昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

夏と宇宙の距離を埋める熱帯魚

夏は君をどこまで大人にするのか? はためく喧噪も理論を忘れ、超絶する紅蓮の本能も、納期される金銭により、孤独を麻痺させ、尾を巻き込む黒猫もどこか憂鬱で、どこ吹く風と行き着く先は、響くだけの苦悩をむさぼるカラスがむせび泣く大地で理想を追求するほどに、意味に縫合されず、ただ駄作な思春期に取り除かれる可憐な我が子も、孤独を扇ぐだけに洗脳され、専横を極める君は汚いイデオロギーを吸い込むながら、まどろむ思惟に虐げられ、空想の世界へと飛び立つジレンマや、飛び立つ解放感に夏も思想を失い、ただ短絡的な快楽を覚え、まがい物の夏にちりばめる理想や、リリカルに相似していく熱情する君との過程に降り注ぐ虫の声も、コードネームに変わり、混同する意識がストロベリーに変わり、パフェみたいな雲にかけては、心情を失い、無い神に祈りを捧げるよりも、有る現在に備えるべき理由も、教わるほどに贋物みたいだし、戦い続ける理想はけちくさいムードに砕けて理論を海に帰す辺りからちんけな独裁が始まるんだね、と楕円形の星や、銀河に消え去る夏の熱病や無神経な恋に基づく資本的な道理などがうるさい憤怒が眠りにつくまでの悲劇を抱えるシンデレラや、互い違いに食い込む恋のかけらを集めるストーリーと蜻蛉散り行く星の理想などが、早熟な観念を打ち出し、カント的な観念論から変幻自在な独房へと収監される哲学的牢獄とアニミズムの悲劇から、時間を突き抜けるほどのスピードでドラマチックに現在を旅行するように描くのが詩であるし、また浪費する人生など、と促す世界的結晶をつまらないもので壊すほど残酷なものは無い、と気配すら血合いし、空虚な身体に埋めるべき理想も、統合されるだけの軽薄さに、精神的な聖戦を繰り返し、自ら促す清適な日々に、自虐的な敵意などは不必要であるし、超克すべきあ、ここにあるし、フィーリングも因果応報にドメスティックに支配され、芝居じみた意味に連動していくだけに絶やさぬ情熱だけで描き続ける意味と渾然一体と、なり誰とも一体感を謳わず、我は我のままであるべく、相対的な同一から悲劇との敵意から、テクノが促される鼓膜の奥でコマ送りの走馬燈を傍観するような定理などを排除した概念から発芽する夏も緻密な意味を失い、宇宙で羽化し調和する言葉なども、この孤独に勝るものはないし、何の相続も無く、暗くもひずむ辺りから、一切は意味を持たずに、ただありのままを想定するだけに駆け巡る脳内の純度だけが、重低音と混ざり合い、たどるままに、このままとは、どこにでも備わるままをこころのままに補わず、ただ浸透する意味にはき出される気持ちを、はき出されるままを愛する苦痛にまとわりつく因果すら心地よいものだ、しこの物語に虐げられるだけに連動する苦悩などは、能動的な孤独に宿る真理を知らず、ただ行動的な道理に奪われるだけの行動を避けるほどに横暴に混ざり合う過程に夏は治外法権化し、詩的なエゴを重ね、バイタルサインを失い、サインインし、再インストールする裏返る苦悩から、空洞化していく道化的な理論から壮絶な理想を食い込ませるだけに致命傷に変わり、輪唱する現在も定期的な境地に虚像を用い、誰をも騙すだけに長ける長い夏が夜の歌と混ざり合い、瞬く間に捌けていく。「理想論が雰囲気に混ざり合い、夜は歯止めも無く夜で有ることをエモーショナルに伝え、伝える限りに現れる叙情的な心情から踏破していく端端にエゴすらも消え去り、ただもだえる限りに現れる夜であるという事実だけに卒倒していく。」限りある時間は油然と湧く面影も鈍磨さにおぼれながら、催されるエモーションに支配され、道理を失い、ただ食い込む夜を仰いでいる。君は夏が青で、夜も青だ、と促すことを朝焼けにこぼし、濁る瞬間の清濁併せのむ青春のカタストロフからロストしていく心情は真実の鉄格子の中でナンバリングにされ、査定されるだけの恋に愛は無いことを知る。資本主義的な恋愛のおかげで価値が愛に変わったことに対する憎悪からルサンチマンを抱え、やがて醜いルサンチマンは、ただ自らのペシミズムを抑圧すべく、ただ破壊的なニヒリズムに陥ると定義的な展開は、性悪説を恨むほどに、このルサンチマンという奴は夏に抵抗を加え、夜を破壊すべく、バビロンに憎悪をこぼし、誰彼かまわず恨むだけに至るブランドとプラントが交わる卑猥さに惑溺する精神が気配をかき消し、ただ生み出されるテクノロジーの猥雑さに惑乱していく。「ただありのままの姿を、とブラフマンは不具合を抱え、炎天下の下で待ちわびる夏にちりばめる清純さだけで、純度を保ち、平静をも保つ。」自然な会話は、惑乱する悲哀に導かれず、夏に昇華し、創造的な母乳を飲み、成長するに至り、私たちはあたかも不公平だ、と促す限りにちょこざいな思いを今に敷衍し、変化を求める夏の革命家は、物事の本質にアクセスしている。「誰かを従えるだけの権力が横行するのだ、と促すペシミストたちの滅びの倒錯から、観点を奪い合うだけの煉獄との闘争へと淘汰の小唄が入り交じる世界観に労働と追憶がペシミズムを誘い、永遠性の真理を用いず、ただ錯乱するだけに土地を奪い合う戦争から、明晰な判断を失い監視的な社会から、主義主張は思想を用い、統合するためだけの正常と異常の間で成就する観念とは、関係を用い、誰かを支配に至るだけに終える。」この生きるという煉獄から出るべく歴史的な排斥を終え、ねつ造される真理に反し、関する理由から吸い込む清純で静謐な風から受け取る感覚だけが、この確かな夏を案にできるのだ、と案外簡単に処理されるべき現在に点在する自分と理由を点と線で結ぶから、知を失い、ただ欲に生きるだけなのだよ、と儒家的な精神で栄進する現在も、差別的に至るならば、その視点とは、現時点を用いプリミティブな箴言を今に放つだけでは、このリリカルな心情を詩的に変えられず、ただ指摘するだけの文字はレトリックを抱えるだけのビジネスライクな退屈な言葉を今に置き換えはき出すだけに至る本質などに真実は無く、ほとんど虚偽だね、と願う意味すら欺瞞な祈りを抱え、加算される動機すら、支える者も無く左遷されるだけに至る気持ちにグルーヴが無いから、偶像崇拝に陥り、現実を否定し、夏のスカイブルーに帰還すべき今すらも廃れるだけにすなどられ、ただ価値を押しつけられるだけに堅持する理由に誇示するだけの理屈からはびこる悪意がセンテンスを汚すのであり、デカダンな街並みが排除を謳い、誰かを欺瞞で染め上げるだけの扇動から、戦争や、政党を選び、アナーキーに至らぬから、マジョリティーが謳う支配から、気配を奪われ、察知すべき危険すら、皆で渡れば怖くない的な敵意から適宜は謳われるだけの扇動により最もな退廃を生み、誰もが選ぶ意味をはき違え、ただ不満ばかりをため込み、誰かを蹴落とし、陥らせるためだけに選ぶ意味などから破壊的な情事は、習慣的な欲望に備わる嫌疑から、演技的な全域から前議的な跛行し、飽き足らぬ欲望は、横なりにならず、ただ浸食し、媒介しては、何もかもを奪うべくストーキングし、憑依し、とりころすまでに統合させよう、と貧寒で幼稚な理屈をはき出すフェチズムの彼方で、加工された義務が横行し、横暴な理屈で消費されるだけの関係の資本的な動機から、冷然たる予感も、消費される過去からここを枢要なものに変えるように仕向ける作られた価値たるものに気がつかぬから、飢餓するだけに至るような世界の切片に塗りたくる愛憎から漏れる意味すら廃れるだけの理由に理想を突きつけ、倦厭するだけに至る情念などに情景は廃れ、過去はどこと、探す限りの影を追いかける価値から過程は奪われ、加勢する動機は、武装蜂起しては、躍起する気持ちに自棄を送り込み、ただ破壊に至るだけの幼い動機とは売買されるだけの関係に理想を用い、自由で支配し、牽引される権力との闘争のようで、実は権力闘争の内部で、権力を用いられ、支配されるに至るように仕向けられる暴力的なことこそ、権力で堕落するのであり、誰もが闘争に淘汰され、問いただすべき現在に正されずに、ただただれるだけに至る誰かしらの傲慢が敷衍し、普遍的な情事を破壊しよう、ともくろむだけのバビロンが謳う健全などは、革命を抑止し、誰もがすがり従うことこそが幸せなのだ、と謳われる幸福などは、論理を持たず、ただ表面的な金銭こそが、最もな価値を用い、いちばんの幸せなのだ、と促すだけの幻想から、消費されるものとは、この豊かな精神であるのだ、と促す自由と自然との対話をもくろみ、誰かを支配するようなこの言葉にも欺瞞はつまり、ただ自らの不満や欺瞞を誰かに背負わせるだけに至り、堅持する理由などは、誇示するだけに至り、剣呑な事実は、ただ消費されることに観念を送り、事実無根な罪を他人に背負わせるべく嘘を誰かに背負わせ、それで攻め入ることに置かれる始まりの人間こそを探しだし、その者こそを問いただすべく、後から当てこするだけの法こそが姑息で卑賤な価値を守るためだけに摩耗する現在に押しつけられることの正しさなどに、何ら正しさも無く、ただ既得権を守ることだけに置かれる権利などに、何の正しさすらも無いことに一度は気がつくべきである。不正とは、後から与えられ、今に膿を用い、すべてを汚すだけに至り、腐敗させ、疲憊させるだけに至るの、だ。夏とは、こういった一体感を持たぬ群像にとろけ吐血するほどに考え込む辺りから、無駄な理屈をはき出す超越から、先制していく限りに蝉蛻するのであり、端的な暴力は支配するだけの世界など、と批判する辺りから欺瞞は生まれ、己の不満で世界を支配するだけに至らせる自らを提示するだけの存在などに損得を用い、高徳を謳い、端的な理由の短観で傍観するだけ理屈が横溢しては、端正なものを謳う限りに陰るのが、この命という仕組みである。