こじれる自己
人混みの中で連動する意識に形式的なものが迫り、悶絶する過去を捨て去り、去りゆく情景にとどまるだけの出来事や、そこでからまる季語などをながめながら、平静を保つような惰性で思いを駆け巡らせるだけの時折にひずむ意味にたまるジレンマや、慢性的な痛みをかかえ、正論を告げるだけの数多の出来事が消費的につのらせるものが物陰にとどまり、達観する連中や、関する間に傲慢なものを用い、求めるだけの互いにつまる多幸感や、覚醒を求めるだけの瞑想から、緩慢に作用するカルマは、罪の意識をかかえるほどに快楽が増すらしい、と虐げられる人々の轟々とうなる叫び声が補完するものや、問答するほどに反復するものに反駁する現在に比率を用い、求められるほどに魯鈍なものに変換させられるだけの低劣な現在に形有るものの終わりを告げる厭世観の犬や、陰口を肥大させ、用いられる出来事に記録を残すための物事に追われ、何かに追従する意識は飢渇し、現在に狡猾さを用い、モチーフとされるものをとがめるための消費的な感応から、過激な理想は、寛容さを忘れ、何かを排除するための価値にすりより、そこでぶつかりある価値は、誰かに見つからないように蜜月を繰り返し、記号化するだけの暗号的な人間として敵意を高め、互いを飛び越えられずに、ずっと続く物事の中で短絡的な枠組を作り出し、惰性にみちびかれる者どもの卑屈から、貧寒なものを重ね、懐疑的な日常に潜む悲壮感や、法則的なものを黙読し、対価を求めるほどにすり減る快感や、懐疑的な現在に備わる出来事を修復できずに祝福もできずに、途絶えるだけの意識を追い求め、逃避を続け、倒錯する現在に開示されるものなどは、今を利己的に支配するための歴史を用い、あらゆる権利を用い、権力を使い、自らを狭い価値にとどめるための技法を思いつき、詭弁を続けるほどに、自らとの乖離を深め、複雑にからまる真意は、森羅万象の中で慢性的な病を生み出し、第三者の目から、命じられるだけのまぼろしに鈍感な精神に聖域を作るための疑念を用い、何かを騙すための方法論だけが高値で買い取られ、回答を待つだけの君は、求められるための傀儡として、理性を失い、理想を追い求め、混同する意識の彼方で儀式的なものをかかげ、簡単に処理される現在に原罪を用い、言葉巧みに操作することにおぼえるよろこびから快感は増し、快楽の傀儡として、解体されるだけの身体を傍観し、システムの中で暴走する真理にもとづく迎合から、現存するものとは、すべてまぼろしであり、そこで資するほどに、自らを軋轢の中で屠り葬られることを傍観し続けることだけが、正しい生き方なのである、と宣言するような幼稚なたくらみから、互いは等位を求め、体系的なものに食い尽くされ、朽ち果てるだけのジレンマをかかえ、惑わされるほどに、ここでの価値は、互いにしのぎを削らずに、ただ互いを疲弊させるための摩擦を繰り返す闘争へとおちいり、何かを破壊するために、何かを踏破することを目的とせずに、淘汰することだけが、自分を守るための秘訣である、と宣言するようなたくらみかた、対比されるだけの現在は、低劣なエゴに攻め入られ、現前に消費されるものの傍観者として、偽装され続けることをよろこびとして捉え、そこで無関心で無感覚であることが大切なのだ、と体制にこびるだけの卑屈な連中が示唆する道理などを補填し撃ちこむだけの物体として崇められるために、場をとがめ、成し遂げるために何かに変身を遂げるほどに、自らとの乖離を深め、理性とはそこなわれるだけの逃避を続けるほどに、そこでの現状を苦しむための不安を捏造し、今に長けることを知らずに、知らず知らずの内に引きずるだけの数多の出来事に長じる由縁や、悠遠に潜む悪意にかくまわれ、改ざんされるだけのあいまいな現在に生じる由縁の美しさを知らずに駆逐されるための弱者を演じ、強者が語る言葉だけを頼るよりも、自らの位置から力とは現れることを知るべきであり、そこで失意におちいるよりも、横溢する出来事を超越するための演技を続けるよりも、疑念を孕み、偽善的に至るだけの現在に懸隔を与え、感覚を損なうためのためらいから、とどまらぬ怒りは進歩をとどめ、神秘を知らずに、真理にもとづくものだけを尊いものだ、と崇めるような個人崇拝から、枢要なものなどは何かの尊さを謳うだけであり、何が尊いかもわからぬのに上手に語る間にアイロニカルなものを敷衍させ、疾走することを知らずに、錯綜することを知らずに、ただ定立させるものを崇めるほどに、自らとの距離は生まれ、隔てられる意識は、眼前に現れるものに距離を感じ、離人的にながめ、傲岸不遜に処理し、理想を追求するほどに、何かを滅ぼすことを目的に、何かを破壊するほどに増していく快楽を解体できずに、そこで回答を求めるほどに、鬱々としていくほどに補完される苦しみに住まいを移し、自らの暗闇に証拠を隠し、自らを覆う暗鬱さを隠すための演技を続ける。