ほろほろ落ちる夢の角、アイロニーを加工した品位が横行する原理的な朝、事実を食べ尽くすカエルたちの大合唱や、痩せ細った草花を駆逐する草刈り機、期待感を撃ち尽くす機関銃や、動機を失った人々が彷徨う空間で、寂れた心情を撫でる腐敗した手、虹を渡る子供たちに、さようならと告げ、生きるほどに、重複する喜びにだけ、意識を傾け、あらゆる偏執がもたらす思想なんて破棄して、でたらめに加速していく意思を、捕まえられる奴なんて、自分しか居ないから、孤独なんてものを、悲しんでいる暇もないし、拘泥するほどに、捩れていく思考を跨る紛い物や、忿怒を繰り返しては、敏捷な真実を、健気に愛する完璧さや、凡庸な言葉で騙し合うための恋なんてものが、横柄にゲームを続けましょうなんて、語りかけてくるし、くたばるだけの、私たちに、天地なんてものは、不必要だから、重力や、時間や空間に反し、はびこる悪意を吐き出す苦衷に、燦然と輝く私は、加算される憎しみにより、歪んでしまった君たちの末路や、毎日に押し寄せるファシズムの硬度や、ねじ伏せられてしまうだけの、君たちの尺度や、社会性などを用いては、引き裂かれていくだけの可能性や、関係性や、コンビナートで蠢く明かりに、散りばめられたメタファーや、軍事利用される精神性や、生活をおびやかすもののほとんどは、君たちを煽るために欺き、あらがうほどに、増していく焦燥感の虜になり、利己的なものだけの願いが叶うような世界で、何を信じれば良いのかすらも分らずに、判断を誤るほどに、誰かの言葉を信心し、誰かの言葉を崇めるほどに、曖昧になっていく答えに利用され、体系化していく価値の奴隷として、運ばれていく荷台の中、裁かれるための過ちまで、自らに課せては、愚かなままに、受け取る価値に利用されるだけで終わる事に、躊躇い続けるほどに、狂っていくだけの、自らからを、傍観する事しか、できないでいる。