昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

夜の正体


 夜を背負い、帝国主義的なまがい物たちが森羅万象を偽装し、あらゆる神話を利用し、死と神を捏造するような原理から離れ、帰属するだけの運命とは、何かを有し、種族を保つことだけに専念するような生死の狭間で利用されるだけの原理へと帰還し、快活な動機を失い、意思すら何かに操作され、そこでまじわるものとは、いじけるだけに至り、体系的なものを携帯し、そこで接続される情報だけを模倣し、法理の彼方で原則を決め込むだけの生命の浪費から、あいまいな差異にもとづくエゴにつまずき、飢渇するだけに得るものとは、与えられるものにより増していく快楽を次々に欲しがるだけのリビドーから、快楽原則をまたげずに、ここにおちいるだけにいたり、ひたる意味から、ここに可決していく苦悩だけが、主義をまとい、ただ、老い続けることを養うことのように騙るような福祉的なにせものをばらまき、延々と又借りしていくだけにいたるような生き方に観点はそこなわれ、何かを恨むことでしか、ここでは良いはたらきも行えずに、ここで繰り返し残像のように、または、権限を用い、何かを訂正するほどに、ここで貞操観念を用い、何かにしたがうことだけが、幸福へといたるのであり、そこで接続されるものが、今にあてがわれるものを崇拝し、何かに利用するために持ち上げられた神は、やがて自らの存在すらそこない、何かを買い取るだけの偽装を繰り返し、自らを尊いもののように扱うことにより、リアリズムもそこない、幼稚な汲み取りから、今に狂い、いびつな精神を形成するだけのジレンマを抱え、苦しみにいざなわれ、自らをあきらめるだけにいたり、接続され続ける苦悩に左右され、些細な痛みに繁栄していくものに覆われ、現代的な病をうやまうだけにいたり、欠けるものや、かけちがえるものや、かけがえのないものにけがされ、健全なものなどそこなわれ、即座にむらがるものや、ここで判然としないものがねじまがり、加算される痛みに些細な道理をうながし、理屈だけが、今を捏ね上げ、個性をけずり、形成される意味も君の計算ずくであろうし、ここであらがうものとは、ここで永久に入り交じるものであるのに、そこで反するほどに、高揚感はそこなわれ、そこで即座に転換されないから、そこに居続けるのであり、居心地の善し悪しで判断するだけの前例から抜け出せずに、惰性な答えに、巻き込まれ、固執するだけにいたる精神は、今に高尚さをそこない、即席の自由を抱え、安易な判断で善意をうながす限りに悪とは繁栄していき、そこに生まれる区域や地域に根ざしたものが判断を誤り、ここで駆逐されるだけにいたる精神は、誠意を求めるほどに、きたないものや、機械的なものを培養し、漫然としては、自らの浮遊感にさいなまれ、生きている感覚を求めるばかりで、そこで方向付けられるものに左右される安易さに苦しみながら、長らくに迫る鈍間な感情や、確執を生み出し、やがて終わらぬ闘争へといたるような内戦から、何万光年をもへだてる憂鬱から、惰性な性差から生死を謳い、何かを根絶やしにするための業火を生み出すような恨み辛みが意味をスパイし、姿勢を狂わし、習わしによる判断でしか、保てぬようなものなどは習俗による支配され、新しいものを取り入れるような寛大さを持たぬから、自由主義へといたらずに、エゴイズムにおちいり、短絡的な攻撃性だけが、性質をねじ曲げる。そこで欠如していくほどに今を謳歌し、そこで対立するほどに自らとは失われ、探せば探すほどに、自らとの距離は生まれ、そこで奪い合うだけにいたるような姑息さから、差額を求め、統合されることだけを目的にする正常さを保つための戦争から、論証されるものの外に屠られ葬られるだけにいたるような身体を探し続ける亡霊どもがうごめく街並みの道理などは、理屈でしかなく、ただ、還元されるものに考えさせられることだけが価値であることを崇めるような者どもの至福や、そこで祝福されるものなどは、何かを恨むための道理を生み出し、そこで加速され、そこで足かせを嵌められ、世界を奪われるかのように仕向けるようなダンスを続けるほどに、踊らされることにより、満たされる快楽をうながす儀式的なガス抜きから、蓋然性を打ち砕くようなリズムから、理想を供給するだけの罪を歌い続ける天使どものメロディーから浪費し続ける限りに求められる欲望との軋轢を深め、自己から乖離していく様子を観察し続ける私は、再現されるだけの日々とは、何かに捏造され、そこで苦しみを生み出す境目から、赤い目をして泣き続ける君が帰巣すべき場所も、そこで操作されるだけにいたるような情報の虜として、理解を得られずに慢性的な痛みを抱え、ここで欠けていく理想から、競争的なものに放られ、硬質な思いを持たずに、何かを失うことでしか、自らを強調できぬような思い出などの一切は捨て去るべきであるし、ここで諦念し、諦観する暇もないから、ここで改善されるものをも越えるべく、私とは私すらもぬぎすて、ここで高揚するためだけに弔われずにピークをむかえ、昇華させる。

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。

何かに関与するほどに自らの未熟さに気付くよりも、そこで測るものを持たずに、自らをも超越していくように切り開く意味だけが、物事の正しさすら謳わずに、そこで正しいとされるものに左右され、偏りを示すよりも、解体する現在に原形すらも残さぬように、とろけるような恋を扱く、まる

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。

デカダンな意識をかかえた花どもが開花していく夜に彫り込まれるものや、混沌としていく意識が厭うものが、今を悲観させるだけにいたるような統制から、機関的なものが生み出す敵意や、今に疎外される意識が踏みにじる現在に軽薄なものを寄せ集めたものが、さも正しいように仕向けるようなオプティミズムが媒介するバビロンが生み出すメディアの製造されるだけのものを生産し、加工し続ける、まる

逃避行


 瞬間的に達成されるものが今に言いなりになる。担う意味もセンチメンタルな様相で、強迫的に迫る君と意味との間で結末を求めるばかりで、加算されるものに押収されるだけの今に欠乏を抱え、換算されるだけの関連性から、今に連動していく苦しみに蓄積されるものに迫害され、些細な理由に押し込まれる今に隔離される。有する価値との間に迫る結末は、君を苦しめるための言葉を吐き出すよりも、希望をも超越するようなこころみにいたるべく、君に便りを送り続ける。ここで加算されるものなどは、最たる理由も残さずに、ここで確実性を謳うよりも、ここに要理を用い、十全としたものに変わるべく、理想をも越えるような今だけが、意思を伝え、退廃的な動機や、そこに朽ち果てるだけの意味が用いるモラルに慟哭したり、苛む今に交接していくものが、新たな物を吐瀉し続け、永遠性をそこかしこに孕んで懶惰なものを飛び越え、創造的な飛躍へといたり続ける途端に現れるものがあらがい、ここでの結末に怯えるよりも、ここでおぼえもなく関わるほどに、からまる意味から、今に追い込まれ、押し出されていく瞬間を敷衍させていくような主観からの逸脱を目指し、終焉に巻き込まれるフラクタルな身体から、果敢に挑むほどに、ここで憧憬を続けるだけの厭うだけの指針にはびこる絶望的なものへと逃避していくほどに補填される憎悪が今をむしばみ、偽善的なものや、徳を謳うだけの信仰に行為とはさまたげを生み出す欠如に変わり、ここで補完されるものが動機を封じ、今に嘔気を与えるだけにいたる。開いた傷の縫合を終えた君は、いつかの悲しみも、そこでしばられていただけに満たないものであった、と気付く前にくじける。来すイメージに追い込まれていては、何も見えずに、そこで価値観を用い、何かをしいたげるだけにいたり、したがえるものに降伏し、そこに求められるだけの幸福に引きずられ、悲観するだけにいたるような執心から、貧寒なものを抱え込み、ここで連想していくものに追従することだけに専念するのが、資本主義的な生き方であるのだ、と宣言するような邪推から、済世を謳うだけの連中の支配から、官僚などは、世界を認識できてないのに、ただ与えられたものを全うすることだけが善意なのだ、と思い込む辺りから、ちぐはぐな論理は遡行していき、退廃的なモジュールを生み出し、リリカルさをそこない、リアリティーを喪失し続け、本質はそこなわれ、相似していくほどに、恒常的な苦しみを生み出す住まいの中で誰かを恨み続けることだけに見つける意思のようなものが今に滞留し、今とは、今に追われることだけに従事し、今に迫る苦しみが、今を追い越す辺りから、固執するだけにいたるような現在に怠惰なものを抱え、価値観を屠るだけにいたり、今に盗用されるだけの意味から、日々は露骨なものにおびえ、応じるだけの答えに大義はなく、ただ肉薄していく限りに悪は偽善的なものをまとい、体制にこびうり、運動的な排除から、うごめく革命の酒気や臭気にまじわる解除を願う社会主義的な機械的人間として製造されるだけの動機だけが、意思を決定づけるのだ、という洗脳的な配備から、そこであらがうこととは、死を意味するのだ、という循環からの脱兎を目指すべく、今を純化させるための理想をこなごなにしては、さまたげを生み出すだけの理想とは、今に帰巣することだけを目的に永遠性に反し、そこでの終わりを求めるだけのペシミズムにいたり、いぶかる先に提示されるものを信心し続けることだけが救われ、今に報われるなどという勘違いを屠るべく、そこで放送されるものなどは、支配するための専横的なプロセスを今に巻き込み、自らの考えで何かを執り行えず、そこで執心するものとは、誰かに与えられたものであり、そこで仕向けられるものから逃げ出すことに罪などなく、はじめから罪などはなく、罪とは与えられ生まれるものであり、それこそが正しいとされるものなどは、善悪を問わず、ただ正しいとされる限りに正しいものとして今をしいたげ、したがえることだけが正しいのだ、という過ちこそを正すべきであり、そこで正しいとされるものに正されるようでは、何の正しさにもいたらずに、自らを追いやり、苦しめるだけにいたるのであり、そこで与えられている価値に苦しめられるよりも、何かに決め込まれ、そこで強迫観念に苛まれるよりも、そこでうとましくからまる意味に生み出される境目がくみ取る意味などは、ただ今を位置づけ、そこで等差を生み出すだけの仕組みに与えられる金銭的な補完だけが、「ここで交換されるものとの軋轢を終え」修正されるように仕向けるような過ちから、ここに生み出される誤りへと多目的に接続される文明的にいたらぬものを過去からひきずり、その卑近なものを形成しただけに満たないものを社会と名付け訂正し、抵抗するものを排除するための法から、罪は帰巣する場所を求め、誰かのこころを住まいにしては、指定されるものに逆らうものに与える結末とは、みじめなものであり、みっともないものだ、という意思を植え付け、そこで屈従することのが簡単であり、そこで処理され続けるだけの短絡的な思考へと後続することのがしあわせであるなどという過ちからの逃避行を続けては、対比されるだけに自らとはそこなわれ、「そこで測られる物として扱われ」そこで解決したように思えるものも、今にしたがうほどに論点は擦れ、そこなうだけにいたるような精神を正否が追い求める。

道化

何もかもがぼやけ、
明晰なものすらないから、
何かを見ようともがき、
そこで示されるものなどが
演技を続け、
あたかもしあわせなように
演じるような
コマーシャルの中での世界こそが、
ここでの当たり前を演じ続けるほどに、
現実と自分との懸隔はひろがり、
自らは道化になる。

逃避行


 瞬間的に達成されるものが今に言いなりになる。担う意味もセンチメンタルな様相で、強迫的に迫る君と意味との間で結末を求めるばかりで、加算されるものに押収されるだけの今に欠乏を抱え、換算されるだけの関連性から、今に連動していく苦しみに蓄積されるものに迫害され、些細な理由に押し込まれる今に隔離される。有する価値との間に迫る結末は、君を苦しめるための言葉を吐き出すよりも、希望をも超越するようなこころみにいたるべく、君に便りを送り続ける。ここで加算されるものなどは、最たる理由も残さずに、ここで確実性を謳うよりも、ここに要理を用い、十全としたものに変わるべく、理想をも越えるような今だけが、意思を伝え、退廃的な動機や、そこに朽ち果てるだけの意味が用いるモラルに慟哭したり、苛む今に交接していくものが、新たな物を吐瀉し続け、永遠性をそこかしこに孕んで懶惰なものを飛び越え、創造的な飛躍へといたり続ける途端に現れるものがあらがい、ここでの結末に怯えるよりも、ここでおぼえもなく関わるほどに、からまる意味から、今に追い込まれ、押し出されていく瞬間を敷衍させていくような主観からの逸脱を目指し、終焉に巻き込まれるフラクタルな身体から、果敢に挑むほどに、ここで憧憬を続けるだけの厭うだけの指針にはびこる絶望的なものへと逃避していくほどに補填される憎悪が今をむしばみ、偽善的なものや、徳を謳うだけの信仰に行為とはさまたげを生み出す欠如に変わり、ここで補完されるものが動機を封じ、今に嘔気を与えるだけにいたる。開いた傷の縫合を終えた君は、いつかの悲しみも、そこでしばられていただけに満たないものであった、と気付く前にくじける。来すイメージに追い込まれていては、何も見えずに、そこで価値観を用い、何かをしいたげるだけにいたり、したがえるものに降伏し、そこに求められるだけの幸福に引きずられ、悲観するだけにいたるような執心から、貧寒なものを抱え込み、ここで連想していくものに追従することだけに専念するのが、資本主義的な生き方であるのだ、と宣言するような邪推から、済世を謳うだけの連中の支配から、官僚などは、世界を認識できてないのに、ただ与えられたものを全うすることだけが善意なのだ、と思い込む辺りから、ちぐはぐな論理は遡行していき、退廃的なモジュールを生み出し、リリカルさをそこない、リアリティーを喪失し続け、本質はそこなわれ、相似していくほどに、恒常的な苦しみを生み出す住まいの中で誰かを恨み続けることだけに見つける意思のようなものが今に滞留し、今とは、今に追われることだけに従事し、今に迫る苦しみが、今を追い越す辺りから、固執するだけにいたるような現在に怠惰なものを抱え、価値観を屠るだけにいたり、今に盗用されるだけの意味から、日々は露骨なものにおびえ、応じるだけの答えに大義はなく、ただ肉薄していく限りに悪は偽善的なものをまとい、体制にこびうり、運動的な排除から、うごめく革命の酒気や臭気にまじわる解除を願う社会主義的な機械的人間として製造されるだけの動機だけが、意思を決定づけるのだ、という洗脳的な配備から、そこであらがうこととは、死を意味するのだ、という循環からの脱兎を目指すべく、今を純化させるための理想をこなごなにしては、さまたげを生み出すだけの理想とは、今に帰巣することだけを目的に永遠性に反し、そこでの終わりを求めるだけのペシミズムにいたり、いぶかる先に提示されるものを信心し続けることだけが救われ、今に報われるなどという勘違いを屠るべく、そこで放送されるものなどは、支配するための専横的なプロセスを今に巻き込み、自らの考えで何かを執り行えず、そこで執心するものとは、誰かに与えられたものであり、そこで仕向けられるものから逃げ出すことに罪などなく、はじめから罪などはなく、罪とは与えられ生まれるものであり、それこそが正しいとされるものなどは、善悪を問わず、ただ正しいとされる限りに正しいものとして今をしいたげ、したがえることだけが正しいのだ、という過ちこそを正すべきであり、そこで正しいとされるものに正されるようでは、何の正しさにもいたらずに、自らを追いやり、苦しめるだけにいたるのであり、そこで与えられている価値に苦しめられるよりも、何かに決め込まれ、そこで強迫観念に苛まれるよりも、そこでうとましくからまる意味に生み出される境目がくみ取る意味などは、ただ今を位置づけ、そこで等差を生み出すだけの仕組みに与えられる金銭的な補完だけが、「ここで交換されるものとの軋轢を終え」修正されるように仕向けるような過ちから、ここに生み出される誤りへと多目的に接続される文明的にいたらぬものを過去からひきずり、その卑近なものを形成しただけに満たないものを社会と名付け訂正し、抵抗するものを排除するための法から、罪は帰巣する場所を求め、誰かのこころを住まいにしては、指定されるものに逆らうものに与える結末とは、みじめなものであり、みっともないものだ、という意思を植え付け、そこで屈従することのが簡単であり、そこで処理され続けるだけの短絡的な思考へと後続することのがしあわせであるなどという過ちからの逃避行を続けては、対比されるだけに自らとはそこなわれ、「そこで測られる物として扱われ」そこで解決したように思えるものも、今にしたがうほどに論点は擦れ、そこなうだけにいたるような精神を正否が追い求める。

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。


静謐な雨の歌にゆらぎ、閉塞感をかかえた日常にも、すこしの猶予をさずけ、確かな愛が今を切り開き、背反し続ける先に衝動が現れ、今の矛盾を飛び越えていく、まる