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時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

秘密


 覚者として傍観する日々も、この場で屈従し、誰かに促されるままに生きる君も、同じような動機で今を等閑にし、憎むことだけに専念し、その場で従事するだけで時間を終える日々も、この場で擁護しきれぬものを抱え、祈願するだけで、何も変わらぬ君も、同じようなものを重ね、ここで浸食されるだけの自己を傍観し、ここで暴走するものや、本質を損ない、そこかしこで徒労を重ね、現存する意味やここで奔走するほどに、秘密を跨ぎ、この場に現れる物事が複製され、ここで痛打されるだけの恋の終わりや、彫り込まれた意味に隠された真実などが露呈する意味や、そこで汚穢に変わるだけの感情や、環境に責任転嫁するよりも、すぐさま世界を変化させるべく、世界として名付けられる以前の世界に祝福を謳う前に、ここに現れる自らを強調することだけに専念するよりも、捻出される意味や、捻転するほどに歪曲するだけの事実や、ここで洗練されずに、聡明なものすら損なわれ、ここで高尚に至らずに、その場で軽薄なものに変わるだけに証拠もなくなり、内面的なものを破綻に追いやるだけに至るような統制から、スタイルは損なわれるだけであり、ここで惰性なものに変わるだけにかけがえのないものはなくなり、ここで謳われるものとして扱われるだけの日々を捏造し続ける先々で対立は生まれ、空疎な信仰は、姑息なものを建築することで、何かを崇めることに特別感を与え、絶えずシンクロし続けるものへと補完されるだけの信仰心などを手繰り、保たれる意味も、つむがれる文字も、ことごとくに統合させるべく、何かを同情し、そこで弱者の観念を生み出し、そこで絶えず何かを恨むようなものを生み出すだけに至らせるような優しい暴力性を含み、何かを弱さで虜ににし、憎むことを表面にあらわさずに、ここに現れる苦しみを櫓櫂し、ここで相互する意味が焦燥感を掻き立て、書き換えられるだけの心情が、保身を用い、ここで崇められるだけの神が、君を奪うまでの距離に継続する幸福などを謳う先に現れる苦しみに結末は、崇めるほどに、ここに虚偽を生み出し卑俗なものに陥る。おとずれる隙間にやってくる覚醒への道を歩む神との対話を終え、本質的な信仰とは、ここで孤立するような感情を引き替えるための惰性なためらいをほどくような昇華へと至るべく、神とは崇めるのではなく、仕えるのでもなく、ただ同調するものとして、あらゆるものとの共鳴を互いに取り込み、ここに現れる苦しみを浪費するだけに終えるような日々に覆われるだけの身体を保存するだけに至るような闘争から、ここで感知しないものや、予知しないものへと相互していく意識が延々と聡明なままに意味を取り込み、ここで倒錯するだけに至るような感染から、懸命に逃れようと逃げ惑う君の理想郷などを謳う以前に、ここに現れるままに、愛することだけを知るのだ、と伝える。現実とはその場で逃避を続け、自らを騙すことだけに専念するような時間が捻転し、同じような出来事をここで屠るだけに至るような徒な時間を模写するだけの自己が孤立感を抱え、簡易の私情に迫るにせものの動機や、ここで世界観を葬るだけに至らせるような正義が腐敗を生み出し、不快感をあらわにする簡易の存在を着込んだ自己が利己的なものを抱え、悪化する心情が徒労を重ね、ここで弄することだけに現れる理論に携わり、当たり障りのない日々に緻密に生まれる理想論的なものに騙されることだけが、唯一のしあわせをつかむようなものだ、と妥当な位置から意味を配するだけの相似から、痛みが増していくだけに惰性な意味や、ここで昏睡するだけに至るような痛みから、いびつな意味に迫るにせものの過程から、訂正されるだけの認識とは、何かに騙されるだけに至るような痛みを吐き出すだけに生まれる苦悩の中で参画するものが、攪拌され、ここでの痛みを増していくだけに至る。求められるものとは、ここに論難を用い、何かを否定することで得られる報酬を待ちわびるだけの脳内が果たす義務のために、自らを理想的に操作すべく、すべては綺麗なものであるべきなのだ、と促すような美徳などは、その場での規律に従うだけに専念し、死を羽織り、ここで硬直するだけに至るような結末や、しびれる右脳が処理する創造的な奔走から、反応する限りに陰る本質から、軽減されない痛みを生み出すだけに浸る意味から、リリカルなものは損なわれ、そこでないがしろにするだけに浸る意味から退化していくだけに至り、ここでたかる者どもが卑劣なものと合致し、自らを偶像的なものに仕上げ、ここで思案するものなどは、何も残さずに、ここで心残りを授けるだけに至り、ここで指図されるだけに浸る意味とは、君との交わりを否定し、ここに現れるものへと孤立することだけに至らせるようなギミックを用い、意味とは、意味との距離感を保てずに、自らを理想的なものに仕立て上げるほどに、自らを騙す結論に至る。ここで応答するものは、どこでも応用されるような価値に浸るほどに、自らを高尚なものに止揚し続ける辺りから、あいまいなマインドは、毎日の理知に反し、物理的なものにとがめられ、自らの理想とは、ここで興ずるものに操作され、自らを喪失し続ける限りに流布されるものが、ここで塗布され、荒涼たる今に起源を残し、どこにでも軋轢を重ね、ここで軽減されない痛みが、意味を覆い尽くし、応じるだけの答えは、世界にデカダンなものを用い、今をモチーフに現実に屈従していくだけに至るような対話から、大抵の異物感を取り払うべく、ベクトルは、点線の間を旋回し、数学的な猶予を泳ぎ、応用されるだけの答えに領土を奪われるだけの他者を介した苦悩を取り払うべく、ここで生まれるベクトルとは、悪意を含み、複雑に入り組む理由から、器用に抜け出し、自堕落に消費されるだけの価値観を逍遥し、安易な支配をもくろむだけの情報の虜として、画面に釘付けになるほどに、考えとは損なわれ、そこで考えることなどは、馬鹿げたことであり、無駄なことであるかのように示すような画面の中での勝敗を決めたがるプロパガンダから、理想論的な救出を謳うほどに、ここで求刑される罪に混濁していく意識的な汚穢を抱え、重ねる愛も、名ばかりのものに陥り、応じる答えに立証されるだけの罪を背負うための義務感が、簡易なもので支配し、芝居を続ける限り迫る意味は、痛みを抱え、ここであらがうほどに、退屈なものを消費することだけに専念し、逃避し続ける先に生まれる権利などは、理想的なものを生み出さずに、利己的なものを生み出し、自らの意味に陥る限りに陰る本質は、意味との対立を続け、君自身を君が傷つけるだけに至り、いぶかる先に生まれるデカダンに対処できずに、自らを苦しめるための方法論を捏造していく。そこかしこにもとづく定理などは、何かに毒づくためだけに絶えず進行する痛みを疎外させるためだけのためらいをここに生み、奪い合うだけの権利から、利己的な象徴を作り上げ、そこで闘争へと至るだけの統制から、自ら生み出す力学も、互いを動作させるための言葉に変わり、ここで関わるほどに、かかずらうだけに至り、価値観とは、聡明なものを損ない、そこかしこに苦しみを巻き込み、ここで拘泥するだけに至らせるような苦しみを何度もサイクルさせ、ここで拗れる意味から、言葉は意味をさえぎり、存在自体を損なうような欠如を抱え、脳内で済世されるべき自らすらも損ない、そこで救世主となるべく自らをも喪失する限りに陰る本質とは、そこで憎しみを生み出し、ここで孤立するだけに至るような殺戮と遅滞を生み出し、ここで発芽するものが延々と芽生え、新たな生命を躍動させるべき自らを作り上げぬから、そこでカラカラに乾く。

知るということ


 掻き乱される思いが、何かにすがろうとするほどに、その場での意味にからまり、関わるほどに、自らの意志を損ない、そこに現れる力に奪われるだけの観念が軽減されない痛みを抱え、往復するだけの不安に捏造されるだけの空間に安易な時間に取り残されているかのように示される間に求めるだけに交換される恐怖との対話から背反するほどの強靱な意志を用い、ここで用いられる力などは、位置的なまがい物をばらまくだけの衝動が率いた意味が卑近なものに改ざんするだめの動機に至らせるだけであるし、ここででたらめなものに改ざんさせられるだけに至るようなリビドーなどをくすぐり、ここで帰属するものなどは、物質的な猶予からエクソダスしないように、複製されるだけの真実や、そこで信じるものなどは、一切の真実を語らずに、ここに現れるものにすがるほどに、自らの弱さは際立ち、ここで苦しむだけに至るような衝動から、症状は悪化するだけに至り、そこでため込む汚穢が終わりなどを謳い、ここで虐げられ続ける精神にアレルギー反応を示すだけの低劣な身体から、力学を損ない、そこで修復されない痛みをさえずるだけの記憶が臆する間にくすむだけの感情が住まいを失い、入れ物としての身体を傍観するだけに饐えた香りを放つ四季から、改造されるだけの身体が浪費するだけの狂騒から、回線をショートさせ、うそぶくだけの退嬰的な自己を葬るだけの闇夜から、散漫な意識に現れる境界に迫るエレジーなどに入り交じる主観が、体制的なものに屠られるだけの自分を傍観し続ける先々で対立を続けるだけの幼稚な策略から、介する間にロマンを失い、そこで牛耳られるだけに至るような傀儡と化した精神を仮想のもので覆い、そこで横溢する苦しみが理不尽なものや、不当なものを用い、今に浸るだけの意味から、悲観するだけに至らせるような世界的な境目から現れる苦しみなどが力学を用い、自らを昇華させるようなエネルギーを率い、自らを昇華させる限りに時間や空間や時代や思想や、信仰や宗教から放たれ、ただ現れるものと高揚し、共有という概念すらなく、ただ現れるものを相知ることに観念は不潔なものに変わるし、ここに現れ認識するものなどは、与えられたイメージにそぐうものでしかなく、関係を屍に変え、死をバネにしては、自らを利己的な者に変化させ、肯定し続ける意識も独善的なものでしかなく、そこに理もないから、すがるだけに至る世界から巣立てずに、惰性な批判を続け、そこに受け入れるべき意味すらも剥奪され、誰の怒りかすらもわからぬものに賛同するほどに、倫理観などは破壊され、そこで欠如していくものに熟知すべきものもなくなり、ここで奪い合うだけの権利への闘争から、互いをとがめるだけに至る論争から、平衡感覚を失い、ただ互いを破壊すべく、すべてを搾取するためだけの絶え間ない戦争へと至るような情報の中では、顔を見合わせて判断をせぬから、そこで勘違いを生み、「そこで軽々しく虐げられるだけに至る酔うな『自己』を傍観するだけに至る自分を傍観するような自分を卑下し続けるほどに、魯鈍なものに成り下がることに気付かぬ限り」は、誰かの怒りを背負い、あたかも自分に痛みのように消費し、それに同調し続けるほどに、自らとは喪失し、そこで探す自分などは、他者を介した自己を磔にしては、そこで神として崇めるための自分を育てるだけに至るような独善的な手法から、そこで改善を謳うだけの魯鈍な結末から、ここで書き換えられるほどに鬱積する心情は、侵攻する敵愾心に飲まれ、自らをルサンチマンの怪物として育て上げ、そこで奉るようなものが、今を横柄に支配し、史観を用い、絶対性を誤読し、自らを十全なものとして仕立て上げ、何かを奪うことだけに専念するのが、人間性の哀れであるし、そこに現れるものに哀れみを持ち同情するほどに、自らの意志とは喪失させ、何かの力に荷担することでしか悲しみすらも表現できないのが考える者としての哀れを加速させ、金だけのための学位が放つ悪意や、ただ傲慢なだけの学者が促す学説にアクセスするほどに、悪趣味な者として改ざんされるだけの未熟な精神が受講するものなどは、何の足しにもならず、求めるだけの者として、定理にもとづく憎悪から、増幅する真偽にもとづく調律を施すだけの道化として、ファシズムの道具として、偶像の支配者として、独裁的な首謀者として、搬送されるだけの真理を受け取るだけの取るに足らぬ答えを理想だ、と諭すような親心の空疎な結末に響く意味と、そのベクトルに関し、ここで強調されるだけの意味とは、怒りを履き違え、何かを壊すことを専門職に変え、譫妄し続ける先に自らの鞭毛は切り取られ、身動きを取られなくするための情報をまとい、自らを苦しめるべく、自らが騙すことだけに専念することから、この苦しみとは繰り返されるものであるし、そこで信号を変えれば、ここで生み出されるものが愛の物質に変わり、ここで果たすべき義務すらもなく、そこに現れるものを知ることから、ここでの理とは、何でもないものであり、ここで交わるものなどは、答えすらも求めずに、ただ流れるままを愛し、ただ現れるものを抱合するよろこびだけが敷衍し、ここに現れる苦しみなどは、瞬時に消え去り、そこで賢者としての役目を果たすよりも、今に結び目は強靱なものになり、外れぬ意志は、そこに現れるよろこびだけを表し、今に生まれる運命などは、運命論の中だけに引きこもり、そうあるべきなのだ、と強調するだけに至るような運命をも引き裂くような強靱さを持って、今を突き破るよろこび!!。

演じられる者


 生きることで持ちかけられる問いかけも、どこか遠くで浮遊するようで、ここに備わるだけの存在を粗雑に扱い、未明に消え去る思いが俯瞰を攻め入り、空間的な渇望を促す時間に支配されるほどに魯鈍な者に陥るような感覚が、軽薄な思想を形成し、ここで加速する純真なニヒリズムから諦観を謳う仏教的なカタトニーに陥り、運命論に緊縛され、機械的な幸福を求めるだけに専念するような人間性などは精度を損ない、自らを測ることだけに専念し、誰かとの距離や虚偽を用い、何かを諦観に追いやることでしか、自らの価値を見出ずに、その場で配する愛や、背景にそぐうだけの人間性や、解決できない思いを加速させ、ここで波状するものに飲み込まれ、混濁するだけに至る精神は、今に痛みに耐えかねずに、体感する痛みに改革を用いるほどに、改悪されるだけに至り、今に欠乏し、関係性に制約を用い、観点を疎外させ、人間的な疎外感に震え、世界観を失い、浮遊するだけの精神は、そこでハッキングされ、慣性を失い、さまようだけに至る重さも軽さもなく、そこここで苦しみを理論的に解消するだけの科学的な伴侶と共に、弔うべき理想も、今に流浪を重ね、飢渇するだけに至らせるだけの答えの中での空疎な抱合から、放浪し続ける先々で対立を深め、憤懣を重ね、絶え間ない苦しみの中で加速するだけの痛みに置いて行かれるほどに、何の苦しみかすらもわからなくなり、何を理解し、今に現れるものの認識を深め、ここで定理されるものがリリカルなものに変わり、片割れを探し、さまよう君の恋心も、ここで濾過されるだけの孤独な企みも、そこで嵌め込まれるだけの理由の中で裁かれることを傍観するような離人的に傍観するだけの現在に卑劣な意味を授け、そこで停止させるべく促す定理が、怜悧なものを損ない、そこかしこに現れる苦しみを表現することだけに専念し、宣言の中でのみ機能するものが本質をたずさえ、確かな動機に加速し、化合されるほどに違う影響を与える物質としてさまよう悲劇の中でのあいまいなアカデミズムから、官僚的な支配から、成敗を授けるだけの値から、ここまでの動機をクローン化させることだけに専念するのが、国家的な麻痺を培養させ、何かを保つために王国は必要であり、統治されることだけが自由を邁進させ、慢性的な痛みから解放するのだ、という幻想を植え込むことから始まった人類史などに経路などなく、その場限りの快楽に浸るだけの現時点を保つためだけに均等と平衡を祈る祈祷から、儀式的な汎用性から、世界は軽蔑されるためだけに世界として存在することだけを誰かに認識させ、誰彼かまわずに革命へと移行させるためだけに恨まれ役を買うのである、と笑みをこぼす間から、あいまいなマインドは、幼稚な理念を即し、そこで諦観に至らせるためだけにためらわずに何かを倒錯させ、ここで浪費することだけが価値のように崇められる。そこでの価値にもたらされるものなどは、そこに何の意味も授けぬだろうし、ここで顕示するものなどは、死へと追いやられ、巣に帰る前に落下した死するだけの感覚に抵抗し、諦観を生み出し、そこでの感覚から抜け出せぬから、死へと追いやられるだけに至るような精神性が跋扈する限りに不当な意味が欠乏を訴え、今に規則を生み出し、規律に逆らう者は、今に至る前に、ここで排除し、疎外し続ける先に現れるものだけが、正しいものであるなどと促すような独善的な正義が促す正しさなどは、ここに現れる死から逃れるためだけに恐怖を捏造し、そこでの不安をまとわせ、意味の外に追いやられる者を作り出すためだけに促すような言辞などが弄するだけに至るような事柄の多くに詐欺的なもので紛らわせ、ここで鍵となる問いも、遠くで理想を損ない、傍観するだけに至る乖離した自己から、利己的な世界に形成されるだけの義務から、ここに依存することだけが、生きているように思えるのだ、と促す君の差異と愛の隙間で完成されない名を加工するだけの命名から、正式なものすら存在しないが故に存在とは、その場での短絡的な役目を果たすためだけに義務に追いやられ、ここで位置的な苦しみに思考停止し、ここで迎合されるだけに至るような耽溺から、退廃的な妄想から、もうろうとする意識の彼方で軽蔑されるだけの自己から、迎合されるだけの今に至る真理などは、正しさを扶養することだけに専念し、ここでの生活を保つために自らを軽蔑し、何が正しいかすらも求めることだけが、唯一正義であるのだ、という清貧さをたずさえ、清潔感を損ない、そこで生まれる苦しみを迂回し、理解を得られずに、ここで選りすぐるだけに至るような営利目的なコミュニケーションから、コミュニティは破壊されるためだけに幼稚な型に嵌められ、破壊的な情緒が促す意味の進路を破壊し、ここでの真理などは、迎合されるだけの答えで互いをとがめ、狭い世界の中で同じような価値に嵌まり込むほどに魯鈍な者として、指定される意味に下される言葉により、自らを膠着させ、ここに存在するものだけが、この世のすべてであるなどと促すような独善的な手法で裁かれるだけに至るような他者を介した罪の中で罰を待つような幼気な者だけが正しい者として扱われることだけが、正しいことのように示すような正義などは、何の正解にも導かずに、今に現れるものに義務を謳い、今に苦しみを共有することだけが、正解者としての生き方だ、と促すことから、人間とは人間という名から逃れられずに、自らを喪失し、今に苦しむことだけを演じる。

尾っぽ


 そこかしこに迫るアンサンブルが延々と続き、ここで肯定されるものだけが、精神性に制度などは生まず、ここで憎しみを媒介し、偉そうに指図するだけの者や、偉そうに餌をまくだけの者どもがのさばるだけのサバイバルを突き進むような状態に孤立するだけの退嬰的な者や、保身を用い、自らを美化するためや、誇示するほどに、今に正気を損ない、こじつけられるものに支配され、生じる痛みに耐えかねずに、構築される理論に保持する意味が君を膠着させ、ここにほどこされる苦しみだけを生み出し、今に補足される苦悩や、能動的に至らずに、膠着するほどに、何かを恨むことだけに専念するような宣言を撒き散らし、ここではびこる悪意だけが本質へと至り、遅滞するだけに至る精神をここに置いて行き、孤立させるだけに至るような倒錯や、等位にもとづく意味だけが、その者の生き方を膠着させ、拗れるだけに至るような意味を継ぎ接ぎに縫い合わし、しあわせを求めるほどに、しあわせとは名ばかりのものに謀るだけに至り、ここで高次に至らずに、憂鬱に支配され、今にシンクロするものなどの魯鈍さに気付かずに、今に現れる違いに気付かずに、既読されることだけを目的に何かを騙し、ここで奪うだけに至るような悪趣味な搾取がアクセスを求め、そこで制限され、数理にもとづくエゴから、行為にもとづく心証に浸食していく苦悩が促すノウハウや、抑圧されるだけに至るような結末から、迎合されるものだけを真実として捉え、途端に増える苦悩が悪魔的なものをもたげ、用いられるものに偏りを示すことに理すらも提示される意味にもとづくものだけを本質として捉え、今に音沙汰もなく、ここで誇示するものだけが、正解へと導き、不正を働き、ここで望みを失い、培われたものも、今にはびこる悪意だけに相続させ、ここで姿勢を損ない、孤立するだけに至る絶え間ない痛みから、ここで阻まれるだけに至るような屈辱や、ここで垂涎するだけに至るような怠惰なものを用い、ここで離別するだけのシーンに悲しみは、体系的なものにこじつけられるものだけに気配を奪われ、今に均等なものすらないから、ここで機能すべき意味すらもなく、ここでこじ開けるべき意味を用い、君を専横するだけに至るような緻密な意味から、偶像とは、必然性を支配し、ここに用いられる意味に縁取られるだけに至るような人間であるべく、今に帰する意味から、関する間に寛容さもなければ、ここに現れる苦しみに延々とからまり、関わるほどに、かけがえのないものや、掛け合うものが、互いを止揚できずに、途端に抱擁され、些細な愛から、たちまちに現れる苦しみを昇華させ、証拠も残さずに、ここに持ち上げられた意味や、ここで交わされる愛や、横暴な意味で今を締め付けることだけを示すような権力的な統合から、逃亡し続ける限りにたぎる命の高揚感や、逃げることが示すことであり、ここに現れるものから逃れることだけが、今を愛することであるし、ここに現れる空虚感などは、簡易に芝居を続けることだけに至り、ここで構築されるものなどは、ここに順序を用い、低劣なもので支配することだけに専念し、征服欲を満たすことだけに生まれる自らの起伏や、拗れる先に誇示することしか、ここでの支配を強調できずに、そこに現れるものに満たされるだけの未来とは、ここで偶像を生み出し、見出すものも、今に折れ曲がり、漠然とした不安に襲われ、横暴な支配から、ここでの役目を担えずに、奪われるだけの感覚に囚われ、弄するだけに至る心情や、消去されるだけに至る記憶や、刻刻と迫る意味に孤高であるべく、弁解を続けるだけに至るような試みや、企みの合間にきわだつ苦しみが空疎な自分を利己的なものに変えるだけの精神の内部での軋轢から、敵愾心を用い、強固な憎悪で今を破壊するだけに至り、自傷的なものが外に向けられ、弱者を選び、虐めるだけに至るような教義がここで専横し、洗脳を続け、君を懈怠させ、些細な痛みを元手に、ここでの痛みから孤立し、ここに現れる痛みこそが、君を認識するものであるのだ、と名付けるだけの病名から、病は加速し、ここでの過ちは、名付けられた途端に認識を深め、ここに配属することを選び、ここに現れる結末や、拘泥するだけに至るような位置的な予感や、有する間に時代錯誤に陥り、横溢する言葉に自らを投じ、ここでこじつけられるだけの身体を多目的な者に捧げ、軽い身体として、軽蔑され、軽薄な論理に支配され、感応するほどに、官能的なものに順応し、快楽のための身体を屠るだけの自己を傍観する自分を疎外させることだけに専念するような快楽に溺れるだけの退廃的な傲慢さを自らの中で育て、惰性にうごめく思考や、ここで考えを喪失し、損なわれる思いが自供を続け、未熟な独白から、もうろうと真理をさまようほどに、ここでは魯鈍な役目を綴るだけの意識的な汚穢を生み出し、孤立するほどに悪意を芽生えさせ、ここで演じる空虚さや、抑えきれない衝動を演じることだけが、自らの役目のように補完され続ける憎悪と意識的な聡明さを損ない、そこで怯えるだけに至るような暴力性が制度を生み出し、今を膠着させるだけであり、ここで暴かれる真実などは、ここでの意味を枷に変えるだけの答えを延々とつなぐことだけに専念した歴史が引きずる悪意にしか過ぎない。

ここで正されるもの


 用いられた言葉で君は騙されるだろうし、あくまでここで保たれたものなどは、意味を見つけられずに、さまようだけに至った経緯から、倦怠感を吐き出し、破壊的な衝動を抑えるための転換期や、用いられた悪に従うだけの君の無関心さに拍車をかけるような掃きだめからのエゴから、洪水のようにあふれる悲しみの後に残された寂寞での些細な支えすら失うようなものの横溢から、ここでリビドーが旋回し、意志を奪い、哀訴を続け願うような者だけが答えを導くかのように提示した原罪から数年年の義務が過ぎ去り、愚意だけが残り、ここでいぶかるだけに至るような猜疑心が横行し、ここで示されるものから閉め出されるだけに至るような惰性な君のエゴから、行為は拍動をやめ、ここで昏睡していくだけに至るような悲観的な購いから、あいまいな毎日に接続されるだけの苦しみを理想的なものを促し、自由で意味を奪うだけに至らせるような世界に応用される原理や、ここで原因とするものなどは、途端に破壊されるだけに至り、退廃的なロジックや、うやむやにされるだけに猜疑心を持ち出し、ここで独善主義的に支配することが個人主義のように持ち上げられ、ここで形容するものなどは、その場での意味を踏みにじるだけに至り、いたわることすら知らずに、何かを諦観に追いやることだけが正解だ、と促すようなファシズムから、捏造される言葉は、ここに記号として現れることにより提示する意味を強固なものに変え、ここで課せる意味から解けないエニグマや性的汚穢に達するような潔癖的な立証から、認識するもののほとんどが、ここでオーガズムを感じ、荷担するほどに増していく苦しみを授けるだけの安易な戦争でしか大きな稼ぎに至らぬような国家などを保つほどに、ここで用いられるものを破壊すべきだ、と提示するようなアナーキズムに荷担するわけもなく、ここで響かせるべきは、自らの意志だけが今を飛び越え、ここで捏造されるだけの愛を読み解き、届かぬものなどなく、ここに現れる本質や、奔走し続ける先に現れる意味に置いて行かれ、孤独に苦しんだとしても、その場で這いつくばらず、抵抗し続けることがよろこびに変わり、その保たれるものに屈さぬことの美しさだけが、今を諦観に変えず、ここに現れるものを確かなものとして認識し、ここで叱責を受け、苛まれる精神に再度立ち向かうような勇者である君の関連性に制度は関係なく、ここに用いられ、希望を用い、何かを騙す前に、ここに現れるものだけがすべてとして、そこで諦観に至るよりも、ここで同じように独房に入れられ、自らの過ちを償うというような罪の意識から、操作されるだけに精神は、ここで諦観し続ける限りに自らの過ちに気付かずに、ただ罪の意識により、悪い事である、と認識することだけが、正しいとされることだけが、正しいものだ、と認識する限りに陰る本質は、正しさを見出せずに、自らに屈するだけに終え、ここで惰性なものを吐き出し、自らを破壊し、何かに与えられる罪や、生まれた途端に背負わされる義務から、破ることにより、与えられる罰を恐れるばかりで、ここで俗悪な者へと偏執するだけに至るような法的な捕囚として生きることだけに専念するような正解にもとづく性愛ばかりにとがめられるだけの人間性にもとづく正解を迎合するほどに、正解には遠ざかり、そこで問答し続けるほどに答えとは今をごまかすだけに原理に変わり、理性を損ない、そこかしこに苦しみを分散するためだけのためらいを生み、行動させられるだけに至るような倒錯から、ここで等差を用い、変換されるだけに意味に変化もなくつきまとうだけの幼稚さが世界を形成し、世界を世界と呼び覚ますかのように示すような態度から、純粋な対話はなくなり、ここで格差を生み出すだけに至るような惰性な世界を世界として認識することだけが、あたかも生きていることにように宣言することから、自らの諦観を加速させ、ここで対価を求め、ここで低劣なものを生み出し、今に鬱積する思いが今を踏みにじり、不快感をあらわにし、憎しみを増加させるだけに至るような倒錯から、緩慢な世界に移行していくだけの精神性だけが、ここでの正解に軋轢を与えずに、ただなあなあのままに、惰性な権力を用い、加勢する者だけを正解へと導くような世界を世界として名付ける途端に、君の位置や意味や存在は、今と混在することだけに専念し、君自身をあやふやなものに変え、ここで負担する物のように自らを扱うほどに、ここで崇められるものや、おののく先に生まれる苦悩や、ここで絶望へと引き戻すだけに領土の奪い合いに至るだけの経緯に黙するだけの者として寄生し、ここで加えられる規律に従う以前に、その場で動かぬ者として、あらゆるものから離れることだけが、自らを正すものだ、と示すような低劣な思想から、抵抗を加えずに、無気力なままに屠られる自らを鞍替えすることもできずに、繰り返すことだけが正解である、と示される答えに促されるままでは、ここでの距離は生まれるばかりであろうし、こことはすぐさま偏向し、自らをおいてけぼりにするであろうし、ここで連想されるものや、連動するものとは、すぐさま不遇なものを促し、今を閉じ込めるほどに、苦しみの虜になるだろうし、ここで乱立するものとは、ここで君をとがめることだけに専念し、ここに生み出される差異とは、散漫なものを横行させ、応じるだけの答えにかじかむだけに至るような貧寒な原理を解毒させるべく、自らの毒をもって毒を制す的な独裁的な試みから、ここで綻ぶものが、滅びを謳う限りに熱情する精神は、生命の危機を感じ取り、機械的な過ちや、ここで誤りを強化させるだけに至るような倒錯から、ここで等差を生み出すだけの原理に基づき、平衡を求めることばかりに拘泥するような保守主義的な考えに還元される左右両方の毒をもって今を制するほどに、政治的な判断ばかりが、今を感じることも忘れ、大大的なもの取り扱うほどに、自らとの距離は生まれ、正解に物事を測ることだけに専念するばかりで中身のない軽薄な学者として、あたかも今を形成するようにしたり顔で促すことだけが、高尚である、と促すような学歴社会的な圧力だけに迎合するような知恵などは、その場での権利を叫ぶことに専念し、自らを正すことだけに基づき、今を支配するために、毒づき論破することでしか、自らを正すことができない正しさに、何の正しさも存在しない。

放蕩

 
 言葉は正義や正否を持たず、整備される日を待たずに今を跨ぎ、たまたま出会い別れを繰り返す我々は、清貧な予言や、空疎な邂逅から、後悔を含んだ理論的な齟齬をきたし、機械的な動向から、混同していく意識に絡み合い続ける意志がファシズムなどを生み出し、自らの力を濁すことだけに専念し、自らの暗黒面に手を貸す間から、宇宙的な進路に反し、この有するだけの形にカタトニーになり、担う意味が破廉恥な独白を続け、酷薄な現在に理想論的なものや、運命論的なもので生きることを義務的に同調することでしか、自らを確かなものにできずに、出来合のものやデカダンなものにそぐうためだけに、ためらわずに奪い合うだけの履歴や、敵愾心を生み出し、創造的な理に至らずに、ここに居続ける苦しみだけが、騒々しくついて回るほどに、魯鈍な者として、或いは相互し続ける限りに補完されないままに、今に悲観し続けることだけを続ける辺りから、あいまいな毎日に接続される観念的な軽蔑から、決別を繰り返し、ここで離別し続ける精神は、献身的なものを失い、今に徒労を重ね、密会を続け、言葉との別れを渡る君の無関心で無表情な刹那に宿るモノクロな青春から、静謐さを歌い上げるほどけぬ思いをこじらせる大きな恋心の炉心に流れる熱いものに繁用され続けるだけの情念をカタストロフに追いやるような思春期へと迎合されるものだけを流用し、自らのプログラムに織り込むほどに、自らとは、その場から懸け離れ、自らの苦しみに流動し続けることに苛むような余韻から、因果律に反し、眼前に広がるものに反してこそ、ここで確かなものを編み込み、あいまいなマインドや、幼稚な企みに疎外される以前に、研鑽され続ける辺りから、暗澹としたものを補足するほどに抱合され続ける無理強いから、無用な者として扱われるように感じるような君のこころこそを理解すべきであるし、ここに用いられる要理などは、利用することだけを目的に理を持たずに、貸与し続ける思いに不潔なものを重ね、今に拗れるだけに至るような余韻から、容易なものを運び出し、今にはみ出すだけに至るような体制のゲートウェイとして役目を担うほどに、自らを情報の革命烈士として扱うような圧力から、ここに用いられる価値への統合を目指すほどに、正常さとは損なわれ、そこにかじかむだけの自覚から、改ざんされるだけの試みから、濾過され続ける先に対立を加え、退路へと急ぐ君の逃げる勇ましさこそ褒め称えるべきであるし、そこで別離し続ける心情に浸透するものが身の程を知れなどと白白しく統合し続ける辺りから、あいまいな日々に苛むだけに無情な理由を突き刺すほどに、ここで疲れるだけに至るような鬱積から、運命的なとがめから、統合される先に利用されるだけに至るような領土へと補完されるような交換から、枯渇し続ける先に苛む記憶が刻刻と位置的な不安を授け、指図を繰り返し、ここで補填されるだけの不安を用い、今を利用することだけに牽制していく意思的な内戦から、成し遂げるために何かをとがめることだけが正義として扱われる事だけに『洗礼』を求めるような現時点に殺伐とした位置的な苦しみから、衰亡を続け、住まいを移し替える先々で対立を深め、複雑に絡み合う利用する観念から決別し、ここで軽蔑されるべき君の意思的なまがい物から、リソースされる理性や、整合される隙間に大きくなったり小さくなったりする欲動から、離床した途端に弾ける精神が理解を求める以前に、ここに枢要なものをあらわし、憎しみへと偏向し続ける先に憎む対象すら損ない、そこかしこで逃走を繰り返し、規制されるだけに去り行く価値から、理解を用いる以前に、ここで完結していくだけに、結合を求め、自己からの乖離を進めるほどに、酩酊し続ける先に数理的な余韻から、陰惨な過去を形成するだけの言語的な集約から、記号的な過ちにやましさを改ざんさせ、ここで徒労をかさね、浪費するだけに至るようなかばい合いから、退廃的なものを用い、大概のものを破壊に追いやるだけの全体主義的な催眠状態から抜け出すべく、君の用いる快楽を乱用するだけの自己を飛び越えるべく、生命は旋回し、ここで展開するものなどは、今に論難をあびせ、君を意味の中に閉じ込めるであろうし、ここで弄するものなどは、浪費されることだけに専念し、先見性すら損ない、そこで見るものに奪われるだけの観念は迎合されるものだけに偏向し、偏執し続ける先に現れる観念的な苦しみに形容されるものだけが、ここで確かなものをあらわすものだなどと促す限りに滞留するのが精神であり、ここで献身的に君を改ざんし続けるような対話による改ざんから、君の意識に介在するまでの意味との統合を目指すよりも、そこで理解も得られずに孤独に乖離した理由に命名を施すよりも、そこで長じる運命的な否定を解除すべく、精神的な旅行へと旅立つような宗教的な昇華に汚されるよりも、この哲学的なアクセスにより、よりよい価値を謳うものからの解放を目指すようなジャミングから、情交に耽るのも良いだろうし、ここでダレるよりも、担う意味に価値を当てこすり、なすり付けるほどに理智を用いずに、今に一途にぶつからずに、ここでずっと続けることだけに専念し、宣言し続ける先に疾走し続ける間に現れる距離などは、すぐさま過ぎ去ることだけを目的に今に理由を課せずに、間隔を生み出し、今に持ち出される苦しみに押し出されるだけの惰性なもので、今を促すことしかできぬような苦しみから抜け出すべく、そこに現れる永遠性だけにあらがうような幼稚な統一性だけが、今を十全なものに変えるなどと促すような欺瞞を打ち破り、今に現れる幸福などにごまかされずに、自らが続けるものだけが、自らの正しさを謳わずに、今に指図されずに、今に調教されずに、現れるもののすべては、自らのすべてであり、ここに現れるものにおののかず、ここに現れるものにこき使われない。

優雅な思考

 
 永遠に飲まれる恐怖に打ち勝つためにニーチェ永遠回帰の思想に行き着いた。行き着く先とは恐怖かないが、ここに現れるものにあらがい続ける限りには恐怖などに屈さない。何かを同情に誘うような美徳などは、ルサンチマンペシミストが、自らを正当化するために生み出した怠慢な美徳である。ただ自らを美麗なものとして、清貧で、清潔な者として示すために、富者を憎み、富者が楽しむものを、軽薄であり、快楽的なものでしか楽しめぬ冷徹さを混在させ、富力でのみ支配しようと目論む一部の者が価値を下げ、自ら否定されるための材料として捧げるほどに、ルサンチマンはよろこんで他者をいじめ、誰かもわからぬような者を材料し、破壊し尽くすような猟奇的な快楽を用い、退廃的な自己を定立し、確立されたものに従うだけが悟性であり、真理へと至る道であるなどと促すほどに自らとの間隔が生まれ、自らの意思を失い、自らを貧弱な貧者として自らを卑下することが正当なものだ、と示す限りに、何かを恨むことから抜け出せずに、自ら提示する善悪に苦しみ、利己的なままに自らを意思を、自らにより抑圧し続ける先に現れる苦しみへの救済を求め、いたわることもできずに、浪費し続ける先に現れる苦しみを何度も反復させる。永遠にむしばまれ、ここで離れ離れになる現実から疎外感を膨らませるだけの孤独な一行にのしかかる重みなどは、所詮は超越に至らずに、その場でニヒリスティックなものに陥り、自らに酔いしれるだけに至るような言動から本質や真実などは生まれず、今をあやふやにし、欺瞞を重ね、ノスタルジーに浸るほどに、魯鈍なものに陥り、今に転換される苦しみなどは、疑似的な超越を含んだ信仰心などが瞬時に騙す限りに陰るだけの本質へと搾取されるだけの素材としてあたかも存在しているように見せかけることだけに専念するような市民的なほほえみから、冤罪を蓄え、自らに課せる罪の強靱さにやられ、途端に拗れるだけの精神は、飢渇を謳い、自我を騙すことだけに専念するのであり、そこに用いられる苦しみなどは、猜疑心を服用し、自らを自らの毒で殺めるようなメタファーから、毎日に迫る愚鈍な企みから、怠慢な履歴に下される意味などは、今に風化し、空白へと変わり、ここに拗れるだけに至るような一日を虐待し、位置的なものを批難し続ける辺りから、意味とは、今との距離を深め、そこで酩酊するだけに至るような血合いを施し、空虚な身体に入れ込むべき愛も、ベクトルを用いずに、自らの重さと軽さに支配され、用いられる尺度でしか物事を測れずに、そこで判断するものといえば、自らとの距離を埋めるためだけの空疎なほころびを生むだけに至り、そこで導かれる答えなどは、ことごとくに専横され、占領されるだけに至り、そこで虐げられるだけに満たない意味から、攪拌されるだけに至るような精神が関与するものが潰瘍へと変わり、自らを痛めつけ、そこに束縛するだけに至る。ここに生み出されるひずみがリズミカルに踊る。胎動で会話を続けるほどに母との愛は深まり、愛と掲揚される以前に、ここでの愛とは名ばかりの愛に締め付けられずに、無償とされるものが促す価値からも離れた愛だけが、愛として名付けられる前の本心を子に語る。そこで語られるものは、何の代償も求めず、そこでとがめられるものすらなく、そこに果たすべき義務もなければ、不満も不安をも乗り越える限りに愛とはすり減らずに、増えることも減ることも同じ枠の中で処理される限りに、同じ意味に拘泥し、同じ答えの中でまかりとおるだけの苦しみを演じることだけを続ける。演技的な苦しみだけが、善良さを謳い、そこで正義とされるものだけが、途端に善悪を決め込み、君を位置的な苦しみへと放置する疎外から、損得は生まれ、そこで損害を謳うだけの連中が用いる法から、官僚的な制裁から、散漫なカタルシスを執り行うような儀式的なもので疑似的な昇華へと至らせるような宗教的な試みから、混同していく意識にプロセスを用いず、プロパガンダで支配へと至るような操作的な余波から、緩慢な作用を生み出されるほどに、ほどける身体は、他者を介し、自らの快感を原則的に放り込むだけに至るような傀儡である空虚な身体を傍観するだけに至るような売買から、倍増する痛みに耐えかねずに、今に重なる義務的な意味に屠られるだけの空疎な意味へと裏切られるだけに至り、搾取され続けるのを傍観し続ける先に現れる苦しみすら感じぬようになるような移行から、この苦しみとはどこにも作用しないで、今に浸るだけの悲しみへと移行し、そこで陥る闇から抜け出せぬような仕組みを生み出すような答えを流用し、何かを騙すことだけに至るような輩こそを排除すべく、すべては、弱者が用いる言葉により、作用は高まり、そこで互いをとがめるような偽善的な戦争から、退廃的な互換を終え、ここでこしらえる絶え間ない痛みから、他愛ない日常を恨むだけのベクトルを溜め込み、ここで利用される限りに滑落し、渇望し続けるほどに、補填される欲望とは、次なる欲望を生み出すだけの発作として、或いは、カンフル剤として扱われ、ドーパミンを促し、快楽を簡単に生み出す限りに生み出される欲望の住処として傀儡化した身体を他者に或いは世界に明け渡し、ここでの活動をサイクルさせるためだけに、自らを提示し、提要なものすら見出せずに、あたかも何かの役に立とうとするほどに、その場で淘汰されるだけに至るような虚偽や虚飾を孕んだ懶惰な者としてしか生きられないことを謳うような現在にも、虚偽ばかりがまかり通り、自分すらも失う限りに、存在とは、その場での活用を求めるほどに、存在自体は、損なわれていく。