昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

端的な回答

朝になれば犬に起こされ、
夜になると、
猫に起こされるという
メルヘンな日々を過ごすわたくしは、
屈折した君の難攻不落な
牙城を落とすための言葉を利用し、
君をあざむくよりも、
殺風景なままに消費される
秋の夜長にかなでる心音に耳を澄まし、
静寂をまさぐり、
誠実さを捨て去り、
誰かが騙るような、
まやかしの正義を葬る。

季節とは枷になる


 諸元に沈む昨夜にシンクロし、そこで苦みをおびてく瞬間は、何かに怯え、循環させるべき今を永遠性に閉じ込め、恒久的な苦しみへと美化させるための還元を求め、感じることを拒否し、肥大する苦悩や、結われる先々で面影も眩み、疎外感にふるえるだけの惰性な人々が墓地にたむろし、体外に果てる思いは、収納されるべきスペースを求め、誰かを射止めるために依存的な進化を遂げ、とっかえひっかえに着替え、危害を加えられる身体は、みすぼらしく老化するのだ、と若者が浸る悲観的なプロセスをオペし、そこで終えるものなどは、どれも後続されるための瞬間を信号的に捉え、途絶えるように老化するのだ、というよろこびを見つけ出せずに、そこで苛むほどに最たる意味とは損なわれ、そこで応じるほどに堅持する意味へと引っ張られ続ける意志とは、何かに純化されるために世界を憎むことだけに専念し、厭世観に浸るだけで、配される愛に黙することもできずに、何かをとがめることだけが、存在価値を織り成し、押し込まれるだけの今に欺瞞を続け、追憶に比する価値に貧するだけの過去が継続した答えを引きずるままでは卑近なものにおちいり、問いの意味すら失われ、鬱々とするだけに至るし、いびつな信念が神経を痛ませ、いぶかる先に浸透する今に応じるだけの答えは、対価を求めるばかりで、真実には近づきもせずに、センチメンタリズムや理想論などをうながし、自由である事に現れる消費的な現在に適任するための因果に帰結するためのためらいを生み出すことだけが、ここでの価値を捉え、本質的なものに近づき、何かを誓うことで堅持するだけの今などは、犠牲的なものを孕ませ、不満を生み出し、不安をうながすだけの安易な接続を続け、つたない意識は、そこで引きずるものに神を見出し、何かを崇拝することでしか自らの価値を見出せぬような苦しみに疎外され続け、つたない意識は、儀式的なものの生贄として捧げられ、再発する痛みに耐えかねずに体系化される今に欺瞞を用い、体制にこびへつらいながら、辟易するだけの意識は、自己犠牲こそが正義である、と断続する風景で断裂していく自らを傍観し、暴走する真理は真実をねじ曲げ、自らの意志に偏るべきだ、と軋轢を加え、完全性を求める善政などが誠実さを用い、求めるだけの過去にひざまずき、満足を求めるべきだ、と言い放つ。求める満足とは麻薬である。追い求める意思は求めるための意思に屈従し従事するほどに満たされない思いに引きずられ、何かを買い求めるほどに満たされない思いにさいなまれうとましい自己を誇示するためのたくらみからはみ出せずに現れる原因に買い取られるだけの軽薄な身体を補完するための善用ば言葉が排出する同情的な言葉に擦り寄り、自らを正当化するためのためらいをそこに生み出し続ける。あらゆる苦しみを利用するだけの価値は、カタストロフに至らせるために横行し、応用されるために手向けられるものにとむらわれるために延々と同じ動機の中で姑息なバカンスに出るために囚われるべきだ、と惰性にみちびかれるものが吐き出すエゴなどは、悔悟に下にたむろし、邪推を重ね、枢要なものを求めるほどに、自らを偏執させ、傲慢な者へと陥らせるのだ、とニヒリズムが語るころには、すべては破壊されるためだけに備わるものだ、とうそぶく間に本質などは損なわれ、喪失感に揺らぐだけのシンプルな終わりを引き出すほどに自らに保持されるものとは卑近なものに変わり、悲観することでしか関することのできぬような否定的な諦観から停止し続ける意思は、自らの意志を持たずに示威するほどに意識とは、そこで汚され、断続するものへと巻き込まれ、自らの意思をねじ曲げていく。いくばくかの可能性を用い、失せるための希望に同化するための心音が引きずる世界などは、どれも壊され終わらせられるための価値を与えられ、そこでの価値に与えられた答えに連関するためのなりあいになれ合い、内示される認識に愚かさを重ね、濾過すべき今にも功罪を与え、保たれるべき均衡などを用い、平等などを謳うころには、すべては藻屑と化し、透過されるべき今も原罪をかかえ、諸元的なものを損ない、喪失感を重ねるだけの淫蕩な世界は、席を取り合うために絶えず求められるだけの場所で、同じような原理を弔いながら、同じような意味にとどまり、肥満化し、不満足を謳い、不満をうながし、不安におちいることでしか、自らの存在を認識できぬような価値の中で勝手気ままにうごめくべきであるのに、その場に現れる監視的な価値に無価値さを植え付けられ、与えられた存在であるという誤認から、公式なものほどあくどいものは無いのに、そこで陳腐な価値をまさぐるための答えに立ち向かわずに、現れる価値に吸い込まれるだけのあいまいな現実に堅持する意味などは今に退廃するだけのものであるし、そこで物々しくかかげられたものなどは、かかえるべき罪であるなど、と包括すべきである、と宣言するような者のたくらみの中でしか働きを加えずに、何が自由かすらもわからずに、自由の中で従属し、そこで囚われるための自由を求めることでしか、自らを羽ばたかせぬような者に現れる自由などは、自由に至らずに、そこで何かに浸ることだけが、自らを需要のあるものに変えるための贋物の価値の中で、自らを浄化できずに、カタストロフに至らせるための経路を自らにつなげる。

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。


生じる意味に軋む君が見ている憂鬱な影を飛び越えるべく、みちびく者から放たれ、独特で、毒々しいまでに虐げられる苦しみを用い、よろこぶべきだ、とうながすような正しさから抜け出すべきだ、とうながす、まる

すこし、わたしのはなしをしよう。

わたしの、はなしをしよう。

夜はむしろ、逆算されることを待ちわび、わびしい現実に抜き差しされるものが横柄なリビドーを加速させ、欲望が現実に枷を嵌め、憚る思いが収納される冬に消え去る幻影も、原形すらも残さずに消え入る本質にわびるだけの思いは恒常的な苦しみを書き写すための苦しみを絶えず反復させる、まる

晦渋


 自由自在な思いは、どこにも束縛されずに即座に変換され、そこにとどまらずに、永遠に転換し、正義は死なずに、のうのうと悪を捏造し、保身と正当化のためにためらわずに消費される人々のエゴを迎合するための言葉が今にひずみを与え、修正され続ける意志は、端的なものを忘れ、有する価値に揺さぶられ、自らを不自由にしては、最たる意味を捕食するための疑念から捻出される恨み辛みなどを武器にするようなルサンチマンが肥大し、悲観的な自分との対立を終えずに、何かを否定することだけが、存在理由を確かにするのだ、と惰性にみちびかれる者どもは、獣としての一体感を求めるための普遍性を清潔に保つために何かを疎外し、排除するために体系化される今に欺瞞を続け、不満足を謳い、俯瞰に攻め入るものを処理するための規律と記号を操り、多目的に従属する有閑が位階序列を操りながら、何かに釣り合うべきだ、と退廃的で理不尽な雰囲気に制御されない意思を操作し、合法的に縫合される月日に諦観を売りさばき、日々の快適さを得るための敵愾心を増幅させ、複製されるだけの真実は、敵意を生み、踏み台にされる自己は、今に堅持する意味に兼用されるだけの道具として、複製されるだけの日々は、意味をつかめずに、何かに捕獲され、自らが処理されるのを傍観するだけの今に犠牲的なよろこびを見出し、儀式のためなら、ためらわずに消費される者を措置し、皆の不満を解消するための快楽を呼び覚まし、いつも変わらずに、何かを恨むだけの者どもの理屈が理想を供給し、窮境に浸る貧寒な者どもの悪夢から、敏感な者ほど、悲しむべきである、と頷くペシミストたちが立場を利用し、悪意を根源に焦げ付くだけの毎日に卑劣な悪意をむすぶための誘引から、因果律などを利用し、流用されるための存在として、価値の中で引き裂かれる自己は、先々で対立を深め、酩酊し続ける先でバビロンの胃腔の彼方でジレンマを肥大し、自らの胃の中での炎症をかかえ、拡散されるだけの原理にためらわずに消費されるための存在として、時間に陰り、今に悲観するだけの時間に加速していく論理的な焦燥感に追われ、安易なものを信心し、簡易なものを信じこみ、自らを神事に引き込み、悲観的な人間として、加速するだけの自由に追従し、有する価値に無駄な消費を続けることにためらいをおぼえずに、横暴な価値に引き裂かれるための道具としての偶像崇拝を勧める。あらゆる意味は、今に欺瞞をたずさえ、何かを悲観させるために誰かをなびかせるための言葉を利用し、互いの中で食い違うものが多ければ多いほどに偽善的なものを持ち寄り、互いを同情しながら、互いを殺めるための倦怠感を生み出し、デカダンな者として乱用されるだけの厭世的な言葉を用い、モチーフとされる悲しみを互いの中で消費し続けるほどに、増幅するルサンチマンは、自らを屠るだけに至らずに、他者を利用し、何かを壊すための道理を生み出し、駆逐される精神は、朽ち果てても尚、何かに利用されるために絶えず信仰心をうながし、有する価値の中でカタストロフを生み、絶えず快楽的に破壊されることを望むような死への欲動から、浸水する意識は、自らの慟哭の中で動向を見失い、行為にひざまずき、自らを欺くための言葉を利用し、他者を欺くためのもっともなウソを発明する。原理は、原因にみちびかれずに、動因の中でからまり、かたよりを示す真実は、甚大な被害を自らに及ぼし、応用されるための原理をかかえ、課せられた罪の意識から、義務感を用い、安易な信心から、自らを消耗するための境地に至り、自らをニヒリズムに陥られ、深い諦観の洪水の中で、高次に浸り、あらゆる原因とは、諦めることからはじまるのだ、と惰性な意識は、自らに罰を課せ、介する間に利己的な答えを用い、持ち出される意味の中で罪は加速し、内外に果てる飼い慣らされた自己を娶る暴君や、群像にとろける徒労するためにたむろするための同調から、心因に加工された罪を飼い慣らし、端的な理由を欲するための理想を強要し、競合するために絶えず進行を辞めない病んだ世代だ、と懶惰な者がカタルシスを求め背く間に即座に無へと転換されるだけの価値は、犠牲を孕んでも尚、自らの快楽のためだけに加工され、自らこそが絶対であることに腰掛けるほどに、何かを見下ろし、見落とすだけに至り、自らの高尚に浸るほどに、ひらめきは失われ、そこで錯綜するだけの時間に自己を王へと変化させるための正当性を用い、持ち出される罪の間で詮索を続け、怠慢な領域で暗鬱な衝動を重ね、懐疑的な自己を堅持するための厭世観に引きずられ、自らの幼稚なたくらみから、世界を終焉へと巻き込むための生命などに美しさなど無く、そこで創造的に拓かれるものだけが、ここで用いられる善意的なものに反し、物として扱われる前に厚かましく何かを求めるだけの堕落した人間として自らを認識し、それを演じるだけの惰性な者どもの理屈などにこねくり回されずに接続されるものすべてを切り離し、自らが自らである、と叫ぶ以前の原始的な自己に帰還する。