昇華

時間を超える意志的な憐れや戯れ

喜ぶための犠牲

先々で結束を固め、解体される深夜を黙読し、神話的なものを乗り越える途端に現れるものとダンスし、一体感を生み出し、位置付けられたものから逸脱し、そこに住まうよりも逃げ惑い、のらりくらりと乗り換え続ける意思は、つたないものを崇めるよりも、自らの崇高さを掲げ、自己愛に耽るよりも、自らを卑下し、自らを低劣で、退屈なものに変化させ、健気さを損なうよりも、同じようなものを愛し、同じように屠られて行く運命にこじつけられ怖気付くよりも、傷を増やしてでも、一貫して自らを乗り越えるために健気に戦う純粋さを循環させ、安易に生み出されるものに消費されず、自らの正しさを愛することが、自己愛に陥らずに、何かを補完するために利己的な生み出されるものをまくし立て、建前を報じ、混ずる一切にふかまるものが動機を一巡し、準ずる端々で愛をふかめる。悲観的な観点や、批判的なものに達するよりも、肯定的に抵抗する。あらゆる平衡は、保たれるべく、何かにもたれかかり、何かを利用するために、誰かを屠るための妥当さを利用し、等差を生み出す。 どこに関しても居心地は悪く、その場で硬直しても構築されたものに反し、自らのよろこびを敷衍させ、自らの確かさに足枷をはめずに、誰かが取り繕ったものに囚われるよりも、みずみずしい未熟さが思惟し、無垢なままに仰ぐものが崇拝するにいたらずに、そのままに乗り越えることで、形や価値すらも超越し、擦り寄るよりも、追従するよりも、するりと避けるしなやかな柔軟性を育てるのが育成であり、唯一教育を飛び出し、強要されるものに左右されぬ思想を生み出するために既存のものを乗りこなすよりも、自らの価値を愛し、追従する者からも逃げる。
 悪しきものを純化させるような斡旋を繰り返すための正しさが示唆するものに作用するものなどは、自らを正すことだけに根源を打ち出し、真理を利用し、何かを加工することで誰かの正しさを討ち取り、自らの価値に転化させ、自らが勝ち取ったもののように身勝手にほうむる先々で対立を深めるだけにいたる惰性さが打ち出す世界などは、世界として認識される以前に世界として利用されるための利用価値として扱われるだけの「セカイ」からは抜け出すべきである。

 乖離していく世界は、理解を求めずに、正解に服従せずに晴朗な時に薄情な者が打ち出すシリアスな現状などに動じずに、情動されるほどに区域は生まれ、自らに引く境界線が生み出す欺瞞から、満足を求めるほどに満足からは懸け離れ、自らに服従するために何かを信用し、信心するほどに自らの考えからは懸け離れ、はびこる悪意に意思を食い尽くされ、利用される意志は位置を求め、そこで加工されるだけに至る苦しみにくすみ、空疎な自分が打ち出す利用価値から、懐疑的な日常ににじむ瞬間が生み出す純化されるためだけに捏造される現実などから懸け離れ、惰性にみちびかれるよりも、誰かに貸し借りを用い、価値をうたうよりも、今にたゆたい、集うよりも、孤立しても尚、自らのよろこびによりどころは要らず、いたらぬままでも、徒に今を消費しても尚、逍遥し続けるよろこびに耽ることに老けるだとかを用い、空間を汚すことだけに専念するような宣言から放たれ、絶えずまさぐる瞬間に純化していくことで、時間から逃れ、能動し続けることに行動とは、点と線で結ばれるよりも、天へと昇華され、下を持たぬような感覚で、乖離していくことで、世界から離れ、たちまちに現れる現実などは空疎なものを用いた空間を消費するだけにいたり、いたわること忘れ、自らの価値に引き込むための欺瞞を続け、自由をうたうことに明け暮れるような次元にとどまるよりも、すぐさま逃げ惑い、誰にも捕まえられぬように秋風と揺れる虫たちのレクイエムにゆらぐ静謐から、精悍な時折に折り重なる正否などから逃れ、たちまちに現れるものなどは怠慢なものであるし、デリカシーも無く均一さをうたい、何かを法で囲うことだけに専念するような正義からは逸脱し、何が正しのかは、自らが生み出すものであり、そこで理解を求めるよりも、そこで停止し、定理を崇めるよりも、定義されるものから逸脱することだけが、自由を求める以前に自然を求めるよりも強力に作用するための自ら意味だけが、確かさの足枷を嵌められる以前に自らの正しさに行き着き、いくつもの時にへだてられ、過去を思い、今の苦しみに服従するよりも、今によろこびを見出し、自らにも服従しないように逃げ惑うような美しさを見つめている。