すべてを浄化させるために、ためらわずに、今を改ざんして、堕落した瞬間が、健気にフラクタルになり、薙ぎ倒された意思を踏みつける帝国軍や、その場で提携されるものが、絶えず軋轢を生み出し、踏みつけられるだけの今を、傍観しているシステマチックな犬、絶えず襲いかかる終末論の肉片、偏頭痛の元である雨雲のクソと、嘆く君の横顔、厳選されるだけの日々の中では、ケミカルな夢が、高く売れるらしいと、メディアがカタルシスに至るまでの末路や、ここで、枯渇してゆくだけの現実や、ロストし続ける先々では、効率が良い神が、崇め奉られ、あたかも、正しいものを演じる事だけが、この社会や世間では、重用されているし、徒に消費し続ける事により、太り切ったキャピタリズムが、まだまだ足りないと、貪婪に食い漁り、はみ出すものは、普遍性の中では、不衛生なもののように騙られ、価値観がチクチク痛むのと、嘆く彼女の後ろ姿が、重なる間に、アイロニーが降り注ぎ、不安感を増してゆく君の化合物や、甲斐甲斐しく謳われるものにより、改ざんされる世界の残骸の中で懺悔し、散々な今に現れるシンパシーやアパシーによるエレジーを、舞台上で発揮する役者たちや、泰然的な理由から、流出してゆく始まりとの交わりや、加速してゆくほどに、すり減る過程や、物事の汚穢、殺伐とした情報の中で、磔にされては、査定されるだけの日々に迫る黒い影や、研鑽し続けるほどに、誰かや、何かを傷付けて来た私は、猥雑な座標から抜け出し、どこかに、存在するという事は、どこにでも存在し、どこにも存在しないという矛盾から解放され、生み出された幻想や幻影たる現実や現在や存在なんてものを、光の屈折や、織り込まれたものや、捩じ込まれたものにより、あたかも、そこにあるようで、そこには、何も無かったのだと、理解させた別れから解放され、崩壊するだけの、忌々しい現実との関わり合いなどという事実から超越し、果てるだけの君の様子を、愛でるのです。