時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

調教された意思

何かを正しいとして判断する器官が示す苦しみや、漂う悪意に緩慢に作用する現時点を乖離させるだけの精神的な破裂から、ジレンマを溜め込むだけの入居者を受け入れ続ける超巨大な団地として自らを提示するような対立する身体を補完するだけの理論を屠るだけの情緒がレプリカとして生きるためだけに、ためらわずに受け入れ続けるだけの性的な余波から、夜明けを待つ君の虚空に嵌め込むべき事実も、君が生み出す苦しみにより、そこにしこりが生まれ、軋轢を生み出し、終わらぬ敵愾心に苦しむだけの不安とは、君が起因となる絶望だけが生み出す苦しみにより、今に等差を生み出し、問い質す以前に今に生まれる苦しみに補完されるだけの苦しみを体感するだけに至るようなガイダンスから、快感原則を促すだけの戒律から、ここで対立する精神性などは、正解を生み出さずに、何かに左右されるほどに偏った思想に縁取られ、俯瞰を奪われ、無感覚にこじらせる精神は世界性を失い、そこで齟齬するものとと対立を続け、似而非なものを織り成し、被害者意識を形成し、そこに現れるものだけを信心するだけの体たらくな自傷から、貞操を守ろうとするほどに、ここで固執するだけに至るような遅滞にはびこるジレンマに飲み込まれ、自らの苦しみに補完されるだけの思春期の契合や、迎合されるものだけを本質として捉え、真実をごまかすだけに至るような誘惑から、憂鬱が迫り、過去に飲み込まれるだけの兼ね合いから、互換されるほどに魯鈍なものに至り、陥る先に現れる暗闇にあらがえずに、ここに現れるもののぬくもりにすら気付かずに、ここに現れるものに指定されるだけの義務に空疎なものをたずさえ、ここで愚意を重ねるほどに語弊が生まれ、ここに現れる弊害として生きることの苦しみに統合される悲しみだけが、世界を世界として認識する苦しみを敷衍させるだけがリアリティーを伝えるものだ、と受け取るほどに、君の苦しみとは利己的なものを生み、今に悶えるほどに怯えるだけに至るような脳内で生成される神学が打算するものが平衡などを謳う限りに君への負荷は生まれ、空間を用い、時間に閉じ込められ、ここで言葉を喪失し、ここで用いられるものへと統合されることが正常なのだ、と世界を世界として指定し続ける先に現れる意味合いにあらがえずに、今に暴かれる真実も陰惨なものを育て惰性に生きることだけが、生きることである、と宣言するような幼稚な企みから、ここで枠組みを生み出すほどに物事の中に閉じ込められ、ここで生み出されるものが絶えずよろこびを生むという幻想をたずさえ、それだけを現実として堅持し、堅牢な意思をたずさえ、すべては正しいとされるほどに現存していくように思えるような今に現れる意味を正そうとする存在すらも危ういものであるし、あやふやなものであるのに、何かを分析し、今に改ざんされるだけの正常さを謳うだけの本質などに偏りを示し、勝ち誇ったようにいられるのか、と苛立ちを拡散するよりも、ここで同封されるだけの真実とは、幸福を求めるほどに、自らを不幸にするような転換から、観点を失い、そこでさまようだけに至り、あてもなく従事するぼどにあらがうことをためらい、今に現れる苦しみにあらがえずにあてがわれる苦しみを演じるだけに生命を終えるような基礎を生み出すような答えへと流されるほどに、君の苦しみは倍増するのであるし、そこに現れる疑問を解除しようともくろむほどに目録や目次にだまされ、些細な意味が突き刺さり、君の身動きを取られなくするようなこころみばかりが、あたかも正解を生じ、ここに記載され、起算されるものだけが世界を警醒し、正解へと導くように思えるような疑似的な超越から、徴候を超克し、ここに現れる苦痛などを感じる限りに苦しみとは敷衍し、ここに現れる苦しみを延々と感じるほどに時間から抜け出せずに、そこに現れる苦しみを演じ続ける辺りから、君の苦しみを起因として因果を葬れずに、ここに現れる苦しみだけを表現することだけに専念するほどに制限を生み出し、平静を保てずに、ここに現れる苦しみに屈するほどにくすむ現在に罪を課せ、軽減しない痛みや今に瀰漫する苦しみに意思を奪われ、悪態をつくだけに至るような現在に限界を促すだけに至らせるようなリズムに利息を支払うだけに至らせるような関係が形容されるものへと契約を結び続けるほどに詐欺的な集団が促す法がまかりとおるのであるし、そこで統合されるものだけが真実を語るように示すだけの教育などが跋扈し、漠然とした意思に釈明を続けるだけのにせものの価値である私の愚論と卑下するほどに、自らをいじけたものにするだけであるし、君自身を否定することでもたらされるような真実などは真実などではなく、君自身を正そうとするほどに正しさとは生まれては消えていくものであるし、ここにもたらされる真実などは、真実として現れるものをあたかも体感するほどに生まれる快感などを不規則に伝え、又借りする意思や、狩られるだけの今に現れる不安をかき消し、書き換えるだけの不安だけが次々に迫り、狭い価値へと至らせるような修復を謳うだけの分析を打ち砕き、ここに現れる苦しみなどは考えるほどに苦しみを加速させ、そこに枷を生み出し世界を奪うだけに至るのであり、君が想像する限りに生まれるものがすべてであり、そこに現れるものを不可能可能と促す以前に、君が思うことだけがすべてであり、他者が配するものに騙されているままでは、ここでままならぬものを背負い、あたかも生きているかのように示すことだけが生きているように示すことである、と専横されたままでは、些細なものに飲み込まれ、今に自らの意志を失い、与えられた世界での生活を演じることだけに専念する。

あいまいなもの


 孤独たちも静かに眠る夜だ。不健康そうな遭難者がなびく裏庭でルーツを探るだけの傍観者がフォーカスするものなどは、貪婪に導くだけの過程に怯えるだけの老化を進ませ、薄い膜に包まれ互換されるだけの静謐さに清貧さを求めても、とめどなくあふれる理由などが粒子などに変わる現時点から消費されるだけの論理を加速させるだけの加速器の中で優劣を決め込むだけの消費的な関連性から、連動していく痛みへと悲劇を加速させるだけの希望の数々のあいまいな輪唱を聞いては、倦怠感を抱え、深層心理の進路を破壊すべき精神分析などは、誰のこころも濾過できずに、この場で枯渇へと追いやるだけの憂鬱さを枷に変え、連綿たる事情から、情緒を破壊するだけのリリカルさの浸透から、サディスティックな一貫性を孕む法則的な価値から飢渇していくだけの精神は、表現を失い、ここで浪費されるだけの動機を過激な思想に変え、領土を奪うだなんだ、とはびこる悪意の全容を仮称することだけに専念するような資本主義的な情交を重ね、完全性を求めるほどに嘔吐を繰り返し、惰性な日々に欠如していく保身から、翻弄され、放浪を続ける辺りから、篭絡されるだけの関係から生還できずに、その場で朽ち果てるだけに至る私は、感情が何であるかも分からずに、今に隔てられるだけに至るような要理や、真実とは、ここで横暴な価値を組み込みながら、兆しを奪うだけに至るような闘争を生み出し、今を踏み台にし、憎しみを加速させ、有する寂しさに屈するだけに至るような脆弱な精神こそを育てるような教育が生み出す保身から、応用されるだけの原理が立証する軽薄な精神などは、ここで効率性を求めるだけの同調を求め、ここで精白なものであるべく純粋性を求めるほどに制度の中でしかはたらきを加えられずに、運動とは、そこで定着するものの中でしか自らの企てを認められずに、自らを批判するだけに至るような倒錯から、ここに等差を求め、応じるだけの答えに生み出す過程から、諦観へと至らせるだけの逃走こそが、唯一の正解を生み出し、企てられたものから逃げ出し、そこに生み出される行いなどは、そこに弊害を生み出すだけに至り、いたわることを知らずに、居続けることにより、言い分けがましく緩慢に作用するだけに至るような穢れを生み出すのが、都会でもあるし、ここで効率を求められるほどに、恋とは懸け離れて行き、ここで同調するものなどは、大衆を操作するためにもたらされる詭弁であるし、君のご機嫌をうかがうために症状を悪化させるための幽閉を執り行い、虜にされた少女たちを磔にする大人たちの道楽から、淘汰されるだけの感情は、今に瀰漫する不安を解消するために生み出される金銭へと変わるだけの過去を消費するために支払われるだけの慈善的な悠遠に広がる疲憊するだけの現在に体現されるものなどは、物語に軋轢を与え、そこで衝突を続ける互いがぶつかり合う連続性の運動から、延々と取り外されるだけの忘我に至る感情に損なうだけの自堕落な日々にペシミズムに至り、痛みを抱える身体に位置づけるだけの価値から、懐疑的な日常に情愛を求め、理想を供給するほどに、ここで数理をまとい、保たれる均衡などは、ここに意志を持たずに、離れるだけの偽善的な影を背負い、挿入されるだけのファルス的なものから、物陰に隠れる高圧的な履歴から逃げ惑う保身が、貧するだけの状態に揺らぐだけの環境的な汚染や、そこで戦乱を生み出すだけの同化を終え、こじらせ続ける痛みから、こしらえられる痛みに孤独が寄りかかり、過信を用い、懐疑的な日常の飛沫を浴び、あいまいな季節の風刺をたずさえ、俗世に伝う物事などは、記憶をむさぼるだけの餓鬼が生み出すだけの情操でしかなく、ここで少々のギミックを説き明かしても、その場で生まれることごとくは、何かの意思をたずさえる以前に、何かを持たされることにより、ここに寄りかかるものなどは、何かを生み出した何かが、何かを踏み台にすべく、意思を奪い、同調するだけに至らせるような物事との統合を目指すためだけに正常を謳い、そこで差異を生み出す限りに、相似するほどに本質とは、互いをとがめ、意味に枷を嵌め、世界を奪うだけに至るような怠惰な法を作り、互いを恨むだけに至らせ、いぶかる先に真実も毒々しいものに変わり、中身もないままで良いのに、何かを詰め込まれる限りに偏るのが、形有るものの哀れであるし、何かを否定するほどに偏り続ける精神は、清潔感を失い、そこでないがしろにする意味に背反し、はびこる悪意を加速させ、意思を拘束させるほどに、そこで生み出されるものだけを惰性に支配することこそが、正しいものに導くというような見くびりから、ここでびくつく心情は、いくつもの恐怖に震え、そこで解消される不安のためだけに自らの疲れを癒やし、今をうやむやにするだけのむさぼる快楽だけが、本質へと至らせ、体制にこびへつらい、ここで平衡を保とうとするほどに用いられるものや、持たされるものの意味に気が付き、飢渇するだけの精神は、平静を保とうとするほどに疎ましいものに関わり、懐疑的な日々に卑屈になり、担う意味も、似合うことだけを考え、歓喜へと至り、改心を求めるほどに浪費し、逃避するだけの今に欺瞞を用い、犠牲的な経路を渡り、退廃的な悟性を掲げ、ここで影になるだけの自分を消費し続けるほどに、本質などは消え去り、ここで自らの存在を認識しているようで、何かに操作されているような解離性を掲げ、回避するだけの日々は、解消されない痛みをまとうことを義務だ、と促すようなものが即す意味などは、今に怯えるだけに今に幽閉されるだけに至り、今をいぶかるほどに、何かに飼われ、狩られることを待ち、怯えるだけの者のようで、そこで酔いしれる痛みから、揺動されるだけの事実に嚮導する者の悲劇を背負うことにより、「自らの痛みは加速し」ここで思うことすら、思わせられているだけに至るだけであるし、そこでの苦しみに利用されているだけなのだ。

奥底に滞留するもの


 君たちの飛び立つ姿を見つめ、意味を後にし、旋回する意識が知り得るものなどは、ここに達する間も無く敗残し、記憶の中で垂れ流れる理想などをリロードさせ、リリカルなものすら持たずに、現実におののかせるような枷を嵌めるのが、この世界と名付けられた途端に預けられるような価値が用いるアイロニーだったり、ありのままでは物足りないから、と汚すだけの幼稚さが惰性なものを生み出し、組み込まれる意味へと吐き出されるエゴや、独善的なものを用い、妄想へと至らせるような悲観的な彼女たちの奴隷として、くじけたこころを徒に消費していくだけの価値の機械として生きるのだ、という、この偏向した思想を促すだけの意味の奴隷として、或いは悔悟をため込み、行為に服従することでしか、幼稚な意味を果たせずに、今に孕む意味に破壊されるだけの誠実さが昏倒していき、いくばくかの過程にもとづくエゴだけが拘束するだけの不自由な現在に顕在していくものなどがなぞる因果に不可思議に迫る現時点に固執するだけの概念が彩るだけの過程に用いられるだけの正しさとは、自らを正すことには至らず、何かをゆがませるだけに至り、今を破壊するだけに至らせるような問題提起から、抵抗せずに、その場で朽ち果てる自分を傍観するだけに終えるような無償の時折に織り込まれる必然性から逸脱し、惰性な自分を虜にするような諦観から、そこで離脱するだけの風景を追い続けるだけの乖離した自分との距離感から、課せられる罪を背負うだけの義務に傲慢な者が生み出すファシズムへと復讐するだけの幼稚な企みから、統治を繰り返すことでしか、自らの居場所を提示できないような者どもが促す至福へと荒涼たる以前の要理から放たれるだけの過去からの枯渇から、情報を促すほどに、今は定理にもとづく不満を促し、ここで更迭されるだけの意識の捕囚として、問いを待たずに、意識を後にし、ここに現れるものなどは、定義を持たずに、ここで構築されるものだけを信心するような崇拝へと至るだけの個人的な優劣を持たずに、導かれる善悪に書きかけられるだけの瞬間を一冊の本にし、憎むことでしか、ここで定義づけることでしか、意味を意味として受け入れられない限りに、過ちは加速し、ここで戸惑いを生み出す限りに陰る本質は、互いの理想により窮屈になり、互いを恨むだけに至るような隣人愛から、隣人恐怖へと至り、互いを憎悪するに至るような対立から、退廃的なモジュールを組み込み、ここで形容されるものだけを真実のように取り扱うような傲慢さから、差額を受け取るだけに至るような日々に憎しみは加速し、ここで具現化されるものなどは、形あるだけで、何の意味を含まず、ここで安堵するかのように導くような保身が、報酬を求め、快楽的な余罪を追及し、今に突きぬけていくべき理想も、狂騒に放たれるだけの保身から、崩壊していくだけの精神を傍観するだけの時代錯誤に陥り、自ら適合しようと思うほどに、自らを破壊するだけに至るような欠如を埋めようともがくから苦しみは増していくことに気が付かずに、何かに合わせようとする限りに、そのものとの距離は生まれ、そこで合致するものなどは、同調する限りに互いを苦しめるだけの欠如を生み出すだけに至り、いたわることを忘れ、互いを恨むだけに至るような意味の捕囚として生きることだけに専念する限りに意味から乖離し、ここで用いられる言葉の誤りに気が付かずに、ギミックを用いられ、求められることに現れる代償だけが、愛に似たようなものに似通う限りに征服されるだけの意識をごまかすだけに達する意味から渇するだけの意思は幼稚な企みを続け、枠組みの中でしか活躍できないような人間に育てるためだけの教育が枷になり、担う意味などは重荷に変わり、行いに課せる罪の意識や、今に移植されるだけの意味が生み出す虚偽から、距離感を損なうほどに今に取り残されているという強迫観念に苛まれるほどに不安は膨脹し、どこから来る不安かも分からぬままに、今に対処しきれずに、逃げることを知らぬから、そこで対立し続ける限りに陰る本質は、糧を求めるだけの貪婪なものとして、垂涎し続けるだけに至るのが、人間的であるなどと促すほどに、補填される意味は今を奪うだけに至るだけであるし、ここに用いられる意味とは偽善でしかなくなり、ここに現れる救いとは、君を今に閉じ込め、無意味なものに課せられる罪を背負うだけの義務のために生きることだけが、正解のように導くような定理の中でしか批判に至らぬから、その否定の中での欠如に気付かずに、自ら用いるナショナリズムレイシズムを生み出し、ゆがんだ形を愛することでしか、自らを知り得ないものだ、と嘆くような苦しみから抜けられずに、今に位置づけられることのよろこびしか感じられぬから、その場での取り組みに狂うだけに至らせるような仕組みの中で統合されることだけを目指し、堕落するだけに至るような取り違えから、逃避することを知らぬままに成長し続ける限りに恐怖とは倍増していくわけであるし、許すことをおぼえる以前に、何も感じぬような肯定的な意志が精神を膠着させずに、次々に敷衍させ、普遍的なものがゆがませるアニミズムから、あいまいな毎日に支払われるだけの義務から、空疎なものへと巻き込まれるほどに負担を課せられるだけの境界線が生み出す後悔へと欺瞞を生み出すだけに再会もできずに、ここでデリカシーもなく死に絶えるだけに理想だけが、根治するような現実へと拘束されるだけの苦しみの代償を求めるだけの餓鬼として徘徊する毎日の屍をくらう日々の中での欠乏症へと至るような今に現れる苦しみなどは、幻想でしかなく、そこに現れた苦しみなどは瞬時に濾過され、交換され、この場での果たす意味すら持たずに、居続けることもなく、今に理も残さずに瞬時に消え去るだけである。

警醒

内に孕む自由だけが、本質的な宇宙と総和し、自らにしわ寄せされる背くたびに顛末をあやめる事象は、愛でるべきものも知らずに、自然のままに対処するからこそ、自然であり、そこに現れる即席の自由などは、意味を奪うためだけに、普遍性を持ち出し、生活感の中での玩具として、はたまた機械的にあらがうほどに、人間性とは失われるなどと促すほどに、人間からは懸け離れていき、何もかもを恨むようなルサンチマンを抱え、自らが課す罪が一切の善悪を決めつける間に見つける善悪などは、判断を誤り、自らに弊害を生み出し、平衡を失い、すべてを破壊することだけに専念し、創造が何たるかを知らずに、ただ破壊することだけを続けることが、正義なのだという勘違いを生み出し、ミリタリズムや帝国主義に調教され、自らの独裁者へと導くようなファシズムを加工し、偽物の主義を抱え、ペテンのナショナリズムでもって、芝居を続けるアジテーターとして、意志も持たぬ道楽を続ける。自由とは、不自由さを再認識するために存在するのだ、というペシミズムか逃れ、もう一度、自らが示す自由を確認する。ただ認識し、与えられた答えに反するほどに瀕していく。

世界との対話


 昨日に引きこもる明日は、もう出てくるのは嫌であるし、過ぎ去るほどに、昨日との距離は深まるし、そこに用いられる苦しみだけが増すばかりだ、と吐露し、統合されるだけの正常さが促す精神が持ち出す軽薄な真理などにごまかされずに、自ら生み出すものだけを定理として出迎え、確かなものとは、自らの意志がくみ取るものだけが、正解を生み出し、世界を、確かな世界として認識するの、だ。他者の身体を借りて、自分の外へと旅立つような人形である君は、過去から形容するものから逃れられずに、自らの苦しみが生み出す影に隠れ、借りものの意思に蝕まれた精神は、自らの苦しみを苦しむだけに至る。

 量子と量子、粒子と粒子を擦り合わせ、高揚感をもたらすような行為だけが、愛に似た感覚を孕み、確かな意味をたずさえ、世紀を超え、あらゆる原理を超越する。あらゆる時間によりかかる精神を取り外し、身軽にまたぎ、瞬く時折に歪む誘因やらが、自らを未熟似た制し、たばかる者がうずくまる過程や、定価を決めつけるだけに生じる思いに重力がかかり、自らを矛盾に沈む。佇む思いがシンクロし、優劣を決めつけるだけに想起するものが、物陰に隠れ、記憶を奥底に拡散し、過去は、誰にでも手に取り、自らのものにするだけに動機を攪拌させては、制御されるだけの中途半端な思いを繰り上げ、ゆらぐ関係から軽薄なものを取り替えては、恬淡な生活を繰り返し、自らの軽さだけで途端を超越し、探すだけの論理に蔑まされ、些細な動機が強制するものが、自らを小さくまとめる。宇宙との対立を続け、伝うものが自らとシンクロし、妨げられるだけの思いを超越し続けては、退廃的な理由や、モノローグに重なる黒々とした心や、顔を隠し、憂鬱と対立し続ける君を救うべきものは、自らの純粋な意志だけであるし、それ以外の力は負荷に変わり、自らの自由を求める限りに不自由になる仕組みであるし、不規則な心に降りかかる黒い雨が、自らの精神を虐げ、規律を用い、何かを支配することだけに従事する。君の瞳だけが、有する価値を従えずに、自らの価値のに気がつき、あらゆるろんりをひるがえすであろうし、用いる価値などは、無意味なものに変えるために今を爆砕し、そこにあったものすら、木っ端微塵にする。記憶に従事するものが、果たして本質に行き着き、意味を改定し、自らの意思で突き進むのかどうかを測るような尺度が用いる釈明や、いじらしい解釈などが、今を無意味に改ざんし、自らの意思を喪失し、今をさまようだけに至り、用いる価値が示す出来事などを垂涎し、結ばれる動機も儚く散り、日々に染み入る正しさも、互いをとがめ、足りないものを強請るだけの価値が、過去を今に留め、自らを喪失し続けることが、進むように語られ、自らに補われていく苦しみも、慈しむことを忘れ、自らの正しさを謳うだけに至るようなパニックを迎え、自らに掛ける比重から、欠けていく思いは、絶えず補われ、無機質なものに変換され、自らを変化させているようで自らを苦しめるだけに至るのであり、騙し合い、退廃していき、怠慢なものへと変化し、未熟な自らが固執するものが、あたかも正しいもののように扱われ、自らの正しさを喪失し続けるのであり、今にもたらされる悲劇も、劇的な飛躍を遂げ、互いをなだめては、改ざんされるだけの動機を飛び越え、正しくあろうともせずに、用いられる思いから解き放たれていく。自らのダンジョンをくぐり抜け、明日に支払われなければ、終わるような余韻に誘因され、時折に肥大する思いがお目当のものが見つからずに、今に霞むだけに至るような動機から飛び立ち、忽ちにあふれる思いが相互交流を重ね、偽装された真理を背負い込み、自らの暗さに歪みながら、リズミカルな時を出迎え、ナショナリズムを謳うよりも、今を正し、自らに積載されるものを引き摺り下ろし、あらゆる論理から疎外され、記憶に迫る影を消し去り、さみしい自分や、自由自在な自分を退かせては、弛むだけの感情が堕落する以前に、自らのダイナミズムに行き着き、自らの修羅を超え、今に修繕される思いにときめきながら、肥大する苦悩が理不尽に迫り、狭い価値を押し付ける以前に重要なものに重なる思いが高次に至り、自らの苦しみから解き放たれて行く。自らを解体していく真実をうそぶく真理や、未だに無謬に至らずに、自らを犠牲にすることでしか、自らを飛び越えられずに、生じる思いが平衡を保てずに、導かれる思いを足し引きし、貧寒な思いをたずさえ、自らに迫るジレンマや、戸惑いを与えるだけに至るような堕落から逃れるべく、健気な自分に帰り着く。

 ここに続くものだけが永遠を伝えるわけではなく、身の程を知る必要性もなければ、遠のく苦悩に加速していく思いがひれ伏し、崇めるだけに至るような理想などにほどこされ、堅持するような理由を補足し、拘束されるだけの現時点に居座るだけに至るような心の音程に疎外されるだけの世界から逃げ出す感情が遠ざかる由縁に退きながら、観点を損ない、そこかしこで優劣を決め込むだけに至るような逃走こそが正解であるし、そこでそっぽ向いて逃げ出す君の後ろ姿こそが優美であるし、そこで倦怠感を抱え、かじかむ理由を自覚し、抱える本質から恬淡としたものを持たずに、そこで引きずられるだけに至るようないまを認識する限りに肥満化していく意志は、いまに苦しむことだけに力を加え、一切の苦しみに引きずられるだけの卑近さに密接になり、未熟なままでここで果たされる義務へと空疎な義務感に乖離していく自己が堅持する理由に補足されるだけの悲しみを消費し続けることだけがキャピタリズムの中での自らを措置するだけの道化として、ここで昏倒することだけが、世界を諦観へと至らせ、退廃的なモラルを持ち上げ、ここで静謐さをもたらすこともできずに、行いの中で正されるものだけを本質として捉えることだけが、正解のように扱われることの人形としてうごめき、機械的な精神を食い込まれ、いまに下される理由に措置される苦しみに迎合されるだけの本質は憎しみだけを生み出し、いまに住まいを奪い合い、あいまいな欠如を謳い、事実をゆがませるだけに至り、いぶかる現在に卑屈なものを逍遥させ、ここで徒労を重ね、統合されるだけに至る現在に卑劣なものを生み出し、空疎な自分を折りたたむだけに卑屈さは加速し、いまに苦しむことだけに専念するような戦列に並び、偽装される真実や、真理をうやむやにするだけに至るような現実の履歴が生み出す敵意や、運命論でごまかすだけに時間から逃れられぬ苦しみに連動していくだけの憎しみを加速させ、いまに枷を嵌めることだけが、世界との結ぼれを強いものに変えるのだ、と宣言するような幼稚なリズムから、ヒステリーを生み出し、誰が損得を謳い、ここで持ち上げられるものが枢要なもののように崇めるべきだと促すことに須要なものなどはなく、ここで創成されるものなどは過去からのなれ合いから、経緯や経過を持たず、ここで景観を汚すだけに至るような専横から喧噪が生み出す戦争から、運命をとがめるだけの理想や、リセットされるだけの現在に結ばれるものも、他者を介し、自らを補足するだけの意味を牛耳り、理由を貧寒なものに変え、課せられる理由に屈従することでしか、自らを正せずに、そこで圧される間に忌忌しいものを自ら生み出し、それを恨むことに専念し、自らを捻転させ、転換される痛みや、いまに敷衍する苦しみなどが由縁を損ない、そこで圧迫される限りに自らの危急さに気付かずに、自らの苦しみに屈する。

生を純化させる冒険

 
 生とは、凝縮された死だ。何も逃さぬように、すべてを食べ尽くし、無に変える。あるゆる死とは、生を覆う闇にもなり、生を照らす、まばゆい光にも変わる。死を思うことが、唯一自らを救い、何かの手立てに変わるのであり、そこで生に萎縮するよりも、自らの死を取り込み、昇華させるような純粋な創造性だけが、生死を超えて、今に隔てるものすらなくなり、自らの寛容さだけが、自らを唯一救い出すのであり、意識だけは放浪者として、どこにもとどまらずに、動き回り、逃げ惑うのを恥じることなく、簡単に逃げ出し、自らの意味を突き進む。あらゆる抵抗とは、その場での抵抗ではないの、だ。絶えず死を運ぶ金のための悪魔どもが崇拝する経済などを有利に運ぶための支配的なものが、計画的に生み出され、苛むだけに至る意識や、軽薄なものでごまかすことだけに専念し、ばらまかれる快楽を貪婪に貪ることだけが、清潔である、と言い伝えられているような、捻じ曲げられた真実を信じることだけに尽くすような正義が、独善的なものを生み出し、意思を支配する。すべては、正しくあろうとする限りに詭弁であり、正しくしようとする限りに、すべては歪曲する。滑落する死とは、いまをすぐよみがえらせるための冒険を続けるための死へと滑り込んでいき、自らを超越すべき、自らを死を何度も往復し、ここで反復される死が横柄に死へと束縛させながら、おおらかな生へと昇華していく。そこに現れる苦悩とは、寛容への道を示し、ここから閉め出される意味や、ここで幽閉されるだけの論理に関わるほどに、正解は失われ、いまにむしばまれるだけに至るような退行から、要する価値にカタストロフを生み出し、観点を疎外させるだけに至らせるような死とは違うのであり、そこで相似するだけの理想に神経質になりながら、自らの生を当てこすり、互いをとがめるだけの疎外を生み出すだけの定義上の死とは違うのであり、創造性を持たぬ死は、恐怖ばかりを媒介させ、あらゆる論理を固執し続けるだけに至らせるような訂正から、抵抗を与え続ける限りに、ここで陰るだけに至る本質から、真実はねじ曲げられ、あらゆる行為を整合しながら、混沌へと導くだけの死は、意思を持たずに、何かに促されるままに死へと往復していくだけに至ることに、星が抱えた魂胆を借りた身体を破棄し、ここで旋回する意思は、天体へとめぐる冒険へと勇ましく出かける。デカダンスを用いた死は、観点を疎外し、ここに後悔を用いるだけに至らせるような正義から、犠牲的に観点をむしばむだけの時折から、応じるような要因から、衰亡を重ね、自らを死へと押し込むような倒錯から、錯雑とした観念は、懈怠を抱え、ここで問答を続けるほどにもんもんとしていく。意思をロストし、途端にあふれる感情は相互することなく、意味から放たれ、重力を持たずに、宇宙空間を恒久的にさまよう観念は、倦怠感を抱え、運動的な支配から抜け出せずに、時間の中に巻き込まれていく。肯定的な苦しみだけが、いまをひるがえし、自己を強靱なように見せかけるような超越とは、宗教的な昇華から、疑似的な超越へともたらされ、そこで延々と繰り広げられる演技的な表現から、表出されるものに自らを騙し続ける先に現れる苦しみを厭わずに、いまに現れるものを愛することから、自らを宗教的な昇華に至らせ、あたかも創造性を用い、いまを乗り越えたかのように見せかけるようなものが魔法のように扱われ、いまに現れる苦しみをすぐさま消費して終うような祈りから、逓減していくものや、見せかけのものを体現し続ける限りに、自らは陰ることなく、意味の高尚さへと上り詰め、高次に至るかのように見せかけるような哲学的なひるがえしから、簡単に処理されるだけの言葉を盾にし、何かを裏切り突き破ることだけに専念するような現時点で演じられるだけの苦しみを鬱積させ、自らの経路を騙し続ける限りに陰る本質は、自らの憎しみを消費し、自らまとう身近な意味の正気を保とうとすればするほどに、自らとは擦れ違い、意思を損ない、そこかしこに原理的な憎しみを生み出し、いまを屠るだけに至るような定理から、理屈を捏ねるだけの捏造から、相思相愛などを謳い、しあわせへと導くような行為をひもとくように見せかけるような愛を愛と呼んだことから、人間の過ちは始まったのであり、そこで終わるものばかりにもまれる間に奇跡を生み出すように見せかけるだけの子供だましなものから、永久を捏造し、ここで抵抗を加えずに諦観することだけが、正解に導き、幸福へと至らせるなどと促すことが価値を損なわせ、そこで恨み辛みを重ねるだけに至る。その場で屈服する必要もないだろうし、そこで苦しむような必要性すらなく、そこに有する価値が背負わせる意味が産み付ける意思などが伝える思想などに惑わされることもなく、ここに現れるものを欲したり、捨てたりする必要すらもなく、ここで植え付けられたものなどは、自らを束縛するだけに至り、ここに陥るだけに意味は意思を損ない、そこで戸惑うことだけが、定理のように思わせるだけのギミックから、みちみちていく苦しみを見つけるだけの消費的な毎日に問い続ける悪を捏造し続けるような正義とは、自らを正すことだけに専念するようなよこしまな正義であり、そのような正義を背負わされるほどに、私たちとは、悪に近付くの、だ。そのようなサイクルから抜け出すべく、自らの産み出すものだけが、世界を正解に導くための自らの唯一の手立てとなる。

幻想的な夜


 眠れぬ時折からエクソダスし、無機質に転換され融合するだけの身体と統合され続けるだけの精神と堕落するだけの途端にエゴイズムが加速し、串刺しにされる生命は、自らの予感だけをたよりに、交換され続けるだけの無関心な身体から解放され、惨憺たるものを抱えるだけの舌部に迫る論理を超越するような展開から、課せられる罪を抜けた途端にまばゆい光に包まれ、慎ましやかに悶える瞬間に寄贈される意味だけが、自らの意志に変化し、自らを押し続ける力と化するのであり、そこで利己的に消費するだけの不安に苛む身体から、過去を吸収するだけに惰性に派生する脳内の快楽物質から、悔悟をひしめかせ、倦怠感をあらわにし、浪費するだけの主観から解き放たれ、旅立つ由縁や、そこで爛れる悶える主観からはどめもなくあふれる言葉たちだけが、物事の豊かさを生み出すのであり、そこで見出すべき依存するだけの過去から枯渇するだけの現在に遍在していくだけの意味から放たれ、はびこる悪意を充填するほどに怜悧なものとは損なわれ、そこでないがしろにし、薙ぎ倒されるだけの関係から、経過していくだけのいびつな敬神を数えるだけの堕落した愛から、謀るだけの意味に屈辱を溜め込み、退廃的な互換から正否を求めるだけの矛盾したここからあふれ出る感情などは、誰かに操作され、支えもなく、そこでとがめられ、自らの屈辱に朽ち果て言動を止めずに、そこかしこで限界を迎えるだけの幼稚なこころみや、企みからこころない何かを枷に変え、世界を制することだけに専念するような対象が用いる対立から、対比されるだけの現在に懸隔をもたらし、何かから離れ続けることだけが、ここでの関係を保とうとすがるだけに至るような依存的な捕囚として、そこで縫い付けられるだけの苦しみに厭い続けるほどに補完される軽薄な叙情や、情事にからまる豊かで精悍な現在から生み出される時間から放たれるためだけにためらわずに自らこそが正しいのであり、ここに用いられるものなどは、そこかしこで変換されるためだけに些細な理由を用い、今をとがめるだけに至らせるのであり、ここで軽薄な理想を用い、昏倒させるだけに至るような絶望から、混沌へと陥る精神を救い出すために神は必要ないだろうし、ましてや用いられる神などは、人が人を利用するための利便性を蓄えた神であるし、そこにあったはずの創造性は奪われ、ただ操作されるための傀儡として、指定される義務を追考し続けることだけが、考えに及ぶような行為だ、と宣言するだけの堕落した主観から生み出されるだけの打算的な主体性が正解を求め、視界を狭め、自らを見えなくするだけに至らせるような偏向から生み出されているのが、いま現在用いられている答えであるし、そこで枯渇するだけに至るような遊びを持たずに、そこで有効とされるものだけが、本質に近付き、何かの答えを見出すのである、と裏切るだけに至らせるような転換から、課せられる罪に翻弄され、ここでもたらされる罪の意識から儀式的な限界を用い、関係に用いる愛すらも利用されるだけに至るし、そこで正論を持たせる罪から課せられる意味とは位置的な魑魅魍魎に変わるだけであるし、そこで限界を用いるデータから課せられた意味を背負い続けるだけの義務に移行し、愚行を続け、行動を制御できずに収監される自己を傍観するだけの反抗心から、デリカシーもないから、何かに踊らされることだけを転換と促すような変革などは、そこでの快楽を求めるほどに、魯鈍なものに陥り、踊るほどに自らに補填される快楽を求めるほどに、自らの愚かさに気付かぬような仕組みのような中で退嬰的な航路を進むだけの沈みかけの船がうねりに負けそうで、ここで朽ち果てるのを眺めるだけの亡霊として、俯瞰で無感覚に見つめる幽体離脱している自己を延々と違う自己が俯瞰から眺め続けるような永遠性を踏まえ、そこで用いられる時間とは延々と同じ時間の中で同じサイクルをめぐることだけに専念するのであり、同じような意味を日々は超えられずに、同じような動機の中を這うことしかできずに、眺めるほどに、何もかもは遠くに感じ、離れていくだけに過ぎず、そこで現れるものなどは、過去を何度も再生し、生成される真実も、そこであらがうこともできずに日々に溺れるだけに至るし、やがて果てるだけの身体が落胆して見上げる空からあふれる面影も、精一杯生きたなどと促すような即席の仰ぎなどは、そこで何ら超越を迎えずに、哀感に浸るほどに、悲観するだけに至るような悔恨と遊ぶだけに至り、原理的な主事が用いるだけの言葉の中でしか本質をつかめずに、その場で朽ち果てる刹那を嘆じるだけに終えるような機械的な論理が抵抗を続け、そこで栄光すら見つけられずに、満たされない思いが見果てる意味に敢行するだけの意思がむなしく懐古するだけの思いなどは、そこで思うことすら感じられずに、ただ過去に置いて行かれるだけであり、自らの強靱さに気付かずに、機械的に支払われる汚穢を背負い込むだけに至るようなサイクルの中で欺瞞を生み出し、阻まれ狭まれる感覚は価値の獲物として食されるだけに至り、即席の自由にたよるほどに、互いをとがめるだけの理想を伝え、ここに企てられるものの惰性さに制裁を加えることだけに転換していく思いは、その場に置いて行かれ、価値観の家畜として、或いは自らを修正することだけに専念するような偽善者として、互いを同情し、そこにあるはずの死から逃れるために誰かをとがめるだけに至るような嫉妬が展開していく意味に滅ぶだけに終える。