昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

完全性を含んだ昇華


 重なり合う衝動は、青春を象徴としていく。現れる衝動が意識を戦乱へと巻き込み、乖離していく意識は、意味もつかめずに、脳内で背反し続ける正気のリズムから離れ、今に徒労を重ねる。私たちは、何度も絶望を超えて、ここに退くだけの運命に抵抗し、告発を続け、酷薄な現在に進行していく意味に傷つきながら、簡単に処理されるだけの毎日にひずむ今が関係性すらも持たずに、ただ離れていくだけに至り、間隔を生み出し、今に悲観するほどに補填される苦しみばかりが増すから、たまには忘れるために多面になびく成因にもとづくものなどを葬り、やがて青春すらも消え去り、現時点に残るのは、宦官どもが生み出す訂正されるだけの現実に促される意味に即されるだけの苦悩に同行し、横暴に入り込む利得ばかりを求めるだけの僅差から換算されるだけの人間性や、そこに制度を生み出すほどに、私たちは無残に負けるためだけに産み落とされた資本主義的な機械なのだ、とつなぐ今から逃げ出すべく、悟ることすらもなく、ここにかかずらうだけの今に欺瞞を吐き出し、緩慢に措置される今に起源を残すだけの権限だけが、犠牲的に誘うだけの緩慢な作用から、散々な現在に退き、さえぎられるだけに至る今に起算されるものなどが改ざんを繰り返し、私たちが生み出す意味などが危難を生み出し、空疎な理由を吐き出しながら、しなびた記憶を流用するだけのシナプスが興奮と抑制を司るエロスをくすぐり、ここに生み出されるものなどは、宇宙規模で考えれば何の意味も成さぬようで、ここに現れるものすべてが今に交わり、今に始まることを考えれば、ここに備わる私こそが、宇宙のはじまりに交わり、今に追われては、終わるだけであっても、今に抵抗を加え、この空疎な争いの中で転じて行く意味に悲観する暇もなく、今に倒錯しても尚、今に注がれる情熱だけが、意味を飛び越え、ここに現れる意味すらも超越し、今に現れるものにあらがうほどに、この意味との狭間に現れる言葉などに精査され、果敢に挑むことすら忘れ、今に移送されるだけに移行していく苦しみとの狭間で量子的な希望を生み、現れる言葉などは、所詮は人間が人間を押さえ込むための毒されたものであるし、ここに現れるものなどは、今に作用せずに、ただ勘違いを生み、簡単に正気を失わせるための言葉であるし、この場に作用するものなどは、今に名ばかりを裁くだけに至り、たゆたう狭間にあいまいな私情を持ちこみ、散漫な意識は、今に未熟なものを措置し、動機を損ない、そこかしこで何かを恨むだけに至り、互いをとがめるだけの幼稚な倒錯から、操作されるだけに至るような人間として、指定される義務へと追いやられる機械論的な論難から、感傷的な敵意を向けるだけの思春期の迎合から、経路すらも損ない、そこで痙攣するだけの経験を積むべきだ、とつくづく迫る悠遠に潜む空疎な閃きから、貸与し続ける意味に虐げられ、この場で敷衍するものなどは、不健康なままで、奇跡を待つだけの退嬰的な人間として、即座に理由を損ない、そこかしこに苦痛を生み出し、鬱々としていくだけに歴史観に苛まれ、今に生み出される欺瞞と共に倒錯するだけの現在に希望すらも損ない、失われた意味を追い続けるだけの惰性な人間として性悪説に転じ、ほどこされる名に拘束され、気負うばかりで、そこに答えすら残せずに、現れる答えにあらがうほどに、今に現れる苦しみは倍増し、今に現れた苦しみにばかりに目が行き、行き違う意味と自らの距離に苦しむばかりで、何が正しいのかも見出せずに、ただ苦しむことだけに専念していき、重なり合う空虚感は、映じる運命に吐血を繰り返し、吐瀉される文明的なうねりを用い、逸脱していく先で対立を繰り返し、大義を用いずに、大利を謳い、動機を散漫にさせ、奪い合うだけの価値に惰性なものを生み、今に意味の中で性差を生み、逆撫でされるだけの憮然とした記憶が臆するほどに枢要なものすら損ない、そこに行いを正すという正しさの中で示唆され、達観するだけに互いをとがめるだけの惰性な私欲に結ばれるだけの関連性に連動していく劣悪な状態に陥るだけの衝動性から、証拠も残さずに消え去るのが、この運命にもとづく定理に引き戻されるだけのもうろうとした現在に主体性を用い、死を応用し、今に苦しむことだけが、人生をよりよいものに変えるのだ、という金言こそ失せるべきであるし、ここに現れる苦しみを次々に昇華させるのが、この生きているという感覚に還元されるだけの創造的な操作であるし、ここに現れる狡猾なものや、枯渇するほどに、機械的に至るような動作から、淘汰されるだけの幻にまとわりつくのが自らであるし、ここで見つからぬものなどは、探しても見つかるはずもなく、ここに交わるものだけが、正しさを示唆し、勝手気ままに流動し、誘導されずに、自らの意志だけで突きぬけることだけが、持ち合わせる答えに合わせることもなく、ここにあらがうものだけが、その場での正しさを飛び越え、ここに現れるものにあらがい続ける意思だけが、何かに示唆されずに、ここに現れるものだけを愛し始めることだけに心ない何かが攻め入っても尚、ここに逸楽を与え、果たす意味などはなくとも、自らであることをよろこぶことだけが、答えであるし、ここに出来合のもので操作されるだけに課せられた意味に支配されるだけで、人間的なものに陥り、人間であることだけが、正しいことにように抑え付けるほどに、人間らしさなどは損なわれるわけであるし、そこで分け距てるだけに至り、食い込む位置的な意味に支配されるほどに、芝居じみた毎日を地味に演じるだけに終えるような生き方が人間らしいというならば、それは機械的なものであり、快活な動機すらも何かに潤滑油を注がれ、あたかも循環的に受難に立ち向かい、同情を飛び越え、人間らしさを取り戻そうとするほどに、何かに支配され、保持する意味にほじくり返されるだけに至る。