昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

惑溺

生きるんは、退屈なことの応酬やねと、短絡的な萎靡沈滞から、隠微な結末になびく思いが収斂し、連動してくもんが、永遠性を超えて、退廃的な呪詛を続ける、つたない連中の真理を打ち砕き、仏教的な気だるいニヒリズムで、蹴鞠をしながら、森羅万象にしたびた栄誉なんかをかかげる、空疎な連中の正義の犠牲になるのは、かなわんから、命からがら逃げ惑い、慢性的な痛みに適応するだけの、堕落した世界で、フラクタルであることとは、宇宙的な規律を守るために、摩耗されとるのではないかと、ロジカルな日々は、空腹を癒すよりも、卑しいもんを加速させ、自らに枷を嵌め、過負荷をかけるための、儀式的な快楽の傀儡として、移送される思いは、些細な犠牲にたむろする、やさしさの現れなんやって、君は悩ましく伝える間から、にょきにょきと草も生えて、生命とは、強おまんなって、往々と明かされるもんが、生命を規制しよるから、生きるんも体制的なもんや、体系的なもんに縛られ、退屈なるんやって言うけど、そんなんに関わるから、いつまでたっても、自由をでっち上げ、自らを不自由にするんと、ちゃいまっかって、まともなもんも居らへんのに、苛立つんもあれやし、あらがうんもステキなようで、堕落するためのツールに変わり、自らが生み出すルールにより、ルーツも失われるのであり、誰かのツールである限り、自らが、自らに枷を嵌め、納得するために、愛やなんやて、うそぶくだけの、やかましく疚しいペシミストや、ルサンチマンに変わり、甲斐甲斐しく敬い、むさぼるだけの、魑魅魍魎として、緻密な域に配された、この、奇妙な生命たるものが、メタ的に配する憎悪の根源たる汚穢に焦げ付き、昏倒していくほどに、ワクワクするんです。