何も疑う必要が無くて、儚く散り行く現在のしもべになんかなりたくもないし、きっと、自由と名のついたものや、自由と名乗るもののほとんどは、自由じゃなくて、ただ、ひたすらに、承認欲求を満足させるために、嘘ついたり、何かをひけらかし、自らを、満足させるために、誰かを操ったり、引き攣った笑顔で、卑屈になったり、いくつになっても、子供じみていて、徒に過ぎ去る日々に置いていかれて、理由付けられたものに、手懐けられたりして、今に支配され、虐げられてばかりいるし、歪な信念が、無神経に入り込んでは、君は、右往左往して、どこに縋るわけでも無く、今に彷徨い続けるだけで、何も得られぬままに、選りすぐったり、今に、言い訳がましく迫る君が擦り寄る答えや、固定観念に引き摺られ、今に縛られてしまうだけの欠如や、いたわる事もしないで、君を失ってしまって、数十億年は経ったぐらいに、長い日々だけが、永続して、思い出は、断続的だし、どの位置に居たって、そこは、すぐさま、ここでは無くなり、時間が進む度に、自分は、自分では無くなってしまい、しばらく痺れては、謳われる午後に身を寄せ、今に砕かれてしまうだけの身体や、カラカラに乾いてしまった精神や、成否や、貧しい今に取り込まれてしまい、身動きも、取られなくなってしまった途端に、今に意味が重複し、服従するしか出来なくなってしまい、その場で、くたばるだけの青春を乗り越え、延滞金や、厭世観なんかを超越して、延々と引き延ばされるだけの人生に、理念を与え、あてがわれた罪を引き剥がし、自らの意味だけで、今を飛び越えて、現れる痛みや、言い訳ばかりの君や、機械的な過ちを加工する工場や、好意的な者を装い、近付く詐欺師たちや、まやかしばかりを崇める奴らの黎明期に参加せず、ただ、普通をぼんやりと眺める事もしないで、支配されずに、芝居を辞めて、ただひたすらに、我儘に紡ぎ出すものが、今を構築して行く。