昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

喜びに弛む国家的な何か

潜り込む刹那に囲まれ、律動していく音階に帰巣される真実に妄想を重ね、輪唱される神話が過去を捏造しては、贋物の神を摂理に変える頃には、僕らは彷徨う悲劇と喜劇の隙間に睡魔を重ね、練り上げられる言葉から、その場が孤立し、延々と宛先も無く演繹される彼方に雲隠れする切望から背反していくこの場から引き離される事柄に流出していく本質に帰依する本質から奉納される能動的な補完から犀利な原理をこぼす許斐から、悔悟は顔色悪く、声色を探し、帰る家もなく、帰る道すら曖昧なままで寂寞に絡め取られる存在から損なわれる悲しみに暮れるよりも、相互する現在に静謐な面影を重ねては、ネガティブな願いで悲嘆に暮れるよりも、交互する意味に真実は宿り、この刹那に接続される全貌から絶望を度外視し、締結していく瞬間に迸る永遠から帰納していく数理的なエクソダスから、交互する聖域から仮想していく真実に化粧をほどこし、高じる後から提携されるだけにうそぶく、囁く記号から延々と除外されていく心情に投函される手紙の多さに悲喜交交とするか、高揚し、混淆していく背中にはつらつとした羽を広げ、覇道を進むのか、と昏倒していく形式に荒む身体が痛いの、と能動していく主観に果てる今にも木漏れ日が優しく包み込み、鬱積していく心情に同化していく愛憎から、安逸な習慣から溢れる言動にこじれるだけの意図が移動し続ける事により、初夏を吸い込み、正体すらも不潔な様態に加算されるだけの拡散を終え、横溢する瞬間に事情は波形を託し、高揚していくだけに堕落していく主体から集積される思いを重ねては、軋む心身に無我夢中で勇躍していく真実から帰らぬ人となるような予感に勇敢さを託し、この当然に果てる主観に永遠は宿り、生死を重ね、性質に蠢きながら、起動していく瞬間に宿る永遠にこそ、癒える何かしらは、言葉で騙らず、感覚に与えず、ただ短絡的に備わるような雰囲気に生き吹き返すだけに居心地も無く、ただ下される瞬間に揺動される真実にロケーションを明け渡し、暗誦される言葉からこじれる意図から自動手記的にこじれる後から完結していくシュルレアリスム的なリズムに補完される終了間際の夜から、本質は混淆されるだけのむしゃくしゃした今に閉じるだけに閉ざされた意図は、交換されるだけの言動に渾然としていき、醜態を晒すだけに参じる思いから応用されるだけの言葉にカタストロフィを重ね、混同していく意識から薄命な今に良俗の意味などが倫理や道徳を謳い、封建的な態度で締め出すアイロニーに本質は宿らず、ただ押し出すだけに追い出す形にしまい込む理由から昏倒していく同調圧力から、公平な審査はできず、ただ排除し、疎外させるだけの論理に根底から拭い去れぬ本質の領土化を終えるだけの拡充を執り行う権力から脱兎できない真実に労働的な時間から悔悟は生まれる寂寞に唱えるべき自由とは、ただ与えられ荒れ果てた休日に補完されるだけの機能を撹拌させるだけの連動に誇張される苦しみと破戒の午後から、拡散される悲しみと働けば働くほどに苦しい生活的なサイクルに明け暮れる秒針の音がドアをノックし、また働けと堅持する間から、剣呑な事実はのんきな輩を排除し、透徹しない感情から寛恕は生まれ、抵当権や、程度の低いもののあわれから、曖昧な浪費や逃避や、実現されない福祉的な幸福論や、現行に欠ける面影にひでる身体に哀愁ただよう経路に保険的な猶予から、監禁されるようば国家的緊縛を試み囲いたる国家的なものの何かしらから、虱潰しに誰かを潰すだけの合間に注がれる腐敗した政治的なものに加担せずに、我々は黒旗を降るのか、と攻撃的な資産は、色彩を奪う黒に偏るのか? はたまた赤旗を振り、日常の動機にカタルシスを促すべき扇動からアジテートされる締結から根底はコネクトされ、根源を失い、ただ彷徨う形に衣服を授け、ファイナライズされる時代に終末論などを謳う宗教に加担していくのかの差異と政治的暴力性に移行していく権力に自らが成り下がるのかの差異に至るまでの苦しみに破戒され尽くす精神に帰路を授けず、ただ記録に補完されるだけの人類的な何かに収まるお粗末さに、自らの倫理を裸にせずに、誰かが同意を求める決議案に賛成を上げるのか、と加担される側に偏る過激な思想は、カタルシスを求め、乙女チックなニヒリズムに憎悪を捧げ、根源から恨むシステムに移行していくだけの暴力性に兌換される紙幣や貨幣以上の真理に至らせる行為から高貴さを超え、投棄される高次な意見から高揚していく動機に迫害され続けては、等位を含めず、自らを神格化し、ヒロイズムを自らに水増しし、請求される正式な意見は、答えを持たず、ひとつのエゴイズムに集約され、その暴力性によって支払われる代償などと謳う真実は真実たるものを失い、善悪に肥大化する懸隔に滞るだけの答えに執着するストーキングから、衰退化する経済に覚醒させるべく昇華を持たずに、創造性を買い取る資本家が濫立する事により、藝術が、誰かの物にでもなり変わる事により、デリカシーが無いだ、と促す輩が即す芸術性などの軽さに藝術の本質は失われ、制度化されるだけの事実に口実を託し、枠組みの中で排除されるだけの行為を生み出し、この思いは、怯えるだけの状態に孤立していくだけのシステムの中で傀儡化されない悲しみに孤独を重ねるようなやり方した生み出さないから、何の創造性すらも失われるだけに満たない。