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時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

肯定的な夜に飛来するもの


 哲学とは、精神をかき乱し、むしばむものを昇華させるために存在する。せいぜい、そこの距離を埋めるために存在するわけでもないが、すり寄り、歩み寄れば、優しい存在である。宿命に反したまま、行き過ぎる風景を網羅するような刹那に嘆ずる所以や夢がしりぞき、寝ぼけ眼で乖離した世界を傍受する。当たり障りのない風景が関する合間に残り少ない愛が開け、簡単に処理されるほどに今とまじわる先々で乖離する心情がほどけ、おどけた真実がのさばる前の自分に帰りつく。あらゆる原理が理屈をこねる朝に浸透する、しんみりとした行方は、誰もが用いる狂気を利用し、散漫な意識に限界を用い、何かにとまどう主体は、戒律をまとい、自らを戒めることだけに専念する。捻転する意識は、儀式的なものを超過し、数々のジレンマが時代性を虚ろなものに変え、問題性を孕む以前に、ここでのさばるものが、卑屈を抱え、軟弱な精神を駆除する前に、ここで関連するものに固執していくことに現れる強迫観念が、簡易なものをかかげ、自らを監視することで強化される監視されている、という意識が引き出す卑近なものが促す価値にカスタムされる。未熟な観念が生み出すまぼろしや、幾重にもからまる意味合いに屈折していく精神が指定するものに孤立し、あるいは、その場で束縛され、自らの痛みに費やされる現実だけが、現実のように感じさせるギミックから解かれるべく、生きたような実感をさずけるすがすがしさなどが示唆するものなどは、たよりないものであるし、その場で満ち満ちていくものなどは、今に完結していくほどに、夢のようにしか思えぬものである。命とは、その場で完結するものであり、その場で感じたものだけが、今に兼ね合い終焉をむかえる。その場で考えるものとは、今に置いて行かれ、継続するほどに、その場での苦しみを膨脹させる。そこでさからい続ける意思だけが、意味を越えて、高潔なものへといたり、高尚なものに転じて行かぬ限り、その場で卑屈になるだけであり、かたよった精神は、今にひたることだけに関係していくものを恨み出す始末である。あらゆる言葉は、そこで緩慢に作用し、そこで孕むことなどは、答えにみちびかれるための経路をあたえるだけのギミックを超越できずに、そこでこしらえられるものに依存し、自らを損得で決め込む辺りから、善悪とは今にのさばり、理性を越えられずに、そこであたえられるものに抑圧され、些細なことで傷つく現在に転化していく苦しみにより、否定的なものに陥る。そこで肯定すべき意志を身につけるよりも、そこにあたえられる影響を越えて、硬質な意志を作り上げるための哲学が存在し、あらがうことでしか、正解とはあたえられずに、そこで本能的なものに摩耗された精神は、今にひたる答えに安易に引きずられ、卑屈になる。担うべき意志は、そこで解脱することばかりを考えるような安易な悟りが示す刷新が及ぼす破壊的なニヒリズムに対抗するような意志を企て、惰性に示されるものに閉め出されることを恐れるばかりで、そこで怯えるだけの意志は、堕落したものを堅持するのであり、そこで誇示するものが免じるようなものが、惰性な判断だけで、答えに乗っかり、自らの意志を損なうことに陥る欠如から、そこで接続されるものが示す尺度に追い出される恐怖にいざなわれ、不安に人格を奪われるのであり、底での『欠如』を埋めようとするほどに、逃げることを忘れ、その場で追い詰めれることにより、今に襲われ、誰かの意志の傀儡と化す。関わるほどに、関係とは権力を用い、ことあるごとに示される意味から尺度は生み出され、今を埋めようと詰める意識は、難癖をつけ、そこでこじれるだけにいたるような精神は、正否を用い、根幹を奪うだけにいたるような困窮から、自らを疎外させ、そこで生じる苦しみの『サイクル』へと陥っていく。自らを肯定すべく、生命とは躍動するのでもなく、そこにもたらされる宿命により、自らを誇示することもなく、そこでこじつけられるものに怖じ気付くこともなければ、そこで転じ、意味を不潔なものに変えるだけの戒律から、懐疑的な日常から逃避行を続ける意思だけがジプシーとして、吟遊詩人として生きるような結末に退く間からあいまいなマインドを放つだけの精神的な苦痛を昇華させ、そこで消費することだけに専念するよりも、そこで求められることに応えることだけが、答えを導き出す鍵であるのだ、などとうながすような即席の自由を越えることから、自らを超越し、あたえられるものを超過し、そこで現在から引きずるだけの存在を切り離し、次々に新たな自己を再生していくのが存在を超越していく仕組みであり、そこでの苦しみとは、そこで引きずることにより強化され、そこでさえぎるだけの意思が生まれ、そこで対立を深めるほどに、捕まる意識は、延々と苦しむことだけを敢行する。そこに現れる苦しみなどは、瞬時に飛び越えられるものであり、飛び越えるために存在する。そこに現れる超越こそが、自らを止揚し、そこで高められるものだけが、互いを恨むような原因から抜け出し、そこで線引きするものや、生み出される壁を壊し、誰かに愛されるためだけの愛が生み出す欠乏から抜け出し、惰性にみちびかれる答えに抑圧されずに、自らの考えだけを飛躍させていく。そこに現れる苦痛とは、飛び越えるためだけに存在し、そこで苦しむためには存在しない、そこで考える苦痛とは、考えがみちびく幻想であり、そこで真実のように語られる苦しみなどは、欺瞞を含んだエゴを用い、何かをモチーフに何かを傷つけるための演技を続けるような傀儡が示す鈍磨な感情を移行させるためのシステムを用い、誰かを騙すための倒錯を生み出し、境目をあたえることにより、そこでの苦しみも倍増していくことから逸脱するのが、生きているということであり、そこで生き抜くことを思うよりも、そこで要理に反することだけが、人間自体を飛び越える。

宇宙の乳房


 動物的な本能を捨て去り、慟哭の夜空に突きつけられる余罪や、迎合されるほどに飼い慣らされる意識に住まいを移す分裂的な影を背負い、心証につらなるシンフォニーや、ファシストどもが叫ぶ現前から長ける浪費されるだけの感情が牢記するものなどは、生きるということに邪魔になるのだ、と告げるような生き方こそが、生きているとは言えず、ただあらがうことをやめ、そこに現れるものにあてがわれた事実を、事実のようにうながすことでしか、生きていることも認識できぬような生き方などは、生きていることに価値を用い、何かに値するか、相対する先に現れるものに屈従することでしか、今を癒やせずに、今に現れる苦痛と、そこで普通とされるものの間に現れる差異や、そこで快活さをそこない、底なし沼にはまり、身動きもとられずに、途端に苦しみは倍増し、そこで膨脹する苦しみに飲み込まれることに生まれる満足などはしょせんは、何かを買い取り、何かを売り続けることでしか得られぬ快楽を求めるだけの脳内の仕組みに反せず、そこにおとずれるジレンマがいずれトラウマをかかえ、理想を供給すべき愛すらも、愛することを忘れ、愛されることに重点を置き、そこで束縛される観念はあらがえずに、自らの苦しみに飲み込まれる夜に信仰しているだけの本当とされるものなどは、善悪でしか物事を測ることで自らを自覚することに利用される本質へと移行していく苦しみをかき消すための道具として、あらゆる正否を利用し、そこで制限を生む苦痛と、そこで本質をにごすためだけにためらわずに使われる保身と、そこで捕囚として生きることのが簡単であり、そこで処理される痛みに麻痺し、毎日を愚鈍にすごすほどに路上でたむろする意識は、整合されずに、そこで苦しみに巻き込まれ、そこで症状を悪化させるだけにいたり、自らを抑圧させることだけが、自らを苦痛から救う手立てのように感化させ、そこで感じる苦痛は、屈折したものをかかげ、そこに現れる痛みから逃れるために、ためらわずに何かを破壊し、そこで瓦解する意識は、果敢に挑むことを忘れ、よどんだ意識の表面をすなどる君の意識的な汚穢にもとづく苦痛の終わりへとひしめく意味も、そこでの終わりに欠けていく意識との調和を目指すべく、明晰なものを求め、そこでの判断に膠着せずに、孤立し続ける意識は、システムが用いる過剰さや、死に至るウイルスを培養するだけの感情的な汚穢を浄化させるためのアンニュイな魔法をとなえ、寂寞に解消される痛みとの調和を目指すべく、君の苦しみが散漫なものをかかえ、そこでの苦痛を倍増させるだけにいたるような闘争へと陥る先に現れる闇との対立を越えて、そこで終わり続けるだけの意思とは、何かを散漫に壊れさせることだけに専念し、自らのデカダンを超克し、ここで固執する痛みなどは、そこでの乖離を生み、どこにも自らを存在させずに、そこでそこなうだけにいたる意識は、即席の自由をかかげ、何かをごまかすことが逃避だ、とうそぶく間にもとづく痛みに疼く精神が栄進を続ける先で統合されることだけを目的とする正常こそが偏りを示すものであり、そこで締め付けられる意識は、使命感を用い、何かと同調することでしか、自らの痛みを解消できず、そこに現れる痛みが用いる大義に酔いしれ、何かを破壊することでしか、自らを認識できないような確認作業である破壊活動に専念するような現在に芸術性はなく、とがめられるほどに、自らを強調しようともくろむ意識は、そこで止揚することもできずに、ただ抑圧され続け、苦しみに耽るほどに、満足とは遠く、途端に現れる苦しみとは、満足すらも捨て去り、そこで硬化する意識を軟弱な精神がゆがめ、そこで傍観者として、傷つく自分を補完するための交換条件などをかかげる社会との軋轢が生み出す苦痛との終わらぬ戦争を続ける間に乖離していく今にも意味合いは不潔なものを重ね、かさばる思いを昇華させるような儀式的な生贄として、今に苦しみべきだ、と悟ったようなものをかかげる似而非真理的なものを吐き出す破壊的な主義を刷新すべく、あらゆる原理とは、今を苦しめるためのツールでしかなく、今に解放を謳うほどに、自由にはいたらず、そこで用いられる解放との矛盾を埋めるための空疎な自由だけが、今に浮遊し、有する価値と、そこに現れるカタストロフから、価値観の違いでおとずれる人種間の争いに転じ、そこで疎外感を生み出し、ルサンチマンを生み出し、今にはみ出すものを処刑地に送り、違いを生み出すだけの言語から、そこに限度を生み出すだけの等差から、痛みをかかえた意識は、そこでの距離を埋めるためだけの密会を続け、そこにおとずれる革命のために、何かを犠牲に今を破壊するようなものへといたるような構図を終わらせるべく、共存共栄すらも超越し、そこに現れた歴史が作り出した敵視を越えて、そこで阻むだけにいたるような保身と、そこで不安を生み出すだけの恐怖に阻められずに、おとずれるものをそのままに愛することから、互いの理解を求めるよりも、そこで同意を求めるよりも、そこでそのままに生まれたものを生々しく愛することでしか、愛を飛び越えることもできずに、そこで裏切られてもなお、何かを信じることでしか、何も始まらぬのだ、と。

矛盾との戦い


 壁をとりはらい、自然に意識する以前に、ここで生まれるものの全容を測ることよりも、ここによりかかり、制する余韻や、因果律に反し、時間からかけはなれ、ここで思い違いを生むものや、運命論に支配され、散漫な意識を時間に追わせるだけにいたるような終幕から放たれる偽善的な要因や、インタラクティブなものほど、互いを信じてはおらず、そこであたえられる影響だけに左右され、すぐさまゆがんでしまうものである、と洗練される先々にセンテンスは死に絶え、誰もが情報の中で退歩し、時代錯誤におちいるだけだし、惰性に支配を繰り返すだけの王朝が示す明晰な判断すらもそこなわれた懐かしみだけが、代償を求め、今にさまよい、欺瞞を続ける辺りから、追憶とはうばわれた価値により、違った理想をあたえられたものを思い返すように海馬をカットされ、些細な原理にもとづくエゴを捨て去らせるべく、うばい続ける価値から、ここでもちいられる過去などは、枯渇するための理由をためらわずに生み続け、うばわれる原理や、ふかまる意味に恐々としていくジレンマが指定する義務へといじらしくとまどい続けるだけの君の無知にも悲劇は現れ、今に拘泥するだけにいたるだろうし、ここで浪費し、老化することを傍観し続け、つたない意識は機械的な末端に生まれる排除法や、破壊的な現場に理想論的な敵愾心を生み出し、破壊することだけが、この世の軋轢を矯正し、救世主を生み出すのだ、と井蛙な者が示す識見などは、正しく物事を見られずに、正しいものとして物事を見ている限りに、その正しさとは、正しいとされるほどにゆがんだものを今に生み出すことに気付かずに、自ら定める位置や、今に統合され、今に位置的な苦しみを複製するだけの真理に釈然としない精神は、主体性をそこない、そこで価値の家畜として、あるいは悲劇のヒロインとした、または、闇夜でもっとも暗い者として正否すらも持たずに、善悪に解消され、回収されるだけの最後を待ちわびるような悲しみに暮れる間にもっともな悲劇の者として、物事に軋轢を生み出す悪意の根源として、悪に焼き尽くされ、その場を燃え尽くすことだけに専念するような捻転した精神に喜劇的な笑いを持たずに、貧賤な者として、あらゆるものを憎悪することに想定されるものや、そこで装填されるものを撃ち続けるような憎しみの子として、恒久的に孤立し、ここで拘泥し続ける限りに陰る本質や、そこでそこなわれるだけの価値におびえるだけの一生から、いっさいの苦しみとは、今に永久を用い、ここでコアをなくし、長らくにひしめく利用された身体を交換するほどに、おぼえもないものを引き出すだけの卑近な過去から、交換され続け、硬化するだけのこころを暴走させないように抑圧するような国家的な偽装から、共産主義的な失敗や過ちとは、人間的な成長がなく、ただなあなあにあたえられた平等に尊さを持たずに、自らを問い質すことを知らぬから、そこで許すという怠慢を用い、何かを対価にしか人間とは人間として動けないという機械論的なさまたげに打ち勝てずに、浸透した主義は、理想を用い、希望を失わせるための革命にいたったことで、前よりも自らを苦しめるという矛盾を孕ませ、そこで奪った主権を守るために反するものを処刑し、そこでいっさい欺瞞を取り払うべく、関係のないものまで殺めるような恐怖政治に利用された者どもの悲しみを謳い上げる価値が今も揚揚ともよおす隙間に襲いかかる昼間の睡魔のような悪魔が迫り、生命を危機にさらすような散漫な儀式の彼方で、あいまいな理想を捏ね上げるほどに革命とは国家を越えられずに、自らを越えぬ限りにこしらえられるものに支配され、自らの意志を喪失し、互いをゆがめるためにゆだねる理想は、ここで了承を得る以前に、ここで強要されるものや、そこで驕傲な態度で示す差異にあらがえずに、今に見出すべき理想も、理性をそこない、本能を用い、何かを特権的に殺め、現れる理想に打ち勝てぬ限りにあてがわれるものに気配を奪われ、ここでの理想とは、何かを勇躍させることもなく、現れる不満が瀰漫する前に、強制力を持ち出し、強制的に従事させるための恐怖を巻き込み、現れる不純な理想に帰巣するだけの権力を保つための剣劇と銃撃迎撃の演技を続け、あたかも正義をかかげた行為とは、悪魔的なものであり続けるし、そこで続けられるものなどは、何かに隷属し、そこで展開されるものなどは、何かを奪うための敷衍を続け、つたないものをかかげ、それを成長と告げるような告白などは、ここでの正しさを見出すこともできずに、延々と続いたきた理想に寄りかかりすがるものを正しいものとして認識すべきだ、という洗脳まがいの理想が倦怠感をいざない、何かを考え、何かを思い、何かをかかげることとは間違ったものであるという普遍性が生み出した不潔な心情とは、誰がなんのために生み出したものなのかを考えるべきであり、善悪の是非を問わずに、ここで正しいものと悪いもので分け隔て、惰性な判断で、性善説性悪説を唱える以前に、ここに現れる善悪などは、懸隔もなく、同じようなものを、同じようにかかげているだけに満たず、どちらも正しければ、正しくもないのであり、そこで決め込むことこそ、正しいとは言えず、そこで正しいものとして認識させるような強制的なものを保持することが正しいとされ、そこで認識するものを怪しまぬ限り、自らの考えなどはないの、だ。

詩的な闘争


 空疎な物語を孕ます、詩的なオーガズムが、メモリーを消し去り、さらなる進化をとげるべく、飛び立つ。涙の色も濃いの、と理由もなく吹き付ける意味にふるえる君の小さな肩の行方を気にする。誰の悲しみでもない悲しみを埋め合わせるために私とは存在するの、と悲劇に満ちた感情のコイルを巻き、意識に拘泥し、或いは機械的な行動に支配され、動的なものに奪われる意識を傍観する自らを傍観するような乖離した青春を行き来する地下鉄の散漫な吐息をかきわけ、情念とは、ここでへだてるものを惰性に運び出すような連想を続け、ここで想定されるものや、ここで想像するものなどは、情報の中で淘汰され、ここで問い質され、追い出されるだけにいたり、そこで逡巡していることの矛盾に気付かずに期待感を孕まし、自らの複製品を愛するような始末のわるいナルシシズムに融合するような交友関係が生み出す高揚感などは、今を不満に変え、そこで空疎な理由を生み出しちぐはぐな思いをつなぎあわせるための接着剤的な恋人を探すようなあてもない旅路に平衡する意識的な俯瞰が空腹を癒やすためだけに日々に摩耗され、今に支えをもとめるほどに孤独にゆらぎ、自らの強靱さに気付かずに、気付いたころには、その場であたえられるものを、あたりまえのように食することだけに専念するような貪婪な者として、指定された意味の中にしか帰結できずに、その場での名残惜しさを吐き出すばかりで、ここに無駄なものを同封させ、無知なフリをして、誰かを騙す狡猾さを手にし、憎むことでしか、場面展開もできずに、その場でのうのうと伝統的なものを愛するような保存から、ここで補完され、修理されることだけが、あたかも確かなものを今まで形成し、そこで広がったものだけが、由緒正しく初々しいものだった、としいたげる先に思想は枯渇し、根幹をくさらせるだけにいたるような理想などは、希望にまでいたらず、用いた理想により、何かを徹底的に破壊し、自らの儚さにおぼれるだけのペシミズムによいしれることに痛みなど麻痺し、何かを死へと追いやることに起こる矛盾をかき消すためだけにためらわずに何かを傷つけるような精神性だけが、今と乖離し、回避し続ける己との矛盾との距離を埋めるべく、ベクトルを同じにすべきだ、と協調と同調は語るが、そこで距離をつめるほどに互いを恨み出す始末であるし、そこで闘争を続けるほどに、終わらぬ憎悪は、誰彼かまわず自らにも牙をむき、ただ破壊するためだけに暴力に従順になり、そこで語られる理想とは、欺瞞でしかなく、そこでしゃぶり続ける理想は、自らの幼児性を解き放つべく、そこで無邪気に壊すことだけが、自らを解放することであり、そこで懐疑的にならずに、ただ純粋な破壊だけが、人間を進化させたのであり、そこで生まれた暴力性だけが、人間社会を強固なものに変え、加算される暴力だけが、今を作り上げたのある、というエゴイズムこそを破壊し、そこで姑息に積み上げた理想などはリセットすべきであるし、そこに理性はなく、そこにしいたげられた者の悲しみを知らずに収奪され搾取され続けるようなものを打ち砕くべくコスモポリタニズムへと移行していく。さらなる意志の飛躍は、自らの力を倍に変える。俗悪な者が示す権威や権利や管理から離れ、徹底した意志で自らに移行していくことだけが、自らの意志に従順になり担う意味などは、今に義務をもたらし、意味を背負わせるだけにいたるのであり、そこでジレンマを生み出すだけの理想などは、理性を持たずに人間の権利を謳うほどに、人間から懸け離れていくのであり、そこで求められる権利などは、何かに管理されるための権利であり、何かに対する義務であり、そこで支払われるものを待ちわびる君の理想も、理性を失わせるための定型が生み出す体系により、形骸化する今をあたかも愛するように、と仕向けるための金銭であり、そこで卑賎な者が示す差異や余韻から因果律に反し、宇宙にも反し、ここで干渉するものなどは、世界を認識させるために無理矢理に迫る意味に引き出される卑近なものに悲観していくだけにいたるような闘争から、倒錯し続ける先に近付くほどに魯鈍な者に変わるだけの偽装をほどこし、そこで理性を失うだけに手懐けられ、そこで展開するものが転換期へといたらずに、同調し、譲歩し続けることにより、自らを見失い、自らを探すほどに、自らとの距離は生まれるのであり、そこで生まれる虚偽や、そこに現れるものによる矛盾や、従順なほどに傷つくのが恐いから、と妄想から生み出される不安が補完し続ける恐怖へと誘う強迫観念から、軽減されない痛みに麻痺していく苦痛から、通用のものとして崇められるだけの答えなどは、今に退行させるだけであり、そこでデカダンな者として生きるよりも、ここで十全なものとして確かめる愛だけが、今に間を生み出さずに今を阻めずに、ここで生まれるものだけが、物事の確かさを形成し、ここで軽薄なものを生み出す以前にここで未来永劫続くものが綴る物語だけが、物事に孤立せずに、ここで専横するものを批判し、ここで生まれるものだけが、物事の確かさを謳う以前に用いられるものに支配される前に前に乗り出し、ここで表されるものだけが今に苦痛を運び、そこで通用するものだけが、本質であるなどという勘違いを生み出すことを補完させるような文明などは破棄し、ここで新たな思想を生み出すためだけに私とはあたかも存在する。

叙情的な茎

空間でふるえるものが反響し、エモーショナルなものを伝達し、脳細胞を活発化させるような勇躍から、夜通し抑圧されるだけの不安にさえぎられずに、与えられるものを愛することだけが、この幼稚なたくらみを越える鍵になるわけであるし、あらゆる意味とは、接続される途端に継続されるだけの意味を孕み、世界を自らが産み落とすような過激な理想から、ここで抵抗を加え、構造的なものから排除されるよろこびにひたる現在に信用すらもいらず、ここで負担になるものなどは、今に担う原理や、帰巣する季節に終末論をうながすだけの道楽の鳥たちの仮病やらが散漫に地殻変動をうながし、乖離する現在に低劣なものをうながし、偽装される真実や、ここで空疎なものを用い、理想を供給するかのように窮境へと送り込まれるだけの偽善的な独白から、高尚さを謳い、何かを騙すことだけに専念する。狡猾な者だけが修羅を越えるのだ、と理想郷にたどり着く前に倒れ込み、利己的で不死身な現在に低劣なものを重ね、理性をそこなわせるだけにいたるような倦怠感を網羅するウイルスの中をさまようだけにいたり、代価を求めるほどに、代償を求め、対象とされるものを恨むことだけに専念する。ルサンチマンが破壊する全容から、固執するだけにいたるような現在に偏執する差異から、またぎ続ける先に普遍性を捨て、何かの虜になり、似合うものだけを集めるだけの正義から、演技的な彼彼女対たちを傍観する延焼し続ける精神が包まれる業火の苦しみとは、包まれた自分でしかその苦痛は認識できずに、誰かの苦しみは理解できずに何かが生み出す苦しみがそこで反映され、些細なことで苦しむことを繰り返し、そこで不安に思うことや、抑圧され続ける限りに解放を求めることすらやめてしまい、マゾヒズムを加速させ、そこでリリカルなものを放棄し、そこでさすらう意識は、住まいを失い、内外に果てる不埒な結末や、結合される先に現れる制圧に反することは愚かなものだ、と衆愚は語るであろうし、そこに生まれる欺瞞が今を阻め、最たる意味をそこない、喪失感にただれ、行き場のない苦しみは、そこで渇望を繰り返し、加算される痛みは、今をさいなむだけにいたり、いぶかるほどに露呈される苦しみとは希望を失い、そこで見捨てられた自己を恫喝し続け、つたない意識は、やり場のない苦しみをかかえ、そこで粗暴なものをかかげ、現れる苦しみに肉薄していく精神は苦みをおび、現れる結末に結合され、そこで苦しみを利用し続けるだけの偽善的なものに粛清され、制圧されるだけの精神は、そこで応じる苦しみへと意思を奪われ、自ら考えることをやめ、そこでためらうものが安易なものを崇拝し、そこで高揚感をそこない、応じる苦しみに相似する苦しみを崇め奉る。
 まじわる先々で愛は低劣なものへと変化する。愛と名付けられた途端に得るものなどは、得るために求めるものへと変わり、そこで偏執し続ける愛は何かに固執し、そこで苛立つ精神は、今に肉薄していく軽薄なものを信心し、なれあうことだけが、今になあなあになり、担う意味も今に似合うほどにおどけていき、浅薄なものを掲げ、何かを批判することだけに用いられるものが、妄想を繰り返し、そこで不安に思うことなどは、今に影響を与えるはずもないのに、今にあてがわれる苦しみに当て付けるような不満ばかりが今におおいかぶさる。ここで横溢する苦しみとは今に軽蔑を用い、何かを否定し続ける限りに乾いた心情は、何かを求める愛へと帰巣できずに、その場で駆逐されるだけにいたる悲しみへと従属し、そこで隷属し続ける限りに加算される苦しみに斡旋され、聖戦を謳い、目的を伝統の破壊や、他者への邪推が行き過ぎた破壊をもたらすような苦しみへと同化していくほどに破壊の速度は増していき、今に邁進する苦しみは、今に飢餓をもたらし、精神的な枯渇は、何かを破壊することだけに専念し、蔓延する苦しみは、今にこじつけられるものが生み出す不安を再生し続ける海馬で変容する映像を反復させ、ここでの苦しみとは、今に解消されない苦しみを回収し続ける限りに続く苦しみの永遠性を用い、何かをモチーフに不安を強化させ、今に現れる不安が欺瞞をもたらし、自らを騙すことでしか、そこでの快楽に行き着かず、そこで行き着く痛みは、今に帰任できずに、不安をさまようだけにいたり、そこでいぶかるほどに、狡猾なものが示す差異から、散漫な意識が儀式化され、些細な動機に締結し続けるほどに堅持する意味は、今に固執し、現れる苦しみに染みいる意味にいびつなものを形成し、形骸化していく意識は、その場で亡霊に変わり、そこで軽薄なものを形成し、迎合し、契合されるものだけを真実のように崇める先に生まれるものを信心し続けることだけが、自らを聖なるものへと進化させ、そこで変化し、変異し続ける限りに現れる苦しみは祝福を用い、あらゆる正義を越えるような者へと変化し続け、止まらぬ意志は、自らの力だけが、この位置から用いる苦しみを昇華させ、創造的なものだけが、行き場のない苦しみを昇華させ、あらゆる苦しみとは、この場で用いられるものからの逃避であり、逃げることだけが、君を意味から逃避させ、あらゆる苦しみとは、その場から離れ冷静に見つめれば、何のこともない健気なものである。

至福


 大量生産的に飼育されるという言葉で簡単に処理されるようなキャピタリズムの中で懊悩するものが、苦しみの末にしたがうことでしか自らを正せずに、ただあらゆる主義とは、一律のことを謳うが、一律のものなどないにもかかわらず、求めることだけには長けていくのが、思想というもののあやふやさ加減を信じ込むことが、枢要なものであり、崇高なものである、という勘違いを含んだ経済的な猶予から些事にこだわり、そこで拘泥し続ける限りに何かに置いて行かれることにのろけていく。克服されるべきは苦しみにあらず、克服すべきは、幸福と名付けられ、その幸福を追い求めるほどに現れる苦しみであり、求めるほどに不安とは増して行き、現れる苦しみにあらがうほどに、しあわせとは遠のくという幸福という名ばかりのものこそを乗り越えるべき超越を目指すべく、自分とは見つめることにより、見えにくくなり、憎むべき存在に変わり、そこかしこで偏りを示し、現れる苦しみを呪い続けるだけにいたる。あらゆるしあわせに寄りかかるだけの偶然的で偽善的なものが示す尺度により、自らを粗暴にあつかうことに現れる幸福の理論などは、ことごとくを昇華できずに、その場限りの幸福を追い求め、自ら苦しむことから逃げないなどと疑いもなく、自らを苦しめることに現れるマゾヒズム的な観念から、軽減されない痛みを連動し、ここで肉薄するものが、寄りかかる自らをも寄せ付けずに、そこで突き放す限りに、自らの理想と懸け離れ、用いられる理想とは所詮は、その場で偽装されるだけの企みに変わり、その場で枠組を作り出し、そこで保護されるものや、そこで保険にかけられるものや、そこでかけがえのないものとされるものまで売買される始末を描くような共産主義的な結末から、欠乏していくほどに何かを監視するという社会主義的な考えに還元されるものが平等を謳い、衝突を繰り返し、終わらぬ戦争へといたるだけの主義などは要らぬと叫ぶような実存主義的な通わしから、ならわしなどは、ここで何かを賑わすこともなければ、ここで高揚感も持たずに、雇用される苦しみを叫ぶほどに、自らの住まいを求め、ここで結合され、保護されることだけが、生きてるような実感を与えるようなものへとかすむだけの希望から膨脹し続ける憎悪から、相互理解を謳い、何かを法で加工するだけの品位から、立像とは、ただそこにたたずむだけなのに、苦しみをまとうのはなぜ?と君が思う先々で妄想のようなものが生まれ、その場でもまれ、生まれるものとは、そこで奪われるだけにいたるような空疎な悲劇から、刺激的なパラダイムから、同じような俯瞰に捕まり、そこで束縛されることだけが自らの猶予を終え、叱責にうなだれる俯瞰から、ここで即席の自由をうながすだけの寂寞をただよい、ただそこに現れるものを愛することをやめ、ただ責任から逃れるように放蕩し続ける限りに意志とは老けない。
 乖離する由縁が今に敷衍し、普遍的なものに抵抗を加え、自らに現れる栄光から、永劫へとつながる今に倦怠感をかかえては、短絡的な動機が走り去る。足音も聞こえずに、ただ現れるほどに老い続けることが断続する。継続する苦痛は、自覚するほどに痛みを補填し、終わらぬ苦しみや、そこに汚穢を生み出し、高揚感をそこない、即座に転換していく痛みを引きずる限りに苦痛を増し、慢性的な痛みを引きずるような域をさまよい、自らに転化していく痛みに代償などを求めるような国家的な偽装を生み出すだけの井蛙な主観がアナクロニズムを加速させ、分別ある大人として機能するほどに、子供を疎外させるだけにいたらせる先々でふかまる対立は、軋轢を生み出し、そこで狭まる域は、自らを抑圧させるだけに専念し、そこで軽減されない痛みにさいなまれ、そこで苦痛を膨脹させ、痛みを傍受し続けるシステムを強化させ、そこかしこに苦しみを織り込み、体系の中で苦しめることだけに専念するような宵を生み出し、儀式的に虐められる先々で誰かの痛みを解消するための対象として存在することだけが、その者の価値のように崇められる先々で惰性に敢行される暴力は住まいを失い、居心地も居所もなくし、ただ効力として現れる暴力だけが、今の痛みを解消し、あらゆる独善的な行為に葬られるだけの意図から、位置的な苦しみを伴侶にし、ただ憎むことだけに増幅する痛みは、自らを際限なく苦しめる限りにドメスティックなものを一貫性に変え、衆愚として機能し、何かを対照にしては、自らの苦しむと比べるほどに、自らの苦しみを解消するために何かに敵意を向けて、何かを蹴落とすために陥れるためだけにためらわずに攻撃し続ける先に現れる苦痛を解消するための儀式を強化させる。
 あらゆる神は幼稚な企みを超え、さらなる高みへと急ぐべきだ、と自らに語る。語る先々に現れる障壁を壊すような言葉こそが、言葉としての役目を果たし、そこで吐き出されたものなどは、瞬時に消え去り、形成される痛みを昇華させ、自らの価値に帰り着き、そこで戒律も持たずに、カタルシスをうながす限りに乖離する思いも、そこで思い出に変わり、課せられる意味も、そこで改正され、晴天を求め、ぬくもりある言葉へと行き着き、生きるとは暇つぶしであろうが、そこで諦観し、膠着しようがお構いなしに時間や空間を思うほどに、重荷は増えていくばかりで、そこで経験したものも、過ぎ去れば、幼稚な企みに支配され、枠組の中でしか働かぬものを正しいことのように信心していただけに満たなかった、と慰める隙間に色彩もあふれ、ただようほどに、ここで酔いしれることもなく、次々につぎはぎにされ、そこでつぐないなどを求める以前に定型のものとして、あらゆる要因によりかかり、果敢に挑むことを忘れ、「そこでおどけて魯鈍なものとして、いろんなものを排除する」よりも、そこで自らが自らの意志で踊るよろこびに耽る。

永続するもの


 個人的な憂鬱を生み出し、現在を支配する過程から、経過していくほどに生まれる苦痛や、そこで即座に展開される意味に巻き込まれ、創造性をそこない、即席の自由を求め、革命へと掻き乱された時代を傍観するような時間が連綿と綴る意識下におかれた傍観するだけの過去からの虚飾を生み出すほどに、自己とは自分を踏み台にし、植え付けられるものの空疎を孕み、懶惰なものへと長じる由縁から、叢生するものに隠遁し、ジレンマを抱え、今に引き合いに出される苦しみから、達成感をくすぐるだけの偶像に支配され、位階の中に組み込まれ、そこで秩序を生む愚かさから、偶然を吐瀉し続ける限りに陰る本質が怪訝なものを組み立て、建前が生み出し毎日の虚勢から、延々と続けるほどに、この命とは、同化することだけに長けていき、そこで弔われるものがビジョンを失い、情熱すらも消え去り、些細な動機に入り交じる短命でもどかしい小さな生命にも宿る同一の命とは、ここで成立する余韻に捌けられ、自らの命の短さを自覚する以前に、ここで同様の痛みを抱えさせられ、相似するほどに酷使した身体が分裂し、数多に分散していく今に抵抗を加え、運動的に孕む現在に域から逸脱し、惰性にみちびかれる思いが、おびえをかき消し、その命の短さを飛び越え、永遠性にもとづく制度に引きずられる前に自覚する自らとの距離を埋めるだけの闘争に陥らずに、ここであらがう隅々に栄養を設け、保たれる意味などは、いっさいの均衡を保つ前に、勢いのままに飛び続ける意思は、純粋なものをかかえ、ここでこじられるだけにいたるような意味から飛び立ち、様々な思惑を越えて、能動し続ける限りに退廃的なものにとがめられるよりも、純粋な意志だけが、あらゆる障害を越えて、ここで与えられるだけの意味が横行し、今に意思を奪うだけにいたるような戦争を生み出し、際限ない苦しみを内服しながら、自らの内外に果てるジレンマによどみ、征服欲だけが、自らの住まいを奪いながら、内向的に孕む懶惰なエゴから映じていくものに瞬間的にうばわれ、うながされるまに帰巣していく意味から長けていくべく、理想を捨て、蝉蛻を続ける限りに現代的なものに苦しめられずに、闇夜に消え入る本質から乖離し続ける限りに生み出される苦しみを打算するだけの制裁をここに加え、空疎なものを吐き出しながら、来す意味が、今に膿に変わる。
 散漫な怒りをかかえ、自らが選んで孤立する辺りから、あらゆる差異は、正解を持たずに、ただあらがうほどに、自らの世界に枷を嵌め、今に欺瞞を生み出し、不自由にさせるだけにいたるような現在に来すイメージが占領し、意志を奪うことだけに締結していく意味が専横を続け、同化するだけの意思どもが軽快さをそこない、私の苦しみも何かと同化し、あらゆる成因は、私が生み出す罪の代償なのだ、というようなペシミズムが痛みを加速させ、因果応報などを応用し、そこでの罪を解消すべくカルマは自らで回収するのだ、とうながすような路上の神は、感染症にふるえる猫の苦しみもわからずに、ここでカットアップされるものを真実として捉え、その描写に集まるものだけを真実として崇めるのだ、とうそぶきながら、ここで執り行われるものは、ここで統合されることだけを目的に盗用されたものを奉りながら、本質を濁すための戦争を強化させ、ここで強固に祭られるものを信心すべきだ、とうながす限りに、ここでの理想とはまやかしになる。担うべき意志は、誰かに似合うものを同じように着こなすのではないし、ましてや、同じものを着た途端にそれは全部ウソに変わる。あらゆる論理を疎外させるための方法論へと縫合された傷跡を傍観し、ここで不謹慎な想像を終え、想念に帰巣するだけの事実関係が軽薄なものを構築し、ここで構造的な配慮を加え、ここで同調することだけに専念し、そこに現れるものを愛するべきだ、と浪費するだけの観念は、軽減されない苦しみに移動し続けるものが、悶絶しながら、しなびた意味に寄生するだけのいっさいの欺瞞から放たれるものが均整を求め、平衡を謳う辺りからいっさいの均衡は崩れ、力が用いる関係性に連動していくほどにくたびれた理想を掲げるだけの退廃的な需要を求めるほどに、用いられた矜恃は、何かをするには邪魔になり、担うべき意味はいっさいの意味に緩慢なものを生みだし、自らの愚かさに陥っていく。
 ここで向き合う愛も、徒に消費され、あらゆる愛とは、愛という言葉を用いら、語られることで役目を終え、そこで保つべき愛も、来す意味に占領され、今に意思を喪失し、相違し続ける限りに相似するというサイクルから抜け出せずに、そこで採決を繰り返し、同じものを、同じように孕み、懶惰なものに変化させ、ここで構築されるものに誓いをし、憎むことでしか解決にいたらぬような保身から、憧憬を繰り返し、ここで滑落していく精神は、そこでの役目を終え、今に生み出される苦しみをにじませ、あらゆる苦しみを膨脹させ、今に疎外されることに生まれる自己の中での繰り返しだけが本質を強調し、自らを止揚し、あらゆる原理から超脱する。