昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

永劫との対話

しあわせと定義されるものなどは、しあわせでもなんでもなく、しあわせという幻想をあたかも愛しているかのように演じ、もとめるばかりの愛におちいり、寄り添う愛を知らないから、もとめるだけの愛は依存的であり、失う恐怖におびえているだけであり、そこであり続けるものを、ありのままに愛せないかぎりは、絶えずもとめ、誰かを生贄にし、いにしえからあるものを崇め、あいまいな規律に正されるだけの意味は、打算的であり、刹那的であり、永続することを知らない。愛とは名付けられたがゆえの罪によって、自らを傷つけ、身近な者を罰することでしか、自らの正しさを示せずに、ただ貪婪なままにもとめる先には、絶対的な孤独であり、埋まらぬものを追いかけるかぎりは、なにも捕まえられずに、追い続ける愛は、なににも追いつかずに置いていかれ、置いていかれる先に待ちわびるのは、絶え間ない苦痛であるか、麻痺した感情が、その苦痛をも快楽に変えるゆがんだマゾヒズムにおちいる。