狡猾な夜
国家とは、夢を捕食するもので終わるのか?突きぬけていく正義は、演技を続け君に近付き、蓄積する苦悩を食い散らし、何も残らぬように駆逐するであろうし、あいまいに迫る意味にマインドは奪われ、毎日に追われるだけに血を争う戦いへと倒錯していくだけの論理をたずさえ、意味を崩壊させるものか?あるいは、あらゆる意味を収斂させ、収奪する者との闘争を続け、世界を終わりへと導くような神を設立し、あらゆる摂理と抗うだけの法を蛇行させ、惰性に自己顕示欲をはびこらせるか、と観点は浪費されるだけの永遠性を訪ね、終わらぬ旅路へと至るような形成される深夜にもとづくエゴから、永劫回帰的に終末をつなぐような関係などに清潔さは無く、関連する動機に収容されるだけの意味に強制的に働かされ、最たる意味を損ない、そこかしこに分裂していく意識は、意味合いに不潔なものを出現させ、意味を奪うだけに至るし、やがて生活感を用い、簡易なものに閉じ込めるだけに至るような体系から、形体するものへの犯行により、形骸化するだけのリスクを謳うだけの異次元的な対話から、法則的に食われ続けるような論理をたずさえ、「そこで荒らされるほどに争う永遠性と自己との解決や、統合を謳うだけの卑屈な論調を敷衍させ」動機を奪い、正義が悪をかぶり、自らを悪に染め上げるだけに鬱積する苦悩がばらまくノイズや、鬱積する過程にもとづく開かれた意思が紊乱なものに犯され、静謐なものに映じる藝術的な開花から、対話を続け、汚い過去に形容されるだけに瀰漫する不安などに映じていく自己とは卑屈なものに偏るだけに至り、いたわられることを目的に互いを認識するだけの固定観念に襲われ、応じるだけの答えに自らを結節していくほどに諦観は暴走し、今に真理を奪い合うだけの聖戦を持ち出し、正義で偽装された関係から、観念は偏るだけに至るような交わりから、毎日に満ち足りずに悲愁を漂わせ、欠乏していく精神は、邪推へと至り、誰かを恨む呪詛を重ね、攪拌される正義は信念を奪われ、動機を攪拌させ続ける先に待ち受ける一体感は、安易な快楽を促し、消費を続けるだけに至り、体制にこびへつらい、平衡する意識を保つことだけに専念し、センテンスにより、点線は暴かれるものにつながるほどに魯鈍な対象を見つけ、その者を生贄にし、自らをカタルシスに至らせるような罪の意識に截然される意識的な錯乱から、殺戮を重ねるだけの即席の独裁者として背くほどに生まれる感情により退行を続ける先につじつまも合わずに色あせるだけの瞬間に閉じ込められ、来世を思うほどに、現在や現時点に置いて行かれるだけの感情が情景に達する前に消え去り、過去から持ち出す意識的な虚栄を張り、自らを磔にし、そこに現れる罪を解消しようと改ざんする先に散々なものばかりが生まれるたびに倍増していく罪の意識により、自らから逃避を続ける。容易な逃避は、そこかしこに利己的なものを備え、責任を他人になすり付け、自らこそ正しいものように損得で測るような尺度から、価値は退廃的なものに陥り、用いられる制度にねじ曲げられた感情に等差を持ち出し、等位に備わる値だけが正しいのだ、と教えられるほどに、人間とは、人間によりねじ曲げられ原意を忘れ、原理に酔いしれ、自らこそ、正しい神を司り、対するものに制裁を加え、自己を聳立させるためだけに今に堅持する意識こそが、正しいものへと至るのだ、と堅持するだけの利己的な正義から、孤立するだけの個人は、そこに置いて行かれるだけに至り、そこに差異を生み出し、そこかしこに苦しみを充填し、歯止めも無くあふれる苦しみが敷衍し、普遍的なものを措置し、何かを恨むためだけに信仰的な敵意から、革命を促す論理的な証拠から、誇称されるだけの名ばかりの衝動から、論理的な敵愾心から妨げられるだけの原因に措置される安易な動機が示す怒りから、ふれあうほどに、そこに恨み辛みを生み出し、つながる痛みは今に排斥される苦しみを動機につなげ、そこに永続する苦しみの捕囚として生きていくことこそが、正しいものへと至るような罪滅ぼしになるのだ、と道理に導かれているかのように示すような正しさなどは、正しくあるべく、正しいものを演じることこそが、正しいことへの近道である、と示す道標として生きるべきだ、と妥当なベクトルから、正義に軋轢を加え、整合される時折に暴かれる意味や、真理が危害を加え、意味に子飼いにされ、従属するほどに、奴隷として生きることのよろこびこそが、しあわせの近道であり、失わないように保つことこそが、正しいものであるのだ、と妥当な位置づけから、位置的なものに屠られるよろこびから、猛威を振るう真理は、自らの卑屈さや、悪意に気が付かずに、自らこそが正しいのだ、とこしらえるものにより、軋轢を生み出し、互いをとがめるだけの論理から、立証されるだけの苦しみを唾棄し続ける先にシステム的な交わりから、はじまりを羽交い締めにし、まがい物を生み出し、歯がゆく悶える精神は、誰かの怒りを借り、借り物の怒りにより、誰彼かまわずに攻撃するだけに至るような対象を見つけることだけに忙しく動き回り、自ら生み出すことを知らずに、自らを哀れむほどに補填されるだけの苦しみに屈折していき、自らの痛みを感じなくなったら最後、誰かを攻撃することに生まれる快楽に酔いしれ、補填される他者の苦しみだけを餌にして生きるような亡者になり、自らが餓鬼に変わるころには、答えに拘泥し、体系化した自己を勝利に導くために卑屈なものとして内外に果てるだけの自己の亡霊を傍観するだけの者としてさまようだけに至る。