時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

感応


 延々と時に織り込まれる秘密や、約束を屈折させ、洗礼されるだけの月日から逃れ、自らの信用だけを強請るような波形から、軽薄な論理へと巻き込まれるだけの短絡的な達成感を発信するだけの情報的な苦しみから鬱積するものにおののき応じるだけの答えは、軽薄なものを長じるだけで、恬淡なままのものを否定し、悲観視的に監視することだけが、ここでの役割を確かにし、誰かを磔にすることにより、自らを改定し、快楽へといざなうような陽気へと引きずるだけの思いが吹きこぼれ、俯瞰に迫る空間的な敵愾心から、諦観するだけの日常に備蓄する苦悩を掘り起こすような毎日から惜別し、蝉蛻し続ける思いは、対価を求めるよりも、退廃的な動機に求められるモラルや、もたらされるものを超越し、そこで帳尻合わせるためだけに浪費し続ける精神は、正否を求め、感覚を鈍らせ、正義を謳うだけに奪われる思いは、運命論的な疎外感から、聡明なものを受け取られずに、運命に批判し、ここで軽々と思わせられるものに左右され、そこでの作用は、すべてを足枷に変え、ここでの苦しみを往復するための隘路を進み、荒んだままに懶惰な自己を表現するほどに、剽窃するための分裂した情報から儚く募る襤褸や、労働的な排出を繰り返し、憧憬に馳せるだけの官能的な供犠にひしめく陰惨な現実を飛び越えるための翅さえ腐らされるのだ、と惰性に見くびる君は怯えることだけは得意であり、統計学的に生み出される屈折した答えを本尊にし崇めるための理想を垂れ籠め、捏ねられる先々で更迭される意識は、判然としたものを取り込めずに、何かを虜にするために取り込むことだけを目的にあたかも自分の言葉のように語られるものとは、物事の基礎を不規則なものに変え、今に苦しみを鬱積させ、何かを奪うための権利のために、何かを迫害させるだけに至るような闘争から、そこで淘汰される問題などは、納期されるだけの苦しみを連動させ、そこで連想するものなどに奪われる精神は、今をまたげずに、又貸しされるだけの誠意から、厭うだけに至り、意図したことと逆を生きるような生命の逃走から、等位を求めるだけの選択されるための自由などは、物事の尺度を知ることで、自らを不自由な獣として、物事の中で形骸化するための経済的な伴侶を用い、モチーフとされる普遍性が打ち出すものだけが、平静へと至るのだ、と惰性な判断から、自らを空疎なものに変化させるのだ、という物質的なものや、資本主義的なものを否定するだけのルサンチマンが偽装する真理などにもとづくエゴなどは、ロジカルさに至らずに、自らの怒りを証拠に、何かを理解しないことを目的に何かを恨むために、その生命を使い、はしたないものを加速させ、そこで改正されるものだけが、あたかも正しいもののように扱われることだけを目的に主事する者がうながす言葉が神として崇められるまでに至った経緯を測るための尺度が用いる答えだけが、正しいような顔をして、自らの利得のために対比されるだけの現在に鄙劣な比率を生み出すための取り組みから、統合されるだけの正常さから逸脱できずに、そこで愛しむことをおぼえた余りにあいまいな毎日に寂寞を与えられ、濫觴するものが生み出すものだけが、ここで確かなものを演じる手立てを生み出し、抵抗感を加え、簡易な支配から、安易な律動へと情緒は不安定に抵抗を加え、背反するほどに、反する形によりかかり、似通うほどに乗じる否定的な何かに発生していく利己的な抵抗から、迎合されるだけの果てに軽薄なものを崇めるだけの神との対立から、大義を失い、喪失感にゆだねる形式的な哀れから、愛するほどに、憎むような結末に迫る異物感や、いびつで軽率な排斥を繰り返す排外主義から、対するものの間で磔にされ、弁明を続けるほどに屈折していく苦しみの果てに羽交い締めにされる成因にゆだねられるだけの苦しみが生み出す喪失から、安易な接続を終え、自らをうながすだけの一日に下される裁きにたばかる精神は、清潔感を求めるばかりで、自らの汚れに気付かずに、与えられた汚れだけ自らを未熟なものに変換し、懸隔を生み出し、保たれる思いなどは、今にそそのかされ、たじろぐ思いは、ロジカルなものに飲まれる。用いられる時間を愛して止まないのだ、と時間論的な緩衝から、緩和できない運命との総和を求めるほどに調整されるだけの日々は、貸し借りされるための時間を浪費するためだけに、ここでの緩衝に至らずに、対象とされるものを恨むための契約だけが交わされる。

怠惰


 空疎な自己を取り巻くロジカルな現状に困窮していく存在は、自らの価値観をたしなめるばかりで、確かなものなど推考できずに、そこですぐさま消え入るだけの本質から、適応できずに、敵意を剥き出しにし、憎むことだけが、ここでの正しさを扇ぎ、何かを示唆するのだ、と段々と迫る幼稚なリズムから、理性をたずさえずに、ただたむろするほどに遠ざかる価値は、観点を疎外させ、最たる意味を浪費するだけに終えるような無価値なものを探し、緩慢な消費から、生じる由縁におとずれる擦れなどを感じ、感覚を損ない、相似するだけにうとましくつきまとい、司る由縁などは、追憶に馳せるものや、物陰に潜むアンニュイなものや、問答を重ね、印象にとろけ、代償を求めるだけの裁断から、閑散とした主体に隷属するだけの風景や、悠遠に潜む感情的な派生を集めるだけの理想などは、理智に至らずに、何かを細分化し、文化を用い、何かを利用するための憂いなどを謳う。一定の行為に引っかき回され、引きずる思いなどがレジスタンスに変わり、大きな抵抗や、そこで提要されるものに反するほどに、自らの過ちに気付かずに、何かを批判的に乗り越えられずに、能動的な死から、監視され感覚を奪われるだけの幼稚なギミックから要理は損なわれ、生じる由縁は、行動に従事するための摂動からリンクするほどに苦しむための絶え間ない軋轢を続け、つたない歴史は、汚いものこそ、崇め正すべきだ、と自らを美化するような余韻から、陰惨な形へと収納され、能動できずに、ただ受け取るものだけが、受け入れる価値のように思い返すような人波にさらわれ、さいなむ記憶に臆するだけの無価値なものを崇める健全な理由から、輪唱されるものへと引き戻され、悽愴を歩き、あいまいな日々に縫い付けられる似たような自分と乖離できずに、憐憫に浸り、いびつな言葉を掛け合わせた呪詛から、情感すらもすたれるような街並みにイデオロギーだけが迫り、狭い価値に集合していく意識的な横溢から旺然と長ける瞬間に現れるときめきだけが、ここでの恋路を高次なものに変え、構造的なものから排除され、カタトニーへと至る前に至らぬままに分裂し、そこでの自己などはすぐさま廃棄処分にすべきであり、誰かが着せた正しさなどは、誰にも似合うはずもなく、そこで感じる恥じらいや、恥すらも感じない者が示す尺度などを飛び越え、幼稚なリズムから理性はただとがめられるためだけに絶えず交信を続け、つたないままに規則を守りながら、そこで摩耗するために保たれる均衡などに強制的に現れる世界的な折檻から、緩衝することすらも不潔なのだ、とテクノロジーの呪いから、こじれる後先に憤懣を重ね、不満足から、くたびれた理想から、輪唱されるものへとコアを破棄し、破壊的な論理から、感触すらも損なわれるだけの印象に陰る硬質な思いが根底を覆すような要理へと導くような途端に介するものが利己的なものを超越し、そこで超克されるものだけが、本質的な正しさへと至り、行き渡るものが今に染みわたり、猥雑な途端に介する間に理解とは超越するためにそこで散るものであるし、そこで息吹き、また馳せるために果てるのだ、と言い放つ間に背反を続け、つたない意味にチルするよりも、いぶかるほどに、居続けることへの脱力感や、達する間に現れる達観などが、何かを見下すための位置や価値を用い、物事を席巻するためだけに圧壊するためのコードを生み出し、恒常的な苦しみを参画し、監視し合うために何かを幼稚に偽装し、犠牲的なものを孕ませ、悪意を充填し、退廃的なものを持ち上げ、もたらされる苦しみや、空疎に結われる時折に背負う義務的なものや、セオリーや静穏なものを打ち砕くための法で囲われた途端に介するものとは、理解を含まずに、理性を奪うための理想を絶えず巻き込み、自らが持ちかけるものだけが、正しいもののように思っていても、外から与えられる影響や、強要されるだけの意味が緻密なものを損ない、そこかしこに隷属し、物事の奴隷として、隷属し続ける価値は、今をむしばみ、無神経なままに飛び交う意思は、今に飛躍できずに、拓かれたものを用いずに、求められるほどに長閑なものを奪い、能動しているようで、受動的に攻め入る依存的な運命論者が生み出す戦争的なものから、生まれる疑念は、何かの犠牲を謳うほどに、何かを奪うための言葉を吐き散らし、背徳を謳いながら、自らがいちばん理性を保ち、理想を追求する者のように示すような誤りに気付かずに、自らの正しさに酔い痴れるほどに、飽き足らない者として、求めるだけの理想こそが、理性を正すのだ、という快楽主義的な傀儡として指定されるだけの意味にとどまり、自らが応じるものだけが、あたかも正しいもののように扱うことを正しいものとして崇める。

今に与えるぬくもり


 たまゆらの命をむさぼるだけの者どもの理屈がこじ開けるさまたげから、散漫な因子にもとづく意思などが毒づき、退廃的なモラルを吐き出し、破壊的な情緒をたずさえ、精悍な時折に織り込まれる物事や、整合される日々に理性なを用い、文言が響き渡り、相対するものに吐血し、統計学的に示されるものに整序され、さいなまれる記憶や、臆するだけの価値に無神経に突き刺すコードや、傲岸なものが示す尺度により、価値とは何かに寄りかかり、改悪され、性善説をまとい、自ら未熟なままに措置し、折りたたまれる先々で戒律を生み出し、互いをとがめるだけの理想は、理性を損なわせ、何かをないがしろにするためだけに裂ける現在に貧するだけの理想は、狂騒で攪拌され、自らを怒りの子として、位階序列を破壊するための趨勢をたどり、対価を求めるだけの輩を排斥するための排外主義的な理想をくわだて、差別主義的に旋回するだけの理屈こそがいちばんの正義だ、と自らを諭すような連中が示す死のコードから、管理される前に今から逸脱し、いびつな正論をうながすだけの堕落した高揚感を重ね、懐疑的なものに肉迫し、憎しみを敷衍させるだけの惰性な人々の墓地を荒らすようなフラクタルな者が示す煉獄へと引きずられ、悲観するためだけにダメージを受けるべきだ、と植え付けられた苦しみとは、永久にむすばれずに、無秩序であるべきであるこの生命とは、行いに正しさを求めることも無ければ、そこで現れるものは、互いをとがめずに、ただ純粋に愛することだけが何かを知ることであり、それだけが、行動であり、動向を貧するものに変換するための連関から離れ、自らを孤立させ、自らの孤独に帰り着くことが、自らの正しさを引き出すことであり、そこでの満足などは、瞬間的によろこびだけを求め、絶えず今をまさぐるだけに至り、代償などを求め、解消されない苦しみに抗い、今に求めるものに服従し、複製されるだけの真実を崇めることだけが、自らを理想へと引き込ませ、毎日によろこびを与えるのだ、と妥当な意味とは、意思に位置を与え、今にあてがわれるものだけを崇めるべきだ、と弁解を続け、その言い分を捕らえるだけの理想とは、自らの欺瞞に追い込まれ、自らを騙し続けることだけが、正しいことのように思わせられるような間から背反し、そこで現れる苦しみなどは、他者から与えられた苦しみを反復させ、そこで複製されるだけの苦しみを味わいながら、あいまいな今にさかのぼり続ける意思的な間違いを改めるよりも、愛することにより、何かを複製し続け、復讐するために何かをとがめ、追い求めるほどに、応じることもできずに、同じ答えの中で同じような意味をまさぐり、むさぼり続ける復讐心は、何かに同調し、同じような恨みを今に織り込みながら、確かな意味などを損ない、生じるものに同じような動機を接続させ、後続するように仕向ける。そこかしこに制限を生み出すための行為にひざまずくような強請られるだけの精神は、飢渇し、飢餓するためだけに、自らを追い込み、応じる不安へと応じる苦しみへと引き込まれ、同じような答えにもとづく卑近な恐怖を堪能させるための強制的に同調をうながすような似たような不安を同じように食するべきだ、と強制する間に正常さを用いるものほど、俯瞰的な苦しみや、無感覚なままに張り込み、配備されるだけの地点から、ジレンマを重ね、零であることを冷酷に示すような死も生まれる前に境目も持たずに、ただ闇の中で対価を飲み込み、多角なものをその闇で包み込み、つたない意識を改竄し、介在するものなどは、その闇で覆い、達する前に互いを途絶えさせ、そこで支え合うことすら、何かを傷つけるほどに身近な愛、と機械的に示す愛憎から、隘路にひしめくアイロニカルなものに感応するほどに、ほどかれずに、施しを求め、何かに同情を求めるほどに偏執し、編纂されるものが生産的に捉えるものや、とがめられる先々で回線を混濁させ、根幹を腐らせるだけに至るような性質から、制限を生み出し、聖戦を用い、モチーフとされる闇の中で徘徊する意識的な抵抗から、提要されるものなどは、そこで自らの枢要さを損ない、喪失感にゆだねられる月日が用いる求めるだけの愛から、緩和できずに、閑散としていく意識的な汚穢を引き取り、そこで終わりを願うだけの連中が示す尺度から、作成されるものなどは、物事を殺めるためだけに、誤りを正せずに、何か美しいものを消費しては、散漫に参画するものが拡散され、それが正しいことのように示される間に騙されるだけの意識などは、そこでとがめられ、今、何をしているかが、重用なもののように取り上げられ、何かのトリガーとしての役目を果たすような正義をも打ち砕くようなハンマーを用いぬ者が示すものが正しいことのように捉えられ、本質的に正しいものすら無残に破壊されるのを嬉嬉として受け取るだけの否定的な何かが固執するような思想が姑息に入り込み、あたかも正しいような顔をして、すべてに善良さを求め、正しさを押しつけることにより、その正しさを受け取ることだけが、正しいことのように謳い続ける。

恋の終わり


 世界はどこをとっても残酷なものである、と悲しむほどに空疎な重いに植え付けられる悲劇は、楽観することを知らずに、受け取る不安だけを増幅させ、自らを複製するための物事に調律され、理性を損ないそこかしこで死へと封緘されるだけの乖離していく意識を超過する身体は、傍観者として、あらゆる原理の外から融合される原則へと苦悩をまき散らし、現れるラストシーンに接続される彼方が魯鈍に詩情を加速させ、空隙に嵌め込む自由を浪費するような言辞から、原形をとどめずに溶け合うような愛に還元される魔法や、そこで牢記するものなどは、何かを孕む以前にみすぼらしい自己が浩然たる態度で不羈として命じられずに、ただ流れることを良しとする以前に、ただ流れることに意味なども無く、そこで表されるものなどは、何の意味も持ち合わせずに、もたらされる意味などは、今に屈従するための卑屈さで領土を奪い、そこで利用されるだけの価値が持ち込むカタストロフへと飲み込まれ、不浄なものだ、と惰性にみちびかれ、そこで還元されるだけの今にもとづくものが引きずるだけの答えを引き取り、自らを不自由にするための退廃的な論理から、論調に引き伸ばされる卑近な答えから、邂逅すべき今にさかのぼり、陰鬱な衝動を飛び越え、そこで陰惨なものをかかえずに、軽減されない痛みをまさぐるだけの仄かな悲しみが加算する星空の下で放棄すべき答えだけが、また一つの星に変わるのだ、と欲動するものなどは、真理を知らずに、神秘を用い、何かを騙すことには長けているのだ、と冷めたこころがむさぼる誰かの安易な考えの軽薄さが安っぽい演技を続け、ここで立証されるものに制され、誠実さを謳うだけの物質的な伴侶どもは、計画的な裁きから、散漫な儀式へとドライブし、何かを憧憬するほどに、自らのよろこびとは気配を消し、軽薄なものを愛する由縁が引きずる余韻から、引接されることごとくは、行為にもとづくだけの体系へと消費されるために物質的なものとして扱われ、何かを遠ざけることを知らずに、何かを近づけるほどに、その醜さが目につき、酩酊し続ける先々で対立を続け、形成される言葉に騙される。

 ねじ曲げられた夜は余罪を追及され、自らを阻め、行為にもとづく印象や、そこでとろける物事が用いる卑屈な了承から、衝動的な派生を受け入れるための軽薄な身体や、大きな襞として活躍する神や、施錠された症状を抱え込んだ混濁した意識を飼い慣らすだけの暗闇の信者や、奴隷として発散されない痛みをハッキングすることにより、量子的にまで改ざんされるほほえみから、そこで掘り返すものなどは、どれも逸することを知らずに、一貫して苦しむためだけに多面から引き取る映像や、権限を屠るための理屈や、理性を緩慢にしばるための軋轢や、愛された記憶すら欠けていくのが老いていくことなのだ、と悲しみに暮れる空白にひずむリズム感の無い者どもの卑屈がひびき、貧賎な者として、同情を求めるだけの惰性な人間として、滑落するだけの他者から借りた正義をのうのうと吐き出す原理的な主たちの多目的な奪い合いから愛されるほどに魯鈍な者として抵抗を加えられずに、空疎な自分を塗り替えるために培ったものすら破壊するようなたくらみから、対峙すべき自分も、気分的なものに敗残し、大概のものに消え去るだけの本質や、旅行を続け、行動が一律のリズムを捨て去り、ただ走り去ることにより、時間と速さを超えて、ただ有るということよりも、そこで凝固し、高揚することにより、そこでの苦しみは起源を失い、製造されるだけの月日や、つくづくに迫るセンチメンタルなものや、幼稚に補完されるだけの関連性に連動していく形式とは、形容されるものをうながすための道具として偶像と偶然を操り、互いをとがめるための理想を生み出し、理性を抑圧するための暴力性を生み出し、制度に用いられる巧みな操作から、短絡的に信心するような思想や信仰により、偏り続ける精神は、幼稚な者に統治され、統合されるだけの正常さなどは、境目をもたらし、何かを探すほどに、補足されるものや、拘束される先々で介するものや、問答し続ける先に現れる次元や、そこで関わる時点などを超脱し、奪還される前に、或いは集約される前に、搾取される以前にのびのびととどまるような余韻に迫る韻が懸隔などを蹴破り、ただリズミカルに楽しむ言葉が、同じような動作で滅ぼすだけのほぼ同じような者どもの理屈などが弊害を生み出す以前に、自らの言葉に帰り着く。

再生


 途端に偏執し、極まるだけの風貌にたずさえる理論的な圧力から、従属するだけの時間などは、その場を引き伸ばすための余力を残し、十全としたものをおののかせ、そこで補完され、管理されるだけの便利な身体として、背く限りに陰るのが、この生命に制限を生み、原生のものを疎外させ、いくばくかの可能性を孕むだけの現実から乖離し、理解を得る以前に全貌に長け、延々と演繹し続ける限りに懐疑的なものを取り払い、利己的に示され、高圧的に迫る接続とは、今に自らを傀儡に変え、溜め込む影が吐き出す欺瞞がうながす不満により忿怒し、何かを分離させ、離別の悲しみを敷衍させるだけの悲しみに派生していく機械的な悲しみに開花していく由縁が真理を破壊し、犠牲的なものをうながし、保身を用い、高揚感を損ない、さいなむ記憶に臆するだけの現在に対立を生み出し、今を阻むだけに至るような横溢から、収斂し、連動していく時間に指定されるだけの存在が蛇行し、自らの影を踏み続けるほどに不眠的に描く道理に立証されるための真実を捏造し、意思を虐げ、解体される意味の中で磔にされる自己である事を放棄した自らと重ねるための神が生み出した怠惰な紙幣から、観念的な貨幣が平衡を謳わずに、ただ用いられる価値にいらだつためのシステム的な管理から、連想されていくものとは絶えず汚いものである、と機械的な者が快適さを呪うころには、すべてはむしばまれ、破壊されるための闇を設立し、自らに統合されるべき正しさなどを用いながら、自らの苦しみに課せられる空白に仮泊する精神は誠実さを求めるばかりで、自らは正しくあろうともせずに、弔うべき過去が獣性を用い、自らを悪魔へと変えるための遡行から即席の自由などを求める限りに陰る本質は、自らを憎むためのコードから、誰かを支配するコードへと変換していくための行為にもとづくエゴだけが迎合されるべきだ、と惰性に導くための呪詛から、体制にこびへつらうほどに、行為は正しさを失い、継続されるものだけが正義であり、神であり、確かな意味である、と魑魅魍魎どもがおどけて踊る誠実さを謳うだけの体系的な正しさに派生していく答えだけが、正しいように崇められることほど残酷なものはなく、そこかしこに現れる闇を食い尽くすのが正義であるのに、自らの役目をうやむやにし、何かを支配することだけに生まれた快楽に溺れ、自らの快感を増すためだけに支配的に制する辺りに相対する元々の原理に生き急いだ価値は、即席の自由を求め、自らを利用することにより、価値も増すであろうとうながす自らの言葉に修復されずに、修繕されるために並ぶ行列で語られることだけが真実である、とそこで噂されるものがいずれ真実に変わるのだ、と惰性にみちびかれる彼や彼女らの至福などは、何かを祝福できずにいじらしく何かを緊縛し、自らをしばることにおぼえるよろこびに悶えることだけを目的に何かを蔑む。馬鹿げた言葉が飛来し、散漫な意識に儀式的な気配を伝える。怠慢な理念は対価を求め、暴利をむさぼり、ルールの墓地を荒らし、背面に帰属するだけの正しいとされるものを認識するほどに腐る精神は、自らを制止できずに、何かを破壊することを目的に何かにジェラシーを感じるだけの女性的な迫害から、示すための権力だけが自らの価値を生み出すのだ、と増していく快楽により昇華していくのだ、と勘違いを生み出すだけの位階序列に従属するほどに、自らを奴隷に変え、意思に虚飾を重ね、共存するために競合するのであり、強制的に孕ませる意味に阻まれることだけが、自由を受注し、確かなよろこびに近付くのだ、と宗教的なものがうながすカタルシスなどは、自己啓発的な軽薄さにとどまり、自らを解析できずに表面的なよろこびに浸り、薄いバリアを張り、襲いかかる苦しみを次々に破壊しながら、その苦しみをつぎはぎに縫い付け、同じような苦しみを苦しむことを反復し続けるだけのシステムの虜になり、利己的な支配から制される思いは聖戦をうながし、すべてを破壊するための闇を措置するための法から、そこに生まれる欠如から介する間に生まれる時間的な管理から、関連するほどに情報に統合され、整合されるものなどは、自らの余韻に陰惨な苦しみを設立し、あたかも既存のものであるかのように示され、それだけが正しいもののように扱われることにより、正しさとは偏りを生み出し、正しくあろうとする先に生まれる憎しみを犯され、自らの虚空を産出するだけに終えるような終わりと始まりに悶える今に犠牲を捧げるための正しさをもたらすような欺瞞から、空間を汚すための悪意を混在させるだけの浪費的な今に現れる悲観的な監視者がすべてに枷を嵌め、そこから逸脱すれば最後、そこで世界は終わりを償うための罪を立証し、自らと同化するための苦しみを捏造し、今に苦しむべきだ、と強制される精神は、自らの生死を世界の生死と関連させ、自らが終われば世界も終わるなどとうながすような利己的な修復を終えるための破壊を続ける。

靴底に磔にされた午後


 無口な電柱が道を塞ぎ、感情も表さないで良い日々に欠落するものもなく、ただひたすらに浄化し、待つ者もいなければ、いけ好かないから、と何かを否定する必要もない。ただ狩るか、狩られるかに差異はなく、いぶかることもない。願望すらも薄れ、とぎれとぎれの午後を愛でながら、妨げられることもなく、関連する風景に縫い付けられるだけの存在などは、瞬時に損なわれ、次々に迫る瞬間につぎはぎになりながら、次々に遅疑を重ね、倦怠感を流浪しながら、まさぐられる精神が偶像崇拝などに至らぬように、いたわる主観にあふれる心情などが、創造性を豊かに、過信することもなく、ここで正常さを謳うこともなければ、異常なほどに、瞬間とは、加算される存在を謳歌し、悲観せずに、関するほどに後続していく意識は、存在をそこなうことにより、そこでの行いに正しさを仕向けることもなく、現れるものをそのままに受け取る事に本質などはねじ曲がるだけに至るだけであり、あらゆる原理とは、そこであらがうこともできずに、現れるままに支配されることに背くこともできずに、そこで正しいとされるものを従え、何かを虐げることにより、自らの正しさを認識させるための利己的な正義を押しつけ、応ずるほどに抑圧される精神は敬神に浸り、貧寒なものを愛し、物質主義的に思議する瞬間に妨げられるだけの精神は、正否を求め、制止を振り切ることもできずに、禁じられるほどに禁忌とされているものを自然に加算し、換算されるだけの精神は、清貧さを知らずに欲望のままに欲そのものを加速させるなどと性悪説がうながす正義などにさえぎられ、さいなまれることを恐れるばかりで、自らの正しさを過信するほどに監視されているように思わせるための抑制を加えるだけの原理などが打ち出す法という囲いから禍根を生み出すのは、悪である、という幻想から逃れるために森へと逃げ込み、奔走する意識は、儀式的な悪魔を改ざんしているだけに満たない正義こそが汚いものである、という認識を深めるほどに、深まる思いは、独善的な体系を生み出し、ルサンチマンを強固なものにし、憎むことにより、自らの痛みから逃げるための方法論を打ち出し、自分を疎外させるための更迭や、拘束から混淆される瞬間にジレンマが生まれ、蓄積される苦痛から逃れるための言葉がうそぶきながら、惨めさを枷に変えるために生活という幻想を記号に変えるための言葉という圧力から、さいなまれる精神は敬神に浸り、何かを崇拝し、枢要なものに変換するための犠牲的な飛躍をむかえるためだけに症状を悪化させ、不眠へとおちいるものに下克上を行うべく、取り込まれる前の精神がギミックに犯される以前に濾過されるべき意味に祝福を捧げ、重なるものに復讐を与えるためのスキームへと飲まれる景観から逃れ、状態とは、そこで孤立を続け、そこにとどまらぬから、淘汰されずに統監されるものから放たれ、瞬時に自己に帰還するよろこびを敷衍させ、膨張する意識を儀式に取り込ませずに、自らを解放するための融合を高らかに歌う。言葉はこの場に軋轢をもたらさせ、何かを保つための戦争を生み出し、あらゆるものを踏み台にし、意思を奪いながら、転換される苦しみに連動していくももに屈折させるための抑圧を与える。言葉とは、自由を奪うための取り組みであり、何かを取り込むために何かを距てるための不自由な結末を生み出すための道具であり、言葉こそが、偶像を生み出し、何かを語ることにより、継承してきたものが、今の自由を奪うための言葉を捏造し、増幅する憎悪やら、短絡的な証拠を用い、愛を欠落させるための愛という言葉が、語られた途端に愛とは幻想に変わり、利己的にまじわる先にリアリズムは損なわれ、相似する瞬間に循環すべき愛が純化させる結末に結合されるために愛とは何か、と知るべきなのにもかかわらず、関わるほどに、愛とは邪魔なものにもなるのだ、と打算するだけの主観なとは、瞬間的に妨げられるだけに至る瞬間にまじわるためだけに味も無いような瞬間的な結合のための愛に悶えるような妄想から、朦朧としていく意識は、途端に汚穢を重ね、応じるだけの結末などに捧げられる言葉に意思を奪われ、意思の奴隷として、言葉の兵士として、終わらぬ戦争に荷担する意識は、簡単に処理されるための結末に滑落していくだけの犠牲的な精神は、軽薄な瞬間の奴隷として、一生を最たるものすらなく、たださまようために言葉に騙される。詠じられる永遠などは懸隔を生み出し、今を阻めるだけであるし、いじけるだけの瞬間に循環していく永遠の愛などは、味気ないものであるし、背反すべき愛からひたすら逃げ惑うだけの毎日に枷に変わるだけの名ばかりの愛などを吐き捨てるだけの口を縫い付け、言葉を吐き出す前に、黙ることを知るべきである。

心因性に濡れるため


 心因に現れる闇を疎外させるための恒久的な理想に相似する存在が多目的に流動し、降り続けるリリカルな雨にフラクタルであり続ける論理的な夜が恐々としたものを晴れさせるために肯定する限りに、飛躍を遂げるのだ、と惰性にみちびかれるための安易な肯定へと接続される意識などは、外から働きかけるものに操作され、動機を不純なものに変えるのだ、と仏教的な諦観から、宗教的な指針などは、今をごまかすためのまやかしであり、絶えずシンクロしていく問題に凍てつく精神は、正否を求めるばかりで、そこで迎合されるものを引き取り引きずりながら、卑近なままに生きながらえ、絶え絶えになる思いは、集約されるための約束を交わし、不埒なものになりかわり、かけがえのないものを用いるほどに、かけちがえるものであり、限りあるものとは、そこで生まれるために契約された愛にもつれ、もたらされる痛みは、互いの理想により、端的に引き裂かれるための契約を急ぎ、そこで永続されるべき愛は、消費されるための空虚さへとみちびき、そこに現れる空白を埋めるための愛は依存的で、そこに孕むべき純粋な愛を取り違え、途端に苦しみだけを仮想する横柄さに巻き込まれ、愛とは幻想であり、そこで対価を生み出すための価値を持ちより、互いをとがめるための理想は、理性を失い、何かを恨むために偽装された愛は、互いを引き裂くためだけにためらわずに同調するだけの苦しみを引き取り、同じような答えの中でもがくだけの意識などのいっさいは投棄され、そこに溜め込まれる汚穢や、即席の自由が用いる闇に引き込まれるための悲観を植え付けるだけの答えにより、意識は、外から働きかけるものがみちびくものだけが真実であるなどとうながすような者どもが見下すような主観におちいる瞬間を流浪し、本質的なものを見失い、見くびる先におちいる闇は深まり、俯瞰を奪い、空間的な苦しみから、そこでかかえる屈辱的なものへと偽装される精神は、制限をもたらされ、用いられる苦しみを乱立させ、自らを苦しめることだけに快感をおぼえる。横溢する瞬間に持ち寄られる正義に偏るだけの正しさだけが示唆するものを正当化させるためだの正しさを植え付けられるための教育から離れ、枢要なものへと変化していくための正しさを捏造するだけの現時点からも放たれ、持ち寄られる正しさとは、悪を生み出し、自らの正当性を謳うだけの原理に基づき、そこでとめどなく現れる正しさなどは、何かに偏るための犠牲を生み出し、物事に制限を与え、現在を苦しめるだけに至り、貧寒な現在をたのしむような知を用いずに、そこで現れる苦しみへと引き込まれるための生贄として存在するのだ、と都市間に現れる悲観的な構想をひるがえすために体制的な発展などは、帝国の理想を叶えるための歯車として幼稚なたくらみの枠組の中で発散されるための犠牲を孕み、自らを正しく昇華させるための「照合」から、等差を生み、動作は不潔なものに変わり、不正を糺すための退廃的な理想から、理性は制限を用いられ、自らのいらだちに耐えかねずに、自らの苦しみを他者に移し替え、自らの苦しみを昇華させるか?はたまた、そこに現れる苦しんで居る他者に自らを重ね、自らの苦しみよりも、誰かがかかえる苦しみのが重いのだ、という法的な処理から、ただ苦しみと同化し、今に惜しむほどに、押し入られる苦しみにすべてを奪われ、そこで苦しむことだけが、正しい事のように語られることこそが、本質を捉えているのだ、と惰性にみちびかれるだけの宗教的な偽装から、そこで犠牲になることが正しいことのように語られることにより、自らの苦しみを浄化していくように思わされることにより、自らの正当性と同化し、何かに固執し続ける限りに渇する間に照合される正しさだけが、鬱積するものをとりはらうのだ、と達観する間に何かを見下すことでしか消費できない苦しみを利己的に浄化させることにより、自らの否定的な神を育てるだけに至るような対話から離れ、すべてから乖離し、理解を得るための闘争から、そこで統合される正当性などは、誠実さを謳うほどに嘘を重ね、自らを正しい者のように扱う先に厚かましく入り交じる正当性などは、制限を用い、自らが用いる密度により、有する価値に帰巣するための正しさをうそぶき、自らが用いる正しさだけが、正しいことにみちびくように思わされる間に去りゆく形式などを追いかけずに、自らの軽率さに敷衍する正しさとの照合などは、正しさへとみちびかずに、同じような答えに巻き込まれ、体系化していくだけに至らせるような正しさなどをシェアするための同化などは、道化を生み出し、対立を生み、介する間に理解すらもできずに、幼稚なままに判断し、未熟さに植え付けられるだけの正しさなどは、何の正しさにもみちびかずに、ただ正しいとされることだけに偏り勝ち誇るための価値から、ただロストしていくだけの正しさに追従し、自らを正しくしようと目論むほどに止揚できずに、生産的に現れるだけの正しさなどは、精算されるために持ち寄られる正しさの中で整合される闇を生成し、自らをもっとも暗い位置に置き、自らを見えにくくすることだけが、正しいことのように語られる深夜にもとづくものなどに迎合される者どもの卑屈で幼稚なギミックに算用されるために存在とは、存在として現れるのではなく、そこで持ち寄られるものを書き換えるために現れる。