昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

不和


 否定的な日常の旋律を縫い付ける夜に加速し、付加価値を謳うよりも、そこに現れるだけの価値に満たないものに決めつけられる前に、自らの純真無垢さを仰ぎ、矛盾しても尚、虚しいと萎える花が、ルサンチマンをかかえ、偏った理想を供給し、自らを正当化するような防衛本能から、忘却に置いてきた、豊かな愛すらも、孤独にむしばまれ、独創性を失い、毒性に変わるような交換から、固執し続けるほどに、叶わぬから、と掲げられた理想などは不必要であり、そこで求められるものなどは、利己的なものであり、力学の中で汎用される凡庸なものであり、理性を謳うほどに、本能を抑止し、自らを抑圧することで生まれる快楽にひたる。空疎な出会いから、何かを埋めようとするほどに、空虚さは増し、自らに交わるものすべてを、利用しようと目論む。求められるものに連関するものが、互いを利用し、理性を奪い合い、終わらない戦争へと移行する。ここでの争いがデータ化され、私物化するための独占欲が加速し、奪うためなら、なんでもする、という純粋な本能が働きを加え、自らを、くだらない傀儡に変え、本質的なものを見失い、自らを物に変えていく。用いられるものが、果てしない苦しみを律動させ、自らを苦しめるための永久機関を生み出し、一切を暗い闇に引きずりこむ。混み合う意識は、互いを強調するがあまりに、緩慢な作用を生み出し、自らを苦しめるためだけにひたる快楽だけを求め、互いを貶し、落とし込めるためだけ機能し続ける。そこで順応するものが応じるだけの過去に引きずられ、意識とは疎外感をおぼえ、未熟な観念は、軽薄なものを信心し、見つけるべき今も、止揚できずに、その場で膠着させられるだけの意識に引きずられ、自らの苦しみの敗者として、自らを傷つけるだけにいたるような氾濫を引き起こした脳内で陥落し続ける世界を崇めるだけの対立や対比から、怠慢な理想を生み、自らを蹴落とす自らが攻め入り、生命の意味を問うこともなければ、そこで利己的に用いられる理想を堅持するがあまりに、自らを独裁者に変えていく。低劣な理想を用い、何かを遂行するために押し通す意味などが、不和を生み出し、不安感へといざなう途端に居心地の悪さだけが強調され、そこから逃げ出すためのウソを循環させる。騙され続ける精神は、正確性を失い、自らへの居心地の悪さにより、最たる意味をそこない、即席の自由や、そこで生み出される理由などが達観へといたらずに、安易なものを崇拝し、枢要なものをそこない、行いに転じて行く恒久的な苦しみの理不尽さに気付きもせずに、自らを苦しめるためのウソを自らにつき続ける。追憶に貧する価値から、化合し、稼働していく物々しい事柄が、恒久的な理不尽さを今に生み出し、打算されるものなどは、何かの採算に合わせるために、互いを傷つけることに専念すべきだ、とうながすようなキャピタリズムには、リリカルさが足りないの、だと妥当な位置から這い出る詩的な論理は、季節的な哀れみにふれ、ふれあうほどに傷つけ合うという矛盾や、無作為に生まれたものを調律したがい、互いを傷つけることを厭わないのだ、と妥当な意味や、惰性に見つける位置などが、今に等差を生み、倒錯にいたらせるだけの闘争から、淘汰されるだけの感覚は、惰性なものに陥落させられ、自らをそこなう喪失感に苦しむ。無駄なものを排除しようとすればするほどに、無駄なものしかない、とうながすニヒリストやミニマリストがうながす仏教的な理想や、思想を踏み台に、自らを正当化するための革新的な理想などが、今をちぐはぐなものに変え、物事に生み出されるべき摂理も、今に接続される苦悩や理想にねじ曲げられ、自らの理想とは、死の欲動に追い込まれ、自らを殺めるために何かに偏執し、生きながらえるために、死に投影される物事に極まる死への渇望から、世界とは、徒に消費され、生きているのにもかかわらず、そこで生かされているなどとうながすような文言に騙され、自らの世界の中で孤立させる。あらゆる協調とは、統制をめざし、同じような目標で死するべきだ、とうながす。うなだれた日常から生まれる慎ましいものこそ、幻想であるのだ、と赴きに生じる障害を壊すためなら、ためらわずに攻撃にいたるような本能をカタルシスにいたらせぬから、暴力性は加速し、制度を壊すための闘争から、統制されるだけにいたらせられるような普遍性に敵愾心を燃やし、戦争へといたり、扇動され続ける精神は、敬神にいたり、はびこる悪を生み出す自らの誠実さこそが、いちばんの悪であることに気付かずに、自らこそが正しい、とうながすことを堅持する正しさなどは、正しいことに偏ることであり、そこで理解を得ようと、理念を用い、何かをけしかけるほどに、その正しさとは、正しいとされることに偏向し、自らをいちばんの悪に変化させる。あらゆる悪とは、捏造されたものであるし、悪である前に、現れた本質的な正義をも破壊するような正しさの中では、正しいものと認識されないもの以外は、悪であり、そこで悪である、と認識されれば最後、そこで排除され、疎外させられ続けられる。