昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

代用品たる生命

艶めかしくやかましい瞬間に起立する風景の首根っこを掴みながら、従うべきだ、とかうるさく賛美する賛美歌や、鳴り止まない過程から騒ぎ立てる惰性な気持ちなどがコレクションされるくだらない価値にも目もくれず、ことさら新品になる高価な価値を買い取り、取り留めのない日々に満足を送るような需要と供給とかを嘯く家庭なら、僕はいらない、と宣言するマルクスエンゲルス的な共存共栄が逆撫でする風景に緩和する我輩も猫のままである、とデータは不規則な僻地で、フォルテシモや、アンダンテや、スラッシュや、ドットコムなんかに変わり果て、見果てぬ先に仮面をかぶり、自らが分裂する自分を他者の目で見るような観念から還元される価値を破棄し、個人的な観念こそ破棄すべきだ、と超社会主義的な監視下に自らを装置的に備えるだけに自らは順繰り破棄され、自ら、と名付ける者から強制収容され、終わらない労働的に拘束されるのが資本主義さ、と諭したところで無気力になるか、暴力に陥るかの二者択一しか無いのか、とうなだれているだけでは、解決に至らず、わずらわしい者から排除するシステムが格差を生む的なルサンチマン丸出しな憎悪が根底に根付いて、誰をも憎悪するシステムこそに問題があるのだ、と物事の根幹から引き抜く意味が成り立つ前に、確かな意味とは答えを持つ以前、つまりは自らが産まれる手前や、宇宙が始まる前的な神話からガイダンスや、段階や根底を受け取り、確かなのは、今に間延びする意味を徘徊し、確かなのは、自らを理解するより、誰かを介して自らを認識し、何かに照らされて輝くだけにあらず、ただ流されるだけに自分が無いのでは無く、誰かの間や、物事の合間にいるままでは、何事かは、何物かとかを認識する前の無から反乱する自己的なカオスを超克し、ただただ超然とした静寂に包まれる今こそが、いまここに流動し、循環し、純化して行くの、だ。