軽薄な契約に迫害され、害される思いは、短絡的な消費を繰り返し、軽率な論理を形成し、生命を危機へとおちいらせるためだけに体系化するもので意味を漁り、垂涎する者だけが、物事を確かなものに変えるための規約から、掲揚されるものだけを崇めるだけの物質主義的な羨望のまなざしが眺めるものなどは虚栄に過ぎず、そこで償いをなどをすぐさま求められ、過ちにからまる先々に関する間に利己的な証拠をたくわえ、惑乱するだけに至る饐えた者が吐き出す物語から、ガタガタになる道筋は、ミステリーをたきつけるだけで、経過するものへと引きずられていくだけに体制へとこびへつらうための平衡から退行していく意識は、貸与させられるほどに、体感するものは、多感な時に奪われ、利己的に示される答えが攻め入り、生命を不純なものに変化させ、物質化させるだけに至るのだ、と偏りを示す精神は、何かを批判し、否定するだけで、創造性の欠片も無く、批判の家来として、否定の神として、あいまいなマインドが示す幼稚なたくらみに服従するだけの依存的な精神は、何かを敬神し、権限を用い、何かを奪うための権力を用い、何かを奪うための戦争から攻撃的であることに囚われるだけのメランコリーをかかえた根源を燃やし尽くすための抗原たる愛から疲憊する精神は悲恋するほどに、自らを強化させ、そこで矜恃を用い、教義に騙されるよりも、自らが織り成す法だけが絶対であり、善悪に定められるよりも、散漫な儀式に諦観していく形式的なニヒリズムで攪拌されるだけの独善的な手法に囚われるための空疎な身体や、軽薄な精神に詰め込まれるための制約から、形容するほどにいびつなものを形成し、清潔感を損ない、そこで感覚を滅ぼすための法理からいっさいは立証されるよりも、そこで確証させられるほどに自らの正しさを枷に変え、孤独を恐れるがあまりに、あいまいな答えに磔にされ、体系化されるものを崇めるために暴かれた真実を墓場に引きずるひもじい者として、もんもんと繰り返される性的異物感を秩序にぶちまける物欲のイブとしてアダムを屠るのだ、と転化していく形式的な美は邪推を続け、藝術的なものを価値あるものと定めるほどに賭けには負け、自らを価値あるものとしてブランドとしてメーカーとして仕向ける間にアイロニカルに転換していく境域に狂気は住まうのだ、と惰性に謳う呪詛から根底は飢渇し、機関的なものに排除され肝心なものを損ない、行いに苛烈なものや、過程を引き裂き、改定されるほどに、快活さは損なわれ、自らが想起するものすらも信じられなくなり、担う意味に似合うような人間になることこそ、正しいことなのだ、という誤りからは逃れられずに、正しいとされるものに引きずられ、自らを卑近なものに変化させる。
景観を汚す者として秩序を乱す者として、崇めるものを排除するためにかかずらう者として、ケロイド化する快楽的な歓喜を生み出す大衆的な操作を繰り返す傲岸な征服欲を加速させるための権力装置として働きかけるだけの、堕落した主人たちは、自らを定める幼稚な法により、秩序を慎ましく守るために摩耗する精神は栄進に至らずに、自らの内部にかかえる魔物を育て、自らをルサンチマンの怪物に変化させ、傲岸不遜な悪魔として、アクメをめざすだけの体たらくな繰り返しから、退廃するために酔い痴れる後先に宛先は無く、ただ送り届けられるものに屠られる原野に加速していく理由にほつれていく精神は軽薄なものを形成し、軽薄な神を崇め、磨かれるべき未来を汚すために何かをかざすだけの対価を保つために隊列に加わり、自らを価値ある者のように認識させるためにためらわずに消費的に作用するものに応じ、そこで旋回し、転化していく意識は何かからの働きかけにより熱情することを愛と呼び、何かを与えられるためだけに働きを加えるものを正義と呼ぶ。
そこで忠誠を誓うほどに違うものを見極められずに、毛嫌いする優美な結末に旋回するための優劣から短絡的な衝動が持ちかける境域に示される正しさに閉め出されたら最後だ、と妥当な位置が持ちかける快楽的な言葉が改定させるものなどは、何ら正しさを用いずに、何かを批判することだけがよろこびに変わるのだ、と妥当にみちびかれる快楽的な傀儡として、背くことを知らずに、嬉嬉として行列に並ぶだけの垂涎を続ける貪婪な阿諛者として、保たれるためにただ盛られた毒をよろこんで飲むような快楽的な諦観から裁かれるために与えられる幼稚な枠組に配されるよろこびの中で灰燼となることだけを目的に何かを汚し、何かを問い質すほどに増していく快楽は、懐疑的に至らずに、ただ何かを信心することだけを目的に何かを恨み続ける。