昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

安寧

やりたくないことはやらないし、さえぎられたら反発するし、裏切られることもないし、裏切られたと思うこともないし、言葉もいらないし、必要とすることもない、ただ淡々と行き過ぎる時を追うこともしないし、答えを急いだりもしない、無い物ねだりな奴ばっかだけど、八つ当たりもしないし、行き当たりばったりだし、踏ん張ったりして、威張ったりもしないし、ハッタリばかりだし、はっきりとしないし、さよならとカタルシスが混ざってすっきりして、理屈もなく降り積もるものが、問題を大きくしたりして、些細なことでぶつかって、物事は大らかさを損なって、どこかしらが痛くなって、また君は居なくなって、誰かと出会って、愛したり、愛さなかったり、大差ない日々を謳歌して、往生際が悪かったり、さっぱりしながらも、従える意味なんて、ただ従わせているだけにすぎなくって、つつがない日々は、続くようで、すぐ終わりは迫って、瞬く間に時は過ぎ去って、憎しみばかりが敷衍して、普遍性ばかりが必要だとデータはうるさいだけで、それは普通ではなくて、ただ与えられたものを受け入れさせて、自らを騙すだけであって、自らの思う通りに行動することも忘れて、行動させられているだけであって、物事は入り組んで、くたびれては、散々だと嘆いてばかりで、散財を繰り返し、腐りきった社会だとか、責任転嫁して、自分を見つめるのが怖くて、ネットワークに依存して、また傷ついたフリをして、理屈をこねるだけであって、あてもなくさまよいながら、揺動される日々と同化して、過信ばかりで、進化を恐れるようなアナクロニズムは、ただ誰かに責任があると非難して、責任を課せては、また誰かを憎むだけのルサンチマンに変わり、惰性で生きることが、生きているかのように、または生かされているなどと勘違いして、誰かのように生きることが、あたかも生きていることのように語られ、それを伝承し、伝達し続けることが、繁栄へと導く的な発想が、この今を継続しているならば、それは大きな失敗であるし、この惰性な日々が作り出したものをよく洞察できるならば、現実は、ただ見え透いた嘘で構築された、虚栄と虚飾に満ちた、虚像であることに気付くだろうと、妥当な日々を継続したところでだ、この命とは散漫に日々を愛し、高揚感を失い、画面に出てくるような誰かの日々を、あたかも自分のことのように感じ、誰かが食ったものを、同じように堪能しているから、能動性は損なわれて、ただ貪婪な者として、動機を損ない、同化することによって、すり替えられる日々にすがる虫たちは、ただ明かりに吸い寄せられ、自らの苦しみを昇華しているように思わせられては、費やすべきことを知らずに、費やすべきだと現れるものに騙され続けては、短絡的な日々に介し、関心のあるような雰囲気を感じているようで、感じさせられているだけに満たない日々すらも、愛するべきだと強要され、強迫観念におちいり、っだ満足すべきだと強要するような、惰性な結合を終え、ただ与えられた日々に巻き込まれていく。