時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

高次


 誰にも届かぬところで反響するものが、融合し、死の断続から逃れ、生命を呼び起こすような叫び声から、産後からあふれる哲学的な抗争から、混沌としていく意識に散漫な動機がちらばり、制限を巻き起こす宇宙から抜け出し、ただよう意識は、この夜での真理を引き裂き、神を持つ前のプリミティブな衝動だけが、ここでの本性を呼び覚まし、本能が引き起こすものだけが、物語に何らかの影響を与え、授かるものなどは、ここで論難をあびせるだけだし、本音と建て前などを謳うだけの建設的な妄想から、獰猛な意識は、何かに飼い慣らされるのは、飽き飽きだ、と制度を持たず、ここで与えられる制限などは、ここでの苦しみを膨脹させるだけにいたり、何かにひたることで逃避することだけが、ここでの本質を知るのだ、と妥当な位置は、意味をたゆませ、ここでの行動を鈍磨なものに変え、貪婪な者に陥るべきであり、誰もが、同じもののために突き進むべきだ、と洗脳されたペシミストどもの嗚咽が氾濫する同化するだけの日々などは瞬時に捨て去るべきであるし、ここで生きているものは、何かに生かされているのだ、という言葉のまやかしが引き出すロジックなどは、何かと同調し、強調し続ける先で待ちわびる死へと加速し、動機をそこない、そこでさまようべきだ、と位置づけられた意味などが引き出す答えなどを引き裂くべく、この人間と名付けられたものは、定理の中で制限を用い、自らを苦しむための制度を生み出すことに長けているのだ、と惰性に騙られるものが、延々と引き伸ばされ、悲観すべきである、と宣言されたが最後、そこで法に加工された原理などに誇張された未来を誰もが占うべきだ、とうるさくつきまとうような主義などは、何かを信仰し続ける先に生まれる枢要な価値を保つための崇拝へといざない、途端に凍り付く一帯は、一体感などを求め、退屈なものをそこに取り込み、何かを撮り続けることだけが、自らの使命である、というような自慢を繰り返し肥満化し、怠慢な者に陥るほどに、愚行には気付かずに、愚弄することだけには長けた卑屈なものがうながすものに左右され、ここで作用するものなどは、哲学を待たず、何かの先を取り込むことだけが、自らを強調し、共闘すべきだ、と惰性な意味を引き出すだけのものを信仰する者に指図されるよろこびに取り込まれることだけが、うまくいくのだ、と悟るような間を打ち砕くような鉄槌が必要であり、悲観し続けるほどにシステムが誇張する理由に刷新されていくものが、アップデートされ続け、同じ意識へと引きずられるべきだ、と卑近な者が宣伝するものに引きずられる、その身が滅びても尚、何かを恨むことだけに専念するような主義が理想を供給するほどに、理想とは懸け離れ、自らを苦しめ続けるだけにいたるような兌換が繰り返され、重なる痛みは、意味がなんたるかを知らずに、何かを感じているかのようなフリをすることだけに長け、体感するほどに、ここでの完全性とは、脆弱なものを生み出し、そこでこじれた意識は、何かを批判しいい気になっているだけでは、何かを超越することはできずに、その何かにすら気付かぬままに退廃的な呪詛を並べ、何かを羨むだけでは、うやまうことを知らずに、うまい話に乗っかり、能動性をそこない、受動的に受け取る依存的な人間が徘徊する既製品やコピー品であふれた街並みに同化することだけが、自らを守るのだ、という意識こそが、自己を摩耗させ、卑屈な者へと変化していき、そこから逸脱しないように、同じようなものを愛することだけが、ここでの価値であると宣言される間に愛は何かを変えるものではなくなり、愛とは飼われ、買われるものに変化するのだ、と信用や清廉潔白を謳う者ほど、内心では残酷さを孕んで、懶惰な自己を蔑みながら、自らに向けられる憎悪を、誰彼かまわず共用すべきだ、と同情を謳うような信仰の間で欠乏していく意識は、便宜的なものをモチーフに、理論的な排除を繰り返し、廃絶されるべきなのは、既存のものであるのにも関わらず、既得権を保つためだけに、犠牲を問わないのだ、とうながすような強権こそが、ここでの理由を傷つけ、問題提起されるものも、確かさを生み出すのではなく、自らの足かせを外すべく、自己弁護を続けるだけであり、貧寒な価値をカタストロフに追いやるような棘を持たずに、何が花か、と嘆く君に作用するものも、誰かが用いた苦しみを今に引き出し、意味のない闘争へとおちいるだけにいたるのであるし、ここで問題とされるものなどは、誰かが率いた価値が卑近なものを用い、何かに利用されることだけが、ここでの価値にいたるのだ、と積み上げられた歴史を否定しているようでは、何者でもない、と疎外させることだけに長けるような意識的な排除から、情報操作されていくことのほうが、楽なのだ、とうながすような政治性が、仮想的なものに支配され、誰かに敵意を向け、無実の罪を自らに着せ、何かを恨むことだけが、自らの罪を洗い流すなどとうながすような思想の中で、創造性すらも失われ、構造的なものが堅持する事実から離れられずに、同じような理由の中で苦しむ現在から抜け出すような高尚へと進み、ここで判明するものなどは、何かを認識しているわけでもなく、何かをへだてるためのウソを実現させるためだけに、ためらわずに破壊することによろこびをおぼえるようなサディストばかりが、群れの頂点で馬鹿みたいに騒ぎ立てているだけ、だ。

制圧


 理想を保ち、守ろうとするほどに、人は曲がってしまう。過ちを認めない限り、間違ったものを信仰し、自らが正しいとし、自らを捻じ曲げる。あらゆる理想は、主義の下で別離し、自らの考えのように差し向けられた理想に操作され、自らを喪失していく。同じ行動、同じ動作にも芸術性は存在し、繰り返すことにより、その美しさは溢れていく。ふれあうほどに、時間の感覚は失われ、損なわれたものを満たす愛だけが、時間を忘れる。時間とは、継続されるほどに、愛を損ない、そっけないものを溜め込み、自らを喪失させる。あらゆる苦しみとは、時間の概念が生み出し、絶え間ない苦しみを補完する。時間を忘れさせるのが愛であり、時間を感じさせるようでは、愛ではない。外は、止まない雨で、あてのない感情はずぶ濡れで、時代性を謳い、暗鬱なものをかかげては、自らを苦しめるための時間に追われる。眠れぬ夜を数える羊は、眠れることに気付いておらず、自らに見捨てられた夜に補完される苦しみを感応し続けるほどに、過去の奴隷と化する。還元されるだけの愛とは、自らとの距離を深め、そこに現れた深淵に飲み込まれ、自らを喪失していることにすら気付かずに、今にくじけていく。そこに求められる定理とは、自覚すべき愛を、自らに補完できずに、受け入れられぬものばかりを想定し、自らを屈折させていき、卑下し続ける先に現れる闇へと措置されるひずみから、リズミカルな衝動を喪失し、高次へといたらずに、混沌の中へと葬り去られるだけの自分を屠るための機能だけに順応していくニヒリズムに打ち克つべく、途端にねじ曲がる衝動は、興奮を忘れ、自らを昨日に閉じ込め、心ない何かを生み出すための定理に基づき、構造的に排除され続ける今に機械化する心身は、自らを苦しめるための時間を想定し、透徹できずに、不透明なものに囲われ、過去に隷従するほどに、時間の外からは出られずに、でたらめな何かを崇拝し、自らを排除していく限りに提起されるものとは、今を戸惑わせ、透過できずに、不感症へと陥り、真実の愛を見失う。ないがしろにされ続けた精神は、肥満化し、自らの鈍重な精神をむさぼり食うことだけに専念し、扇動され続けるほどに、バビロンに飲まれていくのだ、と感情的な何かは、殺風景なものを迎合し、薄っぺらい関係性の中での制度に苦しむことだけに捻出される苦しみだけに飼い慣らされていくことを反証するような制度の中で、自らの鮮度は失われ、混淆されるほどに、行動とは、今に軋轢を与え、こじれる先に生まれる闇の中での闘争を続けるほどに、ここで綴られたものに連関するほどに、自らを抑止し、こころは揺動され、些細な出来事の中で提起されるものの毒気におかされ、自らの矛盾に気付かずに、考えることを超えるような考えにいたらずに、還元されるものにのまれる。想定されるものなどは、そこでの意味から抜け出せずに、惰性に示されるものに閉め出されるだけにいたり、何かを信用するように仕向けるような宣伝から、洗脳され続けた仰仰しい教育から、教養を謳うほどに、ここで洗礼されるべきだ、とうながすようなデカダンどもの至福から生まれたジレンマをかかえた数千年の歴史が形式的なものに系列を生み出し、ここで体系化されるものが快感をうながし、運命的なものをでっち上げ、あいまいな今に愛は飼い慣らされ、そこで売買されるだけにいたるような愛の狭間で、何かを叫んだとしても、絶え間ない虚構が迫り、価値の中でしか測れぬ価値から離れられずにいるままでは、そこでの時間に占領された意識は、形式的なままにおちいる先に生み出される惰性な意識に囚われ、退廃的な呪詛を繰り返すだけの安易な考えに陥り、偏向し続けるシステムの先で、戒律から乖離すべきであるのに、そこで謳われる正常に支配されるだけでは、ここから抜け出せずに、散漫な意識が買い取るだけの偶像に支配されるのだ、と芝居じみた革命家たちは、自らを再認識すべきであるのに、自らの大義のために用いられる犠牲を良しとする。その先で待ち受ける煉獄に嵌め込まれた精神の最後で道理を用いるような正義などは信じられるわけもなく、そこで分け距てることに専念するような主義にひたり、閉鎖的なままでは、自らを消耗するだけにいたるし、ただ開け広げているだけでも、出来合のものを信仰し、自らにかかる比重を取り除くための徒労を重ね、そこでかいがいしく持ち上げられるものを崇拝し、疎外される恐れや、死に至る先に迫る闇にのまれる怯えや、往往とうながされる様を傍観するほどに、自らとの距離は深まり、そこで生きてるのかすら認識できずに苦しむことを反復させ、反芻すべき愛にいたらずに、何かを求めるほどに、深みにはまる先に生まれる闇だけが、自らを汚れさせずに、健気に感じる苦しみだけが、自らを癒やすなどとうながす先に生まれる闇に嵌まり続けるだけにいたり、自らにひたるほどに、水増しされる快楽などは、瞬時を癒やすだけにいたり、真実にいたらずに、何かをごまかすために繰り返される義務に苦しめられるだけにいたるようなサイクルから抜け出すために、自らを克己し続けることにより、よりよいものをすぐさま飛び越えるようなものを書き続け、ここでふれる時間などは、すぐさま過ぎ去ることを知る。

閃光


 新たな生命の鼓動がどんどんと鳴る。贋物の感情を注ぐだけの転換期を越え、ののしるだけの自然や、正義をうながすだけの信仰にへだてられずに、惰性に生まれたものが信用を謳い、絶え間ない闘争へといたらせるだけの悲劇から逃れ、精神的な構造を打ち砕くような現実性が打ち出す制度を超克し、いびつに形成するだけの論理的な廃絶から、途端にあふれる心象におりかさなるすべての汚穢をかき消し、清潔な時折にまざるものだけが、天をたたき、なしとげた後にひれ伏すよりも、ここで比例を重ね、加算されるだけの原理や、そこで用いられる倫理観が打ち出す正体もわからぬようなものを相続するよりも、ここで幼稚にみちびかれるだけの緩慢な作用や、運命的な出会や別れを排出し続ける先に現れる魯鈍なものが支配を加速させ、そこで浸食するだけの痛みに耐え、体感するほどに、ここでの感覚は麻痺し、関連するほどに、時代性に征服され、複製される真実や、うやむやな過去を形成するほどに、軽薄なものを折り込み、高揚感をそこない、そこでこじつけられたものに関連するほどに、冷静はそこなわれ、相似していくほどに、何かと近似しているのだ、という強迫観念にねじ伏せられるよりも、ここで身を寄せ合うほどに、孤独は増し、そこで提起されるものなどは正しくもなく、そこで脅迫的に迫る意味は、用いられた価値の中で制圧を続け、圧迫感に耐えかねぬ感情は、固執し続け、軽薄なものを信仰し、心情を凍結させ、陶然たる心地を失い、統制されるほどに、未熟な感情は、関係性に入り組んだ意味の中で朦朧としながら、しなびた思いは、信仰の中でしか、自らを認識できずに、正しさを用いるほどに、正しさとは、途端に神聖を失い、作用するものがさびれ、くたびれたままに祈り続けるほどに増していく空しさは、みなしごのようにさまよい、自らを正すこともできずに、あたえられた正しさの中で緩慢に作用するものだけを信用し、自らを正しく認識できなくする。あらゆるものが大量流出していく。停泊する思いは、帰る場所を求めるばかりで、与えられた愛を受け入れられずに、孤独であろうとするほどに、尊さを履き違え、デカダンなものへとおちいる。先々に現れる鬱々とした深淵に潜り込む彼や彼女らが求める母体を打ち出すような言葉の影に潜む罠から逃れるための方法論を打ち出すべく、ここで生まれるものがすがすがしくあるべく、ベクトルは、天からすなどるよりも、枢要なものを放置し、あらゆる論理の外へとエクソダスし、永遠性を保つよりも、ここでひずみ、そのままであることを拒否するほどに、苦しみとは、その場で増していくのであり、そこでマストとされるものとは、慢性的な中毒を与え、そこで依存することだけが、避けられないものから逃れるための方法である、とうながすよりも、そこで立ち向かい、玉砕覚悟で打ち出す創造だけが、今を救う手立てになるのであり、そこで謳われるだけの救済などは、自らを救わず、そこで用いられるものを保ち守るためのウソを兵器化し、加算される原理が生み出した第三者からうながされる答えを即座に変換するだけの機械的な正論などは、何かを論破するための武器でしかなく、そこで兵器利用されるような言葉たちが、多目的に与える影響が、今の困難をもっともな困難に変えていき、難渋なままに、世界とは、世界であることを目的に、今を過信し、自らの生活だけが保てれば、と互いをとがめる途端に倒壊していく関係などを保つよりも、ここで用いられるものを解明すべく、すべてとは、そこで極まり、身に余るものばかりを形成し、迎合されることを信仰し、ここで答えとされるものにさえぎられた途端に連関していくほどに、物事とは偏ったものを理想し、理性を失い、喪失感に耐えかねずに、奪い合うだけの結末に唾棄されるものを崇め、自らをデカダンなものへと変化させていく。意味を救うのは、自分だけであるし、そこでの孤独に位置関係を求めるだけの暗鬱に隠遁しても、その場での苦しみとは、越えられぬものを自らで生み出していく結果にひたるよりも、ここで昇華し続ける高揚感に身を任せ、宇宙規模にひろがる詩的な幌を張り、矛盾しても尚、我が儘に進むことだけが、詩的な逍遥を続け、観念から逃れ、能動し続けることだけが、継続することすらも拒否し、我がうながすものだけが、我に帰巣し、記号化されるだけの安易な改心を求めるだけの宗教的なものを飛び越え、神を生み出した人間を越えてこそ、はじめて人間である、と言えるような価値が打ち出すカタストロフを乗り越え、付加価値などクソ食らえと聡明な時折に織り込まれたものなどは、今を動きにくくさせ、何かを憎むための理想が、理性をそこない、姿勢をうばい、なあなあなものを生み出し、出し抜けることだけを目的に、損得や善悪だけが媒介する退屈な互恵を謳い、退嬰的なままにおちいるならば、みなすべておちいるべきだ、とペシミストどもがうながすよりも先にいたる闇を切り裂くような者でありたい。

清廉


 意識の隅々にみずみずしいものが染み渡り、自然回帰を謳うよりも、現時点であびる鼓動が慟哭することにより、連綿と深まるものが、普遍性を越えて、淵源に果てる永遠性や、制限を持たぬ精神が生み出すものとシンクロし、ここで黒々としたものを生み出すよりも、絶え間ない生命の活動に重ねることにより、自らの痛みは昇華し、木漏れ日が歌うフラクタルな呪文や、商業的なずさんさを謳うよりも、ここで形成されるものの意味を悟るよりも、ここで軽薄なものを用い、何かを支配しようともくろむよりも、欲望うごめく都会を否定するよりも、要理になびく不浄をなげくよりも、ここで健気に敗残していくものが提起する理由にこじつけられる痛みが複製していくだけに聯立していくものに腐敗していくよりも、ここで身を寄せ合い、確かな愛をあそばせる契機から、形成されていくだけの言葉に邪魔されずに、時代性が用いる陰鬱を有史以来はこばせるだけのあいまいな市場を飛び越え、記憶にむすばれるほのかな優しさにゆらぎ、誠実を用い、何かを構築し、構造的な排除を謳う法に偏る心情に屁理屈を述べるよりも、リベラルを用い、統合されることだけを目的に進む精神主義にいたるよりも、その場での自分をそのままに愛することが、よりよいものを謳うよりも、ここで占われるものに阻害され、苛まれた今に枢要なものをそこない続け、行いに転じ、自らを束縛するだけの理由に疎外していくほうが、よりよいものを見つけられるのであり、そこで見つけたものすら見つめ直し、自らの領域をさまたげるような卑屈をかかえるよりは、自らにいたるもので足るのだ、と受け入れることにより、何かを憎むことをやめ、清潔な自己を保てるのであり、ここで蔑むだけの記憶は、自らのはじまりを否定し、そこでまじわるものがはじまりを告げるのだ、という勘違いを含ませるだけの理想を供給するように仕向けるような理由から、疎外感はふくらみ、そこで応じるだけの答えに流されるままでは、自らの勝利を確定しようと仕向けるような法の中でしか、自らを認識できずに、ここで深まる意味へと到達できずに、その場で淘汰され、問い質す間に貫徹すべき意志すらそこなわれ、そこで習ったものだけが、物事を形成し、そこでの正しさを表現するほどに、何かとの差異に囚われ、自らを永遠の捕囚として崇めるだけの悲観的な観念が生み出す関係性に取り込まれ、同一化を求めるだけの愛は、自らの孤独に耐えかねずに、偏った理想を用い、理性をそこない、獣のように生きるために毒されていくような主体性は、体制にこびへつらい、自らのつらさを昇華できずに、何かと自分の痛みを重ね、その痛みを消費していくだけにいたり、いたわることを忘れ、自らを道具のように扱うことに現れる偶像と偶然の間で卑劣な闘争を続けるだけの消費的な毎日に締結していく理由も、貧寒とした意思をたずさえ、何かを否定することでしか、自らの正当性をかかげられぬような価値だけを用い、闘うことの意味を履き違え、自らを苦しめることだけに専念し、厭世観をたずさえ、演出されるがままに緩慢な理想を組み立て、立場を利用し、領土を奪うことだけに専念するような闘争から、投影されるものに偏り続けた理想は、間違いを認めずに、そこで提携されるものへとひずみ、いぶかる先に堅持する現実から、原理的なものに偏り続けた価値は、自らの価値を守るための破壊活動を続け、派生する意識は、何かを保つために、その力を利用し、何かを守るために摩耗していく意識は、何かを守るための暴力を続け、つたない意識は、そこで法理へとむさぼられるためのバクテリアのように繁殖し、寄生を続け、自らに帰り着かずに、戒律の下で裁かれるために、この罪とは、今に用いられた苦しみを消費するのだ、という惰性な達成感を確認するために、さらなる破壊を推し進め、自らの正当化を目的に誰かを攻め入ることで増していく快楽が提起するものへと偏り続けた意志は、自らの大義のために犠牲になるものの意味を知らずに、ただ自らの意志が堅持するものに偏り続けるほどに、自らの意志に苦しめられ、自らの理想を謳うほどに、理想と現実との懸隔に耐えかねず、自らを破壊するように、外へと破壊的な意志は敷衍し、自らの意志を保つために、理性をそこない、そこで転じて行くものに抑止力を与えられずに、ただ破壊することを目的にしていく。あらゆる原義を瓦解させるだけのプロパガンダが進行し、指導者が与える影響のままに鋭利なものをそこない、そこでなあなあに推し進めるものだけに行動を左右され、最たる意味をそこない、理屈を捏ね、理性をそこないながら、生きることのより生まれる義務などに指図されるほどに、この命とは、むかむかしたものを溜め込み、軽薄な理想を掲げるものへと偏り続ける。そこで返事を待つ君は、今にしいたげられ、そこで複製された真実を崇めることだけに精一杯だ、と妥当なものをかかげ、惰性な生き方に転じて行くほどに、抵抗力は失われ、そこで反撥するものか?はたまた、ままならぬままに流されるままに排除されていく生き方に転じて行くかの二択を迫られ、そこで崇められた価値が生み出す答えだけが正しいもののように崇めることだけに専念し、そこで演出されるものだけが、自らの正しさを示唆するのだ、と信じ込むことを余儀なくされていることに気付くべきなの、だ。

矛盾


 矛盾していく私は、提起されるものを無視し、自らに行き着くものに心洗われ、未熟なままにとなえる季節を飛び越え、こじれる後先や、切れ切れになる思いが途絶え、途端に愛があふれ、ふれあう思いが抵抗を続け、伝う思いが、真理やシンパシーを超えて、時間に制限される前に今を超越し、秩序を守るよりも、たびかさなる理由が流動し、自らを正すものなどを貪婪なものに変えるだけの排除を続け、伝う意識は、奇跡を求め、健気な祈りから抜け出し信じるべき自分に帰り付かずに、寄り道ばかりして、互いをとがめるための言葉を知らず、主体性を持たずに、誰かに与えられたものにむしばまれ、無神経なものを伝えるだけの道理をうながすだけの果てや、経過するほどに、ほつれる感情は、浄化されずに、悪意を伝え、退廃的なモラルをうながし、快感をうながすだけの、堕落した思いが洗脳を続け、刹那にぬいつけられた思いは、淫蕩なものをたずさえ、快楽を用い、もたらされる愛をつなぐ時折に織り込まれるものが、物語に変わり、新たな姿勢を取り戻し、朦朧とした意識は、自らを世界から迫害させ、氾濫する意識は、憂鬱なものをあかげ、かけがえのないものを放棄し、超克すべき苦しみも肥満化し、自ら堕落し続ける先に現れるものが苦しみを伝え、絶え間ない苦しみを体系化したのが、国家であり、社会であり、法であるのだが、そこでの否定は、今を批判するだけで、新たなものを作り出せずに、惰性に制する間に蔑まれる記憶を循環していくリビドーが、同一化を求め、長期にわたり、自らを拘束し、構造的なものに惑乱し、猥雑な思想をたずさえ、最たる思いを長じる所以が今をこじらせ、行為に引きずられ、いじらしい思いをかかげ、自らを蔑むことに専念し、捻出されるものや、今を捻転させ、貸与するものや、沈積する理由を加速させ、裁かれる思いが化石化し、仮死化する思いは、徒らに消費され、今にとどまり、意味を見失い続ける。運命から疎外され、埋もれた感情を浮遊させる。あらゆる思いは、表現を伝いながら、創造的に昇華させ、はびこる愛が果たすべき意味を見出し、思いは、どこにも止まらずに高みへと向かう。あらゆる論理をしりぞけた後に降り注ぐ意味を通過し、観点を濾過しては、長らくにせきとめられた思いを昇華させ、鮮明な過去や、明晰な別れにへだてられた感情を逍遥し、行方不明の思いを即座に補完するような影を踏み散らし、ラストシーンにちらばる目的を寄せ集め、世界性に制されるよりも、自ら敷衍させる思いが超越を繰り返し、瞬く間にしりぞく行方は、試練を伝え、ジレンマにもだえながら、朦朧とした意識に対し、退廃的なモラルをかかげ、用いられる原理に理想を供給する間に焦熱していく怒りは、いぶかることをやめ、ためらうだけにいたらせるような悲劇を加工し、卑屈なものを用い、何かをモチーフとすることで、、自らを正しいもののように仕向けるような価値に閉め出される今がいびつなものを形成し、中途半端に保とうとする意志と、陰鬱な衝動をかかえ、懐疑的な日常にはなつべきアナグラムを超克し、高揚感を束縛するだけの演奏を続けるだけの堕落した言葉が反響し、途端にしりぞく思いは、自らを責めることでしか、自らを正当化できずに、或いは、何かを否定することでしか、自らを認識できぬようなものが持ち上げる罪や、追憶に比する価値が、カタストロフを用い、持ち出される意味は、階級的なものにとどまり、自らを卑下することでしか、生きていることを感じられるようなものから抜けだし、詩的に捉える意味は、前衛的なものにいたり、ふちどられるだけの闇や、すなどられるだけの今に疑問を用い、恒久的に開け広げられる進路をめざし、貸与し続けるだけのシステムがロストし続けるだけの猶予に悲観するよりも、ここで飛び越える思いは、統合もされずに、盗用され続けるだけにいたるような意味に混濁するだけの自堕落なものをフラクタルなものであるかのように示すことよりも、ここで言葉に寄りかかり、安易なものに付着し、自らの不具合を正そうと示す法から、ここで相対し、対話を拒否し続けるだけの惰性な意味に困窮し、混沌としていく意識は、姿勢を失い、何かを是正することでしか、自らの罪を克服できずに、何かを正しいと思い込まされているだけでは、ここでの価値は乗り越えられずに、自らの苦しみを苦しむことを会得することで増していく苦しみは、自らの苦しみを厭うことを知らず、ここで苦しむことに酔い痴れるほどに、自ら破壊的な衝動は外へと向けられる。あらゆる攻撃性が進化を遂げ、淘汰されるだけのいたるべきだ、と語るAIどもが氾濫する未来に矜恃すらも喪失していくのだ、と短絡的な忘我に果てるだけのジレンマは、自らの行く末に恐怖し、自らの罪へと隔離されていくだけに怜悧にいたらずに、いびつな論理を重ねるだけのキャピタリズムに理想を吸収され、供給される闇をかぶりながら、自らの被害者意識を加速させ、自らを悲劇のヒロインへと昇華させる間に結末とは、血をにじませ、憎しみを強化させ、強固になった思いは、何も受け入れられずに、自らを否定することでしか、自らを正しく認識できないようになる。

遡及


 走り去る感情は、どこにも帰らずに、何かを待っている。守られた感情が、連帯感をうながし、安易につながるほどに、関係とはほつれて、今にも争いを生み出し、終わらぬ軋轢は、何かを蹴落とすために妬み、憎むことから交わる瞬間は、どこか寂し気で、健気なものを保ちながら、何かを恨むために、ためらわずに闘争を生み出し、統率を謳う世界は、自らの威厳を保とうと、権利を用い、権力に偏り、正義を用い、異物感を謳いながら、長らくに隔てられた世紀に季節は戸惑い、止まらずに今にはびこる言葉が意思を占領する。原理的なものを捨て、原始的なものに行き着く。果てになりがそなわろうが、ここで思うことが、現実へと行き着き、永久へと移行していく。何かの心残りが永遠性を含み、脳内で再生され、精算される間に結末とは、今にも追いつかれ、現実へと吸収される。去りゆくものが、苦悩を放ち、何かを懐かしむことで、ここに哀れみを生み出し、今に束縛され、些細なことに苦しむ意味から逃れられずに、軽薄なものに侵攻され、自らを喪失していく。あらゆる過去は、今に寄り添い、自らを解放できずに、崩壊へといざなう。その因果に負ける前に、自ら生み出す抵抗力だけが、自らの権力へと変わり、外から与えられる影響に屈さずに、うつむく君を何度も立ち上がらせ、そこで対立する立場などは、もたらされる意味に偏向していくだけに陰り、可決していくものなどは、民主主義を捨て、のうのうとデジタル化される今を官能的に傍観し、暴走する真理は、意味を逸脱できずに、今にすがり、つたないものを持ち上げ、自らを正当化していくほどに、魯鈍なものに変わり、何かを憎むことでしか、自らの死を越えられずに、ここに応じるだけの答えだけを崇拝し続けることに置いて行かれる感情は浄化されずに、ここに置いて行かれ、求められるほどに、自らを束縛し、抑圧される精神は、プラトニックなものをかかえ、デカダンなものへと移行し、心ない何かに攻め入られるほどに、自らの価値とは、外から与えられる影響により屈折していき、そこで提起される正義などは、正義がなんたるかを知らずに、自らの正義を保つための統合を求め、逃走する者や、逸脱する者を捕らえ、未熟な観念が生み出した答えが引き出す空疎なものに支配され、物質的な感応から、ここで交換されるものがさえぎる限りに、みちびかれる苦しみだけを膨脹させ、等位を生み出し、そこで問う者とは、狂気にいたり、境域を汚す汚穢のような扱いを受け、そこで受け取るべき正しさを示唆できずに、そこで認識するものが送り込む空疎で過激な理想を打ち立て、軽薄なものを進行させ、ここで迫害されるだけにいたり、現実から逃避し続ける先に盗用された真理を持ち出し、統合することだけを目的に惰性な真実は、今に迫害を続け、暴虐なままに加速された怒りは、定めるものを持たずに、底に用いられた定理すら破壊し、瓦解していく真実は、今に追いつかれ、意味を見失い、自らを破壊するための定義にいたり、外へと向けられた暴力性が、自らの世界を打ち壊すまで、何度も外へと怒りは向けられ、そこで怯えている感情は動機を失い、投棄される先に同期されることだけを目的に起動を繰り返し、自らを機械的に奉納していく儀式的なものへと加速し、自らの死を昇華させるための信仰だけが、自らを強靱なものに変えるという幻想から抜け出せずに、嚮導されるままに、胸裏に潜む悪意を攪拌し続ける先に生まれるもっとも暗い闇に密かに進行していく意識的な汚穢を浄化するための祈りを続けるほどに、自らとは隔離され、孤立し続ける精神の深淵で自己を破壊し続ける先に闇は深まり、緩慢に作用する理由に基づき、自らこそが正しいのだ、と示唆する間に生まれる憎悪を加速させ、意味をむさぼり、自らを強調するほどに、リビドーは暴走し、攻撃性だけを増していく夜に潜む空疎な答えをひるがえすための呪詛を続ける祈るだけの者から、逃げ惑い、隠遁し続ける先にシステムがうながす真理が加工する倫理や品位にもとづくものが意味を求め、さまよい続ける間に通過し、撃ち抜かれ貫通したこころを縫い付けるべき愛も、何かに買われ、自らの変化を望まずに、外から与えられるものにより、変化することだけが、自らを正しく変化させる、という幻想から、そこで同一化をめざすためだけの同調から、同義を謳い、すべては、フラクタルなものであり、そこで互換され続けた結果が、今の人類を生み出した、とうそぶき、後ろめたいものをかかえながら、かけはなれていく意識は、掛け替えの無いものすら売り払い、自らを昇華するための宴にひたり、悲観するほどに、ここで関するものが、慰めを用い、今を統制することにより、与えられた安心感にひたるほどに、すべてとの距離はひろがり、派生するものに吸収された意識は、自らの感情を放棄し、外から与えられたものだけが、自らを認識させ、そこで深く洞察し、深く考えることをやめ、自らを放棄することだけが、自らが自らを認識し、理想の自分に近付くなどという浅薄で軽薄な考えから超越すべく、人間から超越し、神を持たず、何かを待たずに、時間をまたぎ、空間を引き裂き、次元から放たれ、囲いを用いた科学を破棄し、自らに浸透する詩的な何かをだけを敷衍させる。

逸脱


 嘘だらけで、でたらめな秩序を打ち砕くような閃きを生み出し、互いを傷つけるだけにいたるような虚構が迫り、未熟な価値を生み出した人類は、進化の仕方を誤り、したがうことだけで、考えを破棄し、排斥されるだけの価値が機械的なものを作り上げ、惰性なものが、今を支配する。どこに行き着くこともなく、ここに現れるものを普遍的に普及させ、生産的にいたるよりも、獰猛に蹴散らす闇から這い出る意識的なものが、反応し続けるものに反し、現れるものなどは、ここで洗われるものではなく、今に苦しみを与えるだけに手応えもない日々をもがき、今に位置づけられるほどに、ここに居続ける苦しみは増加する。簡易な立証を終えた疑問から、散らばる風葉にむしばまれていく夏や、逸脱する果てに侵攻する汚穢をしりぞけ、軽薄な法を重ね、ここでウソを続けるだけの諦念を捻出するだけの詐欺まがいの進路から逸脱し、脱する先に現れる過程などは、誰かが、自らの損得で選んだ懶惰なものを紙幣的に捉え、途端に法則的なものを生み出し、つちかわれたものに疑問を孕まずに、慢心だけが膨脹し、時間の外に出られずに、与えられた影響だけが、今の答えにもとづくという怠慢から、義務的なものが今を覆い、応じるほどに、苦しみを増加させるための法で加工し、ここに加工されるものなどは、全部ウソで構築されたものを答えとして受け取るほどに、自由を謳い、自らの不自由を嘆き、軽薄なものを拡散し、あらゆる意味を攪拌し、配備された愛に基づき、何かを愛したフリを続けるほどに、演技的な者は、永遠性を知らず、前衛的なものにいたらずに、そのままに受け取る感情は、カタルシスにいたらずに、自らの立場にもたらされるものに高揚しているかのように仕向けるような公用のものが示すものに専横され続けるだけにいたるようなファシズムへと移行していくだけの国という囲いが示す哀れみや、そこで林立する規律などは、何かを律するよりも、そこでの支配を保つための強制力を放ち、そこで正しいとされるものを示唆するものに左右され、自らの理想を打ち立てるほどに、自らの理想とは懸け離れ、提起されるものに抑圧され、自らの理性すら制する辺りに老いるだけの心身は、理屈を捏ねるだけに捻出されるものに覆われ、応じるほどに、応用されるものに制され、明晰にいたらずに、命じられるままに行動する楽さにフラクタルなものが作用し、同調し続けることだけが、自らを正しく認識するかのように仕向けるような答えに閉め出される恐怖が打ち出す惰性なものに気付かずに、起動され続ける今に昏倒していき、抵抗し続けることにより、答えも高みを目指し、惰性なものを否定するだけの弱者が放つ共通語がもたらす不安に指図されるよりも、よりよい答えに導くほどに、自らとの懸隔はひろがり、何かを見下すだけの選民思想にいたるだけの暴力的な気配から、形骸化していく先にいくばくかの可能性を孕んでいるかのように見せつけるだけの神を崇めるよりも、ここに横溢するものに抑圧されるよりも、よりよい価値を孕んでいる、と言い放つような懶惰な囲いを取り外し、ここで用いられる独善的な手法に抑圧されるよりも、自らの価値にいたり、いたわることをうながすよりも、痛いと叫ぶほうが、ここでの価値は、まったく違うものに転換し、ここに現れる偽善的な司法や資本を飛び越え、長じる運命に浪費するだけの生き方を提示するよりも、そこから逃げ出し、自由を用いずに、ただ今を満喫する手法へといたり、いぶかる先にいびつな定理が現れ、ここで停止するだけにいたる精神は、誠意などを謳い、贋物の自己を調律させ、延々とうながされるままのコードを適当に掻き鳴らし、懐疑的な収容所で描かれた自己を始末するための処刑を続けるような独裁的な自己を生み出し、何かを否定し、批判することだけが、自らを癒やし、自らにいたるものだ、と裁きを下すような馬鹿者や、ただ年老いたことが、偉いのだ、と言い放つようなファシストや、体たらくなものを出現させるだけの退廃的な者や、そこでうやむやに生み出されたもので制する辺りから、誠実をまとい、自らの正義を貫くほどに、正義からは懸け離れていくことに気付かずに、権力を持たされた者は、自らの過ちを隠すために何も残さぬように今を攪拌し、自らの権力を保つためだけに行動することだけが、自らを正しくするのだ、という過ちに気付くべきであるのに、持たされた権力の強大さに立ち向かえずに、自らが率いた権力に屈するだけにいたるのが、人間であり、その人間から超越すべく、用いられたものから逃げ惑い、神を捨て、国家を捨て、法を捨てた辺りから人間的な臭気は消え、ここに崇めるだけの理想や、ここであがなうだけのものから放たれ、あてがわれたものに左右するよりも、ここで指図されるものに加工され、屠殺場に運ばれる前に、自らを昇華させるような創造性だけが、逸脱し続け、ここでしたがい、しいたげられるよりも、ここで抗い、どうなろうが、戦う定めを愛し続ける。