昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

完全な逃避行


 物事の終わりに織り込まれる終末の鐘、銀河にとろけるメロディーの中で吐露するエモーションも燃え尽き、問答する間にもだえる月日も、時間の面影でこみ上げる因果に規制され、抑圧される間にたむろする制限や、静謐によがる瞬間的なものからの自立や、十全としていく今に埋め込まれ暗示するものや、悲しげに消え去る些細な出来事の顛末に現れ、迎合されるものがあたかも普遍的なもののように語られる隙間にみじめさを溜め込むだけの時系列などが、堕落するためにためらいを生み出すような主観的な整合を終え、現前に猛るものが、今を押しこめ、超え出ることもしないで、いじらしくもだえるだけの永劫から放たれ、連動するものなどは、時間に従属するだけで、継続されるものの虜として、継続されるものの中で契約されることだけが、ここでの約束を果たし、義務的にとがめられるだけの事実から離れられずに、過去に囚われるだけのこの身などは、瞬間的な意味すらもつかめずに、つたない今を計測することで存在を確信し、確認しては、散漫な現実に巻き込まれ、毎日を散漫に計測しながら、継続するものの利己的な支配を受け入れ、形成される意味の中での緻密さを見ないで、漠然とした意味をつかもうとすることだけに必死になりながら、担う意味などが瞬間にこじれては、掌握するもののちいささや、蓄積されるものが能動的ではなく、ただ儚く募るものなどの経路を喪失させるための退廃的な呪詛や、樹立するものの硬質さを保てずに、ただ現れるものの軟弱さに折り重なるものや、充溢するもののたよりなさだけが目につき、目障りなものばかりが増えて、得るものの確かさすらも知ろうともせずに、証拠に残すことばかりを求めるような相続や、全体主義的な衆愚として、カタストロフを謳い、ロストする瞬間にロジカルに巻き込まれる主観が謳うカタルシスや、改善されずに、善悪を謳うだけの隙間から、長じる所以などが、生じるもののおそろしさを伝達するほどに要らぬ恐怖が伝染しては、惨憺たるものを想像し、暗く沈むだけの耽美さに浸るような暗鬱として詩的なリズムに帰巣するだけの実体などが、擁護されるための時間の中で磔にされ、偽物の神を崇めることにより、興じる所以に矜恃を保つだけの堕落した感性だけが、確かさという足枷を生まれた途端に嵌め、ナンバリングされた生命が、偶像崇拝を続けては、記号化した夜明けに鳴き続ける烏合の衆が運命論的にカスタムされ、なよなよした精神で夜泣きを続け、ここに生まれ落ちた悲劇や、貧寒な歴史に鎮座し、目的を失い、相似するだけの運命に引き合いに出されるための正しさの奴隷として、聡明な時折に応じるだけの所以で孤立していくためのためらいを絶えず生み出し、延々と演技を続けるだけの互いの理想との食い違いから屈折していく永遠性から、生命の根源をも焦がすような業火や、傲岸不遜な者が交換し続ける先に使命感すらも徒労に終わり、浪費しては、逃避することを知らずに、証明されるものだけを真実として捉えた途端に入り交じるひとときとは、強固なものに変わり、そこで証明や証言を求めるよりも強固な現実の確かさを認識しようとする愚かさを敷衍させ、憤懣にふるえるだけの民は、民族的なものや、宗教的なものを用いるほどにいやされない孤独を増やしていくだけであり、堕落し、退廃するだけの闇夜で快活さを失い、ロジックをさまよいながら、うろたえる日々です、と統制されるだけの日々の悲母として、腐敗していく街の綸言に支配されるだけの人々の住まう墓地を徘徊する狼として、使命感に退歩していくだけの支配的な受理を続け、つたない心情を踏破できずに、さまよう幼稚な策略から、深淵で荒む暗闇を食べて肥満する者どもの理屈を長じるためだけに受け取る情報こそ、いちばんの汚穢である、と宣言し、軽率なことばで締めくくるために、この後に重ねる動機などに追い込まれては、過ぎ去るだけの日々を打算的に重ね、参画するものを拡散し、加算されるためだけに生きるような習わしや、内観で馳せるものが、外の世界を打ち砕き、惰性でみちびかれるよりも深い場所で負荷をかけ、改善されるよりも、そこでの善を謳うよりも、前衛的に吹雪く瞬間に反し、かさばるだけの思いが突き放す間に生まれる知己と共に、陶然と現れ、今を押し流すようなことどもにカタルシスを求めるよりも、必ず襲いかかる死にふるえるよりも、強靱な足取りは、さらなる神秘を宿し、今に捕まらずに、今を思わずにわずらわしく作動するものに反し、我が侭に逃避する。

詩的な風の一定したリズム


 詩的なものの関係性や、制度に付着する依存的な支配と、面影を簡素にたずさえる風の感じ方や、課せられた意味と罪との関連性に連動していくい意識的な不和から、神経は傾倒を繰り返し、利己的な不純さをまといながら、リリカルに真実を商法にまきこみ、不純な制度で包んでいく母的な実体を加工した井蛙な帰結から、聖母崇拝的な宇宙とシンクロし、森厳にひそむ空気感との入り交じる恐怖との供犠や、一体化を終え、永遠性にふくまれるイドや、運命論的なうねりの中でカスタムされた心情が走り去り、惨憺たる余韻や、日輪にもだえる封鎖された感情をも開くのが詩的なものの役目であり、役割を配され、今に屈従するよりも、従属することで、そこでの苦しみを復古させるためのエゴから、延々と引きずる実体の重みに耐えきれずに、存在自体を抹消し、今を繰り上げて苦しみを消費するためのモラルがためらいを生み、垂れ籠めるものが事実を消費しながら、かき消される思いが逍遥を続け、つたない思いが信仰心を仰ぎながら、青々とした春の梢に起床する鳥たちの希望が聞こえ、軌道修正をほどこされる以前に、自ら選んだものだけが、ランダムに消費されるための流行的なものを敵視し、敵愾心を燃やすためのルサンチマンのラメをぬられた季節的な化粧が警鐘をうながすような骸どものダンスに参加せずに、実体もなくうながされるものなどのどれもはでたらめなものであり、そこで謳われるものに参加し、散漫な儀式に参加し、最愛な者を傷つける者を何故信用できるのか?とうながしても、噂の中では、兵器的に持ち上げられたことばを武器にすることで、正当性を謳うような暴力の住処で強くなった気になるような危険性を含んだ破滅的なコードを大量生産するようなシステマチックな街で、慢性的な病を復古させるためのメタファーが流動し、隆盛していくものなどが引きずられ、卑近な者がファシズムを利用し、理知を謳うころには、ことばは、ここに距離を生むだけだろうし、浪費していくための互いの理想などに離床する日々に貧寒なものばかりが出現し、今を苦しめるための酩酊から、地を這う原理に羽交い締めにされ、今にいじめられ、いじけるだけの欺瞞から、犠牲的なものを敷衍する意思的な汚穢から、終わりを謳うだけの悲劇的な住まいでこつこつとためこまれた恨み辛みを馳せるための追憶こそ破壊すべく、すべては、スペックで決まったとしてもだ、ただ単に測られるものとして与えられた単位に過ぎず、そこで測られるものなどのどれもは、空疎なものであるし、もたらされた意味の中でしか機能しないものなどは、持たされた意味の中で測ることでしか、自らの価値を見出せないものの空しさを知る事もできずに、今にすたれるだけだし、今に疲れるだけだろう、とうながす詩的な立憲すらも不必要だし、敷衍する意識的な犠牲を企てるような信仰的な受理すらも不潔であるし、あらゆる意味を悟るほどに諭すような思いが空間を攻め入り、制限を生み出すだけだし、堕落しても尚、フラクタルであろうとすることから、互いをなぎ倒すための闘争を生み出すし、ただ惰性に生み出される打算的な主義が参画するもののほとんどは、何かをおとしいれるための罪を利用し、今をたしなめ、互いを犠牲にするために抑え付けるようなことばを利用し、理性を謳いながら、何かをおとしいれるための罪を利用し、理性を奪うためだけに謳われるものを真実として崇めるべきだ、と遅延を生み出すための知を利用しながら、しなびた価値の家畜として、虐げられるほどに与えられた餌の量すらわからずに貪婪に食い散らす間に駆逐され、畜殺され続けることが、愛だ、と謳うような体制から、怠惰なものを生み出すだけの頼り無い反抗から、大概のものの配下として、与えられたものの意味すらもわからずにさまようほうが、関わることにより、与えられ、保つべきだ、とそそのかされるものだけの権利を叫ぶよりは増しから、と加算される原理が理想をゲリラ的に破壊するような抵抗性を謳うような革命史的な毒性を含ませるよりも、そこで利用されるために純粋さを謳うような受難をも超越し、ただ自然をも謳わずに、自由にすら反抗するようなアイドルや、あいまいな帰結に風化していくような存在をも超克するような不自然な者であるべく、利用されるような理知をねじふせ、憤懣を謳うようなニヒリストをも蹴散らし、ただ一貫した主義をも超えた辺りで踊り明かす。

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。


強迫的なものが、還元する井蛙な所以や、色素を失い、真っ白な悠遠にからまる月日を手懐け、そこかしこに現れる所以を健気に結い綴る、まる

虚飾

陰鬱な焦土や、
約束をつまびく風や、
仰仰しくむさぼる
仮面をかぶった鳥や、
太古からたなびかれる
瞬間に支払うための税や、
たくさんの刺激を終焉に
巻き込むための
憂鬱を引き裂くような
余韻から現れる光景。

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。


時間は一斉にまどろんで、いっさいは愛でしかなく、そこに重なる思いは、確かさを足かせに変え、法や罪の意識により、自らの正しさを見つけられずに、与えられた義務により、犠牲的な精神は絶えず今に規制される、まる