血の滲む思いをも搾取する政治的なものや、権力的なクソ、あらゆる変化に中指を立てるパンクスたちや、立場を利用して、横柄な支配が錯綜する現時点や、気怠い月曜日を抹殺するために、すべて放棄、すべて辞めてしまい、塞ぎ込んだり、自分の中でも、自分が倒錯し、錯雑とした思いの波形や、よじ登る思春期のフェンスや、ちぐはぐな夏休みや、スマホを粉砕し、自分だけの考えをも、還元すべきだと、君や家族が、普遍性を偶像崇拝してばかりいるから、いつまで経っても、自分で、考えるという事を知らずに、今に流されてばかりいるし、時代の泥濘に嵌り、はびこる悪意に支配され、生き死にを賭した夜が、散り散りになり、足りないからと、君の幸せすら奪うなんて、あんまりだから、この身体が、バラバラになるまで走り続け、けたたましい朝が、しつこく付きまとうから、窓を突き破り、何も持たずに、外に飛び出し、爽やかな風に斡旋されるだけの、伝説的なモーションを辿り、倫理観を破壊して、妨げるだけの過去に愚弄されながら、定めなんかを歌う奴らが圧壊するための、電子的なセオリーに蝕まれる前に、理念なんかを孕むカオスの女神や、遺伝子情報を噛みちぎるナノサイズの虫たちや、輪唱される真実に加速していく倫理観や、価値観を踏みつける巨大な足や、短絡的なナショナリズムや、堆積物を弄る考古学や、痩せた市民に課せられる税、もう、限界なんだから、勝手気ままに歌って、裏切って、誰も傷つけないで、至らぬ今を、愛してやるべきなんだよと、与太話の最中を、のらりくらりと徘徊し、決められた配役から逃げ出し、打算的な君たちが渇望する現実なんてものは、至極当たり前のもの語るが、依然として、すべては、曖昧なものであるし、そこで、真実として祭り上げられているものなどは、所詮は、偽物と、本物の区別すらつかないし、拙いまま、謳われる善悪の虜になり、今に囚われ、手当たり次第に、破壊されるだけに至るような世界の中で、確かさなどは、足枷に変わるだけなのだと、打算的な御用学者たちが、悪趣味な持論を語りかけてくる頃には、この、退屈な社会というコロニーの中で、ニーズに合うためだけに、平身低頭を繰り返して、比べたり、並べられたりして、対価を得るために、ひたすら、走り回って、交わるほどに、増していく恨みつらみが加速して、物事との、一体感すら得られずに、ラストを迎えるなんて、あんまりだから、余りある思いを、ここに吐き出していく。