昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

子守唄

ねばっこい恋の味はタールのようで、余韻をつかみそこねた空をねたんでばかりの君の唇は零下何度なんだろうと、うろつく感情は、季節を踏みにじり、輪廻を否定し、被害者意識の社会とかはわからないけど、分断する意識は、無意識を這い回り、器用な者だけが、物語を透過できるとか、うとましいよって、よってたかって攻め入られる隙間からも希望に似たものがあふれ、ふれあうほどに痛むこころとからだは、なんか自分のものではないのと、道具みたいに使われる偶像が、カタルシスをもとめ、善悪はとめどない戦争のノイズ、ノスタルジアでは、紀元前から履いたスニーカーがボロボロだから、ほとんど裸足で歩いていて、凍てつくからだは、怪訝なままで、軽快さはあるが、なんかふわふわと日常を撹乱するだけで、実感すらもないから、すらすら描く真実は裏切りばかりでも、この命はばかにならないから、はばかるばかりでは、もったいないし、戻っても引き込まれるだけで、手なずけられても、懐かしむばかりで、バランスなんてないけど、不安定なままで進む強靭さが、過去なんて懐かしむかと、ツバ吐いて、つたないから、まぼろしも愛せるって、存在すらも、瞬間で語れば、そこに存在していることは不明確なままで、明晰なままで見つめる先には、悟りすら不必要で、僕ら繰り返しの先に現れる真実は、真実足り得るが故に、自らを足かせに変えて、充足感なんかを短絡的にもとめるから、乾いたままなんだし、女々しいから虐げたとか、うとましいから美しいとか、やさしさとか愛とかに疲れた間で、緩衝する風景は、近傍にあるもので満ち足りているように思えば思うほどに、ほどこされるものに苦しむらしく、混迷を突っ切り、きりがない痛みは切り刻み、汚いからって排除しても、それは愛するにはいたらずに、徒らに今を消費し、疲れた今を癒すようで、それは愛される期待ばかりを孕んで、懶惰になって、ランダムに担って、憎しみばかりを敷衍させて、普遍的だからって、キレイなものはなんにもなくて、ただそこにあるものすら愛せなくなって、責任がなんとかって、ばかみたいに騒ぎ立てては、なにかを隷従させて、引き連れることが生きてることみたいに語るから、いつまでたっても、そのままだし、打算的に見つめる今は、ただ快楽的にめぐり、自らを退廃させるための傀儡ばっかでも、なにかを睦まじく愛でるのが、長い意味での生きるってことなのかと、なかなか思えなくても、この命は、消費的にあらがうんじゃなくって、奪われたからって奪うんじゃなく、うらやむこともやめて、うやまうことばかりをもとめ、承認欲求に震えるんでもなくて、敷衍する意識を延々と自己に波及させ、いちばん深いところで、じっとすることを学ぶ。俺が書くものは、美しいだろ?血で書けって、ニーチェとかけっこして、ダイナミックにひずむ空洞に、なんか入れ込むだけではもったいないから、いらつくままに、ままならぬ今を書きなぐっている。