昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

惜別の森


 彼らの愛も枯れ果て、彼女たちの愛も荒れ果て、歯がゆい結末を牛耳るための諦観や、散漫な意識にふりそそぐ冷たい別れや、手懐けられた過去に連動する意識的な正解から、軽薄な論理をたずさえ、散開し続ける先にふりつもる痛みや、慢性的な犠牲を孕んだ意識的な凪や、緩慢な作用を施すための短絡的な愛などは、今を浄化させることは可能なのか?と買い取られるだけの愛とは、意識的な浄化をめざすよりも、短絡的な欲を埋めるための微々たる快楽をいびつに措置し、そこで配置される愛とは、形あるものを示すための形式に犯され、惨憺たるものを重ね、記号化する余韻や、猶予を与えるほどに、意思に余裕はそこなわれ、聡明なものを用いずに、そこでもたらされるものがもたらす苦しみに遭遇し、相互する意識は、轟々とうなる意識的な別れに引き裂かれ、やがて卑近なものに変わり、加算される苦しみに消耗させられ、繰り返し味わう苦しみや、空疎な自分にかさばるだけの世界などが邪魔になり、担う意味も、似合わぬ君の理想や、理性すらにも制されぬようになってしまった間から、精神とは狂わされるのではなく、自ら狂うのであり、外から与えられる影響により自らを狂わしながら、与えられる影響により、絶えず苦しむことを強制され、強固になった苦しみは、自らの苦しみを担うために、苦しんだ場面を何度も意識に加点させ、転化していくための風景に保たれる基礎や、空疎な規律を引き裂き、ただ苦しむための場面を設立し、そこに嵌め込む自分と、がんじがらめになる自己が、このジオラマの世界で、ドラマすら形成できずに、ただすたれるだけなのか、と疲れ切った思春期の夜に揺動され、同化するためのフォーラムで未熟な世襲制を破壊するために、バビロンが論じる意味を形骸化させるためにサソリにもなるし、蛇にもなるのだ、と妥当な位置に用いるための毒を自らに形成することが構築されるものに反する最大の武器になるのだ、と露骨な毒とは、自らを傷つけ腐らされるだけだし、惰性に生み出されたルサンチマンに支配され、自らを空疎な箱に変えるだけだし、惰性に達するものなどは、極めたように思ってもすべては遠くで尊くもなくひっつきまとまり、まとわりつくだけだし、惰性に達観に浸るほどに、悲観するだけの感覚は、内面性に怒りをかかえ、加算される原理にもとづくエゴをゆるせずに、遊蕩に耽るだけだし、加算される価値が参画するものなどはうさんくさく、雲散霧消するだけだし、打開すべく、すべてにまつわり、迎合するものを破砕しても尚、ここで継続されるものが模倣するものや、朦朧とする意識に情景は達する間もなく毎回違う景色を見せるわけだし、わけへだてなく、受け入れても尚、経過するほどに偏りを示すだけの意識は算用されるだけの形式的な愛が儀式的なものや、継続されるほどに契約的なものに変わり、啓示などを謳いながら、運命論などに束縛され、即座に時間に植え付けられる死や宇宙や記号や概念などが、蓋然性を謳う限りに、ここでの可能性とは約束されたものであり、そこで起こるために起こったものでしかなく、しがなくからまり理性すらもそこないながら、即席の自由が理由を忘れ、暴走するだけの真理に、真実などはうるわしくもなく、うるさいだけだし、井蛙な者が叫ぶ自由は理由にならず、内積するものなどは、そこでとどまるための記憶が理由を吐き出し、過去にあったものが絶えず今に影響を与える、という欺瞞から離れられずに、満足を求めるほどに用いられる満足を手繰るためだけに大義を謳い、用いられる自由に左右される思想などは、思想であることの愚かさに気付かずに、意思に枷を嵌め、世界に制限を与え、世界を毛嫌いし、人々を苦しみに追いやるような独裁者に変わるよりも、にわかな愛を信心するよりも、段々とせまる陽気なリズムに身を預けながら、形成される意味などは罪と意味の間で偽装された正義を利用し、罰を与えるだけだし、打算的にさえずる記憶がビートの奥にひずみ、リズミカルな衝動と理知的に参画するものが離人症をかかえ、乖離していく先々でシステムをも打ち破り、確かな愛を体現する間にアゲンストし、錆びられる形式に囚われるよりも、咎められる先々で鮮明な過去が息を吹き返す前に、域を破壊し、用いられる制限が利用する境界を破壊し、派生するものなどは、どれも退屈な理由を基礎に、何かを複製し、復元するために利用するものであるから、そのようなものすべてを無視して逃げ惑う。