消失していく怠惰な身体を使い果たす。歯切れの悪い言葉が、場面に膠着し、宿す意味すら不安定に揺れる。適齢期などを促す愚鈍な愚衆が復讐を宿し、理念を謳う頃には、傍観するだけの真理は、災いをもたらし、君の情念を奪うだけにゆだねる形に興じる言葉が、君の不安を敷衍させ、普遍的なカタルシスを謳い、服従し、屈従する事こそが、この複製されるだけの普遍性の暗鬱さに消費される生産的な義務である、と促す限りに、この生命は、生命のしての義務を喪失し、証拠も残さずに群像にとろけ、浪費される現在にのろけるだけに懸隔がもたらされ、用いられる言葉に支配されるだけに生きた証明などを求め、権利などを謳う頃には、屈折した支配は、用いられる事を選りすぐり、償いなどを求め、用いられる罪に支配されるだけに自らに罰を重ねる。重ねた愛憎から支配は行動を膠着させ、疑念を祓うために捏造される神が査定する支配から心底狂わされるだけに裂ける胸裏に垂れる現実が、固執する現在に慢性的な闇と病を孕ませ、蔓延る悪意を熱情させ続ける。つたない精神は静修されずに、競争的に契られる物事に軋轢を重ね、荷担する義務から象徴的な悪を敢行し続ける限りに軋轢を重ね続け、つたない事で壊れるだけに至る自己を傍観するだけに至る乖離した世界から補うべき理由すらも無くなる間に用いられる事などを超えた辺りから人間の周辺は終焉に至り、陰影に重なる気分などを昇華させ、過ぎ去る物事を悪意で染めずに、償いを飛び越え、自らから跳躍する。粗暴な世界に損なうだけのこころに利用されるだけのこころは、此処がどこかばかりを求め、止めどなく占領されるだけのこころに朧気な思い出を用い、物事を支配する事に執念と妄念を用い、求められるほどに用いられる孤独に飲み込まれる事から抜け出るべく、死を利用し、生を表面としてしか捉えられない。
此処と世界
私すらも破壊し、その先に見えぬものを追い越す。確認に至らぬ死は死として自立している。このような世界で慣らされ、何を見る、というのか? 答えすらなくなるまで、やり続ける事に行い自体が昇華され、今に与えた形跡すら消えて無くなる事に喜びを感じ、与えられているだけの余白には、何も埋めない。死は、生を追い越し、死の奥行きの彼方で、身近な生に侵食し、何もかもに果たす義務をもたらし、引裂き詰り、齧る間に風化する生は、立体感を失い、表面の薄皮一枚で果たす原因に損なう今を瀰漫させ、今に負担と不安を与え、あてがう現在に生じる由縁は、永遠に損ない続ける陰りを生み出す死の濃淡に孕む原因が形を用い、モナドと悶える真因に果たすゲノムが状況と情報をまとい、未熟な生を枯らすだけに至る老いから逃げ惑い、からかわれる現在に心象を重ねた、ここにある世界とは、何を生じ、認識する先に色彩も残さずに、ただ称える間に損ない続けるだけの痛みを旋回させ、いたわる事すら浪費する事だ、と唾棄する間に生じる由縁の深みにはまるころには、阻まれる頃合いに動機すら残さずに、証拠も残さずに固執するだけに行為に引きずられ、互いの貪婪さに貧寒になり、乾いた身体と、籠城するこころに固執するだけの浪費を繰り返すだけの逍遙を敢行する間にブレインは瞬く間に宇宙の湿地にからまり、照合されるだけの月日にリベラリズムなどを謳い、個人主義を劣悪な個人崇拝へと変え、利己的な貨幣に価値観をなすりつける辺りに、本当の幸せなどは、幸せという言葉をなぞるだけに関係は逸脱するだけの心情に公平さを求めるだけの自由を謳い、自由を利用し、自由の牢獄に入れられるだけに悪戯に過ぎ去る現在にいたわる事すら忘れ、災いをもたらす関係という悪魔が垂涎してできた湖で溺れる心身は乖離した状態にホールドされ、孤立する身体は死すらも超越し、ただ乖離したこころは、現在を消費し、ただ失われた記憶に束縛されるだけの身体を持たないこころは、孤独を重ねるほどに和む死の悠遠をひたすら歩く固執から、孤舟を傍観するたたずむ湖のほとりの傷口で羽化する感情が帰り道も持たずに自らの上空を漂い、要する現実に死は一切の義務を持たず、支払う義務も、用いられる税に繰りしみもせず、ただ生命が混沌と結ばれる先に宇宙規模で愛する季語から、後出していく詩的なリズムが閃光をたずさえ、生命的な疑問を薙ぎ払い、内面的な飢餓から、過失をたずさえる永遠も仄かな考えの監房で拷問を繰り返され、傲岸不遜な支配への復讐を抱えたルサンチマンへと偏執していく理からギミックは、独裁を用い、国際的な対立を孕む身体に用いられる憎悪を装甲に変え、そぞろな意識に鮮明な過去は、固執するだけの恨みを用い、求められる痛みのモラトリアムにかさばる過去などを占うだけに死は羨望を用い、硬質な理念に感染していく苦悩から能動していく死へと昏倒していき、猜疑心を用い、濃厚な死へと舞台を移し、現在に損なう由縁に制する理由だけを用い、誰彼かまわず暴力を振るう。