損得ばかりを謳う狐、願い事も届かない、と、泣き叫んでいる少女、タントラやらマントラやらが降る古びた寺院を印象派の画家たちが描いて、凍てつく冬も、春の中に隠れてしまい、また、会える日まで、その冷たさを隠し、真理なんかを無視して、前衛的な愛に囲われる。主観から現れた草や茎、その場しのぎの正解を謳いながら、内面性なんかを破壊したがる人々が埋めたがる愛、配役を決められ、そこかしこに点在する意識、儀式的な終幕やら空白、迫害され、掃き溜めで過ごす憂鬱、変化し続ける君は、機械的な愛に加工されていく世界から飛び出す。脱色を終えた君、風前の灯火の命、奇跡的な十代を終え、加速して行く時間との対立を繰り返すよりも、時間なんてものは、所詮は、誰かが作り出した幻想のようなものではあるから、あまり信用しないように、のらりくらりとし、のっぺんだらりとした社会の中で、くたばるだけならば、いっそのこと、今に超越して、裁かれるよりも速く、その愛の反動を受けるための、大きな緩衝材になりたく、内積する理由に擦り寄る価値的なまやかしやら、記号化された成否や、暗号化された精神、資産価値やら、支配的なギミックや、この世界に蝕む代償を用いるだけのニヒリズムを越えて、凍える意識に温もりを授け、境目なんて持たずに、統合なんて強要せずに、強迫的な君たちは、誰かに適任転嫁し、自分の罪を解消するための生贄を探してばかりいるし、いらだつ今に極まる命が、やがて、荘厳な一切に開かれていき、逸脱し続ける先々では、境目すらなく、ただ、囁かれたものを、鮮やかで、穏やかなものにより昇華させる。幽遠で肥大化する憎しみや、行方不明の感情、情報網に捕まえられた君の連帯感、安易な紛争やら、希望すらない世界の行く末。
颯爽
青白い顔、くたびれた季節や、君のあくび、屈伸している女性や、運命により駆逐されてしまった街並みの末端、黒黒とした面影の星雲、群青色のファシズムと風疹、堕落した身体から生える花、軟体化した価値観に、目が霞む間に、隘路と化した道、慢性的な痛みを加速させ、懐疑的な日常のぬかるみに嵌り、はびこる悪意が体たらくなものを生み出し、惰性で引きずってきた日々の中で加工された思い出なんかを打ち倒し、今に生きるべきだ、と、うそぶくよりも、今なんてものは、あるとされることにより、その、今が誇張され、あたかも、そこにあるものを、捉えるということに囚われていることを、今だ、と、促す君の今すら、すぐさま曖昧になるのだから、ここにあるはずのものなんて、すぐさま、忌忌しいものとして、しいたげられて、たらい回しにされ、たび重なる罪の意識なんかにより、歪んでしまうだけの、過ちばかりの今に引きずられていくよりも、今なんて曖昧なものを引っ剥がし、はびこる善悪の証拠なんかに煩うだけの週末、希望すら潰えた主観、従えた意味と、愛と均等、修羅と恍惚、数多の無知な飛行機が飛ぶ空白だらけの市街、戦意すら喪失して、照合する意味に呼応する罪により、生贄として捧げられたコア、拡散される理由と自由、常用される歪な信仰心に反し、怠惰な理想を打ち砕き、偽装された真理を超越するキラキラとした日曜日、分断や分裂を乗り越え同化し、世界との和解を果たした夜。
休暇
むしばむ日常、線をも無視して、サイクルを続ける星の憂鬱、君の確かさは、きっと足枷に変わるだろうし、世界を狭めてばかりいるし、惜別を繰り返し、世界の色が暗くなっても、この空白に迫る窮屈な信仰心を突き抜けて行くキツツキの鼻先、サンダルのぺたぺたする音で目が覚めまた春の昼下がり、公園では、伝奇的な逍遥を繰り返す老人たち、アルカロイドを搾り取る老獪、快楽を受理するために、冥界の穴を広げる深夜、暗澹とした帰り道に孕む回答のむず痒さに苦しみ、被害者意識を加速させ、世界や社会に責任転嫁して、その責任を追うことなく、逃げ回るのもアリだし、配下になるよりも、配膳されたものを、そのまま受け入れ、鎮静剤により、簡単に操作されてしまう人類的な汚穢、段々と善悪の境目も無くなり、どこかでは喜ばれることは、どこかの誰からしたら、悲しむ結果ばかりを生む的な発想しか出来ないから、依然としてニヒリズムに捕まったままであるし、ニヒリストに利用されてばかりいるし、男根主義的な発想しか出来ないマッチョイズムが、やがて、独裁にまで移行し、簡単に処理される生き物たちの悲しみなんてものを、測る物差しなんてものは、存在しないのに、なんで簡単に善悪で処理するんだ畜生、と、泣き叫ぶ彼の疲憊した心情に託されたものが、際限なく成長を遂げて、何度でも、自らのデコボコとした感情を平地にするために、降り注ぐ物質なんてものすら、信用ならないから、このままに、きのみきのままで、キラキラした夕焼けに、憂鬱を隠して、中途覚醒を繰り返す季節の終わり目を超越したいと思う。
土壌
偶然を吸い込む春の口、排斥される理由の音階、真っ白なシャツに枢要な真実を書き込む哲学者、荘厳な手綱を引いて、貧寒な意思に愛をさずける女神のシワだらけの手、迎合されるものを崇めるがあまりに、真実に近づけずに、連鎖する苦悩や、偶像崇拝を続ける拙い衝動性、重要なことに届くこともなく、言葉が今の意味を奪い、ただ、リバイバルされていくものが、あたかも、永続してきたかのように威張り散らし、君を抑圧し、たちまちに、すべては引き裂かれてしまい、全くの理由は、瞬く間にくたばるだけであるし、あらゆる罪を配下しているような奴らが謳う理由に縛り付けられては、歪なものを崇めては、今に手懐けられ、懐かしむほどに噛み付く過去の鋭い牙、豊かさの象徴のような猿、利便性の詭弁、隻眼の鷲、晩成に塗りたくる毒、偶像の世間体、空間に食い込む過信、懐疑的な日常、情報に取り憑かれた人々が備蓄する苦悩、憎しみに擦り寄る宗教的な保身、あてがわれた罪を補給するために走り回る車、強要される答えに擦り寄る懈怠し続ける君、真理なんてものは、その場しのぎなものだけなのかもしれないし、知ったところで、何か得があるわけでもなく、それは、トゲトゲで、近づくものを、傷つけてばかりいるし、苛立ってばかりいるし、労りなんていらないし、いぶかるばかりで、進歩もないし、シンクロしても、知り合うほどに、嫌いになるばかりだから、勝手気ままに飛び回る。
闘いの歌
対価なんか必要ないから、と、飛び去った鳥、対比されるだけの私たちの恒常性、正解すらなく、快晴であるのにもら関わらず、ずっと自分の周りだけは雨だし、惰性で引き伸ばした主観が、世界を狭める間に、アイロニーやら老化やら、肥大や、悲哀なんかがデータ化され、あらゆる意味を塞ぐための退嬰的な競争や、豊かさを謳い、中抜きしまくるだけの、企業的な悪魔、権力に加担し、次々に入る金を湯水のように使い、はした金だとか、足して二で割るだとか、達成感を謳い、今に意思を奪うだけのテストの最中、あらゆる抗原やら攻撃性が降る戦争の音や、空白を埋めるための日々に、この身を置くよりも、私は幼い頃から、自らの哲学や思想のためだけに、本の虫というよりも、私自体が、一冊の本として、あらゆる意味を批判的に乗り越え、短絡的な否定に陥らず、受け入れて、偏りを示したら、すぐさま自らの中庸のために、口に穴を開け、松果体にインプラントを植え、果たす義務なんていうギミックを蹴散らし、軽薄な偶像を打ち倒し、すべてに対処する辺りから、真実は加速し、懐疑的な日常に擦り寄る価値や、数多の退屈な偽装による、絶え間ない犠牲、退廃的な呪詛を書き殴る僧侶や、祈祷師の夜、分断された私のひいおばあちゃんによる、水面に浮かべた水により占う世界、私に氾濫する超自然的な物事、どんな死をも超越するために産まれたのが、私らしく、今に希望を産み出すための宇宙の母として、言葉や文字に制限を持たずに、こうして、私たちが重用するものなどは、不必要なものには、見えるが、ほんとうに必要なものすら、あまり無いのであるから、そこで、不必要にされても、また、どこかでは、必要にされるのであるから、まあ、苦しまずに、繰り返し来る憂鬱にも、夕食なんかをご馳走して、眠れないなら、身を預ければ良いし、君が何人だとか、男だからとか、女だらかとかなんて無視して、ただ、貸し付けられた罪や金なんかで屈折するよりも、そりかえり反発し、大義なんか捨て去って、ただ、愛を語るだけの輩を調理して、空疎な自分や世界になんか、期待しているから、君は傷ついてばかりいるし、期待なんてものは、所詮は機械的なものであるし、快適な世界を見つけるよりも、自分で作り直すべきなのである。
道がある
残りわずかな命、寝返り打つと静かになる帰り道、すがるだけの君の曖昧な答え、忘我に帰する刹那、天鵞絨に包まれた慎ましやかな最後、朗々と促した言葉、定めもなく、はしたないままで、歪な観念を寂寞に返して、この穏やかな今を逆撫でするような奴らがリンクさせる憎しみを無視して、世代間に現れた完全性を超越して、完全であるとは、完全であることを目的としているだけで、完全であることなどに、重要性がないことを理解しなければ、依然として君は答えに拘泥し、答えに囚われ、その答えを信じ込んでいるが故に、事実や答えになってしまっているもののほとんどを、掘り起こし、見返すべきなのに、答えは、答えであることだけが先決で、その答えが、ほんとうは、なんなのか、ということに興味があり、そこにある答えなどは、ほんとうは、存在しないのかもしれないし、存在していると認識しているから、そこに存在していることを証明することだけに、二千数十年もかかったのである、と、喉笛を鳴らしながら、カタルシスに至る老いたネコの哲学者、電気的な愛により、感電してしまった恋の末路、末端では、毒素が潜在意識にまで入り込み、この混濁した世界では、魂胆よりも理想よりも、嫌悪や憎悪のが高く売れるし、簡単に感染するし、安く儲けれる、と、寛容さを損ない続けている人類はやがて、機械的なものに大脳を食べられ、人間であることを辞め、与えられた答えで、満足し続けるような生き方なんて出来るはずもないから、何もないからこそ、大いに笑う。
忘我
複製される真実や、ふくよかな午後、刹那に嘆じる君の悲哀のエゴ、驕りをパスワードに変換して、社会性が打ち出す義務的な老後を想定して、演技的な世界の中で、カスタムされる意味や罪をレストアして、対価を求めるほどに現れる苦痛と、普通を求めるがあまりに、誰かを知らぬ間に傷つけるための、モデルケースとして存在する人や物、もぬけの殻や、もう、抜け殻になってしまった者たち、あらゆる偏見を交換するための大義や正義を乗り越えるために、教科書は捨て、誰かが打ち出した正解こそが、姑息で執着心に悶えるためのツールである、と、宣言する幼稚な人神たち、かじかむ世界は、自らの誤りを自覚できずに、ただ、現れるものをそのままに受け取り、理解などを謳いながら、弱った君を仲間に加えようと迫る、脅迫的な輩が示す差異や歪な真理、計画的な伴侶たち、贖うほどに現れる苦痛と、数多ある運命の中で、うやむやにされたものが持ち出す定めが繰り返し再利用され、誰かと同じように生き、あたかも、自分の意思があるかのように仕向ける情報を簡単に受け入れずに、謳われる観念や関係性や制度のはしたなさに気がついて、あらがうほどに現れる喜びを開通させ、災厄やら囁きやらが、縁などを持ち出し、その場で身動きを取られなくするあたりに散りばめられた、メタファーやら、愛に似た何かが、約束などを用いて、君を責めたてる間にも、宇宙は、淡々と自らの外側を押し続けては、自らを、外に外に排除しようと忙しいのである。