昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

てんやわんや

足らんもんばっかやって、たちまちに言いつける君の保身なんて知らんし、君が選んだもんで苦しむんやったら、すぐさまやめるべきやし、君が諦めるよってに、苦しみとは、他者から与えられ、同じように苦しむべきやっていう、独善的な考えを通わすための、ルサンチマン的な構図が生まれ、奪われるために、わしら生きとんかいって、一貫した弱者共通の、救済の言葉も、いつかは権力をたずさえ、自らの保身のために活用するような、偽善的な言葉に力を宿し、あたかも正しいような宣伝に扇動されて、怒りと同化するために、怒らされるんやから、わややし、ワンマンなもんがブンブン振り回す力とは、力のままに殴るよってに、手加減知らんから、破壊し尽くして、見るも無残なもんを生み出し、恐怖によって抑圧されたもんは、革命のための暴力を用意して、抑圧された分を、仕返しするんやって、ルサンチマン的に破壊するから、再生することを知らんと、子供が積み上げた積み木式に、破壊するよろこびと、また作り上げるよろこびには、所詮は壊すための快楽だけという、偏った精神分析なんて、空疎でクソな考えでんなって、その偏りこそが、誤った思想を信心し、もっともな破壊を目論む正義とかいう名ばかりのシステムにより、拘泥し続ける意思は、こうでないと、とうながすだけの、堕落した考えが、依然としてフラクタルであるべきやって、数学的な信仰や、科学的な伴侶を引き連れ、ひきつけ起こしよるしで、痙攣する身体は、脳内の癇癪により、贖罪を求められとんねんって、頓馬な科学は、理想や理性を体系化し、経過するもんを、時間に閉じ込めるだけやし、哲学は、ガキの弾き、下手な楽器みたいやでって、すべてを批判し尽くした後にも先にも、なんも残らへんかも知らんけど、信じたもんだけは、短絡的な信心や、短絡的な涙すらも要らず、ただただイライラして、陰鬱な消費者として、憎悪を発信するような、不潔さも要らず、いびつで軽妙なままに、喋り倒す私は、私が信じるもんだけを追求しますし、そこには、権利すらも要らんから、黙っといてんか。