昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

前かがみな理

有るとは、何か?無いとは、何か?均衡した互いの力が反響し伝わる意味から意識は生まれ、有る無しの判断が通過し、意志を意味に持たせ、形あるものを生み出す限りに、無い事は有る、と生み出す限りに、無は誇張され、意味は意味に当てこすられた世界に名前を与え、今に意味を当てつける。死して完成されるものなどは、他者によるエゴであるし、生きている私たちは、死を捉え、乗り越え生きる事に尽きる。ただ永遠とは、他者が作り出すエゴにすぎないの、だ。この世に、仕方ない暴力などなく、やられたらやり返すような幼いやり方を変えるべく、我々は、もう一度、何を成し、何を行うのかを、考え直し、誰にも流されず、誰にも操作されず、自らの力だけで物事を考え直すべきなの、だ。完璧な相似をほどこし、掃討しては、対峙し、対比される対象たる自己を確立していく幼児期から、集中豪雨を喰らい、端的な暴力に討ち取られ、ただ呆然と他者たる主体に諦観を重ね、いずれかは、しなびていく。抑圧し、抑止するようなやり方では、なんの成長にも至らず、目先の快楽に溺れ、確かな意味もつかまずに、その快楽だけに至る限りに、なんら得るものもなく、破綻するに至る。俗人などと卑称し、何かを蔑む事で嬉々とするような者が氾濫する情理を飛び越える。正しさなどは、宿し根差す事にあらず、ただ不羈にまとう意味だけが、不倶戴天を打ち倒す。静謐な予言者は、性別を捨て去り、背反する意識が情念を超え、深層心理を破壊しては、四季を櫓櫂する愉快な行為から、健全な理由すらも引き出さずに、ただ破壊的な打算から、快感を伝う原理的な本能から、沈積する幽遠に蔓延る緩慢な道理から、理屈は、硬質な理由を持たずに、天地に利用され、宇宙に果てる時に堅実な理由すら、恬淡で利己的な気配に渇するだけの自由などを謳う時代的なアンニュイさに健忘していくだけに終えるような乖離した世界などに急かされる理由すらも無く、ただ淡々と仇討ちばかりを狙うようなルサンチマンな嫉妬と私感から、総和すべく、すべてを、すべてとして受け取る事に意味などは無く、ただ短絡的な襤褸を囲い、過去を追うだけに、終える主観に老いただとか、と促す限りに陰る本質は、途端に隠すだけの理由に長じる意味すら持たずに、ただ保たれるだけに今に固執し、整容される月日に戻らずに、ただ意味に軋み、今に縫い付けられ、得られるものすら、この場で膠着し、硬質な理由に頓挫するだけに終える今とは、今と認識する瞬間に閉じるものであるのだ、と感覚的な神が迫る耽溺する余波から、要する形に応じるだけの答えから回帰しては、乖離する現在に展開される理由とは、ただその場で閉じる事を永遠と呼ぶ事においてけぼりになりながら、応じる答えすら持たずに、ただ立場を促すだけに運命に倒錯し、等位を用い、自ら生み出す差別から、分別していく停止線を越えるようなレイシズムから、体制はこびへつらうだけに孤立する者を排出しては、配備される愛と憎悪との差異は無く、ただそれが、それに移り変わり、ただ対処する方法が変わり、ただ互いを恨むだけに惜別していく状態から、愛惜に至り、介する間に知りもしない意味が心因に変わり、横着な自我から、自己は死に至り、倦怠感を促し、今にあきらめるべきだ、と促す者こそを翻し、貫く意味こそが、その意思などを跳躍し、意志すらも飛び越える辺りに、この私とは、分離するだけに分断されていく形式から、体制を超越し、組織を解体しては、個人を全うせず、ただ道理に導かれもせず、ただ十全に浮かぶ事柄から、運動的な配役を終えた原始的な会話から、邂逅していく主観にふるさとも持たず、ただ浮遊する事に促す事をはねのけ、自ら選ぶ事に価値すらも要らず、ただ与えられているに満たない物事に依存していくような定理や、シーンなどは、瞬時に死に至り、関係性を結ばずに、ただ追いやられた価値に見出すべき未来すらも持たずに、ただ延延と演繹し、宿命に従うだけに、十全とした心持ちで至る意味を超克すべき君自体を摩擦するような外側の意志に屈するような他者を介した媒体たるに満たない今に汚い意味を用い、膠着するだけに至るよりも、長じる運命にこじれずに、すぐさま飛び越える君を見たく、いたく君が飛び越える姿がただただ見たく、君は意味を超越する矢先に備わる完全性すらも超越する限りに短絡的な自尊心すらも飛び越える辺りから、何を望み、何が必要で、何を促し、何と共に生きるのか、と選ぶだけに、ただ迷いは見つかり、今に至るよりも以前に、膠着するだけに至り、その場で凍り付くだけにひどく痛む心身を引きずり、何かを引き合いに出しては、苦しむだけに仕向けるような国家すら要らず、何かを隔てるだけの線引きすら不潔で、ただあまりあるだけに抗うのが本能であり、人間の攻撃性であったとしても、この命が抗う限りは、このシンプルな心情にそびえる怯えすらも越える辺りに生じる意味だけが本質と呼べるし、あらゆる意味を旋回し、意味を飛び越え、今に怯えずに、ただ飛び越える美しさに跳ね上がる衝動だけが、生じる運命に隠滅せずに、ただ生まれる先々にだけ、この惰性な世界を超越する事に生まれる美しさがなんたるかを知り、猥雑な世界に残された者であったとしても、その時代や社会などは、作られた駄作に満たず、この未来とは、今に位置づけず、いつを思っても、今は今に現れ、欺瞞を用いず、ただ嬉嬉として促す先に捉える物事が本質を見出し、未来に向かう限りに無情な意味すら飛び越え、呼び出す間に備わる言葉が確かな意味を貫き、位置づけるだけに不当な意味が迫り、君を占領し、ただ無意味なもので埋め尽くすだけに至るだろう、と促すようなミニマリズムも何か違い、ただ君を陥れる外敵を向かい打つべく、強固な帝国を気づき、確固たる意志で、何もかもを破壊するのだ的なミリタリズムなんてものは、最も腐った思想であるし、観点を失い、同調せぬ者のいっさいを排除するようなものに思想すらも見出せず、用いる思想などに、なんの未来なども作れない。ただそこには、創造性のいっさいは欠けている。