昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。


消費され続ける我々に万歳三唱を、とうながすような木偶の坊や、末期的に狂った理想をうながす、理想主義的な者が、前も見ずに、過去を引き合いにし、今を苦しめるためだけに、絶えず否定を続ける夜には、耳を塞ぎ、自らの静寂に帰るべきだ、まる

制するもの


 純粋な憑依を終え、窮乏し、対立し続ける関係性に築かれる苦しみなどを分裂させ、些細な動機を繰り出すだけの日々に悲観しながら、悲痛な面持ちを伝えるだけの原理的な苦しみに理不尽さをかかえ、緩慢に作用する動機が卑劣なものをたずさえ、散漫な意識に興奮を伝えるだけの永劫が狭い、本能をくすぐるだけにいたるような道理をさまよい、強要されるだけの思いは、今に定めを用い、心理を隠逸させ、淫雨に濡れ、あがなうほどに、労るような仕組みを生み出すだけの連中が示す差異などが試練を与え、ジレンマを用い、今に苦しめるだけにいたらせる。苦しみとは、何かに持ち出され、与えられることにより、苦しむことを連動させ、自らに苦しみを感化させ、苦しみだけを感じるように示すような貪婪な自らを育てる惰性さに制され、今に黙するものが示す間に自己顕示欲を加速させ、現時点に迫る苦しみにいざなわれるだけの形有るものとして強請られる過程に自律神経も狂いだし、比率を求めるだけの倦怠感をかかえる母どもに弔われ、偉大な父を建設した権力が生み出した苦しみに命題を与えられ、自らを苦しめることだけに呼吸することすらも忘れ、息苦しい世界を世界として認識するように示すような自己を乗り越えられぬ限りは、与えられた世界で苦しむことだけに専念し、そこに与えられる影響にあてがわれる苦しみを何度も連動させることだけに旋律をおび、自らの欠乏を埋めるだけの結合から、結束も固く、今にまとわりつく永劫も、時間を引きずるだけにいたり、自らを巻き込みながら、時間の中で束縛するだけにいたらせるような痛みを反射させながら、はびこる悪意を受理するだけの便利な身体として、便宜的に示す辺りに当たり散らす子供のように閉め出される恐怖から逃げ出すためにだだをこね、捻転する意識は、再会することなく、自らに現れる苦しみを理不尽に繰り返しながら、起動する痛みに共謀しては、短絡的な痛みに交通していくものが、矛盾をはらませ、時間の中で阻めるだけにいたるような宇宙から逸脱できずに、今にめぐる日々に偶像を重ね、枢要なものを謳いながら、はばまれる今に義務化される苦しみを連動させ、連想するものに相似していくほどに魯鈍なものをかかえ、加算される痛みが排斥するために今に闘争をむかえ、無からあふれる痛みが轟轟とうなり、なりかわる今に現れる痛みを超克するための自分を何度も生み出しながら、今にはばまれる苦しみと競合しながら、与えられた神を超えるために、ためらわずに、与えられた原理を越えるような高次にいたるまでの距離に表れる定義とは、神が生み出したものではなく、人が生み出した神により、今を操作するための疑問を授ける間に生まれる愚問に過ぎないことを何度も反芻し続けた罰により、正解すらも持たぬような獣として原理の中をさまよう暴力性をたくわえただけの人間として命名された辺りから、何もかもを破壊するための破壊を生み出すような人間として惰性に吐き出される現実世界を破壊するための干渉が迫り、狭い価値の中であらがうことでしか、自らを正当化できないようなデータ化され、管理下に置かれた人間としてあいまいな毎日にマインドコントロールされる限りに陰らぬ精神は、厭う限りに陰る先々で退廃的なものをかかげ、完全性を謳うほどに惰性な意思が生み出す今に刺し違える意味から、今に労ることも忘れ、寂れる先にさび付くだけの感情は猥雑なものをかかげ、自らを堕落させることだけに専念するような間から故郷を失い、さまよう限りに陰る本質は、何かに関わるほどに高まることもなく、愚かなままに拘泥し続ける先にストーリーを失い、今に混濁し、根幹も鎖でしばられ、がんじがらめになる先々で低劣なものをかかげ、かさばる思いに対抗していくものが、対立を重ね、懐疑的な日常の地上戦をむかえ、すべてを破壊し、辺りの原形もとどめぬほどの破壊におどけていく精神の幼児性を加速させるような独裁的なコードが行動を抑止し、操作される限りに人間とは自由であることを感じるのであり、そこであいまいに急かされることにより、能動的に動いているかのように感じるように麻痺させるような感覚器官を操作するような情報的な快楽が脳内でこびりつき、応じるほどに増していく快楽は何かを感じているフリをしながら、自らの証拠すら残さずに、与えられる影響により、快楽も増し、自らを騙すことだけが、今に確かなものを設立させ、今の痛みをごまかしながら、自らを騙すことだけが、今におちいる痛みから解除され、今におとずれる恐怖にも麻痺し、愚鈍なままに死を傍観するような自らを傍観し続けるような管理下の中でしか、自らを生かせずに、そこで徒労を重ねるほどに、自らから察知できずに、自ら働きかけるものすらなくなり、長い隷従から、くたびれた身体を引きずる先で併走する意識は、罪悪感を重ねるばかりで、自らの罪に屈し、空白を埋めるためのアクセスを重ね、そこで怖じ気付くほどに、魯鈍なままで今を終えていく義務に専念し、終わらせるための業務から、空疎なものを引き出すだけの苦しみを引き出し、今に空虚感を重ねていき、今に逸脱できずに、出来合のものを真実として崇め、現れる苦しみや、今にあらがう先々で対立を続け、つたない意識は、汚いものをかかげながら、流れる先々で軽薄なものを重ねては、自らをおとしいれるだけにいたらせるような倒錯を続ける。

愛を持たされる前の愛


 軽減されない痛みを吐き出す幼稚な企みから、血筋をうながし、自らの平衡を捏ねるだけの等差から、錯雑とした意識が背く果てに生み出される経路などを歩くことで、自らの満足をうながすような退屈な休日に閉め出され、惰性に生きることで、退嬰的な者や、体系的な者に変化し、自らをモニュメントに変え、自らが生み出す閉塞的な観念が還元するニヒリズムがすべての支配を試みる辺りから、すがるだけにいたる浅薄な者が示す差異から、論理は型崩れし、カタトニーにいたり、自らを拘束することでしか、しあわせを見つけられぬような保身から、そこで方針とされるものに行動を制御され、意思を損ないながら、果敢に挑むことも忘れ、居心地の悪い心身をかかえながら、掻き乱されるいっしゅんは、そこでの永遠性にのけものにされ、自らを獣に変えるか、はたまた生きたままに形骸化するようなゾンビや幽霊と化する間にごまかされる心情は、いっさいの罪は生きて支払う義務があるのだ、と言い放つ独善的な連中が示す差異などは、用いられる善悪に専横された主義に偏るだけのあいまいな人間性を人間的に消費するような悪魔であるし、悪意に底が無いから、善意を押しだし、うそぶく限りに熱情し続ける今に加速する欲望は重要性を謳うことにより、精神は敬神にいたり、掻き乱された精神は、いぶかることも忘れ、煩わしさにより、何かを崇拝することでしか、自らの生を認識できぬような哀れに気付かずに、そこに現れるものに背反できずに、あてがわれるいっさいに補充されるものを愛しているかのように示す間に傲慢なものを加速させ、そこで着せられる罪を着込んだ信仰心などが、いっさいを法により検知し、完治するまでそこで拘束される精神は、自らの自由を強調するあまりに不自由になるという原理をかかえ、原罪が示す宿命も、そこで饗宴を続け、高まる思いは、恋路を歩み、そこで危ぶまれるものや、はばむものを越えて、凍えた精神に退廃的なモジュールを生み出し、はばまれるほどに燃えさかる思いは、自らを燃やし尽くし、足りない愛を補填するためだけに定めや、そこに用いられる愛に退廃しながら、互いをとがめるだけの理想を肥やしに、行為は、恋を率い、自らの苦しみを加速させ、そこで課せられる痛みを越え、そこでの苦悩を飛び越えるような容易な企みから、互いを破壊するまでにいたるような行為への同意を求め、天をも引き裂き、宇宙の調和をも壊すような互いの思いは、体外に果て、そこで用いられた愛は、互いの平衡を壊すためだけに存在するかのように存在を定義し、定理に変える辺りから、用いられる背反が生み出す定理が照り返しを生み、何も見えなくし、安易な発想から、今を透徹できずに、意味をせき止め、今に生み出される苦しみから抜け出せずに、惰性に示され、退嬰的なものに変化し、過信を生み出し、乖離していく実情から、常用されるものに依存していくだけが、試験的な愛にごまかされ、詩的に築くのが、愛であるのに、その場に用いられる現実的な作用に毒され、そそくさと逃げ出すだけにいたるような愛などは、その場での儀式に屈従し、意識的な死を迎えるような婚姻により、自らを幽霊に変え、そこで求めることも辞め、用いられる自由にアレルギーをかかえながら、掻き乱されるいっさいは、今にはばまれるほどに、自らを恨むように作用し、ここで更迭される意識は、嗄声をうながし、自らを探してほしいとうながすほどに、孤独は増していくし、そこで求めるものなどは、孤独感を増していかせるだけだし、そこで生かされるだけにいたるような思いなどは、そこでの愛を捨て、物事に屈従することが、愛のように思い込ませる間にしあわせも逃げ出し、そこでの自由とは利用するための器用な言葉に変わり、何かを利用するための自由などは、自由の中で不自由であり、用いられる自由などは、今を自由になどはさせずに、用いられるしあわせも、しあわせだ、と思い込むことにより、自らをしあわせなように認識するように麻痺させるようなコードを生み出すような情報を信じ込むような信心から、深閑とした意思を持たずに、喧噪の中で謙遜するような者が正常であるのだ、という詐欺的で独善的な愛が示す独占欲から、動向を奪われ、用いられる道理に盛り込まれる意味に支配されることで、自らの満足を生み出すような慢性的な痛みに感染していく今に達する苦しみが膿に変わり、自らにたまる汚穢を昇華できずに、そこでまじわる動機が生み出す恨みだけを吸収し、何かを嫉妬し、自らを苦しめるだけにいたるような方針と、そこで生み出される保身に作用していく思想などは、そこで偏執するだけにいたるような理想をかかえ、自らを膠着させ、固着するほどに、自らの憎悪を加速させ、そこに生み出される苦しみに作用する意味を膨脹させ、何かを恨むことでしか成立しないような愛だけが、愛だ、と語られ続けた数千年の義務から逃れるような詩的な粒子に乗り、背反し続ける先に現れるものが、愛すらも騙らずに、そこに現れるものに自然性すらも求めずに、ここに現れるものを現れるものとして認識し、定理とされるものからも抗い、そこに転じて行く意味に逸脱し続ける限りに、自らすらも分離しながら、分断される限りに、境域すらも捨てる。

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。

ここにとどまるわけにもいかないから、いけすかないが、進むしかなく、そこで敷かれたレールや、そこで貼られるレッテルなどに疎外させられても尚、進む意志だけが、すぐさま過去をひるがえし、次々に襲う今と対峙する、まる

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。

背き続ける意志は、俯瞰で見ることを忘れ、直視するほどに汚され、そこで形骸化するだけにいたるような今にひたり、悲観し続けるだけにいたり、自らいたわることを忘れ、求める愛へと引きずられ、今に悲しむだけにいたる、まる