昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

距離

健全なものなどはどこを見ても存在せず、あるのは屈辱だけだし、すべては打算的な制限を加えられ、言うことを聞くための独善的な手法や教育により、思考停止している連中やが謳う価値観や、能書きを垂れるだけの分析的な輩が、あたかも自分は正しいと示し、知った口を聞きながら、機械的な道理や論理を捏ねくり回しては、簡単に処理されるために、依存的な奴隷として、欲を満たすための猿や、屠殺されるために運ばれるトラックの上で、ただ食べられるために産まれたことの意味を問うことすらも出来ずに、美食家たちが食べ物で遊んだり、大食いする輩が過食嘔吐し続けるような場面から植え付けられた真理などは、単なる羅列なだけで、なんの正しさも含まずに、ただ善悪を持ち出しては、どちらかが正しかったり悪かったりする間には中庸はたもてずに、どちらかを正義に仕立て上げ、悪を演じては、快楽的に消費される資本主義的な偶像と、時の運とかいう偶然を謳うバビロン的な優越感のための語り口には嫌気がさすし、弄るための便利な身体を商売道具にしながら、死臭ただよう輩に抱かれる私の身体には、圧死した過去がひらひらと中空を舞いながら、虚しく募る動機を枷に変え、自らが生み出すものだけが、唯一正しいものでもなくて、ただ正しいとされるものから抜け出した先には、正しいと告げられるものから逃げ去り、些細な動機から解き放たれ、たび重なる痛みに耐え、怠惰な自らを乗り越え、今あるものを超越し続ける。散文的な意思はアルコールに濡れ、被害者意識を加速させる譫妄に苦しむ憐れみの衣服を着込んだ黒い影を蹂躙する。君の口癖や、カスタムされたエゴ、抽象的な意味を紡ぐ前衛的な多幸感に縁取られるドラマチックで、絵画的な配役、たちまちに緻密な理由が逍遥し、幽遠を嬲るドラスティックな愛が瞋恚を食べ、付着する結末の後に迫るのは、絶え間ない希望であるし、短絡的でオプティミズムにより簡略化された幸せを謳う官僚的な希望ではなく、ここでの希望とは、戦い続け、摩耗し、疲れ果てた後に敷衍する絶望をも超越するような希望であり、心酔することなく、静かに燃やすような闘志により生み出される静謐ながら、凄まじい熱量を持った希望のことである。そのような希望だけが世界を翻し、自らの確かさだけを信用し突き進むのである。