昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

哲学と冒険記

暗い夜道とこんばんは、と研ぎ澄ます風も、老化する観念から飛び火し、ひしひしと傷む身体を捨て去り、主体をいざなうだけの観念から、加勢していく貪婪なちぎりを交わし、幽遠と響かぬ声から、可能世界を打ち壊す井蛙な者の物語から、ちんけな理由から知性を持たぬ隠語をちりばめた明晰な主観に移行していく原理を司るだけの道理を超越しては、散漫な動機にリロードされる本質が撃ちこまれるまでの軌跡を傍観する。歯磨き粉を塗りたくりながら、隠語を放つ瞬間的な輪廻を供給し続けるだけのたゆまぬ事から、懇切している苦悩がデカダンな帰路を生み出し、人間性を狂わし、下される理由に際限無い事柄を往復させる反復から盛大な裏切りを生み出し流浪しては、潸然たる余韻が促す美麗さを泳ぐ間から、彼らははかなさをさえずり、判断を見失い、鬱積する状態に所持する気持ちを多幸感に変える。哲学とは、踏み外す一歩をちぐはぐにしながら、食い込む痛みに苦悩と昨日を攪拌しながら、最大限の苦悩を激情の下で絶叫する内心が誰にも届かぬように叫び続ける限りに、裂ける内心から、感染していく原理に基づき、昂じる理由に判然とした途端を消化していくだけに、吐き気を覚える。服毒する宇宙はまずいの、とヒエラルヒーを促す支配的な社会のファシストたちが、豚を引きつけ、対立する苦衷と共に弊害を塀に変え、高笑いしているシステムの裏側でヒステリックな舞台を措置する観点から、浪費するだけの宿命にメディア的な個人崇拝が浸透し、ひとりのカリスマが独裁者に至るまでの経緯を断続させては、頓挫させるべく、無記名の者どもが、コード化した怨恨を吐き出す定理から蝕まれ、バンダリズムに陥り、判断を浪費するだけにアナーキーな論理をたどり、固執する全体主義体制を破壊すべく、すべてのスペックを書き換えるネットワーク的なテロリズムから、アナクロニズムな者を討ち取るだけの対比しない苦悩から、枯れ果てるテヘランでは、赤黒い雨が、引き裂かれた親子の空間に降り注ぎ、ただ残虐な行為に陥る愚鈍さに飢渇するだけのサディズムから空間的な差異は観点を失い、ただ徒労するだけの浪費する観念から軽薄な論理を長じては、旋転する悪意に捻転するファシズムの発疹を抱えるアンドロメダの孤児たちは、感染症に悲しみ、ただ聖戦のために破壊される原理的な履歴に消耗するだけの精神が傷むまでの軌跡をたどり、淡々と過ぎ去る不具合や、不倶戴天の敵や、典型的な普遍性を縁取るだけの苦しみと高潔を謳うだけの択一しない退屈な主義が謳うだけの鈍磨で貪婪な悲劇から、過疎化していく季節にしみいるシステム的な老廃物を集めるだけの生産性から、産前から孤立する私は、油然とはぐくむ詩的なリズムから創世される過去からここまでの距離などを測らずに、ここが途切れるままに永遠は、次々と進む事により、物事の確かさを最前へと運ぶのです、と空虚な質感を揺るがすだけの起源から、設置される疑問から暗澹とした主体が母体回帰するまでの領域に永遠回帰していくシステマティックな夜からつぎはぎに乱立する理念をつなぎ合わせるだけに、あわされる意味は、今に色あせ、錯綜するまでのあでやかな季節に教条を攪拌させ、新たな教育方針を生み出すべく、自己は解体し、自我を解放し、補完されるだけの学歴を破綻に追いやるまでの考えに至らせる今に超越を教え、超克すべきは、経済的なサイクルに至らせるだけの歯車に促すべき潤滑油たる者であり、円滑に進ませるべく、些細な出来事を飛び越えるほどに円環を巡らず、ただ延々と生み出す事柄にしみいる原理こそが、固執する最大限の卑屈さを生み出し、卑賤な価値に至らせるのであり、砕屑していく考えを集めたものを含んだとしても尚、この反発する意識は最大限の愛を踏みにじり、ただ超越する事だけに変換されるものすら否定する。「否定の歌が内心を嬲る。その痛みは、感覚に応じるだけに感じ、考えるだけに痛む事を知り、ただ痛いと認識するほどに痛みに補完され、頓挫する。」否定は疲憊する苦悩に応じ、陰鬱な衝動を拡散しては、乖離していく今に理解を含まずに、怠惰な理想を促すだけの希望をダストに変える。眠れぬ夜はひずみ、季節的なひずみに飢渇していく動機が帰り道を失い、ただ錯雑な理念に姑息な実証を攪拌しては、猜疑心に揺れている木々と摩擦を繰り返し、自ら生み出す火焔により、存在自体を燃やし尽くしていく。絶対はあると信じて続ける意志も、いつかは力を用い、自ら歪む。エディプスコンプレックス抱え、権力を毛嫌いする片親たる獣が打ち出すルサンチマンなどが、テロリズムに移行するような純然たる冒険から、アノミーを扇動し続ける資本主義的な道理と動乱をいざなうだけの仕組みも、遮る意味から俯瞰を奪い、空間的に移行し続けていく自尊心だけで描き続ける一切のでたらめさを複製し続けるだけに大義名分を振り回し、利己的な行為に陥るだけの法の道具から、コンテンツは、愚鈍で麻痺した今に捕らえられ、姑息な出来事に主事できずに、従い、虐げられるだけの形に価値を用い、そこにルサンチマンを抱え、幸福を移送する屠殺場へと運ばれる憂鬱から、主体は、苦しみに浸り、裏切りを重ね、倦怠感を司る愚鈍で閉鎖的な利己的な自己に拘束される限りに陰る本質は、貧寒な時代性の悪夢を抱え、延々と演繹していくシステムの洞穴で終わらない道化と化し、閑散とした理由を信心し続ける限りに陰る苦悩から、納付される思いに復元されるだけの現実で正気を忘れ、ただ散々な現状に至らせる独占的な支配から、独善的な倫理観にふれあう痛みから、いたわらない理由に拘泥し続ける限りに増やされる憎悪から、悪寒を携え、治らない風邪へと移行し、寂寞をさまよい、残骸と化するだけの虚空の中の自己が浩然たる様相で使命を飛び越え、有する価値を超越する事に逃避行を重ね、緩徐に至るままに敷衍し続ける有限の日々から、更迭されるだけの現実に無謬性を重ね、その確かさに、羽ばたく意志から、世界は貪婪な形をぬぐい、ただ達するだけの理想を超越し、超克される痛みは苦しみや空腹を飛び越え、ただ有るだけに備わる事に無限性を求めず、止めどなくあふれるからこそ、この愛しい生命は、還元されずに、ただだんだんと迫る今から瀰漫し、端的な理由を相続せずに、ただあふれる汚さの機械にならずに、ただ耽溺するだけの離床を繰り返すだけに兌換される価値や形に反し、ただ用いる出来事に流浪し、朗唱し続ける詩的なリズムこそが、拘束されずに、創造性に至るそぞろな気持ちに虚空は一切の晴れ間を求めず、ただ備わる無にこそ、絶対的な理想は早熟な観念を引きつれ、端的な理由を逍遙させ、確かな感性に至るまでの奇跡に至り、意気揚々と高揚する限りに陰らぬ生命はセンチメンタリズムを消費するだけのデカダンな軌跡を踏みにじり、ただ超越する気持ちに気後れせずに、記憶で着ぶくれせずに、センセーショナルなままでなまめかしく描く先々に長じる由縁も、延々と生じるだけの言葉を破壊するだけのバンダリズムに陥らずに、ただルサンチマンが描く贋物のシナリオに扇動されずに、無記名が生み出す無機質で無気力な価値に至らずに、その破壊的な暴力性で攪乱するだけの道理に動機は無く、ただ陥らせる自らのペシミズムにより、うじうじしているだけに満たないおまえも、おのれも、この今にコネクトされるだけの汚い世界や社会に利用されずに、ただ昇華し続ける限りにシステムを裏切り、果てないアノミーを打ち砕く原野にリビドーは愚鈍なアニミズムで昇華し、儀式的な行為に基づく清め祓いから、嘆き悲しみだけの無下な時期から、削除され、乱立する痛みに息も絶え絶えにもだえる明日も曖昧なままに蓄積される先々に移行する今に苦しむよりも、その今を超える苦しみに至る方が、君をあやめる意味を携えず、君を突き上げ、君が果たすべきは、君で有る事に有らず、有するだけに強請るような輩が生まれ、君を支配の下に屈従させよう、と協調性を謳い、制度を謳い、道理を謳い、規律で裁き、善悪を用い、罪と罰で閉じるような企みに物事の本質はゆがみ、どちらかが正義でどちらかが悪という隔てこそが、間違いを生み出し、欠如していく動機に異風を持ち込まずに、淫靡な状態に至るだけの企み帰巣していく本質も、真実を見失い、本能により、動かされる事を、あたかも自ら流れている事のように指し示す辺りに使命感はゆがみ、本質はニヒリズムを抱え、ただ強固な暴力へと移行していくだけの破壊行為に快楽を感じるサイコパスように追い込まれている精神は、補完される事を目的とせず、ただ反し破壊する事に置かれている自己を傍観しながら、達観する暴力性に支配され、ただ互い違いに生み出される物事に反して、ただ破壊する事の純粋さにだけ、自らを見つめ、認める限りに終わらない倒錯は、闘争へと移行し続ける限りに偏執していく動機が独裁的な思いをため込み、世界的な破壊をもくろみ、ただたじろぐ自己に移行していく自己を俯瞰で撲殺し、多目的な流動性を端的な暴力に発送していく限りにエクソダスできない君はナチズムにでもクメールルージュにも変わるだろうし、やがて渇望する鈍感な精神は、ただ破壊を目的に血を流させるべき戦闘的な本能こそが、姑息な世界を牛耳り、ただ快楽的な破壊に至るだけの事に嬉嬉としていくサディズムを超越したサディズムで、自由を超克した精神に背反していく反するだけの精神性だけで、制度自体を堕胎させ、簡単に処理していくだけの痛みに謀る事もあらず、ただ有する価値を破壊するような純然たる暴力にこそ、正しさを見出すようなものが人間たるものである悲劇なのだ。