些細な出来事の交わり
誰がどうした、とか、誰がいくら稼いだ、とか、ほんとうに、どうでもいいから、銀河鉄道に乗って、ジョバンニと、星の名前や、外の匂いを感じていたい、と翻弄する隙間から詩的に迫る世界は緩和し、自らを世界に収めず、乖離したままにおざなりに溶け合い、分裂していく主体を放棄し、瞬時に絡まり、意図を持たずに突き進む仏との散歩道に、体たらくな会話に結ばれる記号的な今に淘汰されながら、色あせ結ばれる先々に五体はバラバラになりながら、頓服で自らの生き血を飲むような空域に迫り、解除される瞬間に緩和し、満足ばかりを追いかける行き先が不安定にぐらつき、独立独歩する爽やかな先々の思念が、ドラマチックに結ばれては、飽き足らない欲望を手繰り、手懐ける先々に機能する瞬間を設けては、蔑む意味を解除し、情景に達する面影をエモーショナルに消費することが、需要と供給であり、それこそが、キャピタリズムの形である、とその形に収まるまでに、押さえ込まれる気持ちを破棄しながら、拘う時のラストシーンなどを設立し、不文律に示される思いをおめあてに攪拌されるシンドロームに破棄されながら、長らくに封印され、印象もほどけず、施されるままに遮られ、連関されずに偏り、すかさず固まり思念から資源を生み出すべく、そぞろにソサエティーを紡ぎ、安直な愚行に消え去り、偶感に示される空間的な排除に内実を縫い付け、内需を破棄し、画期的な交わりは、始まる合図に変わり、偏執する様々な思惑をかき乱し、回帰するまに循環し、めぐりめぐり、めくるめく無垢な状態を受胎し、境目を持たずに入り混じり続けては、完全に惰性な日々を突き抜け、藝術的に逍遥する端くれに迫り、間違いを片付け、カタストロフィを打ち砕き、自らの強さに至ることで、価値など不必要になる。