昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

超越し続ける先の端


 すべては、品格すら持たずに比較されることすら願わずに眠ることにより、構築された価値に反し、自らに生み出される力だけを血や身体に変え、自らの形に支配される以前に用いられる価値を排除し、ここに現れるものだけを本質として捉える。生産されるだけの位置から意味を引き取るほどに卑近なものになりかわり、用いられるものに苛立つだけに至らせるような世襲制に背反するような俗世的な性感帯を押すだけの装置として惰性に交換されるだけの感性から形骸化した答えを未だに引きずるのが、人間的な哀れであるし、政治的なものを用いて、何かを引き替えに過信し、改心を強請るだけの拘束から、構築される痛みに麻痺していく精神は怒りを解消できずに、対象とするものすべてに怒りをぶつけ、位階制の中で誓われるだけの出来事は、用いられるだけの価値が引き寄せるだけの出来事を真実として促し、ここで接続されるだけのことを観念論なもので構築されるほどに神的なものに適任していくことだけが正解を結び、無数の浮遊する意志に表現を終わらせ、そこで傀儡として汚穢を用い誰かを汚し、その穢れを浄化させるためだけに用いられる儀式の生贄として扱われるだけの人々が怯えるだけの先々で対立を続け、痛みが続き、引き継ぐ償いのコードから、犠牲的に支払われる義務的な死に適応することだけが本質を掴み、安易な正解に導くほどに世界性を破壊し、赤い血すら流れずに、規制されるだけのあいまいな今に懸隔を用い、離れるほどに自らとの離別を繰り返し、退嬰的なものや、退廃的なものをツールにし、利己的に自己を消費し、自己顕示欲へと至り、浸る意味の中でのナルシシズムに浸り続ける間に変化する善悪や、利己的な修復を目指し、祝福する者を恨み続けるような密室の中で、介する間に仇討ちを目指し、笑われるだけの行動とは、動向に悲観を促し、ここに用いられる苦しみを反復させ、現れる苦しみが先々で抗い、介する間に理解を生まずに、浮かばれぬから、と何度も裏切り続けるほどに補填される苦しみは他者を介し、自分へと帰ってくるのである、と促すような善悪や罪と罰から放たれ、理性を律する先に音程はある一定の理想をたどり、タオイズム的に昇華できずに、ここで送受信されるものに扇動され、戦争的に唱和されるものを自らの意志のように伝え、互いを専横するために婚姻を儀式化し、監視し合うほどに愛することの原理は、理解を超越し、互いを恨み続けるような偏りを生み出し、片方が購う愛から、あらがう先に提示される意味に苦しみを巻き込み、混同する意識に同化することで愛とは強固なものになり、依存的に融合する先に競合する意志は、近接し、相似した意味を超越し、そこに現れる似たようなものを排除し、同じようなものだけがここで高揚することだけに専念する間に疎外されるだけの自己は、互いをとがめるだけの理想を捨て、ただ同化することだけを目指し、同調することにより、現れるものだけが、真実を物語るのであり、あらゆる原理は意味を遂行し、ここで統合されることだけに惰性な真実を食い込ませ、埋め込まれた意味に老化するよりも、ここで揺動されるだけの真理を弔い、淘汰される前に、問い質すことにより、ここで用いられる真実を超越し、ここで変化し続けることだけが正解を正解に導き、世界を促すだけの答えに即されるよりも、ここで制されるほどにほぐされずに、保護されるだけに至るような権利から、牽引されるだけの意味を用いる権力が陥る独裁的な主体性を打ち砕くために、互いをとがめるような理想とは捨て去るべきだ、と解消されない痛みを対象に用い、何かを捨てることだけが正解にように促す容易さを飛び越え、とぼしくも群がるだけに鬱積する現在に用いられる懸隔に放たれる意味に帰巣するほどに基礎とは破壊され、ここで長じる由縁に即されるほどに諦観を用い、率いられる痛みや、貧寒なものに変わり、関わるほどに、振りかざされるだけの意味に加算される意味に偏執しながら、偏向するほどに魯鈍なものに陥り、応じるほどに変化していく意味は解放されることを目的に自由を用い、何かを騙すことを目的に、何かを得るために騙すことだけに明けくれ、そこで忙しくたむろすることだけに専念するような宣言や偏見を加速させ、意味に枷を嵌め、正解を持たずに、世界に閉じ込められるだけに至るような痛みから目指す昇華とは、高次や高尚に浸り、何かを見下すような独裁的な主観が用いる狭小な心を率いるだけの権力的な醜態をさらすためだけに、力とは現すのではなく、ここに用いるべきは、平和利用のための自由という銃を振り回し、利己的に従わされるためだけに力とは存在するのはなく、ここで捨てることを強要するような力に振り回されるために存在とは、存在するのではなく、ここに現れる確かさに枷を嵌め、世界を奪うためだけに、存在とは、存在することを認識するほどに苦しみの枷を嵌め、世界に生じる痛みは、全部の自分の責任のように痛みを背負うことにあらず、ここに用いられる世界とは、自らを果たす前に、備わっただけの徒な世界であるし、制されるほどに抑止されずに、抑圧されずに背反し続ける先に現れる今だけが、世界と名付けられる以前に、ここに現れる純粋な現在であるし、そこに懸隔もなければ、定められた意味に用いられた規律を保つことだけに専念するほどに暴力的な穢れを生む以前に、ここに備わるものだけが、本質にとがめられずに、戦争に擁護される前に、ここではみ出すだけの君の理論に共立する者すら不必要になり、担うだけの意味は、君の季節を破壊するだけに至るような正常さを用い、君を異常だと示すような精神分析をも超えて、ここで正常を謳う者こそ異常であり、異常と定義する者こそ、自らの異常さを隠し、何かと同化し同調し、誰もが同じような意味を同じように消費し、同じようなかっこうで同じような死から逃げ惑うだけに至らせるような異常さに気付くことから、この世界からの解放や自由を用いるだけの世界的なプロセスやプログラミングを破棄し、自らの意志だけで今を超越していく。

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。

ここで似合うものなどは、しょせんは着せられたものであるし、そこで着せ替える理想などは理性をそこない、または理性を用い、何かを裏切るための闘争を生み出し、何かを阻むための理想をこねあげ、独善的におちいる理想は、何かを奪うための理想に変わり、すべてを奪うまで醜い闘争は続く、まる

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。

なぜにわかるものとわからぬものは隔てられるのか?という疑問すら愚問のようにとなえられることが正しいことのように扱われるのか?という疑問に気付かずにあたえられた答えを、あたえられるままに正しいとすることのほうが、おかしいことに気付かぬのか?、まる

超越し続ける先の先


 すべては、品格すら持たずに比較されることすら願わずに眠ることにより、構築された価値に反し、自らに生み出される力だけを血や身体に変え、自らの形に支配される以前に用いられる価値を排除し、ここに現れるものだけを本質として捉える。生産されるだけの位置から意味を引き取るほどに卑近なものになりかわり、用いられるものに苛立つだけに至らせるような世襲制に背反するような俗世的な性感帯を押すだけの装置として惰性に交換されるだけの感性から形骸化した答えを未だに引きずるのが、人間的な哀れであるし、政治的なものを用いて、何かを引き替えに過信し、改心を強請るだけの拘束から、構築される痛みに麻痺していく精神は怒りを解消できずに、対象とするものすべてに怒りをぶつけ、位階制の中で誓われるだけの出来事は、用いられるだけの価値が引き寄せるだけの出来事を真実として促し、ここで接続されるだけのことを観念論なもので構築されるほどに神的なものに適任していくことだけが正解を結び、無数の浮遊する意志に表現を終わらせ、そこで傀儡として汚穢を用い誰かを汚し、その穢れを浄化させるためだけに用いられる儀式の生贄として扱われるだけの人々が怯えるだけの先々で対立を続け、痛みが続き、引き継ぐ償いのコードから、犠牲的に支払われる義務的な死に適応することだけが本質を掴み、安易な正解に導くほどに世界性を破壊し、赤い血すら流れずに、規制されるだけのあいまいな今に懸隔を用い、離れるほどに自らとの離別を繰り返し、退嬰的なものや、退廃的なものをツールにし、利己的に自己を消費し、自己顕示欲へと至り、浸る意味の中でのナルシシズムに浸り続ける間に変化する善悪や、利己的な修復を目指し、祝福する者を恨み続けるような密室の中で、介する間に仇討ちを目指し、笑われるだけの行動とは、動向に悲観を促し、ここに用いられる苦しみを反復させ、現れる苦しみが先々で抗い、介する間に理解を生まずに、浮かばれぬから、と何度も裏切り続けるほどに補填される苦しみは他者を介し、自分へと帰ってくるのである、と促すような善悪や罪と罰から放たれ、理性を律する先に音程はある一定の理想をたどり、タオイズム的に昇華できずに、ここで送受信されるものに扇動され、戦争的に唱和されるものを自らの意志のように伝え、互いを専横するために婚姻を儀式化し、監視し合うほどに愛することの原理は、理解を超越し、互いを恨み続けるような偏りを生み出し、片方が購う愛から、あらがう先に提示される意味に苦しみを巻き込み、混同する意識に同化することで愛とは強固なものになり、依存的に融合する先に競合する意志は、近接し、相似した意味を超越し、そこに現れる似たようなものを排除し、同じようなものだけがここで高揚することだけに専念する間に疎外されるだけの自己は、互いをとがめるだけの理想を捨て、ただ同化することだけを目指し、同調することにより、現れるものだけが、真実を物語るのであり、あらゆる原理は意味を遂行し、ここで統合されることだけに惰性な真実を食い込ませ、埋め込まれた意味に老化するよりも、ここで揺動されるだけの真理を弔い、淘汰される前に、問い質すことにより、ここで用いられる真実を超越し、ここで変化し続けることだけが正解を正解に導き、世界を促すだけの答えに即されるよりも、ここで制されるほどにほぐされずに、保護されるだけに至るような権利から、牽引されるだけの意味を用いる権力が陥る独裁的な主体性を打ち砕くために、互いをとがめるような理想とは捨て去るべきだ、と解消されない痛みを対象に用い、何かを捨てることだけが正解にように促す容易さを飛び越え、とぼしくも群がるだけに鬱積する現在に用いられる懸隔に放たれる意味に帰巣するほどに基礎とは破壊され、ここで長じる由縁に即されるほどに諦観を用い、率いられる痛みや、貧寒なものに変わり、関わるほどに、振りかざされるだけの意味に加算される意味に偏執しながら、偏向するほどに魯鈍なものに陥り、応じるほどに変化していく意味は解放されることを目的に自由を用い、何かを騙すことを目的に、何かを得るために騙すことだけに明けくれ、そこで忙しくたむろすることだけに専念するような宣言や偏見を加速させ、意味に枷を嵌め、正解を持たずに、世界に閉じ込められるだけに至るような痛みから目指す昇華とは、高次や高尚に浸り、何かを見下すような独裁的な主観が用いる狭小な心を率いるだけの権力的な醜態をさらすためだけに、力とは現すのではなく、ここに用いるべきは、平和利用のための自由という銃を振り回し、利己的に従わされるためだけに力とは存在するのはなく、ここで捨てることを強要するような力に振り回されるために存在とは、存在するのではなく、ここに現れる確かさに枷を嵌め、世界を奪うためだけに、存在とは、存在することを認識するほどに苦しみの枷を嵌め、世界に生じる痛みは、全部の自分の責任のように痛みを背負うことにあらず、ここに用いられる世界とは、自らを果たす前に、備わっただけの徒な世界であるし、制されるほどに抑止されずに、抑圧されずに背反し続ける先に現れる今だけが、世界と名付けられる以前に、ここに現れる純粋な現在であるし、そこに懸隔もなければ、定められた意味に用いられた規律を保つことだけに専念するほどに暴力的な穢れを生む以前に、ここに備わるものだけが、本質にとがめられずに、戦争に擁護される前に、ここではみ出すだけの君の理論に共立する者すら不必要になり、担うだけの意味は、君の季節を破壊するだけに至るような正常さを用い、君を異常だと示すような精神分析をも超えて、ここで正常を謳う者こそ異常であり、異常と定義する者こそ、自らの異常さを隠し、何かと同化し同調し、誰もが同じような意味を同じように消費し、同じようなかっこうで同じような死から逃げ惑うだけに至らせるような異常さに気付くことから、この世界からの解放や自由を用いるだけの世界的なプロセスやプログラミングを破棄し、自らの意志だけで今を超越していく。

空想


 おもしろみもないからこそ、おもしろくしようともくろむような週末の理論から、性善説や、性悪説にアクセスするような大衆の試みに反し、理解を得ようと無理強いするよりも、ここで鋭く解明しようと自らの力学だけで、解消されない意味を昇華させるような創造性だけが、自らを救うという意識よりも、この世界を救うという強制的な判断を用いるよりも、反骨精神だけで、退嬰的な体系や、携帯するだけの意味に接続されるだけに明け暮れる大衆の一部として、或いは権力の中での秩序を保つ官僚制の民として、独裁的な主観で延々と演繹される命題と弔われずに、この場での屍として、意味のゾンビとして、損得の街を徘徊するだけの考えすらも捨てたゾンビとして徘徊するだけの闇夜で幼稚な企みを介し、枠内で放たれる道楽から、緩慢に作用する間に迫る夜との交錯から、等差を用い、未熟な精神で軽薄なものをたずさえ、富を爆砕するためだけに恨むことをはじめ、ここでルサンチマンとして関与する間に卑劣な思想は生まれ、何かを保つために守るという独善的な意思が虐げ、従えるだけの意志とは、自らの力を学ぶこともできずに、答えを恒心できずに、出来合のものを受け入れ、それと共に統合されることだけを正常と呼ぶことにより、よりよい理解に至らずに、位階制の間で対比を繰り返すだけの価値を保とうともくろむ秩序に渡された目録を受け取り、自らの意志で何かをやり遂げたかのように仕向けるような間柄から、乖離していく理解は、今に区域を生み出し、空虚感を生み出し、寂寞で緊縛するだけに至るような人間的な拘束から、ここで問われる悪により、今を見くびるだけに至るような恐怖感に震えるだけの意思的な汚穢に敵愾心を生み出し、奪い合うだけの価値が率いる古俗により、今に瀰漫する不満足を煽るだけの正しいとされているだけの答えに軋轢を重ね、あいまいな毎日に退くだけの過程や、軽快な理想を用いずに、今にずっと続いているだけの意味を買い被り、今に意味を問わずに、ここにあらがうことも知らずに、答えにのうのうと流されるだけの退行から、大概の苦しみは理想を供給するフリをして、今に偽善的なものを与え、押し込まれた意識の中で改ざんされるだけの毎日に蓄積される苦悩を共有するフリをして、利己的なものへと書き換えられるだけの苦しみの中で退廃するだけの答えの中でしか判断を見出せぬから、今に理想的なものを謳うだけで、何かに怯えることしかできずに、今の苦しみを今に反響させ、環境のせいにして、今に虐げられるだけに至るような全体主義的な者の一部として、生きることでいしか判断を急かせず、ここで正論をぶつけても、ここに現れるものを見くびるだけに至り、ここに現れる答えに形骸化し、一切は答えを見出す前に、自らに捕食するだけの自己防衛的な判断で破壊するだけに至らせるような定理の中で利便的なものを接続させ、ここに興じる意味に招請されるものだけを正式なものとして受け入れるという誤りから、正解とは与えられるだけの便宜的な神に利用され、理想は供給される罪を意味として理解を得ようとする以前に、用いられる答えに考えを強制されることから、自らに誤りは生まれ、今に理解しようともせずに、用いられる苦しみを堪能し、納付されるだけの苦しみを流布し続ける先に死を横柄に舞い込み、ここにこじつけられるだけの意味に理解を求め、乖離していく思想の中で高次に至らずに、行為にせき止められ、正義を用い、整合される先で開示されるだけの意味に昏倒し、当該する者として、一市民を演じ、演じる先に孤立感は生まれ、今に投じられる不安に制御されるだけに至るプログラムの一部として隠逸していくだけの大多数の一部として、苦しむことを強要されるだけに至るような過失の先で対峙する意味も君に蓄積する意思的な間違いに屠られるだけの独善的な終末論に整合されるだけの正義を回収することが、正義であり、悪を捏造し、ここに凝り固まるだけの意味を迎合することだけが、世界を正常に保つなどと促すような者こそ、卑屈な理想を抱え、何かを排除し、疎外するだけに至り、疎外されるほどに卑屈になる者が、世界を壊そうともくろみ、今に規律を生み出し、規制するだけに至るような意味に秩序を生み出し、愛は背反だけをめざし、愛であることを辞め、ただ仮想するだけの正義が用いる真偽や善悪に解消されるだけの痛みを何度も捏造しながら、ここに交わる死の恐怖から逃げ惑い、そこかしこに点在するだけの意識的な交わりに罪を形成し、そこで応じるだけの答えに散漫になり、理解を得ようとするほどに、保持する意味から乖離することにより、自らの罪が強制力を重ね、ここで抑圧されるだけに至るような些細な結末から、差異が生まれ、惨憺たるものへと交接することだけが、繁栄につながり、今に圧縮されるだけの精神が徒労を重ね、統合するほどに魯鈍な者になり、担う意味も今に回収され、改善されない痛みの中で倒錯を繰り返し、用いられる等差から、当該するものだけが、正義として扱われ、ここに保たれるものだけが、正義として存在することを存在などと崇める事から、購うことだけに専念し、宣言される意味の間で法で加工し、ここに囲われる意味などは意志すら持たずに、何かに流動することだけが、意味を保つことである、という空想に浸っている。

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。

いままで続いたものを否定し、つじつまをあわせるための理想などを放棄し、あらゆる権限とは、そこに利息を求め、理性を失わせ、そこで加勢されるものや、多数派なものだけが、リアルなのだ、という勘違いから抜け出し、そこで求められるものなどは、批判され続けてもなお、自らが正しいと思うことがゆがみも生み出すが、正しさも生み出すのだ、と。