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時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

散漫な正義


 彼女たちは、宗教的な和解を求め、聖なる父親像を高めていき、自らを狂わせていく。性的倒錯の夜から、森羅万象を書き換えるリズムに鬱積していく秩序を乗り越え、形成される騎士団に弾圧される前に、自らのタナトスに打ち克ち、性的に映じる死から逃れ、ニヒリズムを乗り越え、原理的な行為にもとづく正義に頓挫せずに、蓄積される幽遠にそぐう価値などに遭遇する前に高圧的に迫るセンチメンタルな夜から、ペシミストが改ざんする会話から、弁証法に至らずに、対話に用いられる卑屈な改善策から、塗布される屈辱を重ねた血にメタファーすらなく、与えられる影響をそのままに受け入れるだけの破綻者が枢要なものを持ち出し、何かを犠牲的に支配するための革命の狼煙を掲げ、換算されるだけの資本主義的な衆愚が生み出した腐臭を漂わせる傀儡政治の屍として、製造されるだけの品位を保ち、そこに欠如を告解を与えるだけの悔恨の棺に収められるまでのよどみを増やし続け、一過性の真実や、影や形も無く、あざやかさも無いものに占領されるだけに至るような価値を促すだけに羽交い締めにされる意味から逃れられずに、ずっと続くからといって、そこに権威的に備わるだけの愚鈍なものの至福に関わり、関する間にジレンマを与え、相対する先に生まれる意味などが、今に結末を生み出し、そこで終わる事だけを観念的に備わらせ、猥雑な思念から、略奪を叫び、収奪されるだけの論理から、軋轢を与え、猜疑心を生み出し、今を踏み台にし、台無しにしながら、品定めされるだけの人間的な悲哀から、求められるほどに苛立つ本心は、本能のままに裏切りを重ね、システムに吐瀉すべきまがい物の史実から、真理を用い、自由で拘束するだけの自由に立ち尽くす現代的な傲慢から、浪費し続ける先に現れるみすぼらしい現在に浸るだけの官能的な批准から、垂涎するだけに至り、幼気な者にすら体系を与え、そぐわぬものを処刑するだけに至るような権力的なものからの脱獄を重ね、圧壊する前に、自らを放置しては、妨げられずに、何かに加工される前に、囲われるだけの意味を蹴破り、自由自在を謳う前に、自由である事に束縛されるようなジレンマを乗り越え、寛容に受け取る先に愛しいと思えるものは生まれ、思う前に備わる出来事だけが、唯一愛と名付けられる前に、愛すると思う以前に、「そこに現れるものを、現れるままに愛する事を始める事を、愛と呼べる」か、と促す先に現れる裏切りから、即座に転嫁していく対象への憎悪から、散漫な意識が生み出す嫉視や、熱病を重ね、乖離していく精神から、正義に滑落し、悪を元手に、悪をモチーフにしながら、肥大化していく憎悪を増幅していくだけに至るのが、人間的な誤りであり、そこに語弊や誤解を生み出す限りに陰る本質は、精神性を謳う限りに陰るだけの出来事に恍惚としていき、狡猾なほどに生きやすいようなたやすさを生み出す限りに本質とは、保守的なものに守られ、そこに偽善的なものや、まがい物こそが、この本質を正すものである、と宣言するような法からの脱兎を目指し、弁証法的に補完されるだけの意味に引き取られ、そこで昇華に至らずに、止揚される先に生まれる差異から逃れるだけの軋轢が生まれ、そこに倒錯していく自己から、欺瞞を生み出し、差別的に繰り出す裏切りから、乗っ取られるだけの身体を葬るだけの過去という棺にしまわれる悲しみから、終焉に巻き込まれる身体は、どこか他人を介し、認識を高めるだけに、互いを嫌いながら、同族嫌悪や、隣人愛などを用いながら、互いをとどめるだけに至るような精神的な不在を埋めるための快楽主義的な業火に飲まれ、自らを補足させるだけの意味をリストアップし、自らをよく見せようと示す間に補完される苦しみへと老化するだけの身体を放置し、悪趣味なものを用い、利己的に占める間から、自己批判は加速し、自らを卑下する限りに誰かを恨むようなシステムから、思想が運ぶ混濁に慰留するだけの動機が不純なものを育て、惰性に生み出された意味からエゴイズムは加速し、誰もがナルシシズムに陥り、自分以外を愛せないようになったのだ、と促すような精神分析の欠如や弊害に保たれるだけの均衡に補完されるだけの原理が生み出した意味と罪の間で寂寞をたずさえ、カタトニーに至り、凍り付き、今に磔にされるだけに至り、乖離していく自己を離人的に傍観し続ける死をも超越した時間に引き戻されていくだけの精神から逃れる事もできずに、その場に通り過ぎるだけの何をも介さぬ自己を諦観へと至らせ、そこにとどまる事で、解決していくだけの凍結から、討議だけが、うるさく論理的なやましさを脳内で循環させ、純化させずに汚濁に変えるだけの偏執から、返事も無く、ただたたずむ自己の図々しさに鬱積していく怒りから、排出される汚穢を重ね、宇宙が始まる以前から交わる自己から、阻まれるだけに至るようなファシズムを練り込んだ今に象徴的な神を屠るような結末を生み出すような徹底した憎悪から、はびこる悪意に顛末をこすりつけるほどに、屠られる神とは、自分なのだ、と気付き、自らの苦しみの内で叫ぶような論理的な空虚さに迫る寂寞に吐瀉され続ける苦しみを繰り上げ、制限を用い、正義で拘束されるだけに圧倒される身体は、交換されるだけの空虚さだけを生み出し、死に差額を求め、終わらぬ戦争へと居たらる。

哲学的な昇華


 あの空は嘆いているのだ、と君が愚行を正すような因果律の彼方で、寂寞に離れるだけの主体性を破壊するような尺度を持った論理と敵対し、絵空事を吐き出しながら、徘徊する深夜に導かれる官能的な解脱のシーンを断続的に、または、恒久的に傍観するような幼稚な企みから、秘密裏に満ちる日々に幼児退行しながら、彼は散る夜明けに黙示録を掲げ、抑止されるだけの悲劇の中でのヒロインを演じるだけだろうし、やがてヒロイックな夢を抱え、ダイナミズムに意味をなびかせ、喜劇的に生きるのであろうし、生きるとは、死を着込んいるだけであろうが、そこで諦観するようなニヒリズムに駆逐されるようなジレンマを抱え、むしゃくしゃするから、と弱い者いじめをするだけの今にすがるだけの多幸感にひざまずき、謳われるだけの信仰心は、やがて破壊的な容易さに自らを引きちぎり、悲観するほどに現れるペシミズムの虜になり、担うものや、縫い付けられるものを背負う事に置かれる義務的な要素や、蓄積する苦悩や、化合物を混ぜ込んだシリコンや、混濁する意識に迫る白昼夢や、ひれ伏すほどに勝る快感などが精神性を汚し、加算される原理は、やがて君を破壊するだけだろうし、そこに現れるものも、じれったいものであるし、やがて卑劣なものにひれ伏すほどに増していく快楽を呼び込むだけの機械や傀儡として生きるのであろうし、死へと迫り、慈しむ事すらできずに、今に奪い合うだけの権利が迫り、生命をカタストロフに至らせ、軽減されない痛みを生み出すナイトメアや、明晰な判断をできずに、囚われの身として恒久的に呼吸もできずに、あの空をうらやましげに見つめる塀の中での君の崩壊から、無為なものを掲げ、今に響かせる感応から、習慣的ななれ合いに卑屈さを重ね、起源を用い、今にはびこる悪意を受注し、それを生産的に生み出すのが、資本主義だよね、と謳う黒猫の懺悔や、凄艶に消え去るのが、生命の役目であり、そこに生きているものとは、過去に追いつかれずに、瞬間的に資するものであり、そこここで死を乗り越えられずに、便宜的な猶予を測り、はびこる悪意を生産的に捉える事が、超越のように扱われるような真理にもとづく身元不明のエゴを買い取るだけの人々のエロスに迫り、体内で生み出される計算式や、祝福が降り注ぐ満月の夜や、余罪を抱え、制限的に描く藝術的な余波から、観念論や、弁証法を超えて、騙るだけのリリシズムに整合されるだけの詩的な洋服に着替え、カスタムされた僕は、はどめも無くあふれる哲学的な要素を踏まえ、俯瞰に囚われずに、傍観的に迫る現時点から、裁かれるだけの宇宙の規律に基づく時折にひずむだけの存在を超えて、遙か無知で幼稚な論理をたずさえ、模写し、模倣するだけの傲慢な盛り場からあふれる業火や、後続するだけの言葉に乗り越えられ、ここに現れるものを、言葉で騙すだけに至らせるような感触をたずさえ、そこに描くべき是非は、今に是認されるだけの物事に透過させられる事が無ければ、そこに現れる正しさなどは、虚偽に満たず、そこに現れるものとして、白白しく生み出されるエゴが方法論のように今を屠り、君を包括し、母なる愛で捕縛し、混沌へと誘い、名付けられた途端に、自由と平和を軽やかに歌い上げ、具体案すら無く、ただ踊る事だけが、世界を正解へと導くつもりが、自らを独裁者に変換し、平衡する意識や、平静を保とうと疎ましくからまる利己的な保身を嫌悪し、顕在する意識を引き離し、貧寒なもので包括しては、疑念を持つ前に、偽善者として生きる事だけが、この死へと追いやられる恐怖に勝るような詭弁に打ち克ち、やがて専横され続ける事に耐えかねた人民が抵抗する訳も無く、同じような事を、同じように続ける事だけが、世界を世界として認識する手立てであるように作り上げた教育こそを壊すべきであるし、もう一度真理について究明すべきであるし、この術を取り除き、ロジカルな監獄へと引きこもり、自らのカタトニーと対峙する間に悲観するだけの輩が促す後進的な考えにひざまずくよりも、その先を行こうとするほどに、ゆがんだ思想を手にし、自らを独裁者へと育て挙げるだけの惰性さや、性差を用い、動作を不潔に変えるだけの遅れたマニフェストや、形成されるだけの痛みにゆがむだけの夜にちりばめられるフェミニズムを促し、男女に境目を生み出し、そこに平等を謳うほどに、間隔は生まれ、物事がゆがんだ結末に至り、男女間の格差は広がり、悲観的な考えが横行し、しあわせなどを謳うほどに、そこに生まれるジレンマに惑わされ、今に戸惑いの奴隷として、一切の権利を用いる事無く、権限とは、権力を用い、そこに生まれることごとくを破棄せずに、継続される事により、巨大な力は生まれ、誰も操作できないような力へと変わり、とがめられるだけの生命は、リベラリズムを謳い、軽薄な自己を啓発するだけの利己的な触診から、体たらくなみそぎを執り行い、ジーザスと謳う事により、右往左往し、権力を移行し、移動し続ける先にイドすら破壊され、リンクする記号や、かいがいしくむさぼるだけの餓鬼どもの閉塞的な観念論に奪われる主権や主体性は、死の外に追いやられ、生きる事と別離したものへと自己は捨て去られ、忘れ去れるだけに至るような動機や、臨界点を迎え、爆発する瞬間や、主体性を引き裂くほどの宇宙の終わりから、宦官どもが謳うような時代性の病や、やましい者ほど、やかましく騒ぐだけであるし、自分の罪をカタルシスに誘うべく、誰かを生贄にし、その犠牲をよろこぶような快感だけが、唯一の解決方法のようになってしまったからこそ哲学が必要であり、そのような時代を謳うような自分こそを疑い飛び越えるべきであり、そこにもたらされる義務に追いやられるだけの時代性などに正確性は無く、そこにもたらされる意味に権利を履かせただけに至るような嫌疑などに追いやられる者こそ、否定的であり、批判的にしか、物事を超える事を知らずに、逍遥し続ける先に迷いばかりが先行し、そこに生まれるガイダンスに従うほどに、ゆがんだものを、ゆがんだままに愛するだけに至る。

相対性


 どんなものを書きたいのかすら欠如したままに、この白紙を埋めていくような予感から、引き出すエモーションなどは、シナリオを無視して、無意識をさまよい、意識下に現れる波紋を傍観する自己から乖離した自分をひけらかすような散漫な意識が傲岸不遜なものを破壊し、ここに現れる事だけを世界として認識する事からはじめようと思う。思う事とは、この意思の隣で横暴に攻め入り、制限を用い、誰かが生み出した答えを還元するほどに、権利を用い、意味に権力を持たせ、今を専横し、主義や思想が入り込み、意識的な遭難を繰り返し、相違するものとは、どこか似通うものであるし、どこからが他人のものであり、ここに現れるものに近付くほどに、ほとんどのものとの距離は深まり、そこに現れる間隔に嵌め込むべき是非すら無く、そこで是認したら最後、引きずるだけの答えに飲まれ、意思は、今に悲観するだけに至り、苦痛とは、考えを及ぼす限りに引き伸ばされ、今を覆い尽くし、つくづくに苦しみを植え込み、謳われる真実や、用いられる出来事に膠着するだけに永遠性を利用し、今に付着する死の節々に迫る死の端を引っ張るような生から生まれ映じるものが、永遠をも超え、唯一へだてるものは、そこで考えに及ぶ自己だけであり、自分を磔にし、はじめての神として崇める事から、墜落は始まるのだ、と惰性な領域から、行き違う過程や、貞潔を謳い、欠如を生み出しながら、今に奪い合うだけに至り、因果を踏み台にし、生まれた事に用いる疑問を脱ぎ捨てられずに、今に現れる苦しみだけに偏りを見出す。みちみちていく悲しみは、空虚さを利用し、そこに現れる空白を埋めるための闘争へと、あるいは自己を閉じ込め、そこに誰も居れずに、自らが備わる限りに現れる事だけに本質として備える供犠から、自らを他人のように感じ、自らを傍観し、自らの分身を生贄に捧げ、自らを破壊する事だけに専念するようなペシミズムに陥るか?はたまた快楽を追いかけるほどに、快楽に追われる事に身分を作り出し、崩壊していく観念は、自己顕示欲を肥大させ、ナルシシズムを抱え、完成されない自己を恨む事から、ルサンチマンを生み出し、奪い合うだけに至る権利から、犬儒的な思考は加速し、死に背き、誰かをあざ笑うためだけに、誰かを利用する事から否定的な人間だけを惰性に生み出すような仕組みこそが、正解であり、世界である、と宣言するような退屈な主義から、退廃は生まれる。何かを変えようとする限りに偏るのが人間である的な摂理を踏みにじりながら、権利を主張し、無情に意味を引き出すだけの卑近な価値をカタストロフに追いやるような革命から、原理は廃れ、原因は疎外され続け、自らの孤独に耐えかねずに、重なり合うものへと遂行する限りに意識は、追従する事だけに専念し、依存するだけに終えるような形あるものの義務に追いやられるだけの愛は、革命に至る前に、愛により、愛とは破壊され、自らが示す不快感に追いやられる意識的な欠如から、葬られるだけの惰性な意識は、境目を用い、モチーフとされる罪を背負うだけに、生命の起源や、緩慢な差異から引き取る恐怖や不安を考える事だけに専念し、先天的な痛みや、今にいぶかるだけに至るような体系へと損なわれるだけの意味に引きずるだけの悲しみをさえずる記憶は、やがて誰かの惰性な意識を普遍的なものとして扱い、自らに圧力を加え、空疎な意味や、今に引きこもるだけに至らせる。堅持する意味は、固定観念をたずさえ、今に付着し、記憶をむさぼる。このような硬い動機から、苛むだけの記憶は、臆するほどに窮境に迫る意味から、理論的な細胞を切り取り、何かと縫合し、新たな生命として躍動させ、苛まれる記憶が、飛び越えるべき今に分裂的に消費されるだけに、逍遥する意志は、今に鬱積するものを飛び越えるためだけに、自らの力を、自らのためだけに利用する。利用されるだけの関係を結ぶような世界との対話を始め、痙攣する意思が、横着なままに物事を運び出し、出し抜けようとせめぎ合う意思に鬱積するものが、静謐なものを動かし、情景に達する苦しみを脱ぎ捨て、むせび泣く現在に怠惰なものを巻き込み、毎日に迫る寂寞をたしなむ。記憶に現れる孤独な光景に処される苦しみへと疎外されるだけの自己が演じ続ける先で、裁かれるだけの意味を用い、もたらされる悲劇や、用いられる事により、増していく苦しみなどに起源を持たせ、意味を悴ませるだけに至るような窮屈な遭難者として現在を徘徊する意思は、虐げられるだけに至り、浸る意味から、悲観的に引き取る苦痛を倍増させる事だけに専念し、誰かが促し、宣言されたものを、あたかも自分が言い放ったように語り出す間に欺瞞は生まれ、意味を踏みにじり、不潔なものを運び出し、意味を吐瀉するだけの対象を用い、率いる意味へと引き込み、苦しみを与えるだけに至るような苦しみを縫い付けるような眠れぬ夜に血合いを施し、散漫な意識に置いて行かれた空っぽの身体に嵌め込む是非から、暗闇で抗う善悪は、互いを知らずに、互いをとがめ、傷つける事だけに専念する事こそが、弁証法であるのだ、と促すような誤りから、過ちは加工され、高潔なものは偽装され、そこかしこに過去から引き出したジレンマから、トラウマを生み出し、何かをフラッシュバックさせ、不安を生み出す事だけに専念するような生命などは、何が正しのかすらも知らずに、幸福を騙る。有史以来、騙し合う事だけに専念したような日々を徘徊し、対話を施さずに、そこかしこに正しいとされるものへと強制され、矯正されるだけに至る正しさとは、正しい事など無く、そこに権利を生み出す限りに、何かの力を借り、自らの意思は無く、何かに与えられた力でのみ、何かを裁く事だけを正しいとするならば、用いられるシステムなどは、退廃と破壊しか生み出さずに、今を保存し、補完されるものなどが攻め入る限りに、自由と愛は名ばかりで、騙られるだけに至り、浸る意味などは、悲観させるためだけに独善的に利用され、自分こそが、正しいとされる者がうごめく現代に相似し、近在するものなどは一切無く、そこに現れるものなどは、何も知らずに、真実だ、と信じ込まされている限りに至る答えなどは、答えに利用されているだけに過ぎず、魯鈍なものに陥り、そこに現れる意志などは、何かに追われるだけの意志であるし、そこに現れる力などは、自らの力にあらず、そこに現れる力などは、誰かが促し、外から措置された借り物の力である。

なにものにも屈さぬ意志


 君の泣き声が空の彼方まで広がって、注がれる愛や、供犠の生贄として、遙か無知な胎動に囲われ、恒常的なよろこびを放つだけの君の呼吸が、答えすら持たずに、個体として生きる揺動から、敷衍し続ける思いが、行いを超え、ないがしろにしている答えを飛び越え、途端に現れる確かな思いが、ここで思い出になる前に、プリミティブな衝動や、正午過ぎにあふれる折檻の声や、暴かれる真実を黒く塗る君の律動から、輪唱する神話を超え、心ない真実に投下される爆弾の音や振動が後続し、あらゆる論理をかき消すような轟音が鼓膜をつんざき、実証実験の中での餌として扱われる悲劇的な小生に現れる諦観などを乗り越え、口実に結ばれるだけの正解などは、所詮世界を諦観で埋め尽くすだけに至らせ、至らぬ思いが、そこかしこでジレンマを抱え、肥大する苦悩が、能動性を汚し、慧眼に至らずに、穢れた目で惰性に物事をにらみ付け、退廃的なモジュールとして、生産的に生きる事でしか、答えを答えとして応じるだけに至るような兌換だけが、勝敗を分けるなど、と魯鈍な者が示す差異だけが、生きる事での差額を生み出せずに、ルサンチマンを引き出し、機関的な愛憎から、あいまいなマインドは毎日にデリカシーなどを求め、統合されるだけの日々に露骨な支配を求める事だけが正解へと導かれ、確かなものへと変化していき、経緯に悶える兼用されるだけの事実にリリカルなものすら無ければ、欲望のままに促され、誰かがよろこぶ事が、誰かをしあわせに導くなどと魯鈍な正否を促す限りに、陰る本質は、真実をうやむやにしては、妨げを生み出し、アクセスできなくさせるだけに済世を促し、度重なる暴虐の日々に緻密な意味を排出する限りに偏り、勝ち誇るだけに至るような正否にもとづく清貧な事などは、所詮は、偏った視点でしか、物事を見つけられずに、そこに現れる魯鈍な観点から、諦観へと誘うだけの卑屈なロジックや、浪費するだけの観念が生み出す観点などは、物事を確かなものだ、とむやみやたらに信じる事だけに専念し、旋転する意思は、制限を生み出し、宣言に騙され、混沌へと誘われ、途端に苦しみを媒介しては、惰性なものへと陥り、応じるだけに浸る意味から悲観するだけに至るような意味に関するほどに、言い分けがましく、徒に日々を消費する事だけがキャピタリズムのしきたりのように思い、扱われるだけの空虚な身体を引きずり、与えられた権利に惰性なものを重ね、自らこそが正しいのだ、と惰性に引きずる身体が、故郷を求め、或いは、帰る場所などを謳い、返り血を浴び、罵声に耐え、絶え間ない苦痛を敷衍させ、普及される普遍性の中で卑屈な者として、意味のモデルケースに吐瀉する応益的な諦観から、訂正されるだけの真実に縫い付ける人畜無害だ、とうそぶく惰性な愛から欺瞞を生み出し、不満足を謳い、足りないからと求める愛などは、愛に至らずに、名ばかりの愛は、名付けられたものに汚され、その場で傷つくだけに至り、体系的なものに処される意味などに刑罰を与えられ、それこそが敬愛の念を抱いている証拠なのだ、と魯鈍に吐き出される意味がハミングし、反響する音が脳内に響き渡り、洗脳され、占領される間に専横的に示された意味に閉め出され、洗脳された意識は、誰かに正しさを用い、何かで専横する事だけを目的に変え、多角的に物事を捉えられずに、惰性な判断だけが、正解へと導く近道である、と嚮導する者などは欺瞞的な者であるし、不満足を武器に、快楽へと導くだけの傲慢な機械兵であるし、閉塞的な観念を植え付け、判断を誤らせるだけに至るような意味から、不安を促し、同調する不安だけが、与えられた不安を解消する手立てであり、そこに用いられる不安などは、他者から媒介し、与えられた不安を、あたかも自分の不安のように示す事でしか、解消できぬ悩みなどは、悩みに至らず、与えられた不安を自分のもののように示す事でしか昇華できぬサディズム的な消費から、逍遥し続ける精神はシステム的なものに捉えられ、意思をとがめられ、もとづく意味を惰性に判断し、虐げられるだけに強制的なプロセスへと移行していくだけの苦しみの供犠の中での生贄として生きる事だけが、答えだ、と高圧的に攻め入られる顛末から、天啓を得たのだ、と勘違いを施し、安易な意味への欠落から、答えへと欠如し続けるほどに後悔などを促し、退廃的なものへと陥り、瀰漫する不安は、今にもとづく不平不満を枷に変え、苦しんでいる事を演じるだけに至り、現時点に備わる苦しみは、誰かに与えられた影響により、その不安におののくだけの苦しみを演技的に消費する事だけが、現時点の苦しみを消費し、交わる苦しみを解決に至る証拠へと引きずるだけの過去からの影響を今に絶えず与え続ける事だけが、惰性な苦しみから逃れる方法である、と宣言する間に散漫な意識は、次から次にちぐはぐな苦しみを生み出し、意味を分散し、今に与えられる苦しみに虐げられ、従える意味などを乗り越えられずに、今に与えられる苦しみを、過去から引きずった意味で解消しようとするようなデカダンな答えなどが、有史以来、意味を卑近なものに変え、答えを、卑屈にねじ曲げては、真実をうやむやにし、意味の無いものに意味を授け、あたかも価値があるように示した辺りから、苦悩は肥大化し、悲観し続け、そこで従う事だけが、唯一答えを乗り越え、今の苦しみを麻痺させるために従事し、従属する事だけが、苦しみを乗り越えられる答えであるのだ、と促すような答えこそを蹴り上げ、自らが生み出す意味だけで、答えを乗り越える事こそが、不安をかき消す事である事を知るべきなのであり、何かに促され、誰かに与えられた答えなどの一切は、まやかしであり、自らが産み出す決意だけが、本質に至るの、だ。

精神的な飛躍


 空虚な身体は保身を抱え、妄りに嵌め込む意識的な虚空や、交通し続ける先に緩慢に作用する原理や、理解をほどこす以前に、怠慢な理由を放送し、耽溺させるだけのメディア的な理想へと供給されるだけのプリミティブな罪を配布され、共通する意識から、傲慢な選択へと至らせるだけの狂気に疎外させ、多目的な理由や、ルーツに混在する意識的な汚穢を敷衍させ、巻き込まれる意識は、儀式的な生贄として、散漫に配される間にジレンマを抱え、自らの戦場へと課せられる義務的な調和から、超克されるべく苦痛をもたらすだけの猜疑心を抱えた日常に迫る、誰をも羨む心から、ことごとくはキャピタリズムの中では立派な歯車として生きる事だけを目的に、或いは、ぼくとつに生きるべく、仏教的な対話から、何もかを捨てる事だけに現れる強調されるだけの質素さに専横され、自らの欲望に素直で無いほどに、何かに偏るだけに至り、何かを捨てようとするほどに、自らに倒錯し、等差を生み出し、自らの死の内部で磔にされ、死をも捨て去る間に生まれる分裂的な多幸感が簡易に備わり、安易に排出される理由に磔にされ、自らの死を傍観するだけに至るか、或いは、薄明な時折にロジカルな平等をこしらえ、卑近な愛を用い、元手となる愛は、資本的なものに破壊されるから、と赤い鉄槌で打ち付ける傲慢な差異から、散漫な意識に配される愛は、平等の名を騙り、平らにしようと何度も打ち付ける轟音が響き、日々に嬲られる前に、この疲れから排斥されるだけに、苦痛の徴候に閉め出され、感化する以前に、大量に覆い被さり、いぶかるほどに、現れる苦しみに覆われ、嘔気を重ね、心ない何かに課せられる義務から、空疎な意味を吐き出す口を縫うほどに、魯鈍な神経からあふれ出る憂鬱のシンフォニーや、フォルムを汚し、慧眼に至る前に、現れるものを見つめるほどに、強調される痛みが、些細な動機に射し込む光の優美さに包まれ、つくづくに迫る生命の語源や、悟性を失い、ないがしろにしていた主体性から、集光し続ける先にバビロンの憂鬱や、吐き出される先に疎外され、境目も持たずに、用いられるものに疎外されるほどに、よろこびは俯瞰を覆い、何かを見つめるほどに、そこで現れる苦しみにあらわされるものを昇華させ、死は、なりあいを潜め、そこかしこに結ばれ、弔われる。形を用い、誓いを生み出し、制約され、規律を生み出し、そこで強調される罪の意識を生み出し、用いられる意味に浪費されるだけの観念を計測するだけの見知から、勘違いを生み出し、補足されるだけの関係から、経過するだけの意識に護送される囚人として、生きている限りに罪は増え続けるのだ、と傲慢な者が示す領域から増幅する罪の意識に拘束され、強制的に従事させられる罪の意識の中で苛まれ続ける事により、従う事だけが、楽な方法であり、そこで課せられる方法論などに相姦させられるだけの他者の身体を介さぬ同じ血の中での交わりに促されるようなデリカシーから、過信するほどに生まれる魯鈍な決別から、空疎な領域から現れる忿怒に飲まれ、分泌し続ける憎悪に修復される最低な日々を補足するだけの浪費される観念は、還元される苦しみをめくり続け、集う意識に排斥されるだけの痛みに分裂していくだけの意識的な汚穢に加工されるだけの品位を即し、疎外感を促し、観点に疎外され、置いて行かれる身体のいちばんの理解者として、懐疑的な日常に派生する真実の進路を妨害し、忘我の境に至り、何かを忘れ去る事だけが、痛みを取り払う義務的なギミックに変わり、絶え間ない痛みを疎外させるほどに、痛みは舞い込み、何度も苦しみを再利用し、そこに現れる苦しみだけを正義であり、そこで備えられる苦しみこそが、よろこびである、と告げる先に現れる苦しみなどに鬱積する状態に移行し続ける先に現れる非現実的な昇華から、逍遥する意識は、時折に歪み、ここに時間的な猶予を用い、戻されるだけの距離から、嚮導する者が犯した罪を課せられるだけの他者に移行させるための罪を体感させようと強要し、そこに現れる痛みを同調しようとするだけの感情の互換から、全体主義的に移行するだけの精神性から、制圧されるだけの精神に浸るだけの起源から、機関的なまやかしから、あいまいな現在に点在する意識的な合成から、生後から抱える罪の意識を背負った分だけ、退廃せずに、昇華へと至るような創造性が表れ、そこかしこに備わるだけの意味を乗り越え、その場で超える事だけを目的に答えを持たずにさまよう先に現れる迷いすらも、ここに現れる答えを弔い、後退せずに、ただ進み続ける先に産み続ける意味がたゆまずに、この場で伸び続ける事だけが目的であるし、あらゆる意味を飛び越え、怯えても進む事だけが答えを乗り越え、ここでこしらえられるだけの問題を提起されるものに反し、現れるものだけが真実では無く、そこに現れるからこそ虚偽であるし、ここに連ねられるものなどに法則的なものすら無く、そこですがるだけの宇宙との協調など無く、そこで外れるだけに至る個人的な郵送から、憂鬱へと返事を続ける不安の神との対話を終え、そこに現れる苦痛すらよろこびに変えるような創造性だけが抵抗を加え、そこで苦しむ限りに下される意味に欠乏していく意識的な諦観を呼び覚ますだけの他者から借りた意識にカスタムされ、課せられる罪をかぶるだけの代償の対象として、今に苦しみを帯びるだけの低劣な主義から、思想を借りるだけに軽薄なものや、経過するほどに保持する重圧に押しつぶされ、偏るだけに至るような共通の意識に儀式的なものを生み出し、意味からはみ出す事もできずに、自分の空疎をねぎらうように、何かに依存する事だけが、答えを捏造し、今に現れる苦しみを同じように苦しみように、と自らを強制的に抑圧させる事から逃げられずに、同じような過ちを何度も繰り返す事が儀式的に執り行われる事だけを、答えのように扱う事に現れる憂鬱に従っているだけなのである。

アンチテーゼ


 郷愁になびく思いが、赤裸々な文明を伝え、黙示録にたずさえた、恋心を拾い上げ、斡旋されるだけの身体を傍観し、他者からの災いを引き受け、簡単に処理されるだけの論理へと引き伸ばされていく過去を追いかけるのが、今を生きているということであるのだ、などと促すだけの論理的な彼女の足跡をたどり、カルマが分散しても尚、因果律にとどまるだけの惰性な時間の敷衍に飲まれ、記号化されるだけの論証に心ない何かを枷にし、にじむ血から引き取る普遍的な構図から、トランス状態に至るまでの形跡を踏みにじり、夜が明けるまでに、課せられた罪に着替え、誰もが謳われるだけの行為にもとづく快楽へと手なずけられ、懐かしむほどに、魯鈍なものに変わるだけに至るような魂の交わりも、いたわるほどに、互いを痛めつけるような行為に引き落とされるだけの金銭だけが目的の儀式から逃れ、孤独であろうとも、伴う痛みが、最大限の孤独を促しても尚、ここで用いる事だけが絶対へと変わり、希望なども瞬時に乗り越え、ここにある孤立こそが、ここで備わるすべてを前衛的なものに変え、とがるほどに、誰かに突き刺されば、ささくれた儚さや、悲しみを備えるだけのエレジーから裂けて、最高の瞬間へと昇華する事に置かれる快楽から逃れ、ここに用いられる苦しみこそが、私が演じるすべてであるのだ、とカタストロフを促すだけのペシミストどもが忌む瞬間から、闇夜は生まれる訳であるし、ここで履き違える意味から、空虚感を生み出すだけのニヒリストどもの対話から、悲観的で、感傷的な夜空は、余罪を求め、誰かを否定するように、自分を否定するのであるし、そこに生まれる不安に誘われ、陰鬱な焦土をのぼる次々に剥がれ落ちる肌をながめ、長い夜にほどこされる苦しみを散文に変え、分裂する衝動に塗り替えられていく寂寞から、緩慢に作用するだけの理性的な夜がほどこす罪の意識が罰する主観にはびこる善悪も、神を持たぬから、ここで爛れる訳であるし、そこに憐憫を持たぬから、紊乱なものに犯され、高次に至らずに、自らを神に変換し、懐疑的な何かを神で加工するだけに堕落する訳であるし、そこで落胆しても尚、攻め入る過程に逃れるためだけに、誰かを犠牲にするだけの主義や思想が、理想をリロードし続け、スキームに飲まれ、効率良く済ます性的な処理から、律動する欲望のダンスにさんざめく昨日から、加速する自由は雨に濡れ、あいまいな原理に引き裂かれ、自らの普遍的なもので加工し、懇意なものへと引きずられ、卑近なものに陥る。襤褸な過去から引き出す購いなどが、リリカルなものを引き出し、悲観するだけの彼女の蛇行する予感から、幼児退行していく可燃物どものセレナーデや、離間にはびこる悪魔崇拝的な夜空から生み出される黒い月のアクメや、懐疑的な思考から生み出される多幸感などが、襤褸に変化し、平行宇宙を汚すのであるし、そこで用いられる破壊的な真理から、私とは産まれたのだ、と妥当な位置から引き出す悲観などは、不安に覆われるだけに傷む心と引き替えに、身体を交換し続ける先々で、介在する意識を捨て、苛むだけの記憶に受理されるものへとコード化される。苛む記憶は、過去から根幹を腐らせ、困難を用いるほどに、一途な意味を見出せずに、腐乱する意思は、一切に崩れ去る。境涯に耽るだけの意図から、緻密な苦悩が巻き込み、言葉が、理を捨て去り、苛むだけの場面で孤立し、拗れる先に生まれるゆがみから、一切は、破壊的な集光を続け、まばゆい光で包み、何かを見えにくくするような正義から、成敗は生まれ、今に排除される苦しみへと引きずられるだけの過去からの嫌悪感が、今を引き合いに出し、兌換されるだけの苦しみに住まいを移し、つくづくに攻め入るセンチメンタリズムに意思を奪われ、抵抗力を失わせたところで、死に追いやるような卑怯な手口が迫り、分担された死に追いやった罪は、対象を見失い、他者が与える死の苦しみから逃れられずに、そこで苦悩は膨脹し、一切に罪の意識を持ちこみ、そこで孤立する絶望へと追いやられるような苦しみなどは、他者から与えられたようで、自らが生み出した苦しみこそが、いちばんのゆがみを授け、他者から預かる影響などは、ほとんど影響も与えずに、絶えず自らが与える影響だけが、苦しみを倍増させる。他者から与えられる痛みばかりが、表立つように思うほどに、自らに与える苦しみは倍加し、思うほどに、苦しみとは、今に影響を与え続け、急かす苦しみに追われるだけの自己を誇張し続け、強調される痛みは、どこか遠くでなびき、意味を嬲るような連中が用いる苦しみが聯立しても尚、自らに反響する思いの強さだけが、今の苦しみを拘束しながら、苦しみ事だけに意識は集中していく。いくばくかの解放を促すための鐘を鳴らすべく、苦しみに厭うほどに、浪費する観念を取り除き、そこで孤立するほどによろこびを示すべく、ベクトルは、正解を持たずに、世界などは、すぐさま裏切り、自らを超越させるべく、自らを超えるなどと簡単に吐き出すほどに、平衡を失い、偏るだけに至るか、或いは、そこで苦しみを増していき、慢性的な痛みを受注する事に置かれる資本的なものに拘泥するほどに、論理的な何かをこしらえ、自らを膠着させるだけに至る。その経緯や、過程に虜になるほどに、儀式的な慰みから、苛むだけの婚姻から、猥雑な観念を捕食するためだけの闘争を生み出し、何かを踏み台にするだけの理想から、供給される苦しみは、革命を用い、何かを破壊する事で、もっともな快楽に邁進し、そこで止まらぬ快楽は、破壊するためだけに、破壊を続け、破壊に至る事だけが、いちばんの快楽を用い、市場を癒やすのであり、そこで疲れたギミックが用いる疑似的な模倣から、奉納されるだけの身体を処理するだけの快楽をこしらえる先に与えられる影響は、愛を謳い、何かを騙す事だけが、成功への鍵である、と宣言し、遷延するだけの考えは、懐疑的なものを用い、独りよがりになり、担う意味を騙すためだけに対抗し続ける事だけが、世界を救うのだ、とうそぶき、ことごとくに中指を立て続ける少年期的な捻転から、剥離していく過程にモラルが速度計を振り切り、自らの用いたスピードにより、大破するような自由が炸裂する夜に不在である私のアンチテーゼ。

昇華する神経

 
 押し込まれ、居場所を失った意思は、進行を妨げられた恨みを晴らすためだけに生きる。平衡しようと捕らえて離さぬ私の意識から、儀式化され、今に慣らされ、平均的なものとして、誰かを崇めたり、恨んだり、憎んだりする。下るだけの意識は、歪んだ感覚を携え、自分こそが正しいとして、正義の鉄槌を下す。破綻した会話の中に滑り込んで行く高慢なものが、関係を破綻へと追いやられ、抑圧される精神は、制限を用いられるほどに反発し、配備される理由や、集団心理に巻き込まれ、確かな判断を失い、自分こそが正しいのである、と認識させられているだけに満たない認知から、人間とは、傀儡と化し、全体主義的なものに陥り、自らに酷似した者を蔑み、終わらない闘争を生み出す。秩序を持たぬ精神は、正否を超え、自らが生み出す抵抗だけで、成長を遂げ、惰性なものを排除し、積み上げられた憎しみや、分裂するだけの過程や、カテゴライズされるだけの軽々しい秩序や、一体感を求め、退化へと至るだけの道筋を歩き、緻密なものを排除し、同じようなものを恨むためだけに、多元に放つ記憶の微かな災いや、猥雑な思いに降り注ぐ惰性なものから、達成感を排除し、離間へと至らせるだけの対策から、大義は失われ、互いをとがめる理想から、高めるほどに、内観に現れるジレンマが、倒錯へと至り、自らの戦士としての記憶を排除させ、配備される間にむしばむだけの憎悪が育まれ、猥雑な記憶に廉恥を埋め込み、そこで拘泥させるためだけに、後悔などを交換するだけに、そこで膠着するだけの意識は、惰性な真理をまとい、体感する以前に、寛容さを損ない、そこかしこで配膳される記憶に阻まれ、慢心に至り、浸る意味から、利己的なものを邁進させ、慢性的な妬身へと至り、蔑視する事で、満足感を生み出すだけの簡易な購いから、あいまいな毎日を崇めるほどに、魯鈍なものへと至り、誰かを恨む事で、今に現れる苦しみを消費し、昇華する思いは、藝術的なカタストロフに行き着き、果てるだけの精神は、犠牲的な意味を加速させ、拗れる後先に時間的な信仰をまとい、端的な悔悟から、短絡的な履歴を追い続けるほどに逡巡する意識が、純化するまでの軌跡をたどり、退廃的なロマンから、問診を繰り返し、精神的に懐疑を溜め込むだけの行為にもとづくエゴを引き取るだけの永遠性に唾棄されるだけの鬱々とした観念を誤解へと導くだけの答えで捏造するだけの関係から、改善されない痛みは、今にいぶかる事だけにイメージを補完し、執念だけをまとい、意味に意思を授けずに、死を当てこすり、与えられる苦しみだけに散漫な代償を求め、解消されない痛みは、体外に果てるだけのジレンマを加工するだけの呼吸を重ね、宇宙が広がり始めたころから、この苦しみは受注され続け、誰かに無慈悲に送り届けられ、滞る事だけを目的に、互いをとがめるだけの理想は、矜恃を保つべき基礎も、記号化され、安易に暗号に変えられ、疑心暗鬼を生じ、証拠も残さずに、傷痕ばかりを増やし、インタラクティブに操作されるものから、問答を続け、つたない意識が綴る儀式的な伴侶へと基礎を移し替え、運動的な忿怒から、媒体に戻る記憶の数々が、誰かの意思を買い取り、懐疑的な日常を名付ける事で、安易な安心感を引き出し、悲観するだけの精神のモデルケースをいくつも作り出し、そこで精神分析を続け、綴る意思的なまやかしから、散漫な意識に求められるカタルシスや、襤褸なものをかぶり、分断されるだけの幼稚な仕組みや、くみ取るべき意味も、育むべき今に愚行を重ね、欺瞞へと浸り、悲観する者を宗教的に騙す事だけで、観念をこしらえ、そこで信じるべき理想を追求するほどに、魯鈍な法則を生み出し、ちぐはぐな意識は、破壊され、原生のものを損ない、そこかしこに不安をまき散らす鴉として泣き腫らす現在に起動されるだけの意味が蓄積するだけの苦悩のボタンを押し続けるほどに、快楽は増して行く限りに現れる苦悩から、能動せずに、檻に入れられ、そこで処理されるだけの快楽へと厭う事無く、没頭する事だけに、根源は損なわれ、そこで擯斥されるだけの孤独感を増し、慢性的な痛みは、今に処理される事を待ちわびるほどに寂しさを増し、制圧されるだけの痛みによろこびを攪拌させ、懐疑的な日常に開示される乖離し続けるだけの自己を傍観する利己的な自分を消費するだけに陰る本質は、誰かを取り込む事だけが、自らの存在を強調し、そこに現れる不安を消耗していく鍵である、と影である自分が現れ、そこにあたかも立っているかのように見える自分も、まやかしのように見えるような段階から、断裂していく意識が、位置的な苦しみを抱え、空疎な分離を続け、分断され続ける先々で対立を深め、解体されるだけの身体を、多目的に傍観するような自己を従え、何度も往復する他者を介した存在の歯がゆさに対立を深め、俯瞰に攻め込む正義も、傍観者として派生する他者を介した違う自分を何度も縫い付け、そこにとどまる事だけが、記憶をそこで生産し続け、あったはずの苦しみもよろこびも、どこか、他人の事のように感じるように感化させるような幻想から、原理的な理想を育むべきだ、と敵愾心を生み出し、短絡的な憎悪を生み出すような演技を続け、大人になるための矯正から、担うべき意味に違いを見出すだけの先々で乖離するほどに、対立は生まれ、論難をあびせ、そこで達せられるものなどは、そこへと近付こうとするほどに離れる事ばかりであるし、そこで阻まれるほどに、悶える憎悪は燃えさかり、誰彼かまわず燃やし尽くす事だけに専念し、遷延するものに巻き込まれ、自らを堕落させるだけに専念するような快楽的な何かを反故する者や、抱合される先に生まれる差異から、惨憺たるものを生み出すだけの性悪説にアクセスするほどに、魯鈍なものへと落ち込み、応じるほどに、偏向する意識は、誰かを裁く事でしか、自らの不安を解消できずに、対象を虐める事でしか、自らの恨みを晴らす事もできずに、そこで解消され、昇華へと至るような創造性を持たぬから、そこでこしらえられるものに、誂えられた理想を信心する事でしか、存在を確かめる事ができない。