昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

夜がかかえる狂気


 そしらぬ顔で、乖離していく現代を描写するための藝術的な進撃を継続させ、ケロイド化していく情念に磔にされる永遠性に近付くための議論を行い、短絡的な浄化をめざすほどに、関係性とは、制度の中でフラクタルに裁かれるための正しさを形成し、そこで保たれるものがもたらす愛のような物質にさまたげられ、そこで刷新されるために迎合された答えだけが、自らを正しく利用させるのだ、と惰性にみちびかれる過程から、改正されるものなどは、ここでの正しさに駆逐され、空疎な自分を覆い隠すための憐憫を用い、改善されずに、善用されるために保たれる答えをもたらすような者が途端に支配的に迫り、独善的にうながす言葉がたよりなく中空をさまよい、要するものに揺動されることだけが、有する価値を確かなものに変えるのだ、と妥当な位置から意味的な敵意を持ち出し、外的要因だけが、今を苦しめるのだ、とあらゆる方法を駆逐するための正論だ、とうながす間から加勢していく意識的な汚穢に未熟な精神は汚されるために、自らの亡骸をも蹴飛ばすような暴力性を加速させ、開示される理由などが多目的に迫り、事実を超えるような原因などは存在せず、そこで深まる疑問が誘致する意味に先々で対立を加えるだけの空虚さを補完するためのギミックがためらいを生み、運命などを強調するほどに境地で踏みにじられ、いびつな敬神から、精神的依存に啓示されるものがどんどんと迫り、ラビリンスを生み出し、定まらぬ精神は偏りを示し、自らを乖離させるための小さな自分が自己顕示欲で肥大化させる自分との乖離を示し続ける間に対立を深め、軋轢を生み出し、継続するものが恨み辛みを述べ、誇大妄想へと至り、広大な意思に敷衍していくルサンチマンが腐乱させる今に着火させるものが一帯を燃やし尽くし、超越に至らずに、配下に下ることだけが、ここでの正しさを強調するのです、と神に祈る者は、抵抗を知らずに、迎合されるものを崇めることだけが、物質社会での勝者になるのです、と崇めるものが現実でも無いのに、デリカシーもなく迫るものに疑問も持たずに、そこで神として崇めるほどになまめかしく思いに過信するだけの自己が肥大し、悲哀にみちびかれ、自らの閉塞感に閉じこもり、怖じ気付くいっさいに現れる空疎な自己との対立を深めるほどに外に向けて怒りは加速し、外的要因だけが、敵愾心を定期的に生み出すのだ、と生産的な自己から利己的な自己へと乖離していくシステマチックな一貫性だけを求める定例化していく自己との軋轢から、終わらぬ戦争へと至らせるための猜疑心を生み出し、今に屈することだけが、ここで定義とされるものにくじけずに、あたかも自らが生み出した言葉のように吐き出される掃きだめから措置された確かさを足枷に変え、世界を支配するための呪詛を続ける定理を加速させる独裁者として、いっさいの気配を支配するために継続される支配的な感応から、感じるための敵意を生み出し、外に向ける敵意だけが、自らを解放するのだ、とうながす支配的なギミックから、一体感を求めるほどに、偏りを示す憎悪だけが、何かを制して、自らを誇張することだけが、正しさである、と示唆するような間から配されるものだけが、自らを強調し、自らを正当化するのだ、とうながすためのプロパガンダから、女々しい思いに塞ぎ込まぬようにコマンド化された意思にいびつに課せられた保護されるだけの弱者を謳いながら、散漫な形式によぎる退廃的なモジュールとして迎合されるものだけが、ここでの物語の厚みを生み出すから、と解放を謳う革命とは、命じられる者を生み出す軽薄さを生み出すための短絡的な自由を用い、解放をよぎらせ、自らの自由へと達するための闘争へと逃亡する間に空疎な自分をゆがめるための正義を保つために、もたらされるものすべてに敵対心を生み出し、奪い合うための軋轢とは、終わらぬ憎悪にだけを力を与えられ、あいまいに支配されるよろこびから、揺動されるだけの精神とは、自らの正しさを求めるほどに、誰かの正しさに寄りかかり、よりよいものを求めるほどに、要理を損ない、喪失感をなぐさめるための理想を謳い、おちいる隙間に措置される互いの愛を想起するよりも、ただ独善的に愛し、今に対比され、疲憊していくだけの精神が苦悩を用い、空虚さを補完するために衰亡する幼稚なギミックに補完されるためのスペックなどを謳い、道理に導くようで、何かを見くびらせるための信用を用い、何かを裏切ることで、大差を生み出し、自らを正しい方へと導くための法などは、犠牲を絶えず生み、引き取る意味も卑近なもので領土を用い、何かを狩るための偽装から、絶えず犠牲を生み出し、汲み取る意味を踏み台に、踏み出す一歩を奪い、自らの空疎さをかき消すために、誰かの意思を奪い、生すらも奪いかねぬ危うさを含んでいることを知らずに、誰かを否定することに重きを置き、何かを知ることを知らずに、何かを語ることだけが、正しさへと至るのだ、という過ちを知らずにのうのうと何かを語るの正しさで気が触れる。