宇宙を統合する恐竜の気分で、ボードレールの散文の上を歩く。シーラカンスのカバンから覗くリボルバー、段差に寝転ぶノスタルジアの黒猫、憎しみを果汁に例えて、憎しみを破棄して、希望だけで飢えを凌いで、滑落する意思を尻目に、考えなんて、ガシガシ洗って、綺麗さっぱり忘れて、芝居じみた日常や、誰が支配しているかは、明確だが、いかんせん、誰もが目の前のことに気付きもしないで、躓いてばかりいるし、うなずいても、所詮は、誰も聞いてないって、と泣く彼女の恒星、貸与した感情が、磔にされていて、凍てつく日常から生えるキノコや、パエリアの中で踊るエビみたいな気分で、高度成長期のツケを支払う。怠惰なビルディングを睨みつけ、虎視眈々と時代からの超越を目指して、耐性が付いた身体を宇宙空間に放置して、セオリーなんかに縛り付けられずに、簡単に君を裏切ったりなんかして、無視したり、無尽蔵な王として、居直る隙間から現れた曙光や、恋の汚穢や、機械的な詩が降る、余罪ばかりの部屋に蓋をして、応用される真実をひるがえし、自らの理想に近づく的な綺麗事を蹴散らし、我が物顔で進む。苦しまない方が良いのに、苦しむことを推奨する輩が示す、私も苦しいのだから、同じように苦しむべき的な私怨が延々と連なる退屈な城、体系化された理論が折り重ねる大義、理性なんか無いくせに、あたかも聖人のような顔する奴らに擦り寄ることはしないで、自らの意思に従う。