あらがうほどにすべる主観にすがるだけのあんあらも薄気味悪いねん、と語るゴリラみたいにドラミングしてるオバハン連中、声だけはうるさいし、意思には悲しい色しかあれへんし、マスクしているほどに増していく悩みごとが、今をしいたげよるし、ジョーイラモーンみたいなオッサンが酒飲んで叫んどるし、猫に威嚇されて泣く子供の声がサイレンみたいやし、痩せた家具が今にも崩れそうやし、と忙しい内と外が混ざり合って、憎しみ合いながら、この世界というものを形成してるわけで、そっぽ向いて傷つく我が身を抱き抱えながら、なあなあにうそぶく果てには、いたいけなもんも体系的なもんに攻め入られて、我を失って、権力に加担するんかいなって、なじるよりも速く行き過ぎる果てには、境目なんかあらへんし、あらゆる災難なんてもんは、誰かが作った代物であるから、そんなん汁物かなんかに変えて、美味しく啜ったら良い話やから、揶揄せんと、やじるしなんか無視して、無機質な世界が謳う正当性なんか飾りみたいなもんやから、豪快に切り刻む。三つ目の鳥が睨みつける、ただ青いだけの空、人々のパーソナルスペースはどんどん広がって、感染せんように、人と人との距離は近いようで、ありえんほど遠いとか、なんか見たような映画の題名みたいなセンテンスが頭上を徘徊してるし、煌々と照らされたネオンなんかが、ビカビカとすればするほどに、この精神いうもんは疲れたりして廃れるし、誰もが下向いて帰る暗い帰り道を照らすにしては、あまりにも下品なあかりやなとか、照らすことには、下品も上品もあらへんし、そこであらがうほどに、政治的なメッセージなんかに毒されて、偏った思想が理想すらも利用して、誰かの考えを書き換えるための洗脳なんかが、大々的に行われているCMの隙間、たんたんとエクソダスするためにテクノロジーに反して、ロジカルなダンス踊るためにレイブなんかに参加して、サイケデリックな音や、同じビートを反復させることにより、提唱されてる死に至る病をとびこえて、実存主義的な甘やかしによって、この母たる宇宙の中では、この宇宙を親として捉えるならば、この地球たる家ん中では、誰もがごとおじであるし、こどおばであるからして、誰もが何かの世話になり、迷惑かけてんやから、誰かを否定したり批判したりするほどに、あたかも解消されているかのように感じられるストレスの奴隷になるだけやのに、なんかすがすがしいほどにカスやクズがうごめく地中では、誰もが正義を騙り、誰かを出し抜くための偽善や、出来レースに参加しては、適齢期やなんや言うて、手切金欲しさに、誰かを騙すんに必死なん見たないから、目閉じて、眠ることの没入感を俯瞰で見ては、このバーチャルなもんに感じられる離人症的なまやかしをも超越するための哲学を突き詰めるんです。