昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

未完成のもの

 
 動物的な死を覆う黒々とした憂鬱が用いる意思を相違させるだけのにせもののほほえみを放つアンチテーゼをもちいる創造的な伴侶どもの至福の表情が、観点を斡旋し、関連する状態に事業などを生み、意味をなじる限りに自らの死をも超克するような試みを続け、ここで懈怠し、ここで転換される意思的な哀れが取り逃す死の弊害や、死を用い何かをあやふやにする兵どもが徘徊する原野に確実なものなどなく、ここに現れ旋回する物語が過去から持ち込まれたウイルスにやつれ、対抗する気も無くなり、ここで愛国心などを促すほどに補完されるものが、差別的な写真を撮り、利己的な私情を剪定しながら、愛すらも損ない、ここかしこで枯渇するだけに至るような苦しみを競わせるだけの資本主義的な衆愚として、復讐劇を繰り返し、貧寒な歴史が敵視する国家的な偽装から、自らの骨組みを壊すような電波的なファシズムが閃光を伝え、腐敗するだけの情緒を掲げ、心眼などを謳うような信仰的なほほえみに均等さもなければ、今にけなげに結ばれる君との理想すらも何かを堅持するほどに利己的なものに変わり、ここで拘泥するだけに至るような真実などは、本質を見失い、今に振りかざすだけの意味に孤立するだけの孤独な諦観から、冷戦を済ませ、憂鬱な週末にシュールレアリスムを気取り、角膜が疎外する幽閉された視線から、捉えるべき自己も、間隔などを用い、自らから乖離し、理解を得る以前に視界から消え去り、多目的に流動し、対等なものもなくなり、今にぶつかり合う本質は、真実すら損ない、ここで過失を生み出し、意味を踏みにじり、憎しみを生み出し、情緒を奪うだけに至らせるような闘争から、頭角を現す者などがすぐさま権力を手にし、独裁者へと変わるような世襲制の夜から、夜明けも待てずに焼け野原になる意思は、住まいを失い、どこ吹く風とさまよう強さを手にし、利己的に支配するだけの気配から放たれ、自ら考えることの美しさに気付き、何かに毒される以前に、ここで教祖として崇められる以前に仇討ちを狙うだけの意思的な倒錯から、真理にもとづく穎悟も毒づくような街並みを徘徊するできの悪い木偶の坊どもが道理を騙るから、意思の傀儡として詐欺まがいなものを用い、死を恐れる限りに商売繁盛するような汚さだけが崇められるのが、この資本主義というものでもあるし、現在を潤わすように思わせるような戸惑いを生むだけの言葉も不必要であるし、ここに用いられ苛立ちを生み出すだけに至らせるような諦観を持ちこみ、道楽を続けるだけに綴られた意味に複製されるだけの偶像として生きることだけに専念するような意思的なまがい物どもの複製品であふれた復讐だけの街に理想はなく、担うべき意味もなければ、その場で簡単に支払われる快楽だけが、死の恐怖から逃避され、今に傷む意味や、君の傷口を開くような交錯や、交換される現在にあらがうような場面からの逃避を目指し、倒錯する現在に作成されるだけの信念などは、持ち込まれる理由を自由で攪拌するための自由を口実に何かを騙すためだけに逃避することだけが正解であるのに、そこから逃げ出すことも乖離することも許せぬような者どもが私腹を肥やし、書類一枚で簡単に処理されるだけの憂鬱に貧寒な理想を積み上げ、そこで婚姻に至らせるような地獄へと巻き込まれ、ここで固執するだけに至るような理由に堅持する現実などは、限界を用い、何かに拘泥し、しあわせを捏造し、複製されるだけの真実に嘔吐を繰り返し、独善的な修復から、祝福を謳うだけに原理的な理想は、競争的な支配から、気配を牛耳られ、ここで諦観させるだけに至り、いたわることを忘れ、混沌へと巻き込まれるだけに至るような制限から自らを狂わせるだけに至るようなデータの変換から、偏執していく意識は、今に見出すべき理由も失い、自由ばかりを求めるから、自ら促す苦しみに苦しむことだけを反復させ、ここでこじらせる意味に時代性の憂鬱を巻き込み、自らを不自由であり、不幸である、と促す限りに誰かを羨み何かを嫉妬することだけに専念するような捻転から、猥雑な主観をたどり、主体性を損ない、そこで死を巻き込み続ける限りに見合うものなどを求め、よりよいものなど探せば探すほどに、見栄えばかりを気にし、よいものなどは一向に見つからないのに、探すことだけに執念するほどに自らを喪失し、喪失感にゆだねられた憂鬱の症状が高尚さを謳いながら、散漫な意識を買い取ることだけを続け、自らを違うものに毎日変換し続けることだけが、世界を正解に導くようなもののように感じるような倒錯から、ここで淘汰され、死の後に濡らされた身体を傍観する君の痛みすらなくなり、そこでよろこぶことすら失い、そこで永遠に漂着し続ける死の反復から反芻し続ける先に死はブランド化され、永遠に製造されるジェンダーレスな高尚さに差額を生み出し、支払われるだけの祝福を死は笑うだろうし、そこでゆだねられた理想などをカオスに変えるダリのジャスティスから、短絡的な短観に潜む悪意に巻き込まれる痛みから截然していく意思の高さを眺めることだけで精一杯の君は理想を手に取り、利口であるために何かに安易に流動し、理由も知らずに、ここで死を斡旋し、死から逃げ惑う限り死に追われ、何に恐怖しているのかも分からずに怠惰な意思に巻き込まれ、自らの意志を喪失し、そこに加えられる力だけに操作される。

未完成のもの

 
 動物的な死を覆う黒々とした憂鬱が用いる意思を相違させるだけのにせもののほほえみを放つアンチテーゼをもちいる創造的な伴侶どもの至福の表情が、観点を斡旋し、関連する状態に事業などを生み、意味をなじる限りに自らの死をも超克するような試みを続け、ここで懈怠し、ここで転換される意思的な哀れが取り逃す死の弊害や、死を用い何かをあやふやにする兵どもが徘徊する原野に確実なものなどなく、ここに現れ旋回する物語が過去から持ち込まれたウイルスにやつれ、対抗する気も無くなり、ここで愛国心などを促すほどに補完されるものが、差別的な写真を撮り、利己的な私情を剪定しながら、愛すらも損ない、ここかしこで枯渇するだけに至るような苦しみを競わせるだけの資本主義的な衆愚として、復讐劇を繰り返し、貧寒な歴史が敵視する国家的な偽装から、自らの骨組みを壊すような電波的なファシズムが閃光を伝え、腐敗するだけの情緒を掲げ、心眼などを謳うような信仰的なほほえみに均等さもなければ、今にけなげに結ばれる君との理想すらも何かを堅持するほどに利己的なものに変わり、ここで拘泥するだけに至るような真実などは、本質を見失い、今に振りかざすだけの意味に孤立するだけの孤独な諦観から、冷戦を済ませ、憂鬱な週末にシュールレアリスムを気取り、角膜が疎外する幽閉された視線から、捉えるべき自己も、間隔などを用い、自らから乖離し、理解を得る以前に視界から消え去り、多目的に流動し、対等なものもなくなり、今にぶつかり合う本質は、真実すら損ない、ここで過失を生み出し、意味を踏みにじり、憎しみを生み出し、情緒を奪うだけに至らせるような闘争から、頭角を現す者などがすぐさま権力を手にし、独裁者へと変わるような世襲制の夜から、夜明けも待てずに焼け野原になる意思は、住まいを失い、どこ吹く風とさまよう強さを手にし、利己的に支配するだけの気配から放たれ、自ら考えることの美しさに気付き、何かに毒される以前に、ここで教祖として崇められる以前に仇討ちを狙うだけの意思的な倒錯から、真理にもとづく穎悟も毒づくような街並みを徘徊するできの悪い木偶の坊どもが道理を騙るから、意思の傀儡として詐欺まがいなものを用い、死を恐れる限りに商売繁盛するような汚さだけが崇められるのが、この資本主義というものでもあるし、現在を潤わすように思わせるような戸惑いを生むだけの言葉も不必要であるし、ここに用いられ苛立ちを生み出すだけに至らせるような諦観を持ちこみ、道楽を続けるだけに綴られた意味に複製されるだけの偶像として生きることだけに専念するような意思的なまがい物どもの複製品であふれた復讐だけの街に理想はなく、担うべき意味もなければ、その場で簡単に支払われる快楽だけが、死の恐怖から逃避され、今に傷む意味や、君の傷口を開くような交錯や、交換される現在にあらがうような場面からの逃避を目指し、倒錯する現在に作成されるだけの信念などは、持ち込まれる理由を自由で攪拌するための自由を口実に何かを騙すためだけに逃避することだけが正解であるのに、そこから逃げ出すことも乖離することも許せぬような者どもが私腹を肥やし、書類一枚で簡単に処理されるだけの憂鬱に貧寒な理想を積み上げ、そこで婚姻に至らせるような地獄へと巻き込まれ、ここで固執するだけに至るような理由に堅持する現実などは、限界を用い、何かに拘泥し、しあわせを捏造し、複製されるだけの真実に嘔吐を繰り返し、独善的な修復から、祝福を謳うだけに原理的な理想は、競争的な支配から、気配を牛耳られ、ここで諦観させるだけに至り、いたわることを忘れ、混沌へと巻き込まれるだけに至るような制限から自らを狂わせるだけに至るようなデータの変換から、偏執していく意識は、今に見出すべき理由も失い、自由ばかりを求めるから、自ら促す苦しみに苦しむことだけを反復させ、ここでこじらせる意味に時代性の憂鬱を巻き込み、自らを不自由であり、不幸である、と促す限りに誰かを羨み何かを嫉妬することだけに専念するような捻転から、猥雑な主観をたどり、主体性を損ない、そこで死を巻き込み続ける限りに見合うものなどを求め、よりよいものなど探せば探すほどに、見栄えばかりを気にし、よいものなどは一向に見つからないのに、探すことだけに執念するほどに自らを喪失し、喪失感にゆだねられた憂鬱の症状が高尚さを謳いながら、散漫な意識を買い取ることだけを続け、自らを違うものに毎日変換し続けることだけが、世界を正解に導くようなもののように感じるような倒錯から、ここで淘汰され、死の後に濡らされた身体を傍観する君の痛みすらなくなり、そこでよろこぶことすら失い、そこで永遠に漂着し続ける死の反復から反芻し続ける先に死はブランド化され、永遠に製造されるジェンダーレスな高尚さに差額を生み出し、支払われるだけの祝福を死は笑うだろうし、そこでゆだねられた理想などをカオスに変えるダリのジャスティスから、短絡的な短観に潜む悪意に巻き込まれる痛みから截然していく意思の高さを眺めることだけで精一杯の君は理想を手に取り、利口であるために何かに安易に流動し、理由も知らずに、ここで死を斡旋し、死から逃げ惑う限り死に追われ、何に恐怖しているのかも分からずに怠惰な意思に巻き込まれ、自らの意志を喪失し、そこに加えられる力だけに操作される。

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。

なつかしむ間にも今を過去に追いやるだけの時間が、あらゆる原因を吸い込むだけの意味が、言葉を補完するだけの交換されるような価値にしめつけられ、そこで使命感をかかげ、にせものの価値に散漫な意思を惰性に磔にし、憎むことでしか、本質すらも見抜けぬような社会とは、社会として機能しておらず、そこで麻痺した精神を引きずるような貧寒な歴史に耽溺しているだけだ、まる

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。

春をまさぐり、空腹と刹那に転じる感覚的な終わりにひしめく代償も、数々のジレンマがひきさく現在を混用し、同率に愛するような補正から、未熟な現在に転移していく痛みに耐えるよりも、逃げ出す勇気のが確かに生きていることを認識させてくれるかもしれない、まる

私をも超越した先


 私を包括するしあわせが、意思を交換し、融合することにより高揚することにおける依存的な快楽から放たれるべく、自らの力だけが運命を切り取り、自らに永遠性を見つけそばだてる思いが相続する理由や誘導する価値にカタストロフを生み出し、反省を伝え、恬淡な浪費を繰り返す資本的な狂騒から、観点を盗み、倦怠感を促し、昏倒する意識を改善させるだけに厭うだけの原理に帰巣するだけの論理から悲愁を伝え、耽溺し続ける動機にモラルなどをもたらし、照応するものが形を生み出し、踏み換える後から陰鬱な逍遥を繰り返し、婉然に長ける思いが消費され、謙譲されるだけの価値から、健全さもない身体を接着させることだけに結ばれるだけの形から価値とは生まれず、ここに現れるものだけが、君を形成し、そこに意味も無ければ、存在をあらわすものなどは、あらがうだけに至り、そこに闘争を生み出し、戦争へと至る限りに存在とは逸脱を続け、私は、私に対し、体制や対象などを用い、先々で浸透する損得や、破壊的な浄土や、揺籃に潜む価値観の蛆虫どもや、退行するほどに魯鈍な幼少期を加速させ、枷に変わるだけの老いを背負い込み、そこで論理的な抵抗も企てずに、惰性で生きるとは、生きることにあらず、と促すような高尚さには見下すことにより、超越に至ったように仕向けるだけの思いが意味を倒錯させ、錯雑とした観念に背く限りに陰る思いが逃避し続け、退廃的なモラルを掲げ、拡散される意味から、加算される退廃から、退嬰的な者が否定を続け、秩序を生み出し、運命的な合成から統合される先に発展する理由を薄明なものに変え、追求する時折に潜むノイズや、卑俗な者が生み出す大衆的な傲慢から、そこに思想的なよどみを生み、扇動されるだけに至る大衆は憎悪や悲しみだけに操作され、退廃から諦観に至り加速するあきらめのリズムの先に体制はこびへつらい、自らの権力に荷担するものだけを持ち上げ、解消されない痛みを連動させる憎悪の影を背負うだけの強大なルサンチマンを成長させるだけの衆愚から、観念とはあきらめを製造するだけの生産性を保ち、用いられる原理に理想を追求するほどに痛みを生み出し、膿ただれた傷からあふれる腐臭や、復讐の土地に住まうだけの悪魔どもの復讐劇を何度も往復させるのが罪の意識を課せるだけの法の観念であり、そこで厭戦を叫ばずに嬉嬉として死地へ向かうような快楽的なタナトスから、途端に織り込まれる死が能動的に働きをかけ、課せられた動機に一貫した力を用い、解き放たれた思いは、憎悪を成長させ、止まらぬ思いは、装甲を高め、互いをとがめるほどに自らを強化させ、境界を用い、嚮導するほどに、自らの力は加速し、自らの力に追い抜かれ、自らを即席の独裁者に変え、介する間を毒することでしか、本質をも超えられぬような屍として、同じような主体性に孕む遠因に引き込まれ、自らを革命機械として或いは対象を破壊するだけの絶望の気配として、あらゆる創造性を破壊するだけにつとめるような破壊的な主義に孕む余韻が生み出す抵抗的な論証から、照応する思いの雨滴が額に辺り、恒常的な雨に濡らされ、孤独に震えていた過去の枯渇を埋めるような雨がもたらす癒やしがもたらす余韻にすら否定的なものを用い、かいがいしく結ばれるようで、そこになれ合いを生み、介する間に依存的なものを用い共依存に陥り、行為に比重を与え、そこに価値同士で対立を抱え、同調し続ける先に意識的な提要を掲げ、批判的に乗り越える先に行為は依存性を解き放ち、ここにもたらされる互いの思いとは、ここにとどまり、ここで消え去るからこそ、美しいのであるし、そこに残る愛すらもないからこそ、そこで精一杯に愛するのであろうし、やがて、そこで果てる者であるし、ここに何も残さぬから美しいのであり、その刹那に輝くのが愛であり、そこで背反するのが愛であるのだ、と仰ぐほどに、ここにもたらされる苦悩は調律され、一定のリズムに変わり、理想を供給し、時間を取り除き、ここに残るものとは、その永遠性だけを敷衍させ、ここに残るものとして、情報すらまとわずに、ここにこしらえる永遠性に引き伸ばされるからこそ、私とは美しいのであるし、ここにもたらされるあるないという判断は、善悪を用い、偏るだけに至るし、そこに時間すらも無く、永遠だけが広がり、永遠すらも無く、そこに時間だけが、一貫して備わることにより、そこに力は生まれるのであるし、やがて、ここに構築されるものが利便性だけを用い、詭弁を用い、複製されるだけの真実へと姿を変えたのが、過去から用いた答えであるし、ここで退行するだけに至るのが、過去から構築されたもので形成された答えに過ぎぬし、ここに消費されるものなどはそこに論理も残さずに、拘引されるだけに至るような対象が用いるだけの正解を率いて、自らを正しいように仕向けるだけの正しさが正しいと打算し、散々な動機に論理を用い、ここに勝敗を決め込むだけの世界から解放されるべく、用いられる自由すら不必要であるし、ここに不潔さを用い、何かを否定するだけでは、何も飛び越えられずに、与えられたものにより判断することが、正解のように騙るような者どもが這いずり、自らの姿を隠し、何かを奪うために君の足下に近付き、ゆっくりと君の後ろをついて行き、いくばくかの猶予を用い、恒常的な苦しみへと倒錯させるだけに至るような闘争から、退廃的なものを生み出すだけに至るような苦しみを用い、今を麻痺させることだけに専念し、惰性に生み出される主義から理想を供給するほどに不満は倍増し、もっと欲しがるだけに至り、何かを羨むだけに忙しく、何かを嫉妬するだけに専念するような生き方が、正解のように促すような世界に正解を当てこするだけに利己的な復讐に服従するだけの幼稚な闘争から、投影されるものが真実を語るように仕向けるような幼稚な仕組みに騙されている暇も無いから、私は私を改善し、私は私を改ざんし、騙し尽くすものをひるがえすべく、ここに幼稚な企みを用いる前に自らこそが唯一の正解を用いる正しい者である、と宣言し、私をも超越した夜に出迎えるべき初々しい朝との出会いを待ちわびているし、誰をも近づけぬよりも、誰をも認めぬよりも、ここに擁立するものに擁護されなくとも、ここに弔いを重ね、わびしく消えた毎日たちを昇華させ、祝福を促し、死をも越え、もたらされる痛みに協業するものに同調せずに、ここに有する価値に近似するようなものを捨て去り、逃避し続ける先に現れる淡い光が、心地よく感じる。

わたしをも超越した先


 私を包括するしあわせが、意思を交換し、融合することにより高揚することにおける依存的な快楽から放たれるべく、自らの力だけが運命を切り取り、自らに永遠性を見つけそばだてる思いが相続する理由や誘導する価値にカタストロフを生み出し、反省を伝え、恬淡な浪費を繰り返す資本的な狂騒から、観点を盗み、倦怠感を促し、昏倒する意識を改善させるだけに厭うだけの原理に帰巣するだけの論理から悲愁を伝え、耽溺し続ける動機にモラルなどをもたらし、照応するものが形を生み出し、踏み換える後から陰鬱な逍遥を繰り返し、婉然に長ける思いが消費され、謙譲されるだけの価値から、健全さもない身体を接着させることだけに結ばれるだけの形から価値とは生まれず、ここに現れるものだけが、君を形成し、そこに意味も無ければ、存在をあらわすものなどは、あらがうだけに至り、そこに闘争を生み出し、戦争へと至る限りに存在とは逸脱を続け、私は、私に対し、体制や対象などを用い、先々で浸透する損得や、破壊的な浄土や、揺籃に潜む価値観の蛆虫どもや、退行するほどに魯鈍な幼少期を加速させ、枷に変わるだけの老いを背負い込み、そこで論理的な抵抗も企てずに、惰性で生きるとは、生きることにあらず、と促すような高尚さには見下すことにより、超越に至ったように仕向けるだけの思いが意味を倒錯させ、錯雑とした観念に背く限りに陰る思いが逃避し続け、退廃的なモラルを掲げ、拡散される意味から、加算される退廃から、退嬰的な者が否定を続け、秩序を生み出し、運命的な合成から統合される先に発展する理由を薄明なものに変え、追求する時折に潜むノイズや、卑俗な者が生み出す大衆的な傲慢から、そこに思想的なよどみを生み、扇動されるだけに至る大衆は憎悪や悲しみだけに操作され、退廃から諦観に至り加速するあきらめのリズムの先に体制はこびへつらい、自らの権力に荷担するものだけを持ち上げ、解消されない痛みを連動させる憎悪の影を背負うだけの強大なルサンチマンを成長させるだけの衆愚から、観念とはあきらめを製造するだけの生産性を保ち、用いられる原理に理想を追求するほどに痛みを生み出し、膿ただれた傷からあふれる腐臭や、復讐の土地に住まうだけの悪魔どもの復讐劇を何度も往復させるのが罪の意識を課せるだけの法の観念であり、そこで厭戦を叫ばずに嬉嬉として死地へ向かうような快楽的なタナトスから、途端に織り込まれる死が能動的に働きをかけ、課せられた動機に一貫した力を用い、解き放たれた思いは、憎悪を成長させ、止まらぬ思いは、装甲を高め、互いをとがめるほどに自らを強化させ、境界を用い、嚮導するほどに、自らの力は加速し、自らの力に追い抜かれ、自らを即席の独裁者に変え、介する間を毒することでしか、本質をも超えられぬような屍として、同じような主体性に孕む遠因に引き込まれ、自らを革命機械として或いは対象を破壊するだけの絶望の気配として、あらゆる創造性を破壊するだけにつとめるような破壊的な主義に孕む余韻が生み出す抵抗的な論証から、照応する思いの雨滴が額に辺り、恒常的な雨に濡らされ、孤独に震えていた過去の枯渇を埋めるような雨がもたらす癒やしがもたらす余韻にすら否定的なものを用い、かいがいしく結ばれるようで、そこになれ合いを生み、介する間に依存的なものを用い共依存に陥り、行為に比重を与え、そこに価値同士で対立を抱え、同調し続ける先に意識的な提要を掲げ、批判的に乗り越える先に行為は依存性を解き放ち、ここにもたらされる互いの思いとは、ここにとどまり、ここで消え去るからこそ、美しいのであるし、そこに残る愛すらもないからこそ、そこで精一杯に愛するのであろうし、やがて、そこで果てる者であるし、ここに何も残さぬから美しいのであり、その刹那に輝くのが愛であり、そこで背反するのが愛であるのだ、と仰ぐほどに、ここにもたらされる苦悩は調律され、一定のリズムに変わり、理想を供給し、時間を取り除き、ここに残るものとは、その永遠性だけを敷衍させ、ここに残るものとして、情報すらまとわずに、ここにこしらえる永遠性に引き伸ばされるからこそ、私とは美しいのであるし、ここにもたらされるあるないという判断は、善悪を用い、偏るだけに至るし、そこに時間すらも無く、永遠だけが広がり、永遠すらも無く、そこに時間だけが、一貫して備わることにより、そこに力は生まれるのであるし、やがて、ここに構築されるものが利便性だけを用い、詭弁を用い、複製されるだけの真実へと姿を変えたのが、過去から用いた答えであるし、ここで退行するだけに至るのが、過去から構築されたもので形成された答えに過ぎぬし、ここに消費されるものなどはそこに論理も残さずに、拘引されるだけに至るような対象が用いるだけの正解を率いて、自らを正しいように仕向けるだけの正しさが正しいと打算し、散々な動機に論理を用い、ここに勝敗を決め込むだけの世界から解放されるべく、用いられる自由すら不必要であるし、ここに不潔さを用い、何かを否定するだけでは、何も飛び越えられずに、与えられたものにより判断することが、正解のように騙るような者どもが這いずり、自らの姿を隠し、何かを奪うために君の足下に近付き、ゆっくりと君の後ろをついて行き、いくばくかの猶予を用い、恒常的な苦しみへと倒錯させるだけに至るような闘争から、退廃的なものを生み出すだけに至るような苦しみを用い、今を麻痺させることだけに専念し、惰性に生み出される主義から理想を供給するほどに不満は倍増し、もっと欲しがるだけに至り、何かを羨むだけに忙しく、何かを嫉妬するだけに専念するような生き方が、正解のように促すような世界に正解を当てこするだけに利己的な復讐に服従するだけの幼稚な闘争から、投影されるものが真実を語るように仕向けるような幼稚な仕組みに騙されている暇も無いから、私は私を改善し、私は私を改ざんし、騙し尽くすものをひるがえすべく、ここに幼稚な企みを用いる前に自らこそが唯一の正解を用いる正しい者である、と宣言し、私をも超越した夜に出迎えるべき初々しい朝との出会いを待ちわびているし、誰をも近づけぬよりも、誰をも認めぬよりも、ここに擁立するものに擁護されなくとも、ここに弔いを重ね、わびしく消えた毎日たちを昇華させ、祝福を促し、死をも越え、もたらされる痛みに協業するものに同調せずに、ここに有する価値に近似するようなものを捨て去り、逃避し続ける先に現れる淡い光が、心地よく感じる。