昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

ねじ曲がる衝動

折れ込む光や、惑星と君との関係性や、制度にふやける空間や、居心地の悪い過去から生み出される、打算的に集約された思い出を破棄し、画期的な進路を生み出し、なにかを踏み台にするよりも、ヒロイズムにひたり、なにかを崇拝し、依存的な愛により滅びゆく面影にたずさわり、退廃的なロマンから、有用な価値だけを崇める、堕落した主体が、ファシズムにひた走るような、溶融する主観性の墓場こそが、バビロンであると、鮮明なものすら、モノグラムの彼方で敗残し、リリシズムが寸胴な幼児性をたくわえ、清貧であることが、ミニマリズムの価値のように謳われるころには、自らを貧しく演じることだけにやせ細り、本質的な価値は見失われ、なにかを羨むよりも、その苦痛をマゾヒズム的に耐えるよろこびにより、ケロイド化した思いに貧するだけの、価値の家畜として、あらゆる思いを食い尽くし、エモーションすら喪失することにより、退廃的なニヒリズムにひたり、なにかを駆逐するほどのパトスすらも廃棄し、ただ生きた屍として、無性の余韻にひたる緩慢なカルマを追いかけ、恬淡なままに、永劫回帰を生きることを諦めた傀儡として、あらゆる来世を憎み、生きることでにじむパトスを継いすることなく、その場で燃やし尽くすことも知らずに、答えの中で、横柄にしのぐ価値などが、偶像崇拝を続け、偶然を愛せずに、必然性だけが、善性を生む云々と、奪い合う幸の中では、短絡的で、必然的な戦争しか生み出せない人類だからこそ、確かな愛も、そこかしこで、素っ気なくではあるが、生み出されるのである。教育は訓育であり、強制的に矯正され、従順であることだけを植え付けられることの危うさに気づくべきである。あらゆる根源は、己の正しさを示すために騙すことであり、いまここに描かれていることも、誰かを騙すために、思考を操作するためのセンテンスである。正しさとは、絶えず何かを騙すことの断続である。そのことに気づけば、正義とはなにかの犠牲を生み出すことでしか成立せず、かかげられた正義とは、名ばかりのものであり、誰かを仕留めるための道具であり、偶像であるのだ、と。駆逐されるべきは、排除されたものではなく、名ばかりの正義である。絶対的な正義とは、絶対的な悪しか認識できない。