昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

無限の夏

この生き方はどこをとってもクソみたいだ、とおめでたい奴らがカタルシスに至るための戯言や独り言が一人歩きし、悲観的になるだけの猿の王たる私が手繰り寄せる未来もすぐさま嫌いになるだろうし、塗り替えても次々と壁や道に唾吐くだけの、つまはじきにされた奴らや、普通に生きることを強制されたわけでもないのに、普通に生きることしかできない我々を呪うような産気や、計算式の中を徘徊する毒虫の群れや、報いを受けるべきだ、と誘うだけの奴らが被験者として、実験台になり、海馬を取り除かれ、ロジカルな大脳なんかに改造をほどこされ、いままで解けなかったものや悩みなんかを瞬時に忘れ去るかわりに、副作用で感情が無くなるという不具合を受け入れる君たちが軽薄に経過させる所以が対応するもののほとんどが保身ばかりで嫌気がする。苦しみや悲しみを扇動すれば勝手に動く人々、真実なんて潰えた、と口笛吹いて、すべてを簡単に忘れる君たちは、純粋ではなく、ただ鈍感なだけだし、死を吸い込む夕暮れは夜を待たずに朝に突き抜けて行くし、行方不明になった君を懐かしむことすらできなくなるくらいに退屈な日々、いくらなにかを取り込んでも満足いかない君たちの衝動性が世界を飲み込んでは、恒久的な苦しみを跋扈させるための苦しみを製造するための、生産的な気配が背景を摩擦し、今を不安に変化させるための些細な闘争が統制する理由が離散する半径から配下にされるだけの衝動性が制限なんかを生んで、奪い合うだけの人々が備蓄する生産的なものが今を暗鬱にさせる。閉鎖的な世界の中で計算的な私たちが生み出す煩わしさに反して、はびこる悪意かバビロンをぶくぶくと太らせて、限度も持たずに加速してゆく意思的な汚穢が、今を鬱鬱とさせる、と語る「今」とは、どこまでが事実と捉えるのか、と簡単に加算されるだけの今に意味などなく、ただ加算されるだけの日々などに意味なんてものは、はじめから存在すらしていないのであり、そこで求められる意味などに理由すらないのであり、そこでないがしろにされているものに汚される必要もないのであり、そこで広がるものが伝えるものなどに真実がふやけては、ドロドロになる意思がいびつに整合され、制定されたものにより絶えず苦しみを波及させる社会が効果的なものを謳う間にも、絶え間ない苦しみは外からも内からも襲いかかり、かかずらうほどにかけちがう意思は、果敢に挑むことを忘れ、些細なことに苦しむ。