時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

模造品


 どこにも悲劇などは隠されておらず、ただ行き過ぎる場面が幼稚に扱われ、秩序や、精神分析的に測られる物事の軋轢やらが、価値などを用い、あたかも確かなもののように騙られる間に迫る賭け事や陰口や、センチメンタルな傷口にぬりたくられる塩や、わざわいなどを用い、何かを騙すために作り上げられた信仰をながめながら、なんと中途半端な理論を形成し、軽薄なものを、あたかも正しいもののように崇めるような連中の支配下に置かれた罪の意識などは、つまらぬものであるし、やがて破壊者として、原理的な理想を積み上げ、あたかも価値があるかのように仕向けるような独善的な政治性が捉える思想などが、今を攻め入り、制限などを生み出し、政変などへいざない、独裁的につかむ世界とは、表現を失い、ただ鈍磨なままに奪い合うだけの形に収納されることがよろこびのように語られ、悔悟を用いながら、まがい物の愛で、愛することを学んだ的な教育に倒錯していく精神は正常さを語ることで、自らの異常さを隠すような手口からぬけだせずに、惰性に分析されるだけの成否が目論む宿命などが、今を切り刻みながら、危機感などをあおり、今をなじり、内面性に制度を生み出し、汲み取る意味も、利己的なままに集約され、そこで集権されるものなどが磔にされ、或いは隔離され、疎外され、迫害された後に背反し続ける先に現れる現実性などは、制約を守り、何かを保つために生み出された空疎な正義を用い、何かを犠牲にするために仕組まれた正当さを保ち、面子でしかうごかぬような愛を愛と呼び、何かに線引きするほどに、幼稚に仕組みの中で罪と罰を生み出し、悦楽に浸りながら、いりびたる精神は、いびつな精神構造などを謳いながら、なじられる後先をさまよう堕落した感情が蓋然性にとじこもり、確立でしか、物事を測れぬ間に蔓延る善意などが騙る犠牲的な者しか、愛を語る権利は無いのだ、という幻想から離れるべきであるのに、同じような答えの中で耽溺する彼らは、出来合のものを愛し、普遍性を謳うための制度から、抑圧され、制圧されるためにかかげられた存在というものを捨て去ってまでも、生きようとすることに理由すらも持てないから、生きていられる的なものが持ち出す権利とは、惰性なままに生きることに権利を叫び、用いられるものが生み出す不平不満から逃れようともしないで、同じような位置で、同じような意味を汲み取るほどに、自らの苦しみに滅びていく心情は、真っ当なものすら見つけられずにいるから、どこにでもいて、どこにもいないような心情をかかえ、軽薄な存在をまたぐほどに、またくりかえされる苦しみがしみいり、脆弱なものをかかえ、物事にエモーションすらこぼせず、証拠ばかりを求め、借り物の身体が消費し続ける瞬間に呪縛され、順繰りに迫る受難や、受胎する真実ですら、信じるに至らずに、何かを騙すために絶えず生まれる欺瞞にさえぎられ、不満足をかかえながら、慢性的な痛みをかかえ、混濁する意識は、位置的な苦しみから逃れるために存在自体を抹消し、そこにいないように感じるような身体の不自由さに嘆き悲しむことにさいなまれていくほどに、最たる意味などは、意味的な苦しみをかかえ、意思的な苦しみから解放されずに、ただ短絡的な同化から、道化として、傀儡として、または隷属するために持ち込まれる苦悩を愛するが故に愛することを理解できずに、自らを拘束し、構築される苦悩の奴隷として生きる。悲劇的な嬌笑をなげかける彼女の可憐さと同化していく区間に攻め入る善悪から逃れ、窮乏する思いが暴走し、暴政へと至るような国家的な偽装をすすませるような余韻がインタラクティブにはたらきを加え、空疎な自分を補完するための確かさを謳うほどに、すべては足枷に変わり、世界性をせばめ、センチメンタリズムにいざなわれる幼児性や幼児退行を謳うほどに、時代的なジレンマを謳うだけの慢性的なペシミストが謳うロジックな商法が出現し、遺伝子すらも否定するような超差別的なまやかしを謳うほどにリンクしていく苦悩との同一化から、同じような痛みなどは、どこにも存在せず、痛みを同じように感じるほどに簡易なものに監禁され、還元されるだけに至り、換金されるために存在するのだ、と妥当なものを用いる者の過ちなどを補完させずに、ただ己を改ざんするためのプログラムを破棄し、吐き出されるだけの毒などが折り重なり、自らを苦しめるための毒をばらまくだけの無残な身体を加工するためのプロセスやプロットなどは燃やし尽くす。

永久機関の愛


 伝えるものも間に合わずに、途端に翻されていくゆく行方もしれず、倒壊していく行き先で、迷い続ける精神は、成否を求め、制御も失い倒錯する。悲しみを奏でる空疎な季節を飛び越え、ゆるぐだけの精神は、軽薄なロジックをたずさえ、路地裏で混同する意識的な未明を捕獲するために悲観するのであるし、あらゆる希望的観測から、補正されるだけの道筋などは、誰かが歩いてきただけに満たないものを、確かなものに変えるほどに足枷に変えるし、あらゆる根源とは、ここで売り買いされては、今をあいまいに処置するための分岐点や、分裂的な証拠から、悲愁をたずさえるエチュードや、窮乏し続けるほどにシステム的なものを適用するための範囲として、自らをさだめる位置や、司るための今に貧寒なものをたずさえ、幼稚に分岐していくものを育むための教育などは、相似する者を大量に生産するためのプロセスを保つためだけに、均衡などを用い、平等などを謳い束縛するための空疎な履歴を生み出すだけに満たないから、と解放されるべき現在と、定立されるものに反する自分との終わらない戦争で訣別していくものが、断続的に別れを繰り返すほどに、隔たれていく意識は惰性なものにみちびかれ、いびつな苦しみを補完するための空疎な自分が自堕落に繰り返す演技の中で所持するものがエモーションをたずさえ、相続していくものが繰り返し苦悩を吐き出し、はびこる意味に収納され続けるだけの域から逃れられずに、能動性を捨て去り、受動的であるほどに禁忌などをたずさえ、誰かに迎合されるためにさずける身体をあずかるほどに、あいまいに感化されていくような表現の中で溜め込む寂寞や、育む継承などに消え去る主観や、空虚な自分を埋めるための計測的な希望の中で膨張していくファシズムの後を追いかけるだけの契約から、形成されるだけの秘密に及ぼす苦しみが貧寒なものを生み出し、ひっかき傷などを増やしながら、眺める景色とは、形式的なものに囚われているだけに満たないままに、汚いものを生み出し、思い出に模様などをほどこし、おどけるほどに、形容されるものに囲われ、加工された品位などを崇めるほどに、等差を生み出すだけに至るような秩序の中で補完され、捕獲されるためにさまよう獣たちの立場などは知らず、ここで置いて行かれるほどに、横暴に年老いていくために与えられた時間などを破棄し、配備される愛などは、愛するために演じるべきだ、と冤罪をかかえ込み、簡単に操作されるために増えていく痛みが快癒されずに、快活な快感に追い回され、横暴に示される愛は、愛であることを当たり前のように謳い祟るから、自らが与えた呪いにより苦しみを反復させ、反芻し続けるものがもたらす苦しみに理想とは潰え、何かを能動的に呪うだけの敵愾心が狭い価値に帰巣し、均等なものほど、何かに重圧をささげ、同じような分岐点で継承するもののためにたがいをとがめ、とどめを刺すために刺し違えていく互いは、互いが隠滅することだけを願い、誰かをおとしいれるために、誰かを騙すためだけに与え続けられるダメージなども感じずに、無感覚のままに通過していき、加点される痛みなどが転換する以前に、位置づけられる苦しみに居続けることよりも、ここで要理とされるものを切り離し、与えられる苦しみなどは、苦しみを認識するほどに増していく痛みを感じることだけが、正解のように思うことから逃れ続けることにより、そこで感じるものなどは、正解でもなければ、そこで形成された世界などは、ちぐはぐなものであるし、善悪すらもなく、ほとんどの意味とは分裂的な照合を与え、勘違いをほどこし、信じるほどに、信じたものとは遠ざかり、ちぐはぐなままに措置される希望が暴走し、真理なども存在せず、そこでは損得勘定だけで定立された低劣な世界を軽薄に形成し、遅効を生み出し、構想などは、今すぐにカタストロフをむかえ、簡単に処理されるための運命論や幸福論などは、すぐさま克服されるべく与えられた希望的観測ですらもなく、ここで書き換えられるものが運ぶ危難から、機械的な命題を生み出すだけに満たない現在などは、すぐさま超越s、転化していくものに手懐けられる前に、自らの意味を探るよりも、そのままである事に身を任せ、加工される前に、自らの未熟さを嘆くよりも、その場で寄り添う意味が諦観をうながしても、反し続ける美しさが示唆する瞬間的な創造性だけが、現在を超越し続ける。

形式的な夜


 すべての罪とは作られた過ちであるし、やがて渇望する思いは、ただ対価を求め、同じような罪を身に纏い、ミニマルに沈むしじまから、散漫な動機とドライブしていく一過性の罪を積み上げ消去するようなテトリス的なロジックを用い、有する価値がカタストロフと分裂的なギミックに消費されるような商法から、市場的な価値を操作するようなトリックを用い、用いられる物事のいっさいを搾取するための一党独裁的に締め付けられた市民が謳う革命も、いずれかは同じような罪を重ね、同じような権力を引き連れ、誰かを抑圧するための歌をへたくそに歌い上げるのだろうし、老化するだけの身体を引きずり、卑近なものを崇めるだけの数十年などは未熟で短いものですね、と遠のく意識の彼方でノックする君の純粋な巡礼すらも否定することのが美しいから、尽くされるような愛が愛しむことを忘れた間から、愛とは、ただ編集されるために収斂し、散々な原理にもとづくエゴこそ、エゴたるものである、という勘違いから、何かを独占し、率先して抑圧するための権力に手を貸し、短絡的な同化を終え、プロセスをむしばむためのウイルスとして、原理的な暴力を扱うためにあつらえられた力こそを位置的な過ちを加工し、改善されるために、体外に果てるだけのことばのいっさいが歯がゆく蓋然性を破壊し、虜になる利己的な自分と、理想論や現実性を飛び越えた辺りに徘徊する論理的な敵愾心や、いっさいに果てるだけに満たない自己をとがめるほどに、跳躍できずに、その場で這いつくばるだけに終えるし、横暴に示されるものに閉め出され、遠のく意識の中で儀式的なものを続けるつたない意識に鬱積していくものなどが、抑圧する限りに憂鬱を生み出し、治らない病や、過ちを生み出し、奪い合うだけの精神の中で計測される距離感などは、虚偽を生み出し、うそぶくものが、装う価値の中で予想通りの役目を果たすだけに透過しない思いは、何かの通過点であるために、加点されるためのテロルを共謀し、自らの凶暴性を加速させる。罪とは凶暴性を生み出すだけの影である、とたんたんと語る君をむしばむような暑さの下で、物事を物として崇めるほどに、ほとんどの価値は罪に変わり、自らを傷を癒やせずに、配下に下る快感から、原則的な潰瘍をかきむしるための機能としての腕や、悔悟をため込むための空虚なこころが許容するものなどは、何かを否定するために一度何かを受け入れ、経過するほどに偏りを示すための機能としてしか役割を果たせずに、世界を狭めるための闘争から、相当するものなどは、統率されるために水準を生み出され、惰性にみちびかれるほどに加算されるものが、自らに重圧を与え、圧壊するために責め立てるような技法から、犠牲的な精神は、トラウマをかかえ、自らの矛盾したマントラの彼方で永遠に反響するものが存在を定位置に置き、定理にむすばれては、断続する今を現実のように捉えるほどに、今とは欺瞞にみちみちとし、裏切りの緩怠から、均等な余地が生み出す幼稚なファシズムの分針に突き刺され、時間の中で被害者として生きるために加害者を演じ、同じような罪を同じように感じるべきだ、と抑圧されるほどに、抑鬱していく精神は、敬神に浸り、至らぬ自分の証拠を破棄し、ただ崇めるほどに認識していく存在との深まりを感じるほどになれ合う価値は、果たすべき義務を謳い、用いられる罪を解消するために昇華へと至らせるような祈りの間にも罪を思い、罪を用い、快楽へと至るために罪を追加し、罪を重ねる。ただ現れる罪とは、用いられる罪により増していく快楽の傀儡としてうごめき、無尽蔵に現れるものに修復され、祝福などを謳うほどに苦悩が邁進し、慢性的な痛みを敷衍させ、いたわられるほどに、幼稚なプロセスの独房に入れ込まれ、混同していく意識は、何かとの混交を続けるほどに、行為に追従し、通常などを謳うほどに、幼稚な意味のロジックに閉じこもり、倒錯していく意識は、錯雑とした観念の中で比率などを用い、構築される罪の膿を突き刺し破裂させるために正解とは持たされることにより、自らを苦しめるための罪を復習させ、同じように輪唱すべきだ、とうながすような独善的な毒性で、自らを麻痺させる。がんじがらめの精神は、からまるほどに自己愛に耽る。あらゆる定理に基づき、提示された罪を敷衍させ、押し上げられずに、ただ抑え付けられるほどに反発しようとするのが、生命であるし、抑圧されるほどに理性とはそこなわれ、そこかしこに暴力的なものを措置していく。

深淵に沈む吐息

蔑まれ、荒んだ世界からの自立をめざし、時間を捨てた彼の記号化した主体性が素敵にドレスアップされ、瞬間とは、永久に入り交じり、永久に消え去り、些細な出来事すら、瞬時に藻屑に変わるだけだ、とうながすニヒリスティックな一貫性から、出来事とは、統合されるほどに補填される意味を屈折させ、駆除されるだけの瞬間は心象を互換するための昨日を絶えずねじ曲げながら、清廉される時折に荒れ果てた世界は、様々な現象を偏執させながら、散漫な犠牲を含ませ、大量の痛みを大義などに変えるだけの復讐的な余韻こそが、正義と称えられ、生後から現れた誰かの可憐なことばなどのどれもは、信じるに値せず、そこで対価として求められるもののほとんどは、補正されるための意味に今を重ね合わせ、自らを正当化するためにうながす正しさの中でしか、私とはあたかも存在しないように複製されるだけの現在に真実とは真理をそこない、実体も持たずに、持たされた意味の中でもたらされるものだけが、判然としないものの判断を求め、もつれ合うひとときに一貫したものすらなく、ただ短絡的に同化するほどに道理とは、道化と化するだけだし、堕落するだけの主観性が制度を謳うころには、この苦しみとは繰り返されるものだ、と悲観する者が線引きするような瞬間に物事とは終わるための尊さに淘汰され、瞬間とは物事や文言から自立すらできずに、じり貧におちいり、往往にして迫る今とは世界性を壊すために世界を用い、制する間に精神性などは失格の烙印を押され、奈落の底に落とされるとか、うるさくつきまとうルサンチマンは、満天の星を見る余裕すらなく、すたれたこころは、主体性を捨て、荒んだままに懶惰な感情に齟齬をきたすためだけに何かを絶えず恨み羨むのだ、と妥当な位置から引き出す意味の卑近さにあきれかえることすら時間の無駄だ、と聖職者は、自らの罪をひるがえすために貧寒な理由を記号化しながら、アンニュイな感情が安易に引き出すものの貧寒さを嘆くころには、行動とは、何かとかさなるほどにかさばるものでしかなく、しがないものの主体性を崇めるほどに、あいまいな愛は、愛されることだけに機能を移し、培う意味もつくづくに迫る疑問に収納され、修繕されずに、ただ何かを恨むために絶えず更新される記憶を受理するための現実には慈雨すらも降らずに、バビロンが打ち出す博打たる資本主義的な淫行にふるえる季節や、欣然として死地に赴く悪魔的な呪詛から、クリックされるほどに増していく快楽から、悔悟を謳うだけの政治などが、正義を独善的な主知に変えるころには、混沌としていく意識は、正式な正しさすらも利用し、行刑のためだけに、ためらわずに垂れ籠める法の疑念を払拭すらもできずに、ただ執行されるための罪を利用し、領土を奪うために残虐な支配から、法を語る途端に、放蕩するだけの信念は、体系的なのものにそぐうほどに、偶像と化するための罪を十全としたもののように扱いながら、内外に果てる正しさは、確かさを語るほどに足枷を嵌め、世界性を狭め、センチメンタリズムを謳いながら、たゆたう現実から、現存するものなどは、補完されるためだけに、完成形を謳い、経絡に接続される快楽的なホールに次々と償いが射し込まれ、最たる意味に帰任する君を開拓するために、次々に迫る快楽に背反していく意識は、一定の疑問を義務的に消費するための疑問を鬱々と生み出し、見出す意味も関係性の中で法を生み、制度の中でしか反抗できぬから、思想とはねじ曲がり、君を解消する以前に、対象とする者に向ける憎悪だけが思想のように語られ、そこで勝ち誇る正しさを悠然と保つためだけに、もたらされる意味の中で測ることや、謀られる仕組みにすくみ、衰亡しては、横暴に閉め出される意味の中で示す意味を語る間に、正しさすら敗退し、蔓延る意味が突きぬけることもできずに、意味は、意味の中でしかまかり通らぬものを、確かなもののように崇める間に廃される愛や、約束を破り、裏切られた日々の結末に懈怠していく日常がニヒリズムに毒され、制される間に気配すらもそこなわれ、そこかしこに現れる軽薄な理論をたずさえ、この世界での勝者として役目や、この世界での敗者としての役目や、課せられる罪を演じるための悪として、犠牲を絶えず生み出すための正義として、支払われるもののためだけに絶えず行進を続ける人間的な枷を取り外すための死として、あらゆる疑念を打ち砕くための純然とした生として、あらゆる役目を取り外すための神として、役割とは絶えず交換され、ここでおかしくせめぎ合い、交差し、確かなものすら瞬時に疲れ果て、すたれるだけに至るようなものの断続の中で保たれる信念などは存在すらしない。

悲しみを食べる怪物たち

かなしみをたべて
成長するかいぶつたち、
よどおしなくきみの
かなしみをたべて、
でかくなって、
かなしみじたいを
踏みつぶし、
破壊し尽くす。

君と永遠

俺がいるかぎり、
すべては永遠だ。
感じる以前に、
すべてに苦しく
もがいても、
よろこび、
笑いすぎて疲れても、
どれも同じ永遠だ。
おまえといっしょに
よろこんだり、
かなしんだりしながら、
生きて行くよ。
だからもう、
おまえのことで
かなしんだりしないよ。
永遠なら、
いっしょにずっと
笑って過ごすべきで、
悲しんでいたら、
悲しみに食べられてしまうから、
食べられてしまう前に、
いっしょに笑うん、だ。

偶像の子と偶然の子

ボトボトとおちる
罪の音、
季節を膠着させる
意識的な汚穢から、
裏切りが迫り、
清廉さをもとめる、
はじらいの乙女たちが、
欠如していく場面を旋回し、
いろどられ、
ふちどられるものの、
おどろおどろしい結末が、
横暴に横行し、
根源をもこげつかせ、
権限を伐採し、
誰もが簡単に出入りできるように
変換しては、
多目的に身体を分かち合い、
誰もが簡単に愛を処理でき、
恬淡なままに、
配役されない身体を分離させ、
こころなどは、
虚空で消費され、
際限なく現れる苦痛も、
ほのかな痛みを改善するための、
ためらいや、
ぬくもりが現れ、
暴かれる現在に、
権利などもなくなり、
牽引されずに、
自らの意思だけで、
きめつけることもなく、
見つける罪は、
ただ今をわずらわしくさせ、
空白を埋めるための
倒錯や等差をもちい、
悲劇的なものを偽装し、
自らを可憐な子に変えるような、
生産的な苦痛を超越し、
分散される痛みを、
みんなで分かち合うという、
独善的な正義の終わりを告げる。