時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

同一化しないための歌


 そこで価値として定められているものに苦しめられる、という矛盾を問うことすら誤りである、と言い放つような支配的な夜に擁立するものなどは、自らを正当化するために映じるもののみを真実として認識し、捉える辺りから、退廃的な呪詛を続け、自らを傾倒させるために形骸化したものを愛でるだけに至らせるような法理の中で理解を深めるほどに、何かに掴まり、つたないものを信仰し、そこで試行錯誤するほどに錯綜する脳内で樹立するものなどに抑圧され、聖戦などを用い、物事を正しい戦争へと至らせるような終末論的な回答に韜晦する真実が退行する意識の彼方で独裁者へと変化する間に変換されるものなどは、ものの価値を見誤るためのためらいを生み、即席の価値を崇め、そこで愛でるものだけが、正しいことに利用され、理解を得る必要も無く、ただ従うことだけが、ここでの正しさを生きられるのだ、と支配的な物事が示す差異などすら不要であり、そこで利口である、とは、何かに利用されることを知りながら、狡猾にうごめくことであり、答えを知りながら、そこで慟哭に至らずに、ただどう解くかにより、価値とは、その場で変貌し、自らを快活な者に変化させ、関心を引きながら、引き合いに出されるものを出し抜くことだけが考えることだ、と呼ばれ、要する形に乖離せずに、理解を示すことだけが、ここでの正しさを引き出すのだ、と卑近な者が示すものだけが、正しいことのように扱われることに善悪などは無く、そこで軋轢を生む。自らの苦しみを生贄にしながら、しなびた精神によじれる懐かしさが示唆するものが支配的に迫り、白日の下にさらされる正しさは、ただ正しくあろうとするほどにあらがうことを知らずに、ただあるものを恨むことだけが、正しいことなのだ、と惰性にみちびかれる人々の意地汚さを謳うよりも、そこで意地汚い者に変えるために扇動する者を捕らえる。そこで得るものなどは、ほとんど本質を欠いたものであるし、そこで支配されるだけに至るような齟齬から、聡明な時折に軋む現在に過ぎゆくものが抜き差しされ、苛まれる時折に重ねる対象に対する嫌悪から剣呑な時折に有する価値的なまやかしが責め立てるほどに、そこで停滞するこころが生まれ、敵愾心を育て、ルサンチマンへと変化し、重厚な時折に閉め出され、抜け出せずに、自らを恨むように他者を倍以上に恨むような結末に浸るようなペシミズムに至り、オーガズムに浸るだけに至らせるような経過から、形成される真実などは、真実としての役目を果たせずに破壊されるだけに至り、いたわることすら不潔として捉える辺りに抗い結末に浸るほどに悲観的に関する全体主義的な集積から、その場で傀儡として生き、解体されるべき域を知らずに、用いられる領域や境界により、正しさをいじらしく示唆するだけの退廃的な呪術師として描く予言などで人類を衰退させるだけに至らせるような贋物の神を元来のもののように扱うだけの物質的な神などは、自らを鍵とせずに、何かを飢渇させ、飢餓させるための道理にみちびき、自らを未熟なものとして旋回させるだけの暗記で、頭の善し悪しを測ることしかできぬような善悪などは、容易なものを育てるためだけに機能するだけの教育に浸り、育雛することを知らずに、枢要なものをあたかも与えるようで、幼いころから洗脳し、意思を専横し、意識を奪うことだけに至るような概念を打ち砕くために、蓋然性を謳い、必然性を用い、宿命などを持ち出す者どもの正解などが生み出した世界などは、すぐさま破壊すべきであり、そこでおちいるだけの暴力性から制度は、フラクタルな者だけをアイドルとして崇め、あらゆる原理に帰巣すべきである、と宣言するような幼稚な主事どもがひれ伏せさせるために生活や清潔感などを操作し、正義を用い、嫌疑をかけ、懐疑的に至らずに、ただ与えられる答えこそが絶対的な答えであるのだ、と小手先の需要を用い、モチーフとされる悪を恨み続けるべきだ、と示す正義などは、何かを詠じることにより、自らを嬉嬉とさせ、快楽に浸らせるようなオプティミストどもがコミュニズムを蛇行し、行為に複製されるだけの理想に季語を打ち出せずに、ただ対処し続けることに道理を求めるほどに卑屈になるような離人的なリズムを形成し、ずれていく衝動は、対象を否定することだけに向けられ、報うためだけにためらわずに攻撃的になり、担う意味に似合うような形として、同じような人間として同化することだけが、圧力に屈さず、ただ右向け右と左向け左に胸焼けしないような人間に育てられるためだけに互いに迫る幼稚なギミックに緩衝するための普遍性に不具合が現れないように、演じ続けることだけが役目であるかのように示す表を燃やす。

体系に与える多幸感


 膨らむ由縁は悠遠をも飲み込み、そこで捕食されるためのルーツや、襤褸を着込み、観点を疎外させるための概念が吐き出す理想論的な諦観を前衛的に巻き込むような創造性や、制度をひるがえすために、この生命とは原典を捨て、原点をも掻き乱すために対面にダメージを与え、精練される時折に基礎を埋め込むだけの帰路から離れ、蔓延る悪意や、うやむやにされる現在にやましい原生を用い、証拠を用い、この場で屈従するための理論を用い、モチーフとされるものや、元手になるためになれ合うべきだ、と協調的なほどに補足されるものなどは定型に収まるだけの退屈で怠惰なものであるし、そこで独占的に支配されるための婚姻などは、関係に軋轢を与え、そこにあったはずの愛も、何かに合わせることで、自らを愛することを全体性に至らせずに、ただ体系的にそぐう形を愛するためだけに愛とは、愛として名付けられた途端に愛するということは機能化し、拡充されるための愛は、持ちつ持たれつともたれかかる先々で幻想をたくわえ、惑乱し、惑溺するためだけにあいまいな愛は、深まることを知らずに、そこで埋めるための愛などに引きずられ、卑近なものとして間隔を広げるだけのためらいを生むための運命論や、差別化されるために攪拌される半径や、そこで経過するものや、景観を汚す者を生み出すためのバンダリズムや、硬化する意識は、いびつな観念を生み出し、絶えずシンクロし、確かな愛をたしなむために、ただ愛するということの刹那に嬲られ、互いを多幸感に導くための昇華に至らずに、資本的なものを謳い、提携関係に至るための愛は、今にも敗残するためだけに、互いを崇めるための理想を用い、何かを愛するというよりも、そこで愛されることだけを目的に毒されていく形式から愛は形骸化し、外観を汚さぬための名ばかりのものを信仰することだけが、自らを愛することのように思うべきだ、と諭すだけの司法は、帰巣すべき愛を持たずに、保たれるべき愛を用いずに、ただ一途であることは、いびつな愛を形成し、自己愛に耽るほどに不潔なものに至り、至らぬ自分を憎悪するだけに至るような偏りを生み出し、忿怒に至るルサンチマンへと変化し、均衡を保てずに、同調する者を巻き込み、自らの憎悪を多面になびかせるほどに嬲られる精神は、たぶらかされ、確かにあったはずの愛も、今にすたれ、自らに疲れ、長じる由縁に引き伸ばされるだけの自己顕示欲から、権利を謳うだけの白昼夢や、空疎な理論をかかげるほどに、理想とはほど遠く、そこで愛するべき瞬間も純化できずに、そこからエクソダスできない者どもの理屈を着込み、自らの足取りを重くさせる。
 出来事とは偶然性を孕んで、そこで賭けを繰り返す。生命とは、瞬間的な死を背負うよりも、瞬間的に生きるための跳躍を続ける。途端に現れる今などは、意味を占うよりも、そこで恨み辛みを綴るよりも、主観を汚すための情報をまとうよりも、「そこで増やされるだけの知識などは、所詮、そこでの知をたしなむこともできずに、何かを説き伏せるための快楽に耽るだけだ」と低劣な者を批判しても尚、ここで拘束されるだけの姑息な理想から逃れずに、敗者として、配下に下るだけの関係性に制度を付着させ、空疎な自分を恨み、時運に恵まれるために空の胸ぐらをつかみ、培うことを知らずに、ただ脅し、手に入れることだけが、キャピタリズムの中では正義として崇められているだけに満たないような未熟な正義をかかげるほどに、価値観は崩壊し、解放を謳うだけの短絡的な自由の需要として、ただの物質として対価を求めるほどに瞬間的に粛清されるだけの運命の中で拘束されるだけの自らに屈従するほどに、ここで従事する意味から逃れられずに自由を求めるだけの家畜として運命を呪う。能動的である事だけが、君を解放する手立てである、と宣言するような余波から、マルクス的な理想を離床させずに、ただ偏りを生み出すだけの暴力などは、自らの質量に耐えられずに圧壊するだけに至り、未熟な自己を育てることを知らずに、惰性で示すものなどに加勢するほどに、権利を求め、権力を用い、何かを支配するよろこびに気配は、外形を整えるために呪い続け、つたない意識は、秩序を求め、蓄積される苦悩や、空疎な自分を屠るための規律から、記号化されるほどに暗鬱なものを重ね、悔悟をため込み、自らのバランスを保つために何かをとがめることから、当該するものへと進化すべきだ、と信用は何かを騙すために大義を用い、懐疑的なものを抑圧するための信用から脳内に送られる信号は、そこで確かなものだ、と認識していることに誤りを見出せずに、そこで正しいとされるものだけが、正しいものであるという誤りから抜け出せずに、惰性なままに信用する現在から逃れられずに、今に敗残し、意思を奪われ、今を従え、矛盾を加速させ、性差を生み、差別化を進め、侮蔑する先々で分裂する意識は、何が愛かすらもわからずに、ただ愛することの技術に溺れ、自らを横暴な者に変化させる。

多寡


 不吉な予感がする、と君はいつも自分を信じられずに、何かがうながす言葉だけを即座に受け入れ、同化することだけに長けるから、自らの首を絞め、使命感などをたずさえながら、体系的なものに経過していく自分だけを正しいものとして認識するほどに自らを非道なものに変換し、争い合うことに生まれる悪とは、そこでの正しさを正しいものに変化させるために絶えず偏りを生み、寡占されるだけに至る独占的な者が示す欲動から、揺動される先々で戒律を生み、対処しきれぬ心情は、信心が足りない、とうながされ、些細なものに即され、モニュメントが語るものや、カタルシスをうながす物陰に潜む空疎な支配者から精読をうながし、自らを毒性のものに変え、物々しい風景に虐げられ、従える意識は、何かに屈従するほどに屈辱に体制へと組み込まれ、体系化するほどに経過していく意識は、迎合されるものや、そこであらがわずにうながされるままに即席の自由をかかげ、不埒に断続する将来などを補足するために十全としないものを持ち上げ、もたらされる是非に用いられる苦しみを解消させるためのプロパガンダをまき散らし、蓄積する苦悩や、そこで追跡されるだけの意識は、惰性なもので組み上げられたものを補足するための正しさをまといながら、まともさを演じることだけが、ここでの正しさを加速させるような事実に枷を嵌めるのが世界の役目であり、そこで大人として支配することだけが、大人としての役目である、とアクメに耽るような快楽主義的な偶像から、偶然をよろこばずに、確かなものだけが、ここでの正しさを運び、正しいものへとうながすのだ、と惰性にみちびかれるだけの快楽的な傀儡として、体制に補完されるだけの関係性だけが制度を用い、新たな快楽を流用し、何かを専横し、洗脳し、譫妄に至らせるような負荷から、不満をさえずる鳥たちのギミックや、棄民として灰色の月日をまさぐるだけのアナーキーな日々に鍵すらも捨て、どこでも住まいに変えるような漂流者として、あらゆる欺瞞を捨て去る多面になびく分裂的な者として、何にも適任せずに、敵意すらも用いずに、もたらされるものに反するよりも、関するという意味を捨て、概念を突きぬけるような遊牧民として域を破壊するための家畜よりも、すべての草木を食い荒らす外来種として排除され疎外されるだけの排外主義に凭れるだけのレイシズムに耽るだけの惰性な域から抜け出し、切り取られるだけの現在に楔を打ち込み、「自らを儀式のサクリファイス」として散漫な意識に磔にされるために多面に現れる不安を解消するための大義を用い、懐疑的な日常にひれ伏し、悲恋に揺らぐよりも、悠遠に潜む価値観の家畜として与えられた餌を、与えられた分だけで捕食し、空疎な自分を崇めるために正しさをとがめずに、示唆されるものだけを物事の始まりとして不吉な者をとがめるための排除を勧めるよりも、そこで慟哭によじれる者に同情するよりも、そこで価値として崇められるものに這いずるよりも、介する間に理解すらも生まずに、不満をうながすだけの分子として、分立する者として、史観にうごめく愚行で未だにかかずらうだけの意思などは、そこでの正しさに支配され、そこからの正しさを生み出せずに、ただ支配的な景観に利用され、流動できずに、制度に付着するパラサイトとして措置されるだけの名ばかりのものを崇めるだけの理想などは、理性を制し、そこで詠じられるものだけが、物事の正しさを生み出すのだ、と惰性にみちびかれ、そこで堅持するための理由に捕食されるために待ちわびるようなマゾヒズムにおちいり、リリカルに至らずに、浸る痛みに加速する苦悩だけが、自らの生をよろこびに変えるなど、というペシミストがうながす犠牲心的な神話から生み出された正しさなどは、ただ自らの苦しみを美化し、苦しむことだけが、正しいことにみちびくという幻想から抜け出せずに、何かに同じような苦しみを背負わせ、自らの苦しみを解消するなどという馬鹿者の卑屈な精神がよじれる隙間に正しさを押しつけ、自らを堅持するための理屈を捏ねているだけに過ぎず、そこで償いを求める黒々とした感情を正しい、とうながすような者の価値こそをひるがえすために我々はあたかも存在しているかのように法に囲われる以前に、ここで雇用されるためだけにためらいを生み、何かの行列に並ぶために何かに倣い、自らを虐げるだけに至らせるような制度から、国家というものを持たされた瞬間に我々は純化することを忘れ、循環することを忘れ、循環させられるだけに至り、純粋であるかのように演じることに浸り、そこで獣性をたくわえ、惑乱させられ、悩乱に軋むような宣伝の最中に忠誠を誓うことだけが、正しいことのように認識させられた過ちをうながす神こそを打ち砕き、自らの正しさに帰還し、逃げ惑い、誰にも掴まらぬように荒んだままでも懶惰なままでも自らの正しさをも超えて進み続ける。

危ういもの


 変革を謳う懸隔から懐疑的な日常に迫るニヒリズムのリズムが空気をヒリヒリさせ、自らが悲観するものがウイルス化し、請け売りし、経過するものが景観を汚し、経済的な反応から反証するものなどは、どれも自らを正当化させるための欺瞞であるし、自らの不満足を埋めるための低劣な恋歌などが染みいる現在に思考停止におちいる神々の悪阻や、相対するマインドにあいまいなままに市民権を謳うだけの陰りから、そこで境界線を生むほどに運命論におちいり、時間論にとどまり、老化するだけの身体や、投下される問題に交換されるだけの答えが抗体にもならず、何かを交換させるほどに些細な出来事がデータを奪い抹消させるだけに至る脳内に循環する答えが収奪し、悪趣味な搾取を謳うだけの偏りから示されるものに閉め出されるだけの疎外感を加速させるためのためらいから、革命とは誤ったものを持ち寄り、自らの暴力性を加速させ、自らが毛嫌いしていた権力の亡者以上の亡者として餓鬼として魑魅魍魎として亡霊として生きることだけが、ここでのプログラムに反し、関する間にかかずらうよりも、ここに用いられる要理にいらだつよりも、ここで貧寒なものをかかえ、散漫な動機に印象はとろけ、流浪を続ける意識は、緩慢な作用に綻ぶだけの空白に隔離される関係性は、制度の中で感性を損ない、相似する由縁にからまり、関わるほどに自らに補填されるものや、補充されるものや、補完されるものだけが正義へといざない、悪を打ち倒すためのこころみに生まれる悪意をとがめずに、当該するものだけを信仰的に疎外させるために何かを追いやることにおとずれる快楽だけが擦れ違いを生み、軋轢を生み出すことを乗り越えられずに、ただ悪として与えられるものに当て付けるものや、そこでの不安や恐怖を解消するためにストックされる悪こそが正義を印象付けるためには必要不可欠な絶対悪である、とあいまいな毎日は、疎外感にふるえるだけで、孤高に至ることを知らず、また孤高に浸るものが見下すだけのガイダンスに従うだけの屍骸をかかえるアカデミズムがヒステリックに嘘の情報の残像で譲与するための情報の奴隷として、動向に寡占されるだけの即席の独占欲から、憧憬に浸るだけの崇拝するための欲望に揺動されるだけの女性的で閉鎖的な島国から加速していく諦観のリズムから理想とは、帰巣するための呪文のようにまじわる始まりから恥じらいを持たずに侵略を続け、行為に矛盾していく精神的な痙攣から、形骸化していく意識の外観に迫る猥雑な思想から惨害と化するだけに至るような清貧な夜明けを待つ君の改ざんする意識的な除霊を執り行う、と悪魔的な輩が金銭を求めるだけの抱擁から、このカラクリを説き明かすよりも、そこで説き伏せられたものなどは、どれも退廃的に対価を求め、全体性を謳いながら、朽ち果てるための正論を持ち寄り、静謐さを損ないながら、ちぐはぐな今が駆逐されていくことを傍観し、散々な日常に想起されるものや、そこで出来合のものをかかげるために枢要なものとして捉えるものに囚われる人民は、自らを捕縄するための言葉を自らで操作し、自らの意志を奪うために、意思に軋轢を加え、空疎な自分を補完するために信仰し続けるものなどは、どれも、自らに近寄ることは無く、ただ近付こうとするほどに、自己との距離は生まれ、虚偽に浸り、何かにあがなうために自らを生贄として捧げるような儀式的な互換性から、枯渇していく精神は、正否を詠じられるままに受け取るだけの空疎な箱として、浸食していく今に捕食されるための家畜として、背くことを知らずに、聡明な時折に帰路も見出せずに、打算され、採算を合わすためだけに機能するような短絡的なにんげんとして零落していくよりも、怜悧なままに魔物どもが補填するだけの原理的なものが示す原因から放たれ、たび重なる思いに関わるものが補正していくほどに苦痛は増していくのだし、出し抜けるほどにここで効率良くむすばれるものだけが正しいものとして豪放磊落とするべきであるのに、何かに関わるほどに加工し、囲うことだけが正しいもののように仕向けるだけの正義などは、自らの正しさを捕獲するためだけに、何かを犠牲にするよろこびに正式さを求め、最たる意味を損なうためのきっかけ作りのために飢渇する現在に与える栄養などを謳いながら、兼用されるだけの義務的なものが何かを見えにくくさせることにより、自らを動きにくくさせる間に配管をつなぎながら、同じようなものをうながし、そこで同じような問題でうなだれる、何かと同調し、協調することだけが、自らの罪や、自らの苦しみを軽くするなど、と隔離するような信仰的ななれ合いから離れ、その合間に潜み悲壮感などを生み出すだけの間隔におちいるほどに、応じる意味に吸い込まれ、垂涎する者として、何かを崇めたてまつることによりむしばまれる精神に寄り合うものだけを確かなものとして受け取る危うさにこそ気付くべきである。

物陰


 存在することに理由などいらず、語り出すものなどは、今を騙し、踏み荒すだけに至るものだし、そこで経緯を持ち出し、意味を束縛させるほどに苦悩は増し、自らの苦しみを敷衍させ、一貫した苦しみを孕んでは、懶惰な自分を恨み出すようなシステムのサイクルから、猜疑心を生み出し、徒に消費される観念は、用いられる概念に打ち勝てずに、悩ましい自分に惚れ惚れしながら、苦い月日にねじ曲がる感覚が、悪を生み出し、ニヒリズムへ、と誘う過程から経過していく思いは、今にも踏みにじられ、自らの悲しみを反芻するという反省から逃れられずに、今にも意思とは朽ち果てる。物陰に潜むひっそりとした瞬間に潜む抑揚から揺動されるための真理を生み出す機械的な論調から離れるために、抵抗を加え、生きることに理由を用いるほどに、「存在とは、そのはしたなさに耐えかねずに、体系化するものへと飲み込まれ、垂涎する者として、物事の本質をあたかも知っているかのように吐き出すだけのアカデミックなミミックを演じる」という段階に潜むガイダンスから悲壮することによりすれ違う意識は、悲恋に緩衝しては、均等な意味を捕食するための啜るだけの者として、秩序を保つために何かを拘束するよろこびに耽るために連立する粛清を繰り返しては、定期的な苦しみを吐き出すことに飽き足らず、ただあいまいな毎日には、地に足がついた愛があるなど、と語るようなコマーシャリズムがうながす普遍的な生活などは、張りぼての幸福論であり、供血されるために、或いは狂気を捏造し、境域を生み出し、排除するために主義を捏造するだけの偏りを生み出すだけの弁証法に浸るほどに悲観的で、一貫した悲しみを律動させるための類似品として、あらゆる緩慢な主意を持ち出し、何かの便宜を図るために募らせる正しさなどの横柄さに耐えかねずに、自らを憎むほどに、誰かをおとしいれるためのルサンチマンとして、ちぐはぐな浪費を繰り返すだけのペシミストとして、創造性の欠片も無く、ただ奪い合うための秩序のためにいっさいの苦しみを破棄させるような軽薄なものを生み出すだけの育みから、蔓延る悪意にとどまるだけの事実は、意味を奔走しては、何かを騙すためだけの秩序を織り成し、正義を騙り、悪を捏造し、自分だけが正しい者であるかのように語ることだけに長ける詭弁から、利便性を求めるだけの世界は、世界としての役目を終え、途端に生死と政治と善悪を用い、今を拘束し、集約されるものに収容し、そこでの正しさを堅持するために、自らを誇示するような闘争から、等差を用い、交錯する真実は、数理の下で敗者として名付けられ、途端に廃される自らを互換するための真実などは、信じさせられるために用いられる正しさに屈従し、正しいことして崇めることだけが、唯一今を正しいものへと変化させるという傲慢から緩慢に作用する意味合いに感化させるような不潔なコードから、空間に攻め入る正義とは、犠牲を孕んだ懶惰なものであるし、そこでランダムに作用し、怠惰なものとして黙する間に遠のく苦悩から空虚さを膨らませ、複製されるだけの真実は、集会の中で回収され、改心させられるための正しさを押しつけられ、抑圧されるほどに増していく攻撃性から、劇的な飛躍を遂げずに、そこで諦めさせるために正しさを捏造し、何かを大切に思うべきだ、と是非を問うような正しさなどに愛などは無く、ただ愛してるが故に傷つけるという美しさに至らずに、何かを修復させるための祝福を謳うような偽善的で独善的な信仰から真理は熱暴走し、自らを終焉へと向かわせるためだけに加速し、能動的な死へと鬱積する悲しみの呪詛を綴るだけのつたない人間として、同じような者を同じように憎むような行動こそが正しいものであるかのように崇められる隙間に配役を与えられ、配膳される餌を同じ量だけ与えられ、決まった量を超える、と増していく罪の意識から、製造されるだけの悪意に捏造される正義の犠牲としてだけ存在すべきだ、とすべては決まったものだけを吐き出すだけの正しさなどを示唆するほどに堕落するものであり、そこでフラクタルな者ほど何かに蓋をし、表面だけを見ては、内面を見ずにすぐさま見捨てるだけに至るような軽薄な世界で形骸化するだけに至るような幼稚なギミックから、律する間に食されるためにもたらされた家畜なのだ、となだめる隙間に統合されるだけの正常さこそが異常である、と宣言し続ける間に生まれる逍遥し続ける恬淡で不羈なままな自己から嫌悪するよりも、同調するよりも、そこで総和を求めるよりも、そこですべてとの融和をめざすよりも、そのままであり続けることを疑うことを辞め、ただ果たすための義務などを捨て、ここで行うすべてがフレッシュに弾け、そこで敷衍するものなどは、演じることを終え、ただ短絡的な構想に浸るよりも、陥落しても尚よろこび開拓するような純真さを呼び覚ます。

衝動

 
 生死も超越したようなほほえみで描く主観から、感覚を撃ち抜くような優雅な時間をむすぶ無数の思いが猛る。蕭然とした街の全容に長けるものや、欠けたものが掛け違え、画期的なものすらすたれ、何かに適応するために不純なものを愛する足並みがひびき、貧寒な者が虐げる連中から虐げられるためだけに求められる軋轢から圧力は加速し、今を加工しては、生産的な死へと追いやるための戦争から、専横されるための主義から実状は果てしない暴力をうけいれ、あいまいな観念にそぐうために偶像崇拝を続け、つたない思いは汚いものを機械化しては、均等を求め、平等へと至るのです、と騙る人を介した神は、理解を得るために騙すことを目的とした、主体性を奪うためにためらわずに何かを倒錯させるために等差を用い、昏倒させるためだけに退廃的な呪詛を続け、鬱積する瞬間に循環していくものが躍動できずに、今に関するほどに朽ちていくものだ、と悲観する辺りからデカダンスは悲哀を求め、何かを収斂させるために連動する悲しみを攪拌し、動機を奪うために悲しみに暮れるべきだ、と出来合のものを愛するだけのあいまいなマインドは毎日に寂寞を与え束縛するためにすれ違う毎日に位置的なものは損なわれ、そこかしこでハミングし、軋むメロディーが旋回し、観点を削ぐような勢いで悲しみなどは、その場で引きずるだけの過去の虜として利己的な者が法則的にむすぶだけの堕落した問題に耽るためだけに絶えず答えを巻き込み、後退するための哲学を続け、弁証法に巻き取られるだけの成就などは、観点をそこない、そこで過ちを生み出し、汲み取る意味に踏み荒らされるためだけにためらわずに何かを恨むことに専念するような意味を捻出し、センテンスに疎外され、後悔を生み出すだけの捕囚として生きることだけが、この世界での役目を果たす宿命なのだ、と運命論に閉じこもり、倒錯するだけに至る錯雑とした観念が引きずる概念などは、観点にそぐうためだけに何かを確かなものとして崇めるほどにあいまいなマインドは、毎日に体たらくなものを持ち寄り、過食嘔吐を繰り返し、完全性を求めるほどに、自らの意志はやせ細り、用いられた力に引き取られるマインドはいらだちを攪拌し、関係性に制度を持ち寄り、用いられる意味に法という枷を嵌め、途端に阻まれる思いは、淫蕩に耽り、啓示されたものを崇めるがあまりに、自らの罪には気付かずに他者に罰を課し、自らの不安や恐怖を解消するための割愛をほどこし、散漫な意識は混濁し、堕落した主体を殺めるためだけにあいまいな毎日に基礎を与え、自らを屈従させるための連立を続ける。変性意識へと至るのだ、と惰性な悟りから、散漫な儀式へと意地汚く擦り寄る過程から、諦観へと浸るためのニヒリズムから輪唱する神話的な諦めから、低劣な者が支配を続けるのだ、と低劣な弱者が騙るほどに、犠牲的な精神は同情を呼び覚まし、自らの世界を機械的なものに変え、発信されるものだけに左右され、そこでほどこされる作用などは、自らを昇華できずに、干渉するほどに関係とは制度を用い、自らを膠着させるだけに至るような互いとの距離を埋めるための専横から戦争へと至る距離に虚偽が生まれ、孕む意味も産み落とせずに、応じるだけの答えに抗体を生み出せずに、そこで駆逐されるための弱者を演じ、強者を恨むための軋轢を生み出すだけの主義や理想は、思想には至らずに、思考停止におちいり、何かを求める者と、求めない者との闘争から、等差は生まれ、そこで阻まれる意識は次々につぎはぎの革命を崇め、あいまいな日々に基礎を生み出すために踏み台にされるマインドが敬神にひたり、自らを信じられずに、何かを信心するほどに、季節感に飲まれ、近接する理由に流用され、流動できずに、どこかに漂着し、偶然と遊ぶこともできずに、課せられたノルマに着せ替えられ、流行の者として、或いは相似するだけの者として与えられた世界に酷使され、行動を監視され、換金されるだけの日々に歓喜など無く、ただ与えられたよろこびと苦しみを往復する日々を生きることが、普遍的なものとして崇められ、そこでとむらわれるものなどにいざなわれるようでは、与えられた経済から放たれずに、ただそこで正解として崇められているものを正しいとして認識している誤りから離れられずに、そこで価値として与えられているものとの離反を繰り返すべきであるのに、そこに現れる半径に囚われ、何かを継承するほどに何かを軽視し、何かを軽率なものに変え、変化を恐れるがあまりに現れる間に飲まれ、自らを駆逐するだけに至り、朽ち果てる瞬間に照り返す思いは諦観を生み出し、栄華の夢に住まうだけに至る過去の者として、現在にひれ伏し、そこから逃れられずに列に並ぶために同じような姿形であることを褒め称え、報償を得るために何かにすがることが生きて居ることに課せられた過ちを解き放つのだ、と阿諛し続ける先々で対立を含ませる闘争が世界の終わりを騙る。

逆らう者


 鈍色にかがやく傷口を見てよ、と君は問いかけるが、用いられる痛みなどは、所詮は、そこでの痛みを繰り返すための認識に至らせ、徒に繰り返される苦しみを消費するための苦しみを次から次へと生み出すことだけが、ここでの正しさを流用し、ただ反復される苦しみだけが正しさを持ち寄り、正しくあろうと仕向けることで、正しく認識しているかのように仕向ける間に未来は屈折し、現実とは、永久であることを失い、ただその場をさまよい、何かに酔い痴れるだけの幼稚なたくらみから、大義を用いるほどに、体現されるものなどは、ただ短絡的な破壊へと偏るのです、と性悪説が騙る間に端末化する思いは、基礎を壊し、感覚で消費することで創造的な飛躍を遂げ、物事を昇華させることに重点を置かない資本主義的な過ちから逃れ、物事に持ち込まれる作用から逃れ、神々しく捕食され、五月蠅く過ちを騙るだけの利便性を求める現代人的な哀れに埋もれる人混みの中で混濁する素数やら、蘇生されるための真実を復活させるための儀式的な呪詛を続けるだけの情報の犬として吠え散らす間に基礎は空疎な謀計の彼方で論理的にちぐはぐになり、依存的な経過から反映するものなどは、何かを攪拌できずに、そこで滞留し、膠着するほどに凝り固まる意識は、犠牲的な神話から逃れられずにかかげた神こそがすべて、と愛すらも帰巣させることもできずに、何かを信仰するほどに信用を失うのだ、と惰性な域から逃れられずに批判的な配膳を貪婪にむさぼるだけの卑屈な精神から敬神は大発生し、そこで代償を求めるだけの闇夜に引き込まれ、終わらない夜に縫い付けられ、身動きもとれなくなるよりも、高明な光にいざなわれ、うざいほどに貧寒な輩が示すコードに閉め出されるためだけに反することだけを目的に所持する誤りなどは、過ちにも満たず、背負わされた罪などは、そこの域から出られずに、自らがそこでの規約や規律を背負うことで増幅する苦しみが満たす快楽に相似するものを吸い込むほどに悦に浸るような形而上的なものや弁証法からの飛躍をめざさずに、カント的な神を愛撫するだけの日曜日に住まうニヒリストどもの巣窟で緩慢な精神を吸い込むほどに増していく快楽に浸るだけの緩慢な精神などが示す差異などから放たれ、時間も次元も空間も持たずに、そこで食い込むものなどは、過ぎ去るためでも保たれるわけでもなく、ただもたれかかり、誓いなどをたて、自らの独占欲を満たすための売買から買い取られる心情などを補完するための婚姻から根幹に鎖をかけ、そこから身動きをとられなくするような仕組みでは、体現するものなどは、そこでの終わりを示すための汚穢を何度も偽造し、偽善的に示される者が用いる同情により、等差は生まれ、作動する同情は、差異を用いずに、善悪を捏造し、そこでの等位を決めるために自らの「正義」を着込んでは、混濁する意識の中でさまたげるための法を捏造し、消費するための観念から、そこで還元されるための理由からかねあいを求めるほどに普遍性とは偏りを示し、使命や宿命を謳いながら、何かを粛清されるための命令を下し、空疎な自分から抜け出すためにためらわずに他者を攻撃し、正体を明かした途端に手のひらを返すような傍観者の理屈などを信心するほどに、人心などを操作するためのためらいをそこかしこに生み出し、踏み出すものや、踏み外すものを否定することだけが、正しいことのように崇められ、何かを否定することによろこびを感じるだけの独裁的な主観が生み出す支配的な硬度から、乖離していく意識にシステムを埋め込み、潤うためにためらわずに攻撃的であれ!!と荒れ狂う意識は、色彩を失い、四季すらも失い、敷居を用い、勝手に入れなくするような背反から離れるべく、何かに平等を用いずに、平衡すらも損なうからこそ、自由であることなどをめざさずに、自分であることなどを謳わずに、そこでの奔放さに翻弄されることもなく、ただ過ぎ去るから、と嘆くよりも、そこで老いに至るからといって悲観するよりも、ただ感覚的によろこび暴走し続ける先々で対立すらも生み出さずに、ただするりと抜け出すことだけを目的に、ただ快活な動機に支配されるよりも、でたらめであろうとデータに残るような生き方を示すさすらいなどは、流動的ではなく、ただ支配的に操作されている自由の中での自由をかかげるほどに、自由とは自由であることを目的に軋轢を生み出し、戦争に至るだけであるし、何かを許そうとする意識を生み出すほどに、許すということに反する者を生み出すのであるし、そこで物質的なしあわせを否定するよりも、何かを悲観することを辞めることこそが、しあわせなどを求めずに、そこでの目的に没入し、没落しても尚、這い上がるようなフォースをたくわえ、延々と続けることだけが、ここでの正解を超越し、苦しみを超克し、何度もでも自分に行き着き、自らにも反する。