時を乗り越える者

時間を超える意志的な現れ

奮闘記


 ご利益すらも不必要で、互換され、遮られる運命が悪しきものをかかげ、重なる思いが確かなものを設立し、成否を思う以前に確かさの枷を嵌めるよりも、自らの確かさを認識し、現れる瞬間に循環し、記号化する思いを迎えに行き、悠遠にひらめきを表し、攪拌される運命に停止し、定期的な思いを敷衍し、艶然に長ける思いが対比するものが対立し、代理的なものが今をへだて、現れる意味で意思をつぎはぎにし、遮られるほどに反発をし、散漫な儀式に妨げられるよりも、擁立するだけの果てに配備される間に背反し、自らの正しさに行き着く。独善的な思いが今を磔にする。シミュレーションされているだけの懶惰な自己が張り裂け、関連性や、完全性を求め、制度の中でもてあそばれ、朦朧とする意識は、儀式の中で生贄にされ、いけ好かない自己を派生させるだけの軽薄な傾向から、軽薄な動機に想起するものが、公平性や、平衡するものに耽溺し、出来合いのものを硬質なものに変え、制度の中で不感症になりながら、自らの身なりをととのえるほどに、自らの矛盾を膨らませ、定理の中で定義されるものに去り行き、猜疑心に磔にされ、張りぼての自分を崇めはじめる。荘厳な時に帰結し、純粋な自己を昇華させる。動じぬ思いに常時接続されるものが、物事を決め込み、今に裁きを与える。出現する思いは、融合するよりも、高揚をめざすべきであるし、はつらつと滑落していくものであるし、物陰に隠れおののくよりも、ここで表現を続け、草原で強襲されても尚、そこで孤立する優美な瞬間に純化されるものが自然的であるほどに劇的であり、そこで淘汰されるだけに至るだけでもデリカシーも無く、過信ばかりが攻め入るだけの退嬰的な補完から放たれ、自らの不純な思いを成立させるだけの主観に保たれる厭世観などをとりのぞき、ロジカルに迫り、蔓延する痛みに枷を嵌められる以前に加点され、荷担すべきだ、とうながすような罪の意識が、儀式的に正義をたきあげ、祭り上げるだけに至るような正義などは、徒に正否をうながし、制御不能に陥った意味の中でカスタムされるだけに至り、さえぎられるだけの本質の中で加算される原理に理想を用い、モチーフとされるものを仮想するほどに鬱積する痛みに服従すべきだ、と惰性にみちびかれる真理の垢を煎じて飲むべきだ、とベクトルを用いずに、外からの力により暴走する真実は、ちぐはぐな正義をつぎはぎにしながら、継ぐべく意味を歴史から引き取り、加算されたものだけを崇めることだけが、ここでの正義を貫く意味なのだ、と惰性にみちびかれる瞬間に循環していくものに臆するほどに怖じ気付くだけに至り、浸るイメージの中で補完され、ほつれたものを次々に送り込んでは混濁する意識の中で破壊されるのを待ちわびるような脆弱な競り合いの中で加算される痛みは、信仰心を用い、求められるものにさいなまれるほどに、自らに与えられた傷の深奥で信仰心を育て、惰性にみちびかれる果てで臆病な精神は、敬神に至り、平静を保てずに、互いをとがめるための理想に理性を喪失し、損なわれる精神は、何かに依存することで、保たれる自らだけが、自らを確かなものに変え、こじれる後先に宛先を生み出し、奪い合うだけの本質は、修繕されるだけの機能により堕落し、兌換されるだけのものだけを確かなもののように崇め、そこで価値として現れたものを崇めることだけが、ここでの答えをみちびき、見つけ出した意味を大切に保管することだけが、継続され、そこでの答えとして崇拝され続けることに寄りかかる意味が、意思を見つけ出せずに、ただ与えられるものだけが、ここでの価値に変わるのだ、という敬神から形成されるものなどは、短絡的なものしか生産できずに、ただ生産的であることだけが、ここでの平静を保ち、ここでの価値を高めるものである、という幻想から抜け出せずに、惰性に現れる物事の影に居座り、あたかも正解のように謳われるものを崇める理想から、奇矯な者のように疎外されるだけの君の熱病や熱情からエクソダスし続ける逸脱する観念は、軽薄な理想を供給するだけの正常さを謳う異常さを保つための狂気を加速させるだけの普遍的なコードにまつわるよりも、間違いを正すために脳にプラグをさされ、些細な出来事を薬により支配させられるだけの正常さが世界との均衡を保つのだ、という偏執狂的な宦官どもの私腹を肥やすための劇場たる世界で芝居を続けるためだけに保たれる正常さなどは、異常な興奮をもたらし、幸福であろうとするほどに、何かを複雑にし、不幸に変換するための記号にしか満たない普遍性などは、不潔であり、不純であるのに、あらがうほどに孤独以上に迫る異常な結末などを蹴散らすために絶えず正解と呼ばれるものに応じずに、怖じ気付くよりも、より高度なもので攻め入る果てに糧など要らず、ただ与えられたものに反することだけが、言葉に攻め入られても尚、自らの毒々しい示威だけが、意志を堅持するよりも、誇示するよりも、こじつけられることに反するための力だけが、位置からの力から放たれ、そこで現れる力だけに祝福される。