時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

開く


 革新的な鳥どもが羽化する。飛び立つその速度は、捉えられずに、立証されるだけの風景などを千切り、短絡的な誤解を含んだ言葉の綾をさえぎり、終末をしのぎながら、長らくに沈殿する歴史や、知識もない愚弄な若者と否定する連中をしりぞけ、背反し続ける思春期の翼をひろげ、閉鎖的な日常を飛び交う、その優雅さにほれぼれしながら、慢性的な病をかかえこんだニヒリストや、嗚咽を綴るだけの物語の中でのペシミストどもが併用するだけのデカダンスをちりばめた詩的な夜の余罪をかかえた意識が混濁を生み出すだけのファシストどもの白昼や、衰亡し続けるだけの未来に抵抗を加えるほどに、運動とは、行動の意味をとらえられずに、快楽的な破壊者として生きることでしか、自らの使命を果たせずに、運命論者がちぐはぐな革命を謳うころには、沈殿する意識は、ファシストどもの餌に変わり、なまめかしい瞬間に移動し続ける意識から離れていくほどに、逡巡し続ける意識は、自らの考えに置き去りにされ、自らの苦しみが支払うためだけの義務に絶えず巻き込まれ、緩慢なアイロニーを吐き出すだけの汚い口から生まれる言葉を、あたかも正しいもののように扱うことが、正義を代弁しているなどとうながすような醜悪さを放つことにアンチテーゼをかかげ、関連する状態から孤立するだけの孤独などは、孤高にいたるための試練だ、と謳うだけの宗教的な昇華などは、自らを信心できずに、辛抱強く耐えることだけが、正しいことのように思わせるほどに、自らの欲望に支配され、抑圧されるほどに反発しようと目論むだけの物事に操作され、情報の奴隷として、或いは、自らを正義として悪を生み出すことだけが、自らをカタルシスにいたらせるような方法でしか、自らを娶ることもできぬような婚姻へと帰巣するほどに、根幹は腐るのであり、何かを代用として、自らを綺麗なものに仕立て上げるだけの操作から、性的なもので拡散されるだけの情報を常用するほどに、自らの意志とは反して、そこで操作されることに生まれるよろこびに支配されることこそが、生きてることであるかのように仕向けられ、それが使命であるかのように洗脳されることほど残酷なものなどないようね、と語る彼女の意識をフォーマットしようと目論む現実から逃れるように逃げ惑う私は、戸惑うほどに露骨な商法に騙される輩どもが謳う金言などに邪魔をされ、些細なことで苦しむべきだ、などとうながすだけの協調的な奔走から、奴隷化していく意識を何とか革命へと移行していくとする者ほど、権力が大好物だったりするわけで、そこで分け距てられ、身の丈を知るべきだ、とかなんとかうながすような権力的な暴君として、自らが用いる権力を保つためだけに生まれる既得権や、権益ばかりを優先するだけの改革などにアレルギー反応を起こす私は、他愛ないものを愛するべきだ、などと謳う同情的な輩にもじんましんを起こし、行いが用いる善意的なものこそ、有徳へといたらせるなどとうながすような善悪の是非すらわからぬような者が指し示すものほど、そこにあるものを保持したがり、搾取し続けるような悪趣味なナショナリズムや、ナチュラリストどもが謳う綺麗なものほど汚いものであるし、やがて、何が勝か、ばかりがまかりとおるような世界などは、捨て去るべきである、と謳うようなミニマリズムなどは、自らのニヒリズムが引き起こす病から逃げるために何かを捨てるべきだ、と謳い出す始末にあきれかえりながら、飽き足らずに、何かを受け取りながら、うごめく思念とのぶつかり合いがとめどなく脳内で行われ、慢心を生み出すだけの高次などは真理にいたらず、掃いて捨てるほどある綺麗事や、美辞麗句などをつらねているだけに満たない今に汚いものを吐き出すようなアイロニーだけが、自らをいずこへといざなうわけでもなく、いじらしく何かに焦燥感をかきたてられながら、抵抗を加え続けるほどに、この命とは、どこに行き着くわけでもなく、自らをも超越し、ここで用いられるものなどは、何の影響も与えず、そこに反応するものなどは、そこで善悪を突きつけられているだけに満たず、そこで足りないものを補おうとすればするほどに、足りないものが現れ、満ち足りないのに、何かを求めることでしか、自らを認識できないように仕向けるだけの情報などに刷新され続ける意識などは、空虚さを溜め込み、自らのニヒリズムに食い尽くされ、自らの怪物に打ち勝てずに、何かに敵意を向け、自らから逃げるために何かに敵対心を生み、奪うための闘争から、統制するための統合から、投影されるものだけに流されることだけが、何かを得ることのように思うような判断の誤りから、余り有るものは、あらがうほどに、ほとんど無に近く、そこでの摩擦から、毎日の闘争は、統制を謳いながら、平等を謳いながら、自由を持ち出し、愛を磔にしながら、しなびた思いを売買し続けることだけが、ここでの正しさなどとうながす者に反する命こそが、ここでの役目や役割などから排除されても尚、抵抗し続ける命だけが、そこで測ることをやめ、持ち出されるものに反発し、安易な発想で、安泰を願うだけの体たらくを終え、事務的なものが生み出す欺瞞や、不満足を謳うだけの自己顕示欲や、欲するほどにほつれ、そこで正しいとされるものなどは、ジレンマを生み出すだけにいたることをはじめて知るべきなの、だ。

混沌


 飛び回る記憶は、どこにも行き着くことなく、同じような場所を旋回し、幾重にもからまる空間や次元に隔てられ、時間を用いられては、転換すべき現在にひたりながら、悲観ばかりを繰り返し、空虚なものを重ね、回線を混濁させ、脳内で純化することもできずに、悪い面影とは、ここでの苦しみを輪唱し続けるほどに理想と矛盾していく精神は、契約や、軽薄なものを崇めるほどに、魯鈍なものに変化し、実体もないものを恨んだり、悲しんだりしながら、進行し続ける意識は、いびつなものを形成し、ルサンチマンに変化しながら、変換され続ける意識に懸隔を生み出す。名ばかりの事実は、かさばる思い出を消費しながら、今に迫る意味がエモーションを重ね、乖離していく時間に唱和されるものに扇動され、亡霊と化する意識は、何かに搾取されることを恐れるばかりで、自らの愚かさに気付かずに、軌道修正を施すべき現在に入り浸るだけの現実に隔離され、そこで感化されるものが、感覚を奪いながら、うごめくものに飲まれ、論理的な商法から、逍遥し続けるほどにシステムの餌として俯瞰に襲いかかる無感覚の衝動から、躍動すべき現在に着せられたイメージが邪魔をし、阻止され続ける意識は、徒に消費される今に空疎な面影をたずさえ、退廃的なものを用い、物事に占領されるだけの今に欺瞞を用い、盲信を続け、つたない意識は、つくづくに蕭然たるものを形成し、わびしさをたずさえずに、自らの寂しさにふれるほどに、そこでの孤独とは、実感もなく、ずっと続くだけの孤独を消費し続けるほどに、孤独であり続けるだけの意識は、裁かれるだけの原理や、現実感をそこないながら、そこで喪失感をたずさえ、何かを失い続けることに恐怖をおぼえ、孤独を創造的に昇華できずに、そこで用いられる孤独が鼓動を奪い、動機すら不潔なものである、と暗鬱におちいらせるための暗示が絶え間なく用いられ、そこでツールとして存在するだけの対象が生み出す苦しみが用いるセオリーや、整合されるべき現在に消費されるだけの思いが、途端に苦しみを往復させる。些細な出来事により、そこでの苦しみを反復させるだけの悲恋を連動させるような過去から引き取るだけの面影などは、そこでの苦しみを倍加させるためだけに思い返すためだけに引き出される思いなどは、そこでの思いにあらず、そこで苦しむためだけに措置される思いとは、自らのマゾヒズムを加速させ、不安が用いる苦しみに作用するだけの過去を利用し、自らの領土を奪うためだけに自らが仕向ける行動が、今に軋轢を与え、停廃にいたるだけの心身が仮象するものを崇めだし、何かを崇敬するほどに、自らとの乖離は進み、そこでの理解を得ようと求めるほどに、自らから孤立し、乾いた精神は、何かを受け取ることもできずに、答えの中でもがき苦しみ、空洞化した意識は、何かと同化することだけが安心感を得るものである、と思うほどに、すべてから乖離し、同一化を施すほどに、魯鈍なものに変化し、自らを喪失し、意思に足枷を嵌め、何かを保つために、何かを守ろうとすればするほどに摩耗し、自らをそこないながら、転じて行く苦しみを濾過できずに、逡巡し続ける意識は、苦しみをめぐり、今に苦しみを持ちこみ、求められる意味にしいたげられ、今に弛緩する。今に調和し緩和すべき痛みも、先々で対立を深め、ナショナリズムや、アナクロニズムや、超自然的な対話を絡めて、自らを正当化するだけの独善的な神を主張し、何かを悔悟にいたらせるような罪を服用させるために騙し、搾取することだけに専念するような悪趣味な主体をかかげるだけの理性をもそこなった欲望を加工するだけの禍根の首謀者どもがカスタムするだけの意志などは、自らの力にあらず、そこでそこなうための行いへと加速させるだけの不安感を利用し、自らを抑圧し、抑鬱へといたらせるだけの思考へと加工するための言葉が生み出すものが物事を邪推させるようなルサンチマンへといたらせるような偏執を生み出すだけの理想などが、あたかも正しいもののように崇められ、自らを正義として謳うものほど、悪を創造し、自らを正しく思わせるために騙し続け、自らを正当化するための空疎な理想などを用い、誰かを騙すことだけに生まれる快楽から、求めることの正しさを謳うほどに欲望の機械として措置されるものすべてを貪婪に食べ尽くすことだけに専念するような餓鬼として、あらゆる法を謳い、混沌としていく時代を崇めるだけの空疎な理想を配置し続けるだけの贋物の神として、あらゆるジレンマを生み出し、諦観や諦念を生み出すためだけに独善的な言葉で抑圧し続ける先に生まれるのは破壊よりも、もっともな空虚が現れ、その空洞に吸い込まれ、終わりも始まりもせずに、そこでの空しさを吸い込むだけの空虚さが、すべてを否定し、悲観し、貧寒な現在に生まれるべき愛すらも廃れ、疲れた身体を引きずるだけの亡霊として生きる自分を乖離した自己が傍観し続けるだけの空疎な世界が、世界を覆うだけにいたる悲しみだけが自らを癒やすのだ、という空しい争いが延々と自分の内外で続くことだけが、正しいのだ、と示すような悲しみの生贄として、贋物の神に捧げられるだけの空疎な戦争が続く。

音程


 やめていたはずのタバコを吸いながら、無意味な音を観測している。不自然に調律される音階の調べは、不愉快ながら、何か嬉嬉としたものを大気中に微量にふくませ、汚れた意味を形成しているなどと退廃的な言葉で埋め尽くすのは、低気圧のせいか、とうなだれるよりも、うわずるような声を発するだけのカラスの鳴き声が、鼓膜をふるわせ、高慢な者が支配する云々と、世界を否定するよりも、おもしろい意味をまさぐるような関係に制度すら不潔に思えるような夜に支配される以前に、何かから乖離するようなよろこびの揺籃で眠り、夢の中での神秘的な帰路をたどり、怠慢な意識がたどり着くデカダンスな風景をよぎらせる詩的なノイズが形成するノスタルジアで、痙攣する夜明けが、銀河が一律の悲しみをうながすだけの今朝に排斥されるだけのスラングや、衰亡する意識の過程に生み出される哲学的な酵素を生成しながら、しなびたふんいきが醸し出す鬱陶しいほどの非道さを保つだけのキャピタリズムの空疎な刺激を受けながら、鍵盤をたたくたびに昇華する思いが逍遥を続け、受け付けないものほど、気になるものであり、それを否定し続けるほどに、与えられる影響にかさばる思いは、陰鬱な衝動を空間に吐き出し、派生する意識は、様々な思惑の中で怪訝なものを重ね、重荷に変わるらしい、と黒猫がカタルシスをうながす水中を泳ぐような感覚で、脳内を循環し、おぼろげなものを気ままに排除するだけの資本的な猶予にひしめく思いが、思念を孤立させ、膠着する意識は、永劫の彼方で、荷担するだけの義務の中でダンスすることが、あたかも生きているように思え、と強制的にうながすような瞬間に犠牲的な精神をうながす信仰心などが、今を疎外させるだけにいたるから、人間とは、いつまでたっても誰と居ても、孤独なままなのであるし、やがて、その孤独の中で示唆されるものを思案していることが、あたかも考えているように思わせられるだけに浸るような世に警醒をうながしたところで、快楽的なものが受注し続ける生産的なものに支配されるほうが、清潔であるかのように思わせられ、色あせるだけの路地から、排出され続ける毒気を健気に吸い込み、もののあわれなどを謳うほどに、哀れみなどは、淡いものである、ということに気付かずに起動させられ、いつかは、強制終了させられるだけにいたるような日々に結末などを仰ぐだけの終末論的な快楽の傀儡として操作され、ファシズムが加速し、死へと能動するだけの順応を呼び覚ますだけの諦観へと汚され、擁護され続けるほどに、この命とは、補完されるだけのものへと交換されることだけが、この世界の仕組みであるのだ、などと有史以来引きずっているだけの関連性から、制度は付着する意味を扶養し、あたかもしあわせを装いながら、自らの手を汚さずに、生命を奪うことだけに専念するような世界こそが、欲望に従順であり、欲望の下僕として、迎合されるものに流されることだけが、生きやすくするのだ、という容易い思いが、高次へといたらずに、あらゆる意味で今を加工し、悔悟を埋め込みながら、病的なままでにうながされる教育が埋め込んだ協調性という混沌に飲まれ、そこで統合されることだけが、正常であるなどと謳うほどに、正常さにもとづく異常さに気付かずに、徒に消費される精神は、敬神にひたり、いたわることなどを謳いながら、虐めるだけにいたり、とがめられた精神は、どこにも行き着くこともなく、ここで語られる言葉の傀儡として、被害者意識を加速させ、仮想とされるものを崇めるほどに、あがない続ける意識は、あいまいなものを称えながら、途切れ途切れの精神を、何とか保とうと、うとましい現在に原罪などを埋め込み、多様性を謳いながら、孤独を絶えず進行させるだけの情報から譲与されるものなどは、何の足しにもならず、孤独感を増させることだけにいたる。ここまでの記録すら本当にあったことかもわからぬままに、このままに進むように仕向ける看板に左右される意識的な汚穢を清め祓うための祈りなどは、空しく今を示唆するだけに浸るものが精神を摩耗させ、そこでの祈りとは、帰依することだけを目的に、何かを取り込み、統制しようと目論む間に住まいなどを形成し、そこで奪い合うことだけに専念するように仕向けられるほどに、自分の行き着く場所などを求めるほどに、虚空を生み出す。あらゆる住まいとは、帰るべき意味を持たず、どこでも落ち着くような場所へと変化させられぬから、どこに居ても孤独は増していくのであり、孤独を謳歌できぬから、その場での苦しみにおちいるのであり、横溢する瞬間は、絶えず今を純化させ、循環するほどに混濁を生み出し、めぐる思いは、そこでの偶像を抱え込んだままに、孤立していくことを恐れ、自らの恐怖に飲まれるから、帰る場所などを必死に求め、止めどない恐怖に犯され、そこでかかえさせられる罪の意識などを抱え込んでいく。

ルサンチマンの夜


 考えの奥底でなびく面影も、真理をそこなった物陰に潜む影に捕食され、自らがくみ取る善悪に犯され続ける示唆などは、そこでの考えに補完されるためのものを措置し続けるほどに、自らを魯鈍なものに変化させ、関係性に制度を生み出し、今に緻密なものをそこない、そこでの苦しみを背負うような義務を繰り返し、強迫的に繰り返し、屈折したものを思案し続けるほどに、苦しみとは、今を束縛し、代用品として、そこでの仕組みとして生きることしかできずに、出来合のものを信心するほどに、屈折していく意識は、内面的な縄張りの中で即席の自由や、束縛されるほどに増していく苦しさを氾濫させ、間接的に生まれる欲望により垂涎し続けるだけの今に酷薄なものを生み出し、何かを差別することだけが、自らを昇華させるのだ、と資本的な死へと組み込まれていく意識的な汚穢を増幅させるだけの嫉妬心が自らの内面に巻き込み、そこに現れる雰囲気を呪うことでしか、自らを正当化できぬような争いの中で拘束され続ける意識は、抑圧に耐えかねずに、体系から逸脱できずに、ただ生み出されるものを、そのままに受け入れるほどに、魯鈍なものに陥り、自らの価値の中で確執を生み出し、覚醒すべき今に理すらも生み出せずに、即席の理由を愛し続けるほどにやせ細る意識は、やがて死へと加速し、滅びるためだけに呪詛を続け、つたない意識は、自らの暴力性の中に現れる制度だけを絶対性として捉え、囚われた意識は、互いをとがめるための理由を絶えず補足しながら、自らの苦しみから離床できずに、自らの深い苦しみの中で眠れずにいる。あらゆる装置から取り外された意識は、法の外で、法を形成し、やがて自らを拘束するための法の中でためらいながら、絶えず進行する意識的なまじわりに疲憊しながら疎外感にふるえ、自らの孤独に敷衍していく恐怖に飲まれ、自らの十全とした正しさという狂騒に飲まれ、自らの不自由さに嘆き、カタルシスにいたらずに、徒に消費していく現実に補完され続ける意識的な界隈でなれ合うほどに自らが自らを破壊するための所有を求め、対象に求める愛から背反できずに、そこでの自由を謳うほどに、魯鈍なものに変わることの哀れみを謳うだけの独善的な輩がうながすだけの愛を愛として捉えるほどに、自由は自由ではなくなり、何かを独占するための愛が、絶えず苦しみを加速させる。死を往復する儀式的なものに拘束され続ける自己が、自らからも逃れたい、ともがくほどに、自らの苦しみに飲まれ、自らの閉塞感に耐えかねずに凶行に及ぶなどと謳うような性善説的な前提から逃れるために、悪とは、悪という役割を持たされる前に、悪であり、正義が生み出す悪とは違い、ただ、悪であるということすら気付かずに、凶行にいたるのであり、そこにいたるまので経緯すらなく、ただ、突発的に執り行われる儀式的な行為から、自らの死から逃れるための暴力的な措置から、配置されるだけの意味や対象などは、マテリアルですらなく、そこにリアリズムすらも欠如し、ただ、行われるためだけに置かれたものに対し、悪意をもって行為を行うのではなく、ただ、そこにあるから、そこなうものである、という行為の純粋さだけが、行為へと及ぼすことに善悪すらない。サイコパスと名付けられた彼や彼女らの慟哭を拾うようなニュースが徒に狂気をとりあつかうようなメディア的な快楽に垂涎していく者どものよろこびが氾濫し、そこで堪能する快楽こそが、いちばんの悪意であることすら気付かずに、何かを批判することだけが、自らの生きる道のように示唆する間に隷従するだけの支配的な何かから逃れるための情報や構造こそを排除すべきであるのに、キャピタリズムは依然として、自らの快楽に純粋であり、キャピタリズムとは、一般市民をサイコパスに変える機械であるかのように思い、ここでそこなわれる限りに陰る真実すらも虚偽であるし、やがて、清潔感を求めるだけの普遍性などが、生活を保つために、或いは、自らを誇示するために着飾るような風景が脳内を占拠し、そこで保身を生み出し、くみ取る是非などは、何かを騙すための畜生どもや、クズどもが奴隷にするためのコマーシャリズムを垂れ流すための迎合などを生み、そこで取り繕われるものに取り憑かれたものがゾンビと化し、自分の意識を失い、街中を徘徊し、喜怒哀楽すらも奪われ、のうのうとちんたらと蓄積される苦悩にも気付かずに無感覚で不感症のままに、感性を捨て去り、去りゆくことだけを思い返すような画面の中でのしあわせそうな風景に遭難しているような一過性の快楽の傀儡として、一貫性を持たされ、ただ、同じサイクルで債務をかかえ、最たる意味を忘れ、再現され続ける同じような日々の中でいびつなものを形成しながら、軽薄な者として、あたかもしあわせそうに普遍的な日常を同じように繰り返すのだ、と言い放つようなルサンチマンをかかえているような全体主義に反するようなマーチの最中で生み出すべき思想も枯れ果て、何かに左右され続けるほどに、査定され、婚姻へと引き込まれるほどに、補足される理由とは、法則的な苦しみの中や、宇宙の十全とした規律の中で、惜別を繰り返しては、自らの苦しみを往復するほどに、ここでの苦しみとは加速し、そこに用いられる領土を保つための戦争だけを続ける。

すべてとの乖離


 世界が走りって、後に残るのはガラクタばかりだ、と語る君の目は純粋に燃えさかり、ここで語られるすべてとは、情念が張り裂けてから生まれたものであり、そこからはじまったものが、すべてであり、そこで語られるものだけが、理由を理由然としている限りに、そこにひろがるものだけが、自らを作り出すのであり、新しくなり続ける風景は、ここでずっと続くのだろうし、やがて消え去った後に残る滓や、とろけた後に熱情し続ける恋の模様や、フュージョンし、浮遊し続ける限りに、この命とは、死して尚、金に変わることもなく、漠然とした死だけを、今に引きずるのであり、理想なども潰えた後に現れるまぼろしや、慢性的な痛みをかかえ、ねばっこい苦しみを形作るだけの日々などは、何の意味もなくなるのだ、とニヒリズムに苦しむよりも、自ら踊る素敵さに気付くべきであるし、誰かが語るものなんて、語られた後の言葉に過ぎないし、そこで過ぎ去れば、場面は延々と転換され、観点を疎外し、剥がれ落ちる瞬間に理想は供給され続け、つたない意識はしいたげられ、視線をそらす君のうつむいた姿が美しく、屈折し続ける意識に接続され続ける情報などは、そこで常用され続けるものに偏り続けるべく、ベクトルを意識の外側へと放つほどに、軌跡とは踏みにじられ、不等なものを謳い上げ、自らを正当化するための保身や美談にからまる意識が、何かをごまかすためだけに、ためらわずに闘争へといたらせるような争いから、憤懣をこぼす季節は、自らが移り変わるよろこびに構築される美しさに気付かずに、今ある苦しみに論点を移し、考えの中で苦しむことすべてが、今の苦しみを生み出すことを知らず、楽しむとは、画期的な方法であるのに、そこで悲しむことだけが、自らを形骸化させ、枯れ果てる世界の中で涅槃をめざす君の願いなどは、尊くもなければ、そこで用いられる苦しみから逃れられずに、与えられた苦しみを繰り返し味わうべきだ、と理不尽に迫る雰囲気から超脱し、その先に現れるものだけが、君をものがたるのであり、もらい物ばかりの風景に後退していく意識は、未明の夜に鎮座し、沈積する悲しみに暮れ行くものを結い続けるほどに、豊かさを失い、自らの喪失感に悶えるような夜に方法論は崩壊し、世の常だ、と笑い飛ばすような諧謔にいたらずに、慢心が生み出す兵器的な夜に支配され、軽薄なままでけちくさい日々を仰ぐような愚劣なスタッカートに汚れ、揺動され続けるほどに生まれ出る怒りが補填し続けるシーンにからまる関わりから、加算される原理に散々な日々を反映させるほどに、自らの影に寝首を掻かれ、かかずらう意識は、今に浸る苦しみだけに偏りを示し、生きることの意味などを問うほどに、その意味とは遠ざかり、そこで与えられる答えなどは、そこで苦しむためだけにためらわずに毒々しいもので自身を苦しめ、そこで使命感を補うために保つものや、守るものが誰かの不幸により、カタルシスへといたり、理を持たずに、求めるだけの正しさとは、ただ、そこで何かを従え、虐げるためのゲームの中で、アカデミックなものこそエリートであるなどと空疎なメロディーを生み出し、いびつな観念が形成するのびのびになった儀式の最中に思い描かれるものに権限を移すだけの答えなどが、行為をまさぐり、何かを持つことだけが、ここでのすべてなどと間延びしていくだけの意識に与える影響が及ぼす汚れなどをとりはらうための儀式が加速し、そこでとりはらわれるための罪を与えられ、名付けられた途端に、そこで緊縛され、身動きも取られずに、ただ罪を解消させるための罰を自らに授ける間に預かる意味が、今に重荷に変わり、思えばわずらわしく、思わなければ、そこで蓄積される苦悩に犯されるだけにいたるような不浄な身体を納期し続けるような儀式的な生贄としての生活が、清潔感を謳い、そこで用いられる普遍性が編成するものだけが、物事を超越し、演じることだけに専念し、建設的な考えにいたらずに、ただ退嬰的なだけにいたらせるような儀式的な補完から、家族的なしがらみに閉じこもるだけにいたらせるような考えの中で問われるべきは、そこにある是非にあらず、そこであらがうほどに生まれるひずむから、リズミカルに消費され続けるだけの遊蕩な者が支配する時代に生み出される贋物の空虚さを互換し続けるだけのシステムの中で体現され、還元されるためだけにひた走ることから、傀儡として生きる従順さにウソの使命感を当てこするほどに、補完される苦しみとは、そこで互換され続け、同調するほどに、そこで魯鈍な者として生きることのが、生きやすいなどと麻痺した感覚がうながす関連するだけの日々が連動していくペシミズムから、便利な者や、簡単なものだけが処理し続ける善悪と勝敗が可能世界すらも破壊し、延々とまじわるパラドクスから、排斥され続ける論理的な証拠を補足するためのパラドキシカルな締結から、停泊し続ける意識は、そこで住まう者により、儀式的に昇華させられ続けることにより、自らを喪失し、そこない続ける意識は、行いの中で見つける正しさを知らずに、正しいとされるものに左右され続ける。

枯渇


 妥当なものなどないのだから、考えていても、仕方ないものであるし、ここで葛藤する限りに、自らを保つことすらもできずに、襲いかかる不安などがよぎるような風景に嘆じるものも、物事の中では、小さな悩みに過ぎず、ここに用いられる不安などは、過去を利用し、今に理性をそこなわせるような無力さを生み出すだけにいたり、浸る感傷などは、今を対象にせず、ただ設置されるだけの疑問に呈するだけの理由をまさぐるほどに、魯鈍な苦しみは、今に不安を生み出すだけにいたり、増していく不安とは、焦燥感を生み出し、自らを醜いものに変えるだけに専念し、そこで捻出され続ける苦しみは、憎しみを生み出し、外に向けられる攻撃性が、結局は、自らを傷つけていることに気付きもせずに、何かを批判することにより、その苦しみを昇華させているようで、苦しみとは消えずに、不当な毎日を呪うように、自らの運命をも呪うようなコードが脳内を循環し、そこで純化できずに、過去にとどまるほどに、その苦しみとは繰り上げられ、そこでの苦しみを演じることが、自らのしあわせである、という誤認を生み、認識すべきものも、ゆがみ、そこで思い違いを生み続けるほどに、自分から懸け離れていく思いは、そこで停止し、過去から抜け出せずに、その場でもがくようで、実際は、過去への思いがさえぎり、今に苦しみを復元し、複製し続け、そこでの不安のようで、過去から持ち出された不安により、今の苦しみとは延々と増幅し続ける。蓄積された苦悩をさえぎるような純粋な精神の中で、そこで敢行され、継続される考えが寂寥たるイメージの中で折檻され続ける間にリフレインする自虐的な言葉が簡素な意味を吐き出し、答えを姑息なものに変え、問題に巻き込まれていく意識的な枢要さも、誰かの言葉に支配され、襲いかかる文字により左右される精神は、敬神を続け、或いは自己愛に耽り、自らを保つために、他者を傷つけるという性質的な暴力性を抑えるための機能が元々働かぬサイコパスどもが徘徊する夜をまさぐる君の化膿したこころに可能世界的な空想をひろがらせ、感染症をかかえた猫とカタルシスを分け合うような夜に緩衝すべき愛も、反証である、と促すようなペシミストどもは、自らの意見こそが正しく、それに同調しない者すべては、自らに反するものである、と攻撃性を増していき、何かを憎悪することでしか、愛を表現できないような者がおちいる時代錯誤から、散漫な意識は、過去から引きずるだけの意味を、ここでの答えとして締め付けるような独占欲を埋めるためだけに婚姻にいたり、そこで保たれるものなどは、いつかは摩耗し、千切れてしまうものであるし、そこで収納されるだけの名ばかりの愛は、出来合のものを崇拝し、何かを利用するために、誰かを支配し、そこで愛しているかのように仕向けるような芝居の中で簡素な愛にひたり、批判的な反応から、排斥されるための自由を謳い、そこでためらうだけにいたる精神が契約をほどこし、縫合されるだけの傷をひろげる作業を続け、そこでの苦しみを複製し続けるほどに強制的に抑圧される精神は、自らの苦しみの中だけで生まれるものを愛するような自己愛に耽り、自らを保つためだけに、何かを利用し、傷つけることを続ける。中空で死を眺めるような夜に洞察すべきは、生きている意味でもなければ、そこで定理を生み出すほどに、何かを踏み台にしてまで、自らの正しさを打ち出すような空疎な支配の経路をたどることでもなく、ただ、そこには何も無い、とうながすようなニヒリズムにひたるよりも、すべてを超え出て、自らに帰り着くことであり、そこでの不安などは、俯瞰を攻め入り、無感覚なままに、何かに支配されるよろこびを呈するような言葉に騙されずに、自らを強調し、そこで正しいとされるものを正しいとするような自らから抜け出て、自らこそが正しいとするような自らが産み出す正しさをも抜けだし、そこで正しいとされるものなどは、そこで刷新されもせずに、ただ過去から複製された答えを延々と引用し続けるような体系がこしらえたギミックに操作され続け、最たる意味も見出せずに、満たされない思いは、満ち足りないから、と奪うことに専念するだけだし、そこでエリート主義的な者が打ち出す独裁的な主観から持ち出される主体性などが、制度を生み、そこで支配し続けるための法で加工された精神などは、軽薄なものであるし、そこで正しいとされるものなどは、何かを奴隷としてまでも、ここで保たれるべきものに無抵抗なままに、苦しむべきだ、とうながし、ここで目的もなく、ただ同じような日々になおざりになり、あたかも普遍的なぬくもりこそが、あたかもしあわせのように演じるべきだ、とうながすプロパガンダコマーシャリズムに犯され、本質的なものや、真実などは見せないように仕向けることに気付いているのにもかかわらず、無抵抗で無計画なままに、今を保つ限りに、苦しみとは生まれ続ける。

連動


 連動していく意識が、星を収斂させ、ここでただよう面影も、誰かから借りたものである、と惜別する風景は、やがて、人工的なものを愛する欠如に苦しみ、みちびかれるほどに、遊蕩な者に支配されることに背反し続けることに疲れ果て、退廃的なものを生み出し、停泊する預言に引き取られる意識は、空疎なものを愛し、復元されるだけの現在に抱え込んだ閉塞感に苦しみ、密接な関わりを持つほどに現れる懸隔から、検閲を繰り返し、悦に浸るような輩が禁止するものこそが、本質的な愛であるのだ、と妥当な位置から引き取る観念がむすぶ儀式的な思いが、呪いを繰り返し、充当されるものなどは、阻めるだけにいたり、漁られ続ける意識は垂涎を繰り返し、求めるほどに欲しくなる精神は、捕食されるための餌としてしか、その存在を強調できずに、今を超克できずに、刻刻と迫るセンチメンタルなものや、ここで生み出されるメタファーにシンクロしながら、浸透する意識は、まがい物を崇め、ここで神としてたてまつるものが、自身に包蔵され続けるほどに、自らを喪失し、そこで埋め込まれるだけの意味や、そこに現れる神が生み出す姑息な気配や、そこで支配されるほどに増していく快楽が充当するものだけが、自らの苦しみを昇華させるのである、とうながす苦悩から、ここでやましいものをかかえ、かかずらうだけにいたる生死は、自らをそこないながら、出来合のものを愛し射止めることだけに専念し、真実の愛へと向かえば向かうほどに、その真実とは、現実に汚され、何も正しいものもなく、ここをただれさせ、物事を見えにくくするだけで、ここで知性を持たずに、与えられた答えがうながす義務に滞留し続ける意識は、短絡的なものを崇めることでしか、自らを正しいことのように感じられずに、そこない続ける存在を追従するほどに、今に屈従し、今に与えられる苦しみを永続させることでしか、自らの存在を確かめることもできずに、今にたしなめるものや、そこであがなうものが差し引きすることを往復する意識は、いびつな観念を形成し、寛容さを忘れ、いざなわれるままに、自らを屠ることだけを繰り返すような現実的な摩擦から、保身が生み出す面影から、思い出に加工されるだけのものを海馬がリバイバルさせ、理性をそこなわせ続けるほどに色あせる瞬間は、継続すればするほどに、そこで魯鈍なものに変わり、事実に硬直し続けるだけの現時点での僕らをうながすような懺悔だけが、自らを快癒へとみちびくのだ、という神的なまがい物から、そこで適任するものなどは、ここでの意味を迫害させ、ここでののしるだけにいたらせるような反照から、緩衝すべき愛すらも不潔なものに思うような不安定さを武器にするような退廃的な人格を形成し、物事に耽るほどに陰惨なものを愛し、あらがうほどに、何かを破壊するよろこびに耽り、気高くも残酷な者として、聖戦を謳いながら、犠牲をも厭わずに、問い続けるものが示すかたよりに寄りかかるほどに、よりよいものなどは、自らの尺度で生み出され、外から現れるものすべてを破壊し尽くしても尚、何かが足りない、と叫ぶような街角で定理などは見つからず、そこで身につくものなどは、醜いものであるし、朦朧とする瞬間に主観は定義を失い、そこで喪失感を重ねるほどに、寝返り続ける意識は、退廃的なものをかかえ、かかずらうだけにいたるような精神は敬神を繰り返しながら、長らくにとどまる意識は、あいまいなものをかかえながら、自らにそなわる女性的なものが適任していく今に敵意を見せる男性的なエゴから、迎合されるほどに、ここで蓄積されるものが生み出すノイズに飲まれ、郷愁へと改ざんされ続ける懐かしいように思える時ほど、残酷なものをこころの中で表し、そこで終わらせるためだけの形式に酔い痴れ、風景を破壊するようなものを生み出すための想像だけが、正義のように語られ、そこで傀儡のように生きることの容易さが生み出す苦しみが絶えず襲うのだ、とうながすような意識ほど、奴隷化したものはなく、そこで意識の奴隷として軌跡を踏みにじるような言葉を放つほどに、自らが腐ることを知らずに、そこでののしり、いい気になるような俯瞰から、無感覚に引き取られるものが、今をほつれさせ、そこでうながされる理由などのいっさいは、自らを苦しめるための構造を生み出し、そこで想定されるものなどは、今に苦しみを媒介させ、感情論的にうながされるものに左右され、そこで刷新されるためだけに、何かを書き換えられ続けるほどに、つくづくは、続く限りの苦しみを今に引きずり込み、そこでの苦しみを永続するための言葉を吐き出しながら、蓄積され続ける苦悩は、次なる苦しみを自らに売買する。