時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

永遠性


 誰かは、誰かが待つ家に帰って、誰のことも考えないだろうし、誰かは、誰も待っていない家に帰って、誰かのことを考えているだろうし、そんなことを毎日繰り返す。どれほど何かを読んだとしても、そこに現れる物陰に隠れる意思を収斂し、連動する苦しみを取り外し、多目的に流動する理論をすなどる帝国主義的な犬が躍動する偽善的な春を越え、むしばむ夏がこぼす汚穢や、終末論的な抵抗をほどこすペシミストを蹴散らし、生きるとは、今を補完せずに、悲観するほどに支払う義務に追われ、終わりをほどこすようなペシミズムにおちいる前に、自らを昇華させる。永続するものが、面影を覆い、今を過去に補完し続ける。たまるだけの過去は、贋物の永遠性を永続させるためのウソを自らに課せ、永遠であることを認識付けるために、自らをとがめ、騙すことだけに専念するのが愛である、と散漫な意識が互換し続けるものが、あたかも価値らしく仕向けるほどに、補完されるものは、ペシミズムに陥り、今に矛盾をはらませ、自らに枷を嵌め、世界性をそこない続ける。あてがわれる性が、次元を越え、乖離する理解から、時間に集約される存在を囲う空間を織り成し、今に折り返す苦しみや、そこで繰り返される苦しみに集約される約束が義務を課せる。強制収容される意思は、ルールに加工され、枯渇し続ける精神は、脆弱化し、感傷的におちいり、応じる答えに集約され、自らを感化できずに、感覚を損ない、そこかしこで補完されるものと訣別する。もっとわかりやすく書き散らすような夜の湿地帯に描くエロスが轟轟とうなり、シンパシーをくすぐるような諦観の夜に余罪を追及するだけの法を切り裂くような言葉が降り注ぎ、迎合されるだけのものが示す窮屈な差異から放たれ、善悪とは、そこで用いられるほどに腐るだけにいたるし、そこで退廃するようなものをかかげるよりも、ここで加勢もされずに、もたらされる威信だけが、自らを強調し続けることのよろこびだけに耽り、ここで転じるものに移行するよりも、そこにあらがうほどに若々しく散るような夭逝の夏に示すものが、緩慢に作用し、もたらされる苦しみなどは、所詮は、四季が示す徒でよこしまなものが屠るだけの現在に展開していくものが、転化を続け、ここで慧眼を用いずに、与えられるものをそのままに受け取るだけでは、ダメージを与えられ、そこでの苦しみの横柄さに苦しむことが、あたかも生きているように感じるのだ、という哀れなどは、空疎なものを踏み台に、自らのニヒリズムに膠着していくだけであるし、そこでのよろこびを感じるための苦痛などは、瞬間的なよろこびを永続させるかのごとく感じるのだ、というような苦しみが生み出すルサンチマンが作用し続け、妨げるものを恨むほどに、自らのよろこびは加速し、そこで課せられる苦しみにより、拘置されるだけの自らに与える少々のよろこびのために、今を弔えずに、ただ与えられる苦しみを感じるための苦しみを呼び覚まし、反復し続ける苦痛は、今に痛みしか感じとれなくなってしまう。あらゆるよろこびは、今を明晰に転じさせる。些細なものに感じるよろこびを暗示させるような虚偽表示が示すような宣伝的なものをうながすような井蛙な者が示すものが今を孤立させ、ここで正解も生み出せずに、惰性な者が示す物質的な優位や、そこでの猶予を保つための交換を続けるほどに、自らの満足から懸け離れ、与えられるものにあてがわれるものだけが、自らのよろこびを加速させるものだ、といような満足などは、そこで与えられるものからはみ出せずに、そこに現れる分のよろこびを感じるためだけにはたらきを加えるようなもので満足することが、自らの満足である、と示すようなものが示すよろこびなどは、与えられたよろこびであり、そこでのよろこびは永続しない。創造的な飛躍を終え、ここで交換されるものへと跳躍し続ける意志は、妨げられるほどに、自らが飛び越える意思を捉え、そこに与えられる苦しみなどに鬱積するものを超克し、ここで固執するものなどは、貪婪なものを用い、有する強欲が示すものに転換していくものが観点を奪いながら、謳われるものが持ち出す言葉に左右され、自らの思議を破壊するようなバビロンが持ち出す思想に混濁するだけに終えるような主義に支配され、自らを迎合されるものへと還元するだけの数理の下で平伏するだけにいたるし、そこで閉鎖的なものにおちいるだけの意志とは、自らの力で位置を判断できずに、そこで用いられる位置に意志を磔にし、自らを神として崇めるためのはじめての犠牲として供えられる自らを羨望するほどに、自らとは懸け離れていき、ナルシシズムにおちいり、今に現れる苦しみを複製するだけの同情を生み出し、そこでまき散らしたウイルスが数千年にもおよび、人類を苦しめている。自らの永遠性に帰るべく、否定的な夜を越え、ここで互換されるもののほとんどは不潔なものでもあるし、不正を重ねただけの事実を重ね、あたかも自らこそが、正しいのだ、と語られることを答えとして崇めることだけが、ここでの永遠性を保つのだ、という答えから逃れるために、人間を救うための人間が産まれ、人間が、人間を救うべく、人間は、人間を飛び越えるべきなの、だ。

創造的な呼応


 現実に補填されていくよろこびを織り込みながら、飛び交う意識が自由すらも求めぬような境地にいたるような解放感だけが、今に酔い痴れることをしらみつぶしに知り尽くそうと求めるよりも、ここで用いられるものに覆われる以前に、ここで謳歌するものだけが、不純なものすら持たずに、枠組の中で果たされる義務に空疎なものをかかげ、緩衝できずにさまたげを生み出すだけの後悔を謳うよりも、ここで幼稚な企みで疎外させるだけの隠語を放つような秘密警察どもが敬愛する独裁者がうろつく落伍者たちの集いを生み出すだけのあいまいなマインドに成立していく国家などは、骨格すらもなく、そこで響くものもないから、何かに囲われ、加工されることだけが答えであり、与えられた答えだけが、ここで後悔すらも持たずに果たすべき義務を用いながら、引き出される卑近なものに偏りを示し、有する意味に強請られながら、堅持し、誇示するものだけが、ここで正解に導くのであり、ここで見くびるものや、怯える先に現れる原始的でプラトニックなものが、アニミズムを生み出し、崇拝すべき神や、枢要なものとして崇められるほどに、そのものとの距離が生まれ、その間に隔たりを生み出し、そこで国家のようなものが形成され、そこで儀式的に昇華されるよろこびに似たような物質を生み出し、快楽へといざなうような脳内でのダンスを続け、終わらぬダンスは、そこで相互する意識は、構造的なものから排除され、有する辺りに価値観を埋め込み、植え込まれた意味に構築されるものへと偏向しては、様々な意味に交換され、ここで硬化するだけにいたらせるような悲劇的なものを加速させ、ここで固執し続けることが、ことごとくを締め付け、使命感をあおりながら、あいまいな毎日に生きていくこととは、ここで固執し、異物感をかかえながら、何かに隷属し、家族に支配されることでしか、自らを見つけられぬような生き方を誇示すべきである、と宣言するような国家的な偽装から、幼稚な理屈を捏ねる現在にも、達するべき答えを用いられ、その中でしか、否定を執り行われない私をも排除するようなよろこびへと加速し、ここでの否定を捏ねるほどに、自らとは捏造され、いびつなものに変わり、ここで偏執し続けるほどに、つたない意味を用い、今を屠り、葬るだけにいたらせるような悲劇の内部で分裂していく意識が未明にさかのぼり、容易なものを用い、今を悲観にいたらせるだけにいたるような幼稚な企みから、枠内で屠れた君たちの悲しみが死へと分散していく要理から、搬送される意識が死をも乗り越えられずに、ここで与えられる儀式的な重みや、形式的ないじらしさに捕まり、意識を買い取るだけにいたらせるような散漫な資本から、緩慢に作用する愛に憎しみだけが現れ、今にけしかける闘争から、ここで統合され、盗用されるだけにいたるような発想から、自らを破壊するだけにいたらせる。秘密の帰り道に現れるマインドが開き、コアをくすぐるようなよろこびが敷衍し、植え付けられた普遍性から途端に飛び立ち、用いられるものにきめつけられるよりも、ここで何かを壊し、そこから飛び出すような純粋さだけが、ここで差異をもたらすだけの苦しみから途端に飛び立ち、用いられる苦痛と、そこで苛立つだけにいたるような苦しみの住まいに囲われるほどに、自らとは非道なものに変わるし、ここで固執するだけにいたるような自分などは、そこで存在している限りに用いられる定理の中で定理に反し、定理の中でしか、自らに反せぬようなものに正しさなどは表れずに、定理を覆せずに、今に与えられる定理の中での影響しか受けずに、そこで行き違いほどに、何かの中でしかはたらきを加えられずに、そこで与えられるものにしか、自らを強調できずに、そこで行き違うだけにいたり、そこで悔悟に変わり、逡巡する意識は、そこでいじらしくからまるものや、そこでからまりし続けるほどに、つくづくの苦しみに償いなどを求め、よろこぶことを忘れ、用いられるものの中でしか、よろこぶこともできぬから、そこでの苦しみを体現しようともくろむような物事の中での苦しみを演じる限りに、苦しみからは逃れられずに、今に瀰漫する苦しみを演じ続ける。束縛され続ける意識は、今に敷居を生み、受け入れないように仕向ける間に締め付けられる。あらゆる苦しみは、今を緊縛し、苦しみを敷衍させ、自由を奪うための自由を捏造し、今に苦しむことだけが、今を生きるということなどというペシミズムから、求めるための自由だとうながすオプティミズムから、応じるだけの答えに併走していく限りに、自らの矛盾から解放されるなどとうながすようないじらしい欠如を放つようなニヒリズムや、そこで何かを否定し、もたらすものすべてを憎むことが、今の苦しみを昇華させるのだというようなルサンチマンや、慢性的な痛みを引きずるだけのデカダンな奴らが与える圧力から逃れるための闘争が生まれ、孕む意味が大きな敵意に変わり、戦争へと移行していくものに澱むよりも、自らが生み出すよろこびにだけひたる。

関与


 健全なものすらどこにもなく、ただ与え合う影響が抗いながら、束縛を用い、何かを引き出すほどに、魯鈍なものへと偏向していく意識的な汚穢を増幅させ、そこで増長されるものなどが、今を散漫なものに変えながら、途端に存在とは、軽々しいものに変わるし、与えられるものに偏執していくだけの過程に用いられる苦しみの住まいに移行していく本質的な哀れみをかかえ、加算される痛みが速度を増し、欺瞞を生み出し、意識的な乖離をむかえ、かじかむ意識は、自覚する以前に移行していくものに引きずられ、卑近なものに自らを変え、課せられる自由に意味を奪われ、自らを傷つけるだけにいたらせるようなマゾヒズムを生み出しながら、リリカルな衝動は、肖像を引き裂きながら、自らの軽薄さを加算させ、自らを苦しめるだけにいたるような余韻から、相互作用的にはたらく現在に点在していく意識は、未明の意識を模倣しながら、本質から乖離し、懐疑的な日常に参画していくものに攪拌され、或いは破壊されながら、定理にもとづくエゴに迎合しながら、現行に膨らむエゴや、開示されたものに覆われ、憎むことでしか、自らを解放できずに、与えられる意味に相似していくほどに、自らを補正できずに、今に苦しむだけにいたる。現れる苦しみのシステムを生み出すコマーシャリズムプロパガンダが横行する情報的なドライブを荒んだ気持ちで勧める希望を放棄した人々の快楽に迎合していく意識的な終わりから、散々な現在に敬服することでしか、自らの正しさも引き出せないような現代的な苦悩から、空虚さを補完し続けるシステム的な韜晦を執り行う私は、恒久的な苦しみを複製するだけの人間的な軽薄さを加算させるような容易な判断から、プロセスは濁され、ここで汚濁に変わるだけの現行に現れる憎しみのさえずりを聞きながら、現れる先にもたらされる旋律から、尖鋭的な苦しみに統合されるだけの現時点から裁かれるだけの観念は、感性をそこない、そこで怯えるだけにいたるような現実から抜け出せずに、惰性に用いられる言葉に利用され、領土を奪い合うだけの可決から、解決にいたらずに、何かを奪うための戦争が激化し、現前にするものすら虚偽であるし、あらゆる偏執を用いるだけの類似品をとりあつかい、何かを騙すことでしか、理に近づけずに、そこで啓示されるものや、権利を謳いながら、今を阻めるだけにいたらせるような悲劇から、屈折していく精神は、正否を求めずに、そこで構築される苦しみに拘置され、自らをとがめることだけが、自らの正しさにいたる秘訣である、と疲弊していく意識は、自己否定を続け、言い分けがましい現在に点在していく意識においてけぼりをくらいながら、空白を埋めることに専念し、性悪説などを謳いながら、保たれる均衡や、もたらされるものに屈するだけの日々から抜け出すための方法論などを打ち出し、何かから出し抜くことばかりを考え、還元される苦しみが理不尽さを増していき、増幅していく意識的な交わりから、はじまりは、終わりを引き取るだけの形だけを保ちながら、その場に現れる力に反せずに、今に現れる苦しみに抗いながら、あいまいな毎日を過ごす。行き過ぎた苦しみが私を引き裂き、配備される間に保たれるだけの私が分離し、分散していく意識は、今に食い止められることもなく、今に食い込みながら、その場で保たれる意味に欠乏していく苦しみに鎮座し、よろこびとは、苦しみを越えた後からやってくる解放だけが伝え、抑止されるほどに増していく快楽を追い求めるだけにいたるような自由などを用い、何かを煽るだけの現状に嫌気がさし、惨憺たる現状に構築されるものが、私を苦しめる以前におちいるだけのものをこしらえ、そこに現れる正常さを謳うほどに、間違いは生まれ、今に阻まれながら、何かを憎むようなコードをばらまく現在に点在していくものが、模倣するものなどが今を阻む。阻まれるほどに、そこから抜けだそうともがく意識は、漠然と何かを構築しながら、行動が抑圧されるほどに、ここで早熟に生み出されるものを互換し、互いを高めるほどに、ここで有するものなどは、膠着しながら、帰任するものを受理し続け、つたない意識が機械的なものに変わる前に、混ざり合う瞬間に溶け合う二人に距離すらもなくなり、歩み続ける愛は、正しさを謳わずに、もたらされるよろこびに用いられるものなどに引きずられずに、悲観する間もなく、ここで生まれるものだけが、統制されずに、ここで語らされるものが愛をぬぎすて、つたない意識が製造するものなどは、正しさを示唆し、そこで利己的にはたらくような仕組みが今を建設的に書き換え、迎合されるだけの浅薄なものが示す理などが権力を用い、そこで牽引されるものが、補填するものに苦しめられる精神が徒に消費するだけの価値の家畜のままで、今を虐げるような言葉を用い、整容しているなどを謳うような苦しみが生み出す屈折こそを正すようなよろこびにいたる。

強襲


 空虚さを引きずる君の観念的な悔悟を放つような曙光を浴び、多目的な夜に侮蔑され、分別されるだけの意識は、あいまいな日々を卑近なものに変え、とめどない変化に置いて行かれるだけの老いの中で転化していくものが更新していくジレンマや、自転に反し、時間に関さずに、空間を破壊しながら、しなびた意識や、したげる敷居や、真相に寂れたものを生み出すだけの惰性な価値に偏るだけの意識的な汚穢や、応じるだけの今に帰結していくほどに、機関的なものに飲まれ、自らの意思を損なうだけにいたるような障害を生むだけに退嬰的なものに陥り、体制的なものにこびへつらうだけに増していく快楽に住まう彼女たちの凡庸な価値にカタストロフも襲いかかるだろうし、やがて老い死するまでに貧するだけにいたるような生き方を語る君の無神経なカタルシスから、心情は透過されずに、ただ、ここで交換される意味に可決するようなものだけを崇めるだけのあいまいなマインドが幼稚に真相をこじれさせるようなシンドロームや、今に拘泥し続ける苦しみに腐敗していくだけの諦観や、対抗から、対話を終えずに、ここで倒錯し続けるほどに異端的なものとしてとがめられるほどに、対抗心は燃え、敵愾心をいざなうような幼稚なリズムがリスクを謳う限りに陰る本質に失踪していく意識は、今に寂れるふんいきに酔い痴れ、交換される苦しみは、徒に消費される今に飢渇していくだけで、姿勢をそこない、そこで押しつけられる思想に奪われる意識は、終末論的な発想でしか、自らをなぐさめることもできずに、出来合の真実が謳うゲノムから、現実的な錯綜から、刷新されるべき主義も、理想の前では、意識に屈従することしかできずに、したがうことでしか、自らが生み出す恐怖や不安から抜け出せずに、体系的なものに関わるほどに、今に阻まれる意識が用いる果たすべき義務などが、今を揺動し、動向を不潔なものに変えるし、やがて滑落する意識は、陰鬱なものに変わり、互換されるべき愛も、ほとんどの優劣の中でしか、自らの正しさを謳うことでしか、自らの正しさを測ることでしか、自らを認識できぬような浅薄な理想から、理性とは、生理的なものや、本能的なものに反せずに、与えられた影響をそのままに受け取ることでしか、自らの認識をだませずにいるような達成感と、営利目的な愛が示す愛が閉め出す差異から、散漫な意識に儀式的な根因に迫るカタストロフに汎用されるだけの義務化した愛が掻っ攫う儀式的な散漫さに酔い痴れるほどに、貧寒な意識は、渇する間に求める愛に利用され、理由を求めるほどに、愛とは、愛か懸け離れ、そこで補填されるだけの苦しみに移行していくだけであるし、出来合の真実に揺動されるだけの緩慢さにカルマを用い、率いる意味が卑近なものをかかげ、無理矢理に縫合されるだけの意識的な傷が膿み出すヒステリーから、義務的な要素を用いるだけの愛が示す陰惨な形から、懐疑的な日常に披瀝されたものすら、ウソに変わるような緩慢な愛が用いる理由に利己的なものが保身を伝え、追考するだけにいたるような痛みが横溢し、応じる答えに偏向し続けるだけの意識がデカダンなものを用い、悲観し続ける先々で最たる意味をそこない、そこで屈従するだけにいたるような苦しみをクラッシュさせるほどによろこびを見出すような創造性だけが、生活に酔い痴れずに、ただ与えられるものに屈するだけの現在に転化していく意識的な苦しみに健忘していくだけの現在にはびこる愛憎がルサンチマンを生み出し、何かを否定することでしか、自らを正しく認識できぬような現在にひしめく理由が悲惨さを謳い、用いられる苦しみから抜け出すための理想を用いるほどに、ここでの苦しみは倍増し、今に生まれる悲劇に飲まれるだけの理想は理性をそこない、何かを破壊するためのはたらきを加える。制裁を与えられ、再生すら拒否された人間と名付けられた途端に排除されるだけの名称が徘徊する深夜に破壊の制度ばかりが強調するようなものに隷属することでしか、自らを正しいものとして認識できぬような輩が排除し続けるような理由が理屈を捏ね、用いる権力にひたるほどに増していく快楽に邁進するほどに露呈するものとは、コアをそこない、「そこで悪を束ねる」だけにいたるような法則的なくすみから、くゆる本質は、何かをたゆたうことをせずに、何かを破壊することだけに専念し、デカダンにおちいる慢性的な痛みをかかえ、何かを恨むほどに、増していく痛みと与えられる快楽を追い求めるほどにおあずけになるような仕組みを補正するだけの規律が用いる乖離するだけの理屈や、利用されるだけにいたる精神に軽薄なものを用い、形骸化していく意識は、指定される義務に酔い痴れ、擁護されるほどに、自らを家畜化し、加勢するほどに、自らの価値に用いられる形に嵌め込まれるだけにいたり、群像にとろけ、そこで憎悪を膨らますだけにいたり、労ることを忘れ、弄する現在に響かぬ愛を用い、何かを持たされるほどに、自らの義務的なものでしか、自らにはたらきを加えずに、今に与えられるものに犠牲的に生きることだけが、自らを誇張し、自らに果たすべき義務だけを謳うほどに、奪い合うだけの現在に真実などを用い、何かを奪うための闘争が進む。

世界から乖離する意識


 眠ることを忘れた花を手向ける余韻から、因果律に収奪されるだけの心理的なメカニズムや、アナクロニズムにおちいるだけの世界性から、陰惨な影を踏み散らすいっさいの主観にそびえる緩慢な憎悪や、相違するだけの魯鈍な生産性だけが歓迎される現代社会から放たれ、過去から枯渇するだけの面影のリベラリズムを謳うむずかしい顔をした虐げるだけの連中が同化する一過性の事実に迫る愚問や、行動理論を打ち砕くような斉唱から、擬態化するだけの偶像の神や、うやむやにされるだけの理想論的な疲労感をかかえ、感情を捨て去る君の素粒子から、科学的な根拠や、数学的な組成や、エニグマにかくされた混乱のコードや、偽装される真理にもとづくエゴを行為に巻き付けるほどに、ほとんどの意味は魯鈍なものをかかえ、攪拌される先々で猜疑心を生み出し、はばまれた意思は、即席の自由を奪い合うための闘争を続け、終わらぬ戦争や、口から吐き出されるミサイルが都市を破壊するリズムや、理性を捨て、理想論的な倒錯から、等差を飛び越えるようなよろこびを用いる動植物たちのハーモニーを知らずに、自らのバイオリズムがバルガーなものに変化し、偏向し続ける辺りから、ちりばめられる理想がすべてを破壊するための情緒などを謳い、譫妄にいたり、いぶかる先に言語的な破砕から、攪拌される正義に泥酔するのが、私たちの役目である、と宣言するような生き方を知性と呼ぶような教科書の中でのなあなあなアナグラムから、あいまいなマインドを専横するための洗脳が荒んだ形に価値観を植え付け、混同していく物事にセンチメンタリズムを偽装しながら、何かを恨むためのナショナリズムが、大陸間を越え、用いられた苦しみにより、何かを否定することで、自らを超克できずに、何かにむしばまれることにより、自らのリアリティーを増していくように見せかけるような虚偽表示に憑依された連中が示す生命のリズムとは、理想論を謳うだけで、希望的観測に酔い痴れ、容易に何かを否定することだけが、自らを身近に感じ、自らを成長させるなどと謳う辺りから、終わらぬ戦争へと移行し、行為に従事するほどに、攻め入る過程に飲まれるだけの体系的な定型に抵抗できずに、訂正されるだけの深夜に真偽を用いるだけの君の悔悟が示す差異から、散漫な意識は、儀式的に意識に入り込み、背理を用いずに、何かを信仰することでしか、自らの正しさを演じられぬのだ、と惰性にみちびかれる意味とは、緻密さをそこない、そこかしこに憎悪を生み出し、作り出される対象に向けられる怒りを媒介させながら、自らを醜いものに変貌させ、偏執していく意識は、いびつなエゴをかかえ、自らを破壊するためのコードを生み出していく。地を這う意識は、与えられた血を吐き出し、破壊するためのエゴをかかえ、加勢する意識に犠牲的なものを植え付け、いっさいの動きをこじれさせる。あらゆる行動を抑止された精神は、コードに変えられ、何かの代価として果たすための義務から、空疎な意味を理不尽に踏みにじるだけの現実性を謳い、制度に付着し、膠着する意識は、今にいびつな精神をもたらし、ここで拡散されるウソに同化することでしか、自らを示すこともできずに、そこで果たすための義務とは、与えられた答えを示すために堅持する意味や、今に誇示するものへと偏り続け、そこで示されるものなどにおののくことでしか、自らを認識できぬような苦しみを外から植え付けられていることに気付きもしないから、そこで示されるものに閉め出され、使命がなんだの、と謳い、自らをたゆませぬだけにいたるような欠如から、ここで措置されるものに配置を決められ、そこで所属することだけが、原理にしたがい、遠因にそぐうように示すことだけが、自らを正しいものに変換し、変化をとがめ、逸脱するものを徹底的に疎外し、排除することだけを目的にするような国家的なまがい物を拡散し、何かをしたがえ、自らの地位や名誉や権力にたむろするものが、弔うな、と宣言する辺りから、憎悪に同意し、何かをおとしいれるための迎合が進み、荒んだ今におちいるだけの理論や、ここでもたらされるものに同化することでしか、自らのアイデンティティーを保てずに、用いられるものにより、自らとは形成されているのだ、と示すような阿呆な連中が示す権威が求める利己的なものに逡巡するだけの理想に理性すらもないから、凡庸なものや、本能がおののきながら、横溢する普遍性に飲まれ、能動性をそこない、受理し続けるほどに林立する苦しみに覆われ、応じるほどに自らとの距離は生まれ、その距離を埋めるための闘争を生み出し、自らの中で生まれる内戦から、犠牲的に処理される値から、あいまいな毎日に帰巣するだけの真偽や、真理の中で邪推し続ける意思的なまがい物を蘇生するだけの科学的な伴侶を求め、いじらしい欠如から、幻想から解かれた人間は、人間であることを捨て、あらゆる論理の外へと旅立ち、宇宙空間とは与えられた時間の中でしか生成されずに、ただ囲うことでしか、自らをも強調できぬような存在であるなら、存在の外へと旅立ち、あらゆるものを否定的に乗り越え、自らに帰結する。

捻出

明晰な苦痛に汚された観念どもが、結末に磔にされ、懈怠に擁護され、誤解を解くための悔悟に乖離し、理不尽に引き伸ばされた生命的な時間に互換するものなどが、空腹や空白を生み出し、闘争などを生み出し、誰かを傷付けることだけが、今を征服的に押さえ込み、抑圧された精神は、今に抗えずに、従うことだけが、自らを正すように、ただすがることだけが、今を打開できずに、高い位置にのぼるほどに、見えにくくすることを知らずに、何かを見下すことで満足にいたる。生産的なよろこびを生み出すような、信仰的な夜の薄気味悪さに、悪感を感じ、干渉する今にも吐き気をもよおすような、人間的な方法論を用い、何かを根絶やしにするための、ペシミスティックな呪詛がなびき、弔われるためのダミーの位置や、今にいびつに変わる精神も、制御不能になり、担うべき意味も、今に似合わなくなるし、やがて背徳を率い、自らを権力に牽引されるだけの独裁者に変化し、動物的にしか対処できずに、自らの崩壊を傍観するような馬鹿者か、化け物に自らを変化させ、現れる疑念や、そこでカーストなどを生み出し、疎外感にふるえるだけの、怯えた人間として、指定された義務の中で転じる孤独を演じ、今に孤独感を増していくほどに、解放されているのに、気付きもしないで、自らの苦しみを演じることに専念する。自らの闇におちいるカラクリを解き明かすための呪いなどが流行し、自らを消費し、何かを試すための義務が葬いを生み出し、儀式的なものだけが、自らを癒すのだ、と卑しい祈りは、自らの願望を叶えるよりも、欲望のままに神に祈る、はしたなさに快楽を覚え、自らに課す罪の意識を加速させ、あるいは、枷に変え、世界の中に閉じ込めるためだけの、世界を建設し、自らを否定的に化合する苦痛と、悔悟を謳い、自らの苦悩に酔いしれる自分との合間を埋めるための儀式的な呪いが加速し、自らがもとめる自由が、不自由さを生み出していくことに気付かぬ規律が、普通などを謳い、今を苦しめるための税を課す。自ら与える苦痛が、いちばんの快楽に変わる頃、何かの傀儡として、外観を攻め入る普通に、自らを奪われ、搾取されるだけの、悪性のウイルスをばらまく資本主義め、と促すマルクスの犬たちは、自らの意志にしいたげられている自己批判が生み出す苦痛をごまかすための否定を続け、全体主義パンデミックさせるデマゴギーや、傲慢な者が統一と、同一化と、統合を目指すようなものが、国家の現れであり、生み出されたアレルギーが打ち出すようなジレンマから、時代的な苦痛が示す欺瞞や、今にも締め出され、再三の苦しみを演じる大衆が同調し、迎合し続けるものが、同じような苦しみを再発させ、苦しむことを演じきる頃には、死に出迎えられ、気付く前に隠滅する。モラリストが語る苦痛などは、苦痛にいたる前に、自らのルールに反することを疎外させ、自らを正すことだけが、答えに逆らわずに、与えられた自信や、自慢気に語られる自らの正しさに反旗を翻さずに、自らを正しいという認識の誤りを正すこともできずに、答えの中だけで、自らの正しさを押しつけて抑圧する現在に浸るような快楽にいたるための正しさを誇示する。現れる苦痛を処理し続ける生産的なペシミストは、実は生命力にあふれ、何かを批判するほどに、自己批判にいたりながら、生命的な飛躍を遂げ、自らをとがめるほどに、現れる孤独と踊り、自らの毒々しいものを、独創性に変えていく。あらゆる変化は、善悪を持たされる前に帰るべきであるし、与えられた善悪とは、悪にしか過ぎず、与えられた正義とは、何かを騙すためのコードにしか満たず、そこで満たされるものは、快楽的な正義であるし、今を意味に巻き込み、途端に苦しみを消費することに専念する。浄化されない苦しみは、過剰な愛をもとめ、自己愛に耽るか、何かを恨むことで、用いるべき愛を解消し、自己愛を加速させ、何かに与えられる評価だけに寄り添い、自ら生み出す苦痛を処理するための倒錯の中で生まれた痛みを何度も反復させる。反復していく痛みは、義務化された痛みの中での苦しみを演じるための痛みを敷衍させ、神聖さを謳いながら、何かに制限を与え、一貫した苦しみの中で捉える義務だけが、自らを正しくさせるように思い込むための義務の中でしか、自らを認識できずに、自らに関するものに反せず、ただ与えられた答えの中でしか、自らを正しくできぬような囚われから、何かを恨むために、自らをルサンチマンに変える。

浮遊


 言葉を捨てた帰り道、戒律を用い、退嬰的なものへと落ち込むだけの日々に欠乏を伝えるだけの由縁が刹那に入り交じり、不健康そうな笑顔でニヒリズムを強調し、権限を用い、何かを否定的な関連性にむすぶだけの境地にひずむ苦しみから理不尽なものを引き取りながら、伝染していく痛みを理不尽な暴力でフォーマットする指導者が伝えるウソの情報だけが、自らに安心感を与えるのだ、という勘違いから、関連する苦しみに連動していく痛みにはびこる愛のようなものが憎悪に変わり、苦悩をたずさえる詩的な夕暮れに卑劣なものを装置的に与えるだけの神は、今を偽装するだけで、明晰なものも用いずに、ただ自らの幼稚なこころで本能をくすぐるだけに緩慢な差異を用い、均等なものすら廃棄させるために、ここで重ねる祈りに永久に煩うだけにいたるような痛みに同化するような道化としてしか存在をあらわにできないような人間が作り出した神として生きる私は、散漫な疑念を称えるだけの名前の中でしか、何かをカタルシスにいたれぬような存在として、指定された意味の中でしか支払われない義務などを用い、何かを謳うことでしか、自らの存在を強調できぬような原罪にはばまれ、今に苦しみと同期を執り行うような状況に陥る闇を育てるだけの惰性な今に閉じ込めるだけにいたらせるようなあたたかさとは訣別すべきだ、と寛容さを捨てた独裁者どもが行動を制御するだけにいたるようなシステムの中で自らの行動すら操作し、自らの抑圧された感情を解放するための絶え間ない暴力が娯楽に変わり、そこで用いられる快楽だけが、自らをなぐさめ、自らを押さえ込むことにより、増していく快楽を追い求めるほどに、果てない暴力は、創造性を失い、制する間に生まれる自らとの葛藤を処理するための暴力が捏造され続ける。現れる快楽は、際限無く求め続ける快楽の餌として自らを生贄にし、何かの代償を謳いながら、悪魔的な受理から、常用される罪や、多目的な理由に即されるだけの観念が捻出し続ける苦しみを餌に次なる快楽を求めるだけにいたる。私たちは、単に踊るために生きているのであり、踊らされるために生きているのではない的なアナーキーな思考にいたらせるようなはつらつとした思春期の背きから、配備される愛などは、犠牲や同情を用い、何かに相似すべく、平等などを謳うから、等差を生み出すことに気付きもしないし、そこに用いられるものにより、自らを阻めるだけにいたり、そこに現れる苦しみに抗いながら、果たされる義務などは、空疎なものをかかげ、ニヒリズムに陥り、自らを破壊するか、何かを捨て去るかの二択にとどまることでしか、自らの欠如を埋められずに、そこで何かを埋めようとするほどに、運命から懸け離れるのであり、そこで怖じ気付くだけにいたるような精神構造に乖離し続ける正否から、取り除かれた物語の中で語る術を持たぬ動植物たちとの意識の融合を終え、高揚する限りにそこで統合されぬこともなければ、雇用されず、恒常的なものにとどまらずに、逸脱し続けるよろこびだけが、そこに生み出されるほころびをなおさずに、ただ現れる苦しみが用いるファンタジーや、ドメスティックな対立や、一貫した苦しみを放つだけの懐かしさや、そこで示唆するものに苦しめられるよりも、浮遊し続けるほどに、ここで用いる苦しみに揺らぐこともなければ、ここで用いられる苦しみにとがめられることもない。迎合されるものが崇められ、ここで求められるものが、何かに合わさり、簡易に消費されるほどに簡単に処理される死の先で待ち受ける孤独にふるえるよりも、ここで増えるものにより、飢えても尚、何かを求めるような幼稚さから放たれ、はびこるものにこじつけられる愛などは、愛にいたる前の幼稚な策略に疲憊するだけにいたらせるような名ばかりの愛であるし、そこでまかりとおるものなどは、そこで束縛するだけにいたるし、いびつな愛を用い、何かを苦しめるためのモチーフを持ち出し、今に吸血され続け、やせ細った精神は、一貫性を失い、制度の中で膠着し、行為にもとづくエゴを加速させることが、自らを強調することだ、という勘違いから、懐疑的なものが猜疑心へといたり、加速するナショナリズムは、差別的に排除することが、何かに抵抗することだけが、自らの使命を糧に、何かを疎外させることだけが、自らを神に変え、または英雄に変え、革命的に処理する快楽にひたるだけの獰猛な獣として、都市間を暴走する怪物に自らを変え、寛容さをそこない、有する価値だけが、自らを強請るものに反し、何かに同調することにより、自ら与えた何かとの等差を広げるための闘争だけが、自らを飛躍させるのだ、という偏執から思考停止にいたり、何かを恨み打ち倒すことだけが、自らを正しく導くのだ、という見くびりから、自らを裏切り続けるだけにいたり、何かを排除することにより増していく快楽に依存し、自らを損壊させ続ける。