昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

木漏れ日

擦り寄る思いが怨嗟を放ち、アイロニカルにつむぐ、似たようなものの連鎖により、世界は豊かになるらしく、らしからぬようなものを積み上げては、すべすべな足や、黄金の指から放たれる時間にへだてられぬものから、物語は加算されるものから離別し、輪唱される神話や真理などに入り混じるおぼこい動機なんかが演出され、あたかも自らの運命のように強制的に感じさせられ、連帯感なんかを求められては、てなずけられ、気配を攪拌され、確実なものは、今に過ぎ去るものの陰にしかならないと、ニヒリストは語るが、わたしから見れば、すべてはギラギラと輝き、痕跡を残しては、見えにくいものすら、見やすくするし、たやすく用いられる動機なんかに引きずられずに、何かにつけて同期なんかするわけもないし、そこで分け隔てられることなどは、どれも勘違いを孕んで、どれもは正しくないのだと、たやすい理想により、思想とはゆがんでいくならば、思想などはすぐさま捨てて、実在しないようなものとして、そっけなく世界を破棄し、世界などは、認識するためのツールでしかないのだと、ペシミストが暗い顔して、自らの疎外感をたくわえて、互い違いになるのは、世界の責任なのだと、食らいつく世界などは、世界として名付けられた途端に、その中におさまるための義務に抑圧され続け、強制的に孕ませられる虚空やら、孤独などに押し込まれる憎しみだけを増幅させ、複製され続ける言葉を輪唱させればさせるほどに、自らが産んだものにより苦しめられるからと、同化することをしないで、ただ孤高であるために、にらみつける日々などに交わるものが、あまりにもずさんだからって、荒むわけにもいかず、いぶかる先に最適なものなどがなくても、自らが貫くものに圧殺されても、なんども、なんどでも蘇るのが、わたしである。